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八章【斯くして少女はブラッドレイとなる<Ⅷ>】

 さてさて、路地裏も歩き始めて10分そこらで尻尾どころか汚物塗れの尻の……とこれは下品な言い例えだ。淑女としての品性を問われても致し方がない、まあ言いたくなるのは仕方がない事だと諸氏も既に理解してくれていると私は信じている。

 赤毛が気になり過ぎるのもそうだが案内する割には先導する事しかしていない、警官だろう?頼まれたんだろう?イーストウッド夫人は上流階級様だぜ?上流階級様の後ろがお留守なのはいただけないだろうに。隠れるのには上等な隙間と死角はそこらかしこにそこら辺そこら中、だというのに後ろを警戒する役割を制服を着込むどちらかに任せようともしないし何故かボロを着込む男の前をいく失態。

 まるで後ろからより前から飛び出してくる者から、ボロを着込む男を守るようじゃないか…フフッ、もう我慢の限界だ。

  

「ねえそういえば一つくらい確認したいんだが?」

「かまいませんよ」

子守(ナースメイド)には随分と心労を与えてしまったようだ、今も探し回っていないか心配なんだ、私は心配りの出来る乙女だから尚更気になって仕方がない」

「ええ、とても顔が真っ青な慌てようだったので屋敷でお茶の支度を終える頃には送り届けると安堵させています」


 ボロを着込む男はまんまとあっさりフォアグラを育むガチョウの様に大口を開けて私の鎌かけに、文字通りガチョウが餌を流し込まれるように引っかかり得意げに口走った。

 フフッ、上流階級の全てとは言わないが、大多数では伝統的に『働かない事』がその階級の品位ある淑女の振る舞いだ。正確な話になると残念ながら仔細は把握し切れていないが、聞き及ぶ限り労働は一切やらない。女主人の職責は監督する事であり、労働は、炊事洗濯その他育児も労働として使用人、つまり乳母(ナニー)子守(ナースメイド)、に全てをお任せ。

 いもしない沈痛に耐える使用人の仔細を語られて、初手から不信を抱いていたイーストウッド夫人はスッと立ち止まる。

 遠巻きに聞こえ響く群衆の嘶きの中でも軽快に響いていた女物の履物が奏でる音がピタリと止むと、先導する男達も流石におバカお尻隠さずの有様だとしても感付かれた事には聡く気づいて、襤褸を着込む男は頭を羞恥心で掻き毟りつつ振り向いた。

 

「何でバレちゃったんだか…俺はボスより頭使ってるし……おばさん何で、ねえ?」


 紳士ぶった化けの皮を剥いだその表情は見るからに粗野で野卑だった。言葉遣いの幼気は見るからに教養の欠落を物語り、何よりも振り向きざまに上着の陰から取り出したそれを握っている事に一匙の危機感を私に抱かせた。

 拳銃、やたら後ろが大きい奇妙な作りであるが危機感を覚える事に拳銃、だがそれ以上にバカに刃物を持たせる危険性は筆舌を要する必要も無く諸氏は理解してくれていると思う、バカの持つ物が拳銃となれば、刃物を振り回す要領で引き金の重みは水鳥の羽よりも軽いと、ほんの数秒前の得意げが見事なフラグとなってしまった自分自身の迂闊さを私にしては殊勝にも悔いている。


「目的は…聞いてもいいかしら?」

「ちょっいちょいちょい、おっいおいおい、質問は先が俺だろう?何で分かったのさ?」

「イーストウッド家は家訓として子供を育てるのは親の役割で喜び、手助けを求める為に雇う事はあっても任せきる為に人は雇わないの…目的を教えてくださる?」


 イーストウッド夫人は落ち着き払って刺激をさせず、ついでに刺激的な事に定評のある乙女たる私が口を開く前に、ボロを着込む男と解決の糸口を探る為に会話を行ったが、予想以上の粗野なる幼気な精神性に、緊張の色を瞳に宿していた。

 一息遅れに揃って振り向いた警官に扮する男達は…どこかで見た事があると既視感を覚える形状の拳銃を握っていたが…1人、明確に私へ銃口を向ける敵意を剥き出しにした者がいた。


「久しぶりだなカーラ」

「やっぱりイーサンだったか…背が縮んだな?それともあっちと同じで頭打ちという訳か?」


 勘の鋭き諸氏はとっくの大昔に気付いているだろうが忌々しい赤毛のイーサンだ。背丈は、私と変わらない年頃だというのに、かつての大柄さなど見る影を探り当てるのも難しいこじんまりとした体裁。何とも物悲しくなるというか、何時かの日は私が丹精込めて踏み潰してやったというのに、もう少しマシな様を期待していたかが、どうやら落ちる所まで落ちてしまったらしい。

 十中八九、ギャングの下っ端だ。


「カーラちゃん、今はお口の戸は戸締りをしっかりとして閉じておいて」

「そうだぜべっぴんな嬢ちゃん、指がピクピクして引き金もピクピクしちゃうよ?」


 思わず「おおっ!怖い怖い―――」と言葉を続けてしまいそうだったが、辛うじて戸締りの方が速めに出来たので両手を上げて「もう何もしません」と意思を表示して、私はスッとアシュトン夫人を隠す様に立ち位置を整えた。

 今は私個人の楽しみよりイーストウッド夫人に場を任せるのが得策。

 それくらいのお淑やかさを私は持っている乙女だ。


「んで目的だろ?決まってるよ、あんたら弾いたら金が貰える!300ポンド!ついでに武器も弾薬も!だから死んでくれよおばさん、公衆の面前を用意するから俺達の為に」

「そう…なら900ポンドの支払いで見逃してくださるかしら?」


 目を丸くする一同。成功報酬の三倍した額を平然と当たり前のようにイーストウッド夫人は提示し、スラスラとバッグから取り出した紙の束に何やら書き込んでからビリっと破り、ボロを着込む男に良く見える様に突き出した。


「これを銀行へ持って行きなさい、見逃してくれたその間に銀行へ電話をするわ、ここで私を撃てば無理だけど」


 あまりの大金と合わせ技の交渉術を開示されたボロを着込む男は見るからに狼狽し…などせず、むしろ苛立ちを垣間見せた。


「…腹が立つよな実際、金で何でも解決してます、っての。上流階級には教育が必要だよな今、銃弾は金より強し」


 苛立ちの度合いは真っ直ぐ伸ばされた銃口がよく物語っていた。決して外さまいと殺意がきっちりとイーストウッド夫人へ向けられ、後は引き金を躊躇わずに引くだけ。しかしイーストウッド夫人は恐怖などの色を微塵も瞳に宿さず、凛然と揺るがずボロを着込む男を見据えて言葉を続けた。


「知ってます、たくさんお金で解決できない現実は何度も見舞われました」

「へえ不幸自慢?」

「いいえ、自慢する程の不幸は…少なくともこの場で胸を張れる不幸より、この場で胸を張れる幸運の方が多い人生だったわ」


 一瞬の間、イーストウッド夫人は私を見た。


「でも自分が味わった不幸を自分が大切だと、愛おしく思っている人には味わってほしくないの。私は子供を望めない体、願っても縋ってもどうしようも出来ない現実。だからこそユズちゃんにはちゃんと母親になってほしい、そして私の様にたくさんの幸福と出会ってほしい。その為なら卑下されようと侮蔑されようと、いくらでもお金に物を言わせるわ」


 拍手をしたくなる博愛主義だったが、一般的に高潔だの清廉だの称賛される相手の化けの皮を剥ぐ行為に、ちっぽけな自尊心を満たしたい手合いには夫人のこの清く正しい真っ当なお金の使い方は、反吐が出るお綺麗な美談でしかなかった。

 心に響き渡るのは残念至極、さらなる嫌悪感。

 卑しい、と一方的に知りもせずに断じていた相手に自分がいかに汚らわしい生き物なのか?再認識させられたら、もう引き金を引くしかない。


「そうかい、ならさよなら」


 ボロを着込む男は結論が出て、それでもなお怯えぬイーストウッド夫人にさらなる増悪を募らせ、だからこそ私は…


「まあ落ち着けよ」

「んだガキ?」


 ズケズケと空気を踏みつけてイーストウッド夫人の前へ、さらに前へ歩む。


「カーラちゃん!?」

「おい近づく―――」


 ジャケットのボタンを外して、ブラウスのボタンも2,3外して、窮屈から顕わになる谷間を見るなりボロを着込む男は鼻を伸ばした。

 これでも研ぎ澄まされた肉体美には自信を持っている。

 流石に美魔女な、年齢を重ねる毎に磨かれていく美しさを私は持ち合わせていないが、年不相応に恵まれた体格と少女として早熟なこの体と、人生で必要性を一度も感じた事の無い、辛うじて脂肪の塊とはなっていない豊かな胸は、粗忽者には十分過ぎる刺激的だ。


「まだ男を知らぬ乙女が目の前にいるんだ、少しくらい相手をしてくれてもいいんじゃないか?」

「……ゴクッ」


 どんどんと獣欲が、ご立派なのかは知らないが男としての下半身の本能があっさりと殺意を上回り、引き金に掛かる指は容易くその役割を放棄した。

 フフン、当然のお話だがこの私が見逃すはずはない。


「ほへ?」


 バキっと骨の砕け散る音を響かせながら拳銃は宙を舞った。

 ああそうとも、私が思いっきり蹴り上げた。あ、そこ!はしたないとか指摘しない!私が履いているドロワーズは旧式ではない、だから見られても問題はない、世間体はこいつらの口を永遠に閉じさせれば問題ない!

 と断言してから良い感じにクルクルと回りて落ちて来る拳銃を、ベストなタイミングで受け止めしっかりと握り、蹴り砕かれた手首を抑えるボロを着込む男へ銃口をきっちりと意趣返しに突きつける、額にぴったりと押し付けて、を添えて。

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