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八章【斯くして少女はブラッドレイとなる<Ⅳ>】

 紅茶を飲むとはアルヴィン人にとって欠かしたら一大事な日課だ。

 朝起きて一番にベッドの中でも飲みだすし、一息をつく時も人心地をつける時も、友人との語らいも仕事の一間の余暇も、家族の団欒にも悲しみの時でさえアルヴィオン人の傍らには常に紅茶がある。

 細やかでありつつも、その階級に見合う確かな調度品と差し込む温かな陽光に彩られた食堂で、朝食を食べ終えた後にも当然嗜む。

 イーストウッド夫人の好みは、体は砂糖で出来ているアルヴィン人としては控えめで、されども新鮮な牛乳はたっぷりと。一方で対面の、体質的にごく最近まで妊娠が分からなかった、しかし今ははっきりと命が宿った事を語るお腹の柚子(ユズ)・アシュトンことアシュトン夫人は新しい命への気遣いで麦茶を飲んでいる。

 医学は、あちらの世界でのこの時代の医学の進み具合を私の知る由ではないが、たぶん随分と進んでいる。

 帝都が誇るロンディニオン塔がひっそりとせざるを得ない、威風堂々たる出で立ちの蒸気吹き荒れる蒸気塔(スチーム・タワー)。かの塔そのものが一つの巨大な解析機関というあちらの同時期よりも明明白白に進んでいる確証があるのだから、進んでいないのが逆に不自然とも言える。

 入浴の習慣の広まりに然り、私の義肢に然り。


「今日はご機嫌ね、少しだけ。そろそろ諦めがついたのかしら?」

「諦めるも何も可愛らしいくて似合っているんですから、カーラちゃんは本来の地声も顔の作りだって少女らしい趣が年相応でいいと思いますよ」

「そうよね、でも凛々しさを前に出すのも捨てがたいのよ、だから女中(メイド)の姿も似合う。外出着は…―――」

「やめてくれない?人が必死に目を背けている事を」


 ああそうとも、私は絶賛、それはもう似合いもしない酷い恰好をさせられている。この私がだぜ?黒い上等な布地のワンピースドレスにレースやフリルが華美に施された客間女中(パーラー・メイド)然のエプロンとキャップ…似合い様がないだろう?おまけに本来正しいコルセットの使い方まで強要されているんだ。

 その実情から目を背ける為にわざわざ諸氏に語っていたというのに、ご婦人方は手心をくわえる匙加減が砂糖を入れる際の勢いと変わらないらしい。


「あらあら、でもカムラン校に入るのが決まったのなら慣れないとダメよ?コルセットは窮屈さより声の出し方に慣れないといけないんだから、特にカーラちゃんの世代はね」

「時代遅れも甚だしいぜ、文字通り時代遅れの教官の絶賛鞭振るう寄宿学校だよこれは。何で先進さを学ぶべき私立学校(パブリック・スクール)で時代遅れを学ばないといけないんだ?」

「残念だけど上流階級のいる場所は優雅に見えているだけで古臭いのよ、それにとても堅苦しい。呼び方呼ばれ方礼儀作法にと、流行り廃りはあるけど閉鎖されたコミュニティなの。だから昔の校則が貴女にも適応される」


 コルセット、元来は脆い女性の体を守る為の物だ、正確にはそう考えられている女性の体を守る為の道具。仔細は面倒臭いし色々とあれなので省くが、腰をシュールレアリズムの彫刻が如くに補正する為の拷問器具ではない。服飾の流行り廃りの中で腰の太さが目立ち始めた頃合いに、用途外の使い方を思いついた誰か様のおかげで活動家のやり玉にされただけだ。

 間違い極端な使い方による著しい健康被害はあったが。

 んでそんな物を腰痛とは無縁な若々しい私が着用せねばならない、自立した自制心ある女性の証だの何だのの時代はとうに過ぎ去りし日々なのだから、専らの住処を衣装棚として退散してほしいのだが…はぁー…校則で腰の細さのインチ数を決められている身の上なので身につけなければならない。

 割り切ってもこの窮屈さは、腰痛とは縁遠い乙女である私にはただただ不快。

 似合いもしない服装という恥辱も加われば…。


「いいえいいえ!カーラちゃんは年頃の恰好をしなさ過ぎです!これを切っ掛けにもっともっと年頃の女の子らしい恰好をしないと、いざしたいやりたいやってみたい!という時にはもう遅いんです」

「そうよカーラちゃん、流行を堂々と追い求められるのは若さの特権よ。大人になると、大人としての振る舞いや落ち着きが立ちはだかるんだから」


 頭痛がしそうだ、女が3人揃えば姦しくご夫人が2人いたらいらぬお節介を焼き始める。

 私個人の趣味趣向は前前世から受け継いだ男性的趣向と、ジェインのお転婆さとの親和性もあってかこの2人のご夫人の寛容さでお咎めを受けていないのが実情。友人関係を築いたマティルダからは遠回しのダメ出しを受けている。

 観念しろよ何年目だ?とあの日より幾数年、受け入れ難い事は受け入れ難い。何より…。


「何度も言うし何度でも言うが、私は早熟なんだ。見たまえよこの背丈と顔立ちを?年上に混ざらないと不自然さが際立つ、年相応の恰好なんて滑稽劇の一幕だ。私は笑いものになる事を厭わないが鼻で笑われるのは遠慮したい」


 何より胸がまた大きくなった、と最後に言い足すこの一連の問答、こっちに諸事情で移ってから今や毎日の日課となってしまった。最後のオチは2人が主導する着せ替え。

 場合によってはここで働く女中(メイド)と時折顔出すイーストウッド百貨店の従業員も参加した、お前も蝋人形にしてやろうか?の勢いで人様を着せ替え人形にしようと襲い掛かって来る。丁度良い小遣い稼ぎの仕事をそつなくしながら逃げ回るのは骨が折れるし、私の主義主張としては仕事を疎かにするのは我慢ならないので、最終的に取り押さえられてしまっている。

 さて、ここまで語った上でそろそろ多くの諸氏が気になっている事を説明しなければならない。なぜ?ここに?イーストウッド邸に私がいて女中(メイド)の真似事をしているのか?察しの良い者は気が付いているとおりにアシュトン夫人の為だ。

 そうアシュトン夫人のご懐妊は喜ばしい事であったが一つ二つ問題があった。

 私に関係あるのは二つ目だがイーストウッド邸に移った経緯の説明を省くなら急がば回れの精神で、順通りに一つ目から話そう。

 夫であるトリスタンは知れ渡っている通り天涯孤独の身の上だ。一応、ブラッドレイ家との縁はあれども、基本的に肉親はいない。2人の愛の巣に世話を焼きに来てくれる身内はいないし、アシュトン夫人が一時的に身を寄せる夫側の実家も必然として無い。

 なら夫人側でよかろうではないのか?などと口にしようにも、あっちは遥か東の向こうのさらに向こうの極めて東の島国。仮に帰ろうものなら確実に、長い船旅か空の旅の末の最悪な結末が待ち構えている。

 となれば世話焼きに一家言あるイーストウッド夫妻が何もしない道理は原初より存在せず、あっという間に、事態を把握して動いたブラッドレイ夫人よりも圧倒的な迅速果断でアシュトン夫妻を自宅へと移住させた。

 元よりイーストウッド邸は上流側の人間としては細やかな、中産階級からしてみれ夫婦2人と使用人が数名で住むには豪邸な邸宅だ。

 新婚さんお2人をいらっしゃいする余裕は余りに有り余っていた。

 さて次が本題の二つ目。

 出産は命懸けで、遠い医学の発展した近未来では変わらず命懸けだがこの時代と度合いが違う。なにせあっちの世界での今頃はたくさん産んでたくさん死ぬ時世だった、こっちは医学が進んでいるからなのか新生児の死亡率は新聞で把握する限りにおいて、年々減少の傾向という喜ばしい事。

 それでも風聞の的となるどこそこのかの有名なご夫人が肥立ちが悪くて…という話は何かと新聞に載る。

 文字通り命懸けである以上、万全の備えで臨むなら容態を正確に把握する為に母国語で話し合える者が近場にいるのが望ましい…となれば白羽の矢は導かれるように私に突き刺さった。

 なにせ前前世は日本人、日本語など日常の会話で秋津洲語などお茶の子さいさい。

 まあアシュトン夫人の口にする秋津洲語はどうにも標準語ではなく、とても訛りの利いた一種の広島弁に近い訛りで、地域が近くても時代が離れているおかげで聞き取るのに難儀をしているが意思の疎通に齟齬は無い。

 ついでに容態の急変に備えるなら遠くよりも近く、より近く、とても近くにいるのが最善と気が付けば、四の五の言う暇を見つけた頃にはイーストウッド邸に移住を私はしていた。ついでに路銀稼ぎに女中(メイド)として雇われる事にもなった、事後承諾で。

 と私が考え込んでいると紅茶を飲み終えたイーストウッド夫人が「後でショッピングに行きましょう!」と若干立ち上がり気味に宣言をした。

 ショッピング、まあ首都ドゥブリンに近いというだけあって目利き通りはお値打ち品が立ち並んでいるが!時期の良し悪しは悪い時期だ。

 予定日はもうしばし先でも身重というアシュトン夫人、もう一つは…。


「今日も元気に朝から抗議運動がここいらでも行進しているんだぜ、イーストウッド夫人?」


 最早、日常の風景に仲間入りを果たした抗議運動、多くのアルヴィオン人が住むこの辺り一帯まで、警察など恐るに足らずと行進して来ている。普段ならこん棒怖さに近寄る者も限られているというのにだ。


「それはそれにしてこれはこれなのよカーラちゃん、新作が実は遅れたけどようやく入荷したの。()()()()で焼けた物を全て買いなおしたわ!」

「反対票を一票目」


 ちょっと前に無人の倉庫から出火して幾つかの倉庫が燃え落ちる火事があった、おまけでイーストウッド百貨店が所有する倉庫も飛び火して舶来の品々が燃えた。

 ついでに住み着いていた出火元と思われる浮浪者も燃えていた。

 主に亜細亜方面、主だっては秋津洲からの舶来品。中には最初から私を着せ替えする目的に取り寄せた、秋津洲の伝統的な織物を使った流行のドレスまで雁首を揃えていた!燃え尽きた事に心から安堵していたというのに…夫人の執念を甘く目算していた。


「あとユズちゃんのお母さんが送ってくれた着物も届いているらしいのよ」

「本当ですか?ならしっかりと着付けて写真を撮りましょう!お母様もカーラちゃんを見てみたいと言っていましたし」

「強固に反対させてもらおう!受け取りは全ての大事を乗り越えた後にだ、それまで保管してもらうように電話を掛けて来る。自動車だって火起こし前だしな」

「奥様の命で石炭はしっかりと炉で燃えていますよカーラちゃん、お着替えの準備は先刻終えたばかり、御覚悟を」


 部屋に何時の間にやら顔を出していた最古参にして女主人の下で女中(メイド)を統率する最高指揮官たる家政婦(ハウスキーパー)がしれっと私に死刑宣告を言い渡した。

 引き攣りそうな顔を必死に抑えて平静さを装い、何か逃げ道になる穴は無いか?と思案を巡らせても迫りくる、獰猛な肉食獣の様な女中(メイド)達がにじり寄る現状を打破する妙案はまるっきり思い浮かばない!

 

「おいコラクソガキ!!どこにいるんだわさ!っとっとと面出しやがりなさい!」


 突如として階下より響き渡る聞き覚えのある怒声、ギョッと立ち止まる猛獣達、声の主を察して溜息を漏らすイーストウッド夫人、驚いてカップを落とし掛けるアシュトン夫人とその隙を逃さず駆けだす私。

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