一章【三度の生は慟哭と共に<Ⅲ>】
気を失うように眠りについた私が、再び意識を取り戻したのは翌日の早朝。
カーテンの隙間から顔を覗かせる朝焼けの光と、漏れ込む冷涼な隙間風が、次の日が来たのだと私に教えてくれた。とはいえ包帯で巻かれているだけ、ほぼ全裸なので布団を被っていても酷く冷える。
晩夏を過ぎ秋を迎えたアルヴィオンの朝は、本当に冷え込む。
日本とは大違いだ。
ああ、そうだ。
はっきりと自覚した。
私はジェインが転生した存在だ。
あの大きな力の本流で、ジェインと時雄は、時雄とジェインは、自ら境を越えて混ざり合い、溶け合い、二人の人格が合わさり新しい私という存在に転生した。
一晩しっかりと眠ったおかげで、とても頭の中が楽になって答えが見えた。
私は時雄だ、ジェインだ。
私はジェインだった、時雄だった。
そして私は私だ。
ただ今も大切な歯車が欠けているという感覚だけは残っている。
それでも今の自分の置かれた現状を把握しなければならない。
私がいるのはたぶん、あの駅の近くにある診療所で間違いはない。
キャスリンに突き飛ばされたあの駅の近くだ。
そして私がいるのは【転生令嬢の成り上がり】の世界だ。
そこで一つの疑問に行き当たる。
ジェインには二つのルートが存在する。
本編に関わってこないルートと、キャスリンの最大の敵として舞い戻ってくるルートの二つ。本編に関わってこないルートは、ジョナサンと結ばれてウィン=リー家に移住するか、全てを失い国外のメイヤー家の分家に養子に出されるかの二つ。
つまり今こうして両腕両脚を失い、芋虫のようにベッドに寝るルートは存在しない。
さらに付け加えるならジェインに、転生者の疑いは掛けられない。
まあ一般的な上流階級のアルヴィオン人は『転生者?前世の記憶がある?おいおい、まさか品の無いお湯割りの不道徳な酒でも飲んだのかい?それともご禁制の嗜好品か?』と前世の記憶があると聞けばこういう対応をする。
ただ両親は救世教の中でもカルト、異端扱いされている物見派を信奉する人達。
常人ならば鼻で笑って終わらせる事も発狂したロバのように騒いで、自分の娘との縁を切って修道院に送ってしまう。ついでに言うと狂信的な迷信信奉者で占い中毒患者でもある。
十中八九、お抱えの占い師とキャスリンが結託して、二人に何か吹き込んだのだろう。
目的は最大の難敵であるジェインの排除。
死にゆくジェインにキャスリンの言っていた事から推測するに、彼女はジョナサンを含む5人の攻略対象と結ばれる逆ハーレムエンドを目指している、全ルートで最大の妨害となるジェインの排除は当然の選択だ。
ただし殺す必要はなく、殺さなくても本編に関わってこないルートはあるのだ。
ジョナサンとロベルタの、どちらか一人しか仲間に出来ないという但し書きはあるが。
そう考えたならキャスリンがジェインを殺す理由は……たぶん、二人を手中に収める事のだろう。
ジェインを殺す必要性に関しては、疑問の余地が残ってしまうもののそれ以外の可能性は分からない。
一方でロベルタがキャスリンに篭絡されているのなら、ブルーダイヤをキャスリンが盗み出せたことに説明が付く。
【転生令嬢の成り上がり】の舞台となる【スチームサーカス・ロマンシア】の主人公であるロベルタは、ルウェリンに拠点を置くサーカス団で軽業師をする父と、南エウロパのラツィオ王国からの移民の母を持つ、肌の色が濃く、猫のように愛嬌のある可愛らしい顔立ちの少女だ。
そして父の才能を色濃く受け継ぎ、その見た目と同じく猫のように柔軟でしなやかな軽業を得意としている。つまり厳重な警備を容易く突破出来る。
ただ彼女が何で私を陥れる企みに加担したのかは分からない。
ゲームではこんな展開は無かった。
ジョナサンも………おかしい。
差異がある、とても大きな差異だ。
そうだ!
ゲームではジョナサンと婚約を結ぶのは八歳の時、それも親同士が決めてそこで初めて二人は出会う!
だけど私は六歳の時にジョナサンと出会い交流を深めた末に、ジョナサンの父親がジェインとジョナサンの婚約を申し入れた。つまり辿った経緯がまるで違う!それだけじゃない。
そしてゲームだとジェインとジョナサンは同年代、しかしジェインの記憶では一歳年上だ。
ロベルタとの出会いも違う。
ゲームでは十歳の時にロベルタはメイヤー家に奉公へ来た。
だけど私とロベルタは六歳の頃に出会っている。
ロベルタの父親が公演中の事故で大怪我を負って失業し、生活が苦しくなり家族を助ける為の手段とロベルタはスリを働く決意を固めて街のギャングと共にロンディニオンへと降り立ち、私の元父親である娘がどう言い繕っても見た通りに抜け作のディランさんから財布を盗もうとした。
ただ失敗して危うく殴り殺されそうになり、咄嗟に私はロベルタを庇いお腹を蹴られ、その光景を目撃した大叔父が仲裁に入り事なきを得て、事情を知った大叔父の計らいで私とキャスリンの専属の雑役女中として雇う事になった。
そして一番の差異は二人の性格だ。
ジョナサンは体裁を極度に気にする悪癖を持ち、ジェインの家族内での扱いを知るうちに心変わりを起こし、キャスリンに鞍替えするが序盤以降は本編に登場しない。その代わりに資金面でキャスリンをサポートする。
そのことからぶっちぎりで人気が無く、あだ名もモブ約者や貢・ウィン=リーといった侮蔑的な物ばかりだ。
ロベルタはどの追放ルートを選択するかで多少の違いはあるが、共通してジェインもキャスリンも同様に鼻持ちならない、裕福な家庭の令嬢と心の中で蔑み、家族の生活を守る為により多く給金を払うキャスリンに鞍替えして、ジェインを陥れる企みに積極的に加担する。
だけど私の知る二人の性格はまるで違う。
ジョナサンは思いやりがあって、優しくて私が作るスコーンをいつも美味しいと言ってくれて、よくロベルタと一緒にピクニックにも行った。ロベルタとも本当の姉妹のように、親友として友情を育んだ。
だから私は同時期に大切な人に恵まれて、僅かな時間だったけど救われた。
苦しい、暗闇の中でようやく光が見えたような気がしたのだ。
今でも私は二人を思っている。
ジョナサンを変わらず愛しているし、ロベルタにも友情を抱いている。
しかしそれはゲームと内容が大幅に違う。
それだけじゃない。
本編の舞台となる公立のカムラン学園という学校は存在しない。
代わりに5年制の私立学校のカムラン校が存在している、他にも差異は沢山ある……どういう事だ?
何より、何よりだ!
キャスリンが冷水を浴びて高熱を出したのは八歳の時ではなく五歳の時!
私がジョナサンとロベルタに出会うずっと前だ!
何なんだ、この食い違いは?
どうしてもこうもゲームで起こった出来事と、私の前世であるジェインの記憶との間にこんなにも大きな齟齬があるんだ?ダメだ、情報が少な過ぎて推測のしようがない。
「イヒヒヒッ!」
私が不可解な食い違いに頭を抱え…る腕は無いが苦しんでいると、来訪を告げる扉をを叩く音と騒々しい笑い声が響いてきた。