使徒ファルハース
大部屋の中央に鎮座するその獣は、漫画でもそれほどメジャーな存在ではなかったにも拘らず、どこか憧れのような印象を持った存在に近い。
全体の姿はキツネに近いだろうか。基本的には白い毛が全身を覆っているけれど、足先や尻尾、耳の先に近づくにつれて桜色に変わっている。とても長い尻尾だけど、先の方になるにつれて非常にもっふもふになっていた。
何よりも特徴的なのは、思わず見惚れてしまうほどに美しく輝く額の赤い宝石だね。艶やかとさえ感じるその部分を引き立てるかのように、サファイアを連想させるような青い目が、僕たちを見つめていたよ。
カーバンクル。
実際はそうではないかもしれないから、口には出さないで心の中で呟いた。
『待っていたであります』
突然の声に驚いたけれど、敵意を感じ取ってはいない。妖精の祝福で感じるものも、不気味なほどの諦観だった。
歩みを止めずに近づいていくよ。武器には手を掛けていないし、魔力も身体強化に留めている。
「待っていた、とは?」
『言葉通りであります。自分はファルハース。古き管理者の使徒であります』
「僕はエルナーと言います。お会いできて光栄です、ファルハース様」
ファルハース様はみんなの自己紹介を静かに聞いてくれていた。
どうやらシャルナス様のように狂っていたりはしていないらしく、理性的なやりとりが望めそうで安心した……のだけど、どうにも先ほどから感じる諦観が気になって仕方がない。
『ここに来た目的を問うであります。『虚質の紡錘』を終わらせにきたでありますか』
「いえ、維持のために協力できればと参りました」
『またでありますか。魔王とはつくづく理解できないであります』
「え……」
ゆっくりと小さな顔を左右に振りながら、吐き捨てるようにそう言われてかなりびっくりした。
そもそもだ。僕は魔王なんて名乗りはしていないし、ここの守護者であるならば、どうしてとも思う。
明らかにファルハース様はここの終わりを望んでいるようにしか見えないんだよ。
「ファルハース様は、ここを守る為にいる……ですよね?」
『否であります。自分はここを見届けるために遣されたであります。従来であればこの世界線は、既に役目を終えて滅していたであります。そういう風に造られた実験世界であります』
ちょっと待って、滅していたはずの世界? いきなりすぎて理解が追い付いていないんだけど?
みんなも困惑しているし、衝撃発言が過ぎるんだけど??
「えと、ファルハース様質問よろしいですか?」
『是であります、クゥナリア』
「ありがとうございます。……終わっていたはずの世界と、魔王様とでなにか関係があるのでしょうか?」
『是であります。古き管理者が構築したこの世界線は、生命の循環を簡略化する実験のために造られたであります。魔法によるシステムの限界値を測るため、保持機構を模した場所を観測し、見届けるのが我々使徒の役目であります』
ファルハース様の暴露が止まらない。知りたくも無かった世界の真実が残酷性を帯びて、僕たちの思考をかき乱しているかのようだ。
「本来なら目的を果たしていて、ここを含めた秘境は活動を停止していた……? そこを魔王様が『誓約』による維持に乗り出して、今まで存続することができた、という事でしょうか……」
『是であります、エルナー。魔王によって世界線は一時的に維持されたであります。限界はもう近いでありますが』
「で、でもエルナーが手助けすれば、まだ大丈夫なんですよね?」
『是であり否であります、アリーチェ。保持機構は維持できるであります。この世界線に住む生命も存在することができるであります。されどその“大丈夫”に我々使徒は含まれていないであります。世界線を構成する一部である以上、それでは不完全であります』
……だんだんと、なんの諦観なのかが分かってきたよ。アルシェーラ様もファルハース様も、とても永い時を生きている。世界が終わることによってしか、彼らは永劫の時から逃れることはできないんだろう。
『我々使徒は役目を終えるまでは不死であります。お前たちが秘境と呼ぶ地にいる同胞たちは、この世界線が作られてから存在しているであります。中には自分と同じように、終わりを望む者もいるであります』
「待ってくれ! いや、待ってください! 使途は不死と言いますが、我らが父であるキアラ様は亡くなりましたよね!?」
『是であり否であります、ラーシャー。キアラの魂は分体に移っているであります。本体の肉体が著しく損壊し、通常であればここを通って再生するでありますが、分体がいたために多くの記憶を欠損しながら移ってしまったであります。『無垢の寄せ櫃』の使徒がその分体であります』
「シャルナス様が!?」
ああそうか。夢で見たシャルナス様は、霧の中にあった純白の繭を見て居場所と定めていた。それは魂に根付いていた役目があったからなんだろうね。
『エルナーよ、問うであります。この世界線を存続させて何を望むでありますか』
「……僕は、この世界が好きです。それだけじゃダメですか」
『ダメであります。『誓約』もせずの延命程度であれば、この世界線は絶えず痛みに苦しむであります。お前の言う世界は、ヒトのみの営みしか含まれていないであります』
「あ……」
目の前が真っ白になる、とはこういうことなんだろう。思考が途切れた感覚があった。
……僕はヒトだから、それに準拠した思考でしかいなかった。ファルハース様の言っていることは全く正しいよ。世界とは、ヒトだけのものじゃあない。
救うと決めたのならば、全てを救わないといけない。ヒトも、動物も、魔物も、草木も、使徒さえも。
ああ、エリカお姉様。あなたの後悔がなんなのか、なんとなくわかってきました。理解してしまいました。
確かにこれは逃げ出したい。あらゆる全てを助ける事なんて不可能で、それでも今好きなヒトたちを守りたいと願った。世界を存続させればすべてを救った事と同じ、そう無理矢理に思い込みながら。
ファルハース様の言う魔法によるシステム。そいつを維持する魔力はどこから供給されている?
消費するだけでは枯渇する。生産する場所もあるはずだよね。ならばその原料は何だ。
眩暈がする。過程ではあるけれど、僕たちの肉体の本質的な部分は魔力かもしれないんだよ。
死して分解されて、巡り巡って各地の秘境へと還元されて。世界の痛みとはきっと、こういう事なんだろう。
「世界の魔力は目減りしている……完全ではない循環では、必ずどこかで綻びがあるから。今を凌ぐだけなら継続で構わないけれど、すぐに生命が誕生しなくなる……」
『是であります、エルナー。肉体が先か、魂が先か。あるいは魂の浄化機関で異常をきたし、正常な生命から逸脱するであります。ヒトの身で世界を存続させるという妄言を、取り下げる事であります』
……それでも。
数年か、数十年かは分からないけれど時間を稼げるならば、僕はこの世界線を維持させたい。
たとえ痛みを強いるとしても、今を生きる全てを見捨てる理由にはならないから。
「ごめんなさいファルハース様。それでも僕はこの先へ進みたいと思います。……僕も、魔王を名乗っていますので」
ファルハース様の小さな体躯から、悍ましいほどの威圧が放たれる。額の赤い宝石が煌々と輝き、膨大な魔力が形を成していく。
身震いしながらも腰に提げた剣を抜いて戦闘態勢へと入る。
『決裂であります。殺してでも止めるであります』
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