八章【斯くして少女はブラッドレイとなる<Ⅴ>】
「お茶の一杯が出るのに随分と時間がかかるのね?」
「訪問カードという事前のマナー不足を持て成すお茶は常時していないんだ、真っ当な茶器で持て成すだけこちらの礼節を重んじる心を感じ入ってほしいものだぞ?」
「あらそう、じゃあありがとう」
応接間の、客人を迎え入れる為の一室の、たぶんこの家で最も上等な革張りのソファーに我が物顔で座る訪問の旨を伝えていなかった図々しい要求をする特徴的な鼻の高い伯爵に、ほんのちょっぴりの皮肉を飛ばすも内心では伯爵の急報は実に助かったと吐露しておこう。
来客の対応を名目に私はあの場から逃げ出せたのだから。
「活動家でも志してるのでもないなら髪くらい伸ばしなさいな」
「洗うのも手入れをするのも面倒なんだ、それより紅茶は?」
「もらう、砂糖もミルクもいらないわ」
押して入ったワゴンに載せてあるティーポットから来賓用の、アレマラント製の陶磁器のティーカップ2つに紅茶を注ぎ入れて真ん中に鎮座するテーブルへ。片方を上等な革張りのソファーに座る伯爵側へ、もう片方を対面に腰を下ろした私へ。
さて可能な限り引き延ばしてショッピングへ赴く気も萎える様に努力し努めたいが…肝心な伯爵の方はしきりに腕時計を気にしている。用を済ませれば早々に、という心持ちなのだろう。
それを汲み取る私ではないから伸ばしに伸ばしてやるのも一興だ、今の恰好ですら苦痛を覚えるのだからおめかしされるのは本心から嫌だ、髪とて伸ばすのが億劫な私なのだから。
「悪いけど渡す物を渡したら帰るわ、転居連絡も入れないどこかの誰かさんのおかげでね。飛行船に間に合わないと一騒動だわさ」
「つれないな…まあいいさ。それよりご用件は?」
「調査報告、まあ結果じゃなくて途中のだけど」
そう言うと伯爵はテーブルに分厚い封筒を無造作に投げおいた。
「乱暴だな」
「急いでるって言ったわよね?」
随分と急かす、余程の大事な大事な用事なのだろう。私としては心遣いの出来る乙女として期待に応えて、新聞を読み進める手際で書類を読み進めよう…すぐに帰すと諦めていないが。
さてさて、なになに……?主だっては社名…これは保有する株式の一覧だ。
新聞やら何やらのメディア関連は目白押しで国内の中堅の株式も多数、ほかにも出資している事業の一覧、新規開拓を始めた事業や…おやおや外国の企業への投資や買収、さらには各地に拠点を作って輸送網を構築と、まるで世界企業の様相を呈しているな…まて?まてまてまてまて!?伯爵が私に持って来る報告となればあいつだしあいつしかいない、つまりあいつならあいつという訳だ、ディラン・メイヤーッ!?
「そうよ、あの男、ディラン・メイヤー。ワタシも驚いて、おかげで椅子から落ちて腰を打ったわ」
あり得るのか?ポンド紙幣の存在を知らなくて、ちり紙と使い大叔父に盛大なタンコブを作ってもらったあの男に!ドヤ顔で小難しい金融系高級紙を逆さまで朝食の席に座っているあの男に?贈られた書籍を暖炉の火種に丁度良い量だと喜ぶあの男に?フィンガーボールを飲みほ――――
「ちょっと待つだわさ!何その話?嘘よね?嘘って言いなさい!?」
「残念だが伯爵、誓って全てを真実だと宣誓するよ。ジェインがどれだけ両親を軽蔑しまいと努力していたか、フフッ、語ろうか?」
「もういいわ、もう胸やけしそう、もういいから気付けをちょうだいな」
目敏く見つけていたワゴンの上の小瓶、中身は勿論だともブランデーだ。
え、ブランデー?と驚く諸氏もいるだろうが、一応ブランデーは気付け薬として重宝されているし、家政読本では子供向けの気付け薬や強壮剤の材料として名前を連ねているんだぜ?
なのでポチャリとブランデーを僅かに紅茶の減ったカップへ注ぎ入れると、伯爵はそれをグイッと、しかし理性で飲み干さず一口に止め、代わりに大きく溜息を吐き出して気持ちを切り替えた。
「ここ数年、特に近々の一、二年でディラン・メイヤーはのし上がった。ちょっと前に社交界に顔を出す免除も貰った、今やあの男は土地持ちの資産家、つまり上流階級の末席だわよ」
何も知らねば世界が正体を失ったと、黙示録のラッパ吹きが世界の終わりを告げ始めると戦々恐々とする事態だが…キャスリンという予定調和の規格から外れた要素をはめ込めば世界の正体は失われていないと得心の自然な流れ。
伯爵は私を通してキャスリンという異質を認知していたから、腰から滑り落ちる程度ですんだようだが、私の驚きは日常を彩る大仰なリアクションと思って流して欲しい。
しかしてキャスリン、お前は随分と巧くあの愚鈍なロバを手の平で軽快に見応えのあるサーカスの演目が如く躍らせる。フフッどうやらお財布も随分と膨らませたようだ。たかだかウィン=リー百貨店という百貨店一つの為にしては過大な物流網だが、安く買って安く売るという本来の百貨店の在り方としては他の追随を許さない規模。年商は薄利多売の積み重ねでイーストウッド百貨店に近づきつつある。
実に良い塩梅に上を行く!
「あら、嬉しそうね。相手が強くなるのに喜びを感じてどうすんのよ?」
「フフン、当然だろ?私なんだから。強い敵は好きで、勝ち目のない敵はもっと好きな私だぜ?」
そうでなければここまでのし上がれはしない、そうでなければ私ではない。
白鯨がイルカ程の威容ならエイハブ船長の復讐心はちっぽけだ、捕鯨船を容易く蹂躙して回れるからこそ、彼の復讐心は乗員に伝播し無謀な戦いに赴けた。私の復讐心を最大限に昂らせる敵と目した相手が白鯨でなければ相応しくない。
「楽しそうで何より、じゃあワタシは行くわ、飛行船に乗り遅れるし」
「おいおい伯爵、紅茶はまだあるしお茶請けだって手つかずだ、もう少しゆっくりして行けよおもてなし甲斐の無い」
「ショッピングの時間ずらしに付き合うだけの暇人じゃないのよ、さっさとルーテティアに戻って妻と子供達とバカンスよ!あ、でもお茶菓子は食べていくけど」
ならば私も一緒にご相伴と相成ってお茶菓子に舌鼓を…
「さあお開きだわさ!ちゃっちゃと連れて行ってちょうだいなっ!」
「おいおい伯爵、どんな茶菓子を用意し…―――」
たか説明がまだだぜ?と言い切る前に扉は最早ドガンッ!と爆音を立てて不作法に開かれ、ドカドカと轟音なる足音を響かせて家政婦と女中一同が思い思いの衣類、装飾品、コルセット等々々をっ!?
「ではカーラさん、東方の言葉を借用するなら税金の納め時、ここからが淑女の時間です」
「フ…フフッ、それいうなら年貢の納め時だぜ?」
にじり寄る獰猛なる女性陣に私はついぞ観念した。




