霧の世界は誰が為に
「うおおおおおお!?」
目を開いたら白いもふもふが覗き込んでいました。
いやびっくりした。視界一杯に狼の顔があるとは誰が予想できただろう。
「おはよう。調子はどう? あと、シャルナス様にちゃんとお礼言うんだよ?」
「あ、うん。おはようアリーチェ。体調は大丈夫だけど……お礼って?」
「シャルナス様が霧を操って、私たちの周りに来ないようにしてくれていたんだよ」
ぞっとする話だった。そういえばここって魔力が濃すぎるから、無防備のままいると体が崩壊するんだった!
そんな場所で意識を失うなんて、自殺行為以外のなんでもないよね……。
「お手数かけて申し訳ありません。ありがとうございました。シャルナス様は僕の命の恩人……恩狼? ですね」
『助ケラレタ、ワタシノ方』
お礼を言い合う僕とシャルナス様を見て、アリーチェが笑う。
シャルナス様からも楽し気な感情が伝わってくる。その巨体を見上げれば純白に輝く繭が。先ほどよりも存在感があるように感じて笑みが零れてしまう。
「お、目を覚ましたか」
「魔王様ぁ、格好良かったよぉ」
ラーシャーさんとルルゥさんが柔和な笑みを浮かべて近づいてくる。その後ろにはカッシュさんと、僕達に手を振ってニコニコしているクゥナリアさんの姿もある。
『雷牙』はシャルナス様が正気に戻り、安全が確保されたとはいえここは秘境という特殊な場所。念のために周囲を警戒しに出ていたらしい。
「お疲れ様です。ご心配おかけしました」
「このくらいなら冒険者の範疇だ」
「ボク達よりもエルナー君の方がお疲れだよねー。ね、魔王様?」
確かにお疲れではあるね。魔王の務めによる疲れだから辛くは無いんだけど、それを言っても信用はされないと思う。
「アルト達も警戒に?」
「うん、『雷牙』とは逆の方向を見に行ってるよ」
そちらに目を向ければ、霧の向こうに薄っすらと姿が見える。こっちに戻ってきた『金の足跡』が僕に気づいたようで、アルトが小走りで近寄ってきた。
「起きたんだな、魔王様」
「ねえアルト? 確かに僕は魔王を称するって決めたけどさ。普段からそう呼ばれたい訳じゃないんだけど」
「知ってる」
笑い合うよ。こういうじゃれ合いだって僕たちらしさだから。それにこの場所ではもっとも相応しい表現でもある。自然な笑いって言うのは移るのさ。周囲は笑い声に満ちていたよ。
シャルナス様の尻尾が揺れている。笑う事にこだわって狂ってしまったけれど、こうして本当の笑うという意味を認識してくれたようでなによりだ。
しばらく談笑していると誰かのお腹が鳴った。この霧の世界では時間の経過が分かり辛い。どのくらいの時間が経ったのだろうかと地図魔法を可視化して、秘境の外を俯瞰して映してみる。
「太陽は西、夕暮れ時だね」
「さすがにお腹空いたね」
朝からずっといたからね、常に身体強化で身を守ってもいた。エネルギー切れも時間の問題だね。
シャルナス様に帰ることを伝えると、尻尾が悲し気に垂れてしまう。アリーチェはなんだか帰ることに戸惑いを覚えているようだ。
「大丈夫だよ。いつでもここにこれるから。『誓約』ほどではないけれどシャルナス様や『無垢の寄せ櫃』にも繋がりを感じるんだ。転移も問題なくできると思うよ」
「そうなんだね、シャルナス様、またここに来てもいいですか?」
『待ッテル』
笑顔が咲いたよ。アリーチェの黒いサイドテールも、シャルナス様の尻尾に負けないくらいに揺れていた。
思わず笑ってしまった僕を不思議そうに見てくるアリーチェに、また笑ってしまった僕は機嫌を損ねた彼女に肩を軽く叩かれてしまったよ。
気になることがあって、『リリックサンク』の王都から少し離れた所に転移した。
「エルナー、どうして外に転移したの?」
「なんか王都の外に、人がたくさん集まってるんだよね。ちょっと気になってさ」
城門がはっきりと認識できる距離まで来ると、その人数の多さに驚いてしまった。ゾーイと同じ護り手の鎧を着た兵士たちも並んでいる。
なかには杖を突いて体を支えながら立っている人までいた。
僕たちが近づくと歓声が沸く。押し寄せてきた感情の波に含まれていたのは、興奮だったり感謝だったりが多かった。
まだ秘境を踏破したことは誰にも伝わっていないはずなのに何故? と思っていると、ここに来た時僕たちについていた兵士さんが駆け寄ってくる。
「皆さま、お待ちしておりました! 秘境を制したんですね!」
「ええ、確かに踏破しましたけど……どうしてわかったんです?」
「秘境の霧が黄金色に光ったんです! ここ、王都からも確認できたほどに神々しく……ここに居る皆もそれを見ていまして。いても立っても居られず、自然とここに集まってしまったんです」
全力を出し切った僕の『神々の寵愛の焔』が染め上げた霧が、秘境から距離があるここでも観測されていたらしい。それに興奮したというのもよくわかるけど、集まる理由にはならないと思う。
「霧に呑まれた人たちを救ってくれた魔法と似ているので、皆が救済者様を待っていたんです!」
「また大仰な呼び名が付いた……」
ゾーイが銀色の髪を靡かせて集まった人々の方へ歩いて行く。おもむろに立ち止まると、大きく息を吸い込んだのが分かった。
「みな、聞いてくれッ! 秘境の脅威は去ったッ! 霧の主たる白き巨狼様は正常な状態に戻られ、霧は我らをも守護すると約束してくれたッ!」
ゾーイの言葉にさらに沸き立つ。一部知らない情報もあったから、隣で微笑んでいるアリーチェを見やるとすぐに気づいてくれた。
「エルナーが眠っているときに、ゾーイさんがシャルナス様とお話ししてたんだよ。それで、これまでのお詫びにシャルナス様が約束したんだよ」
「そんなことがあったんだねぇ」
この地も秘境と密接に関りがあるみたいだから、シャルナス様としても小人族の不幸はなるべく取り除きたい所でもあるんだろう。
「秘境はこれまで通り、余人を招かぬ地として存在するッ! だが我々に牙を剥く事は無いだろうッ! この救いは全て、黄金の魔法を操る今代の“魔王”様の偉業であるッ!」
「「「オオオオオオオオオオッ!」」」
空気が震える。それ程の音と熱が伝わってきた。
天に届けと槍を突き上げ、肩で息をしながらも笑みを浮かべたゾーイが振り返る。その誘うような目を見るに、何かを期待しているような感じがするね。
人々もゾーイの視線につられて僕に目を向けてくる。少し眠ったから余力はある。ならばと地図魔法からシャルナス様に思考を届けるよ。応じてくれたシャルナス様を転移で呼び、急に現れた白き巨狼様に全員が息を呑んだ。
「『火精混交』
赤・青・緑・黒、そして金色の蝶が群れを成す。色彩のみを意識して効果を排除した『火精』たちは、この場においてはただ綺麗な蝶でしかない。
白い霧の巨体の周りで踊るカラフルな蝶たちを見て、集まっていた人々から畏怖や恐怖といった感情が薄まっていくのを感じ取る。代わりに感嘆とした溜め息なんかがちらほらと散見できたよ。
僕とアリーチェは剣を抜き、シャルナス様の両側に立ってゾーイと同じく天へと捧げる。
「「『浄魔の焔刃』」」
黄金の焔を剣がまとい、シャルナス様と『火精』たちを照らすよ。
『アオオオオオオオオオオンッ!!』
力強く吠え、霧が立ち込める。一瞬誰もが身を強張らせたけど、その霧は何もかもが違っている事に気づいた人々が歓喜の声を上げた。
黄金に染まる霧だ。兵士さんの話では黄金の霧には格別な想いがあるのだろうから、シャルナス様にお願いしたんだ。
演出は大事だからね、こうして僕たちと繋がりがあるという事をアピールして、彼らの中の不安を取り除くために動くのさ。
ああ、ゾーイの元に一人の女性が駆け寄っていくね。イーリアさんがそのまま抱き着いて、ゾーイもまた槍を放って彼女を抱きしめる。
今はその涙を誰も咎める事は無いよ。だから存分に想いを恋人に捧げるといいさ。
ゾーイはずっと戦い続けてきたからね、その幸福を誰も邪険になんかしない。むしろ祝福されているみたいだからね。小人族にもう不幸など必要ない。
今後もきっと、何かの拍子に良くないことが起こるかもしれないけれどね。
約束したのなら大丈夫。優しき霧の狼が護るこの地に迫る災厄など、この黄金に染まる霧の世界が護ってくれるだろうから。周囲に響く歓喜の叫びと笑い声に包まれて、シャルナス様からは愛おしいという感情が溢れていたよ。
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