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八章【斯くして少女はブラッドレイとなる<Ⅱ>】

 エァルランドの田園地帯、長閑に牧歌の漂う喧騒とは縁遠い場所にエァルランド大公家が所有する細やかな別荘がひっそりと佇んでいた。細やかと言えども大公家の所有だけはあり、闇雲に流行に縋りつかず外観の作りは決して廃れぬ手堅く落ち着きのある立派な面持ちで心安らげる素朴な石造りのコテージ。

 位置する場所が近くの街から遠く離れているので、隠れ家のような趣もあるが先程まで厚かましく並びたてられていた今は過ぎ去る馬車や車の車列は、その趣を台無しにしていた。これでも秘密裏の協議をしてたというのだから、不用心さに苦言の三つか四つは漏らしたいものの、最も気苦労に苛まれる者の事を思えば飲み込んでいるのが紳士的である。

 集まりやすい地域というのは既に連日の抗議集会の予約で溢れて、大公家の静かな休日の為の憩いの場以外に使える程よい広さの空間は無かったのも仕方がない理由だった。

 コテージの一角、撞球室(ビリヤードルーム)の一角、ソファーに腰を下ろし小脇に灰皿を置いて、沈痛な姿形をありありと現すアーネスト・クリスチャン・フィリップ・テオ・アルトリウスは紫煙をくゆらせていた。

 ほんの僅か前まで行われていたアルヴィオンとエァルランドの今後に大きな影響をもたらせる大事、今後を左右する大事を決める為の協議。

 昨今巷を賑わせているフレデリックとリサの縁組。

 双方にとって良い事も悪い事も抱き合わせであるも、2人が将来を祝福を受けながら始められるよう、円満な形で取り決めるのが大人の役割であり責任。しかし理想像など所詮は理想像でしかなく、理性で納得が出来ても感情は、特に民族や異人種間などの積み重ねられた問題を現在進行で揉めている同士だと納得が出来ず、今日も協議は一線を踏み越える手前まで揉めて打ち切られた。

 祖母からの勅命を受けたアーネストにしてみれば、再開された協議に再着任してから1ッか月を過ぎようというこの時期になっても、前へ話を進められない事は悪夢でしかない。

 この一か月に近い日々は、ただ付属するタバコカードを目当てに嗜むだけだった喫煙量を倍増させ、終わりの見えない苦悩が生来から老成しがちな精神についぞ容姿まで追いついたという成果以外は何もない。


「はぁー……」


 溜息を漏れ出す事を堰き止められないアーネストは、延々と紫煙を吐き出し切ってもなお息の続く限り溜息を吐く。

 どうしたらいいのか?その間も生真面目な彼は考えを巡らせる。

 再編されたアルヴィオン側の代表団に名前を連ねるのは有識者は、貴族院の重鎮の後ろ盾を携えたエァルランド併合を推し進める過激派が大半。融和派の最先鋒であった二大巨頭、トレント・イーストウッドとアーサー・ブラッドレイは組み込まれていない。

 辛うじて貴族院の中堅議員の男爵などが融和的な姿勢を見せているが、併合派の面々に比べれば僅かに力及ばないし、その他の出席者は()()を恐れて口を噤んでいる。

 そんな有様だからだろう、エァルランド側の代表団も日を追う毎に、活動家を前歴としながらも穏健的な姿勢を見せる議員や名士すら、今では喧嘩をする為に協議を開いている状態。

 幸いなのは、変異の、人狼の姿になれるエァルランド人が最も自制心に富む事で、頭に血が駆け上って灰皿を手にした者を一睨みで行儀よくさせてくれていた。変異すれば体躯が少なくとも二回りは大きくなり、姿も人の形をした狼になる人狼の、その中でも特に名高い者が睨むのだから誰であろうと行儀よく席に座るのが、数少ないアーネスト皇子にとっての救いだった。

 しかして暗礁に乗り上げている現状を打破するには至らず、時間だけを無作為に浪費していた。


「はぁー……」


 人の口に戸を立てるのは不可能であるのだから、問題の繊細さを鑑みて早期妥結を目指した筈のフレデリックとリサの婚約。

 イーストウッドとブラッドレイという二大巨頭がいた時は、まさに締結一歩手前まで話は進んだ。しかしイーストウッドがバース駅で何もかに襲撃された事件を機に事態は急転、協議は一時中断されたのが5年前で再開されたのは半年前。

 再開こそされたがアルヴィオン側は前回で決まっていた取り決めを一方的に破棄、エァルランド側が飲めるはずもない要求を繰り返して協議は難航。

 そこで女帝は孫であるアーネストに再び白羽の矢を突き立てて睨みを利かせたが、力ある後任者たちの暴走に歯止めはかからず。

 遅かれ早かれ漏れるのは予想出来ていても、メディアの質の悪い口を通してから漏れ出したのだから、外では明日明後日にも抗議運動が暴動へと変わり身をするのは目に見え、事がここに至ったのは白紙化しかない絶望的な状況。

 出来るのならその選択肢をいの一番にとっているさ!と心の中でアーネストは愚痴を零す。

 時間の猶予はまだある、しかし悠長に構えていられるだけの猶予でもない。

 アーネストが最善の解決策を白紙化以外に求めるのは、歴代の君主の中でも最も権威あると謳われる祖母の代でしかエァルランド問題は解決する糸口が見えない。その祖母は即位して長く、あとどれくらい女帝としての責務を務められるだろか?

 アーネスト皇子が知り得る限りで、皇族内の秘密として、健康面で年齢と傍らの支えを喪った悲しみから来る衰えがはっきりと見えていた。大衆の面前では凛々しく、女傑然とし、女帝としての威光と矜持を見せていても。

 父である皇太子はとても祖母には届かない。

 他の皇位継承権を持つ親族も祖母には届かない。

 鬱積はもう十二分に積もっている。

 

「どうにか…どうにか…僕がどうにかするしかないんだ……!」


 挫け掛ける心にアーネストは皇子としての意地で己を奮い立たせる。今、歯を食いしばりこの使命を全うせずにして何が男か!と。

 アーネストが立ち上がろうとしたとき、ふいに扉が開き「ここに居られましたか、殿下」と現れたのは帰ったと思っていた中堅の男爵、クリー男爵ラッセル・クリーだった。

 アーネストはクリー男爵を視界に収める一瞬、ほんのちょっぴり、凝視すれば微かに感じ垂れる程度に眉をひそめた。しかしその一瞬の間に愛想笑いを顔に打ち付けて「どうされたのですか、クリー男爵?」と言葉を返す。

 初老の小男のクリー男爵は軽い会釈をしてから撞球室に入り、懐からパイプケースをビリヤード台に置いてから慣れた所作でパイプに火を点ければ吸える状態にしてから「少し長く話をさせてもらいます」と断りを口にしてから、マッチで火を灯して紫煙を燻らせると甘いバニラの香りが漂う。

 そしてクリー男爵は周囲を気にする素振りを露骨にアーネストに見せる。


「目は僕だけ、耳は、外の二人はご安心されてください…それでクリー男爵、どのような込み入った話ですか?」

「いえいえいえ、身構える必要のある話ではありません。それよりも…舶来の品ですかな?」


 クリー男爵はソファーに置かれたアーネストが吸っていたタバコを見て問いかける。

 桜と漢字の描かれたパッケージ、桜は秋津洲という印象が既に当たり前の世の中であるから、クリー男爵はアーネストが好んでいる銘柄は舶来の品だと推理して問いかけた。


「ええ、イーストウッド百貨店で偶然。浮世絵――高名な画家を魅了した作品のタバコカードが欲しくて」


 とアーネストは答え収集したタバコカードをクリー男爵に見せる。

 タバコの小さな紙箱にひっそりと収まる程度の大きさのカードには、彩色煌びやかな伝統衣装に身を纏う女性が描かれ、異国情緒を醸し出すそれはアーネストを夢中にさせていた。


「そうですか…さて、お話したい事あります」

「どのような?」


 世間話を終えたクリー男爵は本来の目的を果たす為に口を開く。



 ♦♦♦♦



 時間を計算すればほんの僅かな一時だけクリー男爵と語り合ったアーネストは、その倍の時間を黙考に費やしてから撞球室を後にした。日は陰り始め肌寒さは、専用に仕立てられた上等なウールのコートでさえ太刀打ちが難しくなり始めていた。

 廊下は薄暗闇が顔を出す様になり「不用心に過ぎる」と護衛の、見るからに修羅場を幾度も経験したであろう立派な体躯で前を先導する初老の、アーネストが年相応のやんちゃ坊主だった頃から護衛を務める熟練のクライド・コールリッジが、後ろを歩くアーネスト皇子に苦言を呈する。

 「まあまあ」とアーネストの後ろを固める、共に少年期を過ごした若さの抜けない顔立ちの青年ダレル・バウアーはコールリッジを宥める。

 時期が時期だけに、情勢が情勢だけに、普段に増して警戒を強めるコールリッジは責任感からの無茶を繰り返すアーネストを心配しての小言であった。それを理解する二人は苦笑いを浮かべながら廊下を突き進む。


「っ!」


 曲がり角に気配を感じたコールリッジは片手でアーネスト皇子を片手で静かに制して、もう片手を懐へ伸ばして「誰か?」と曲がり角に感じた気配に声を飛ばす。後ろを警戒しつつバウアーも同じように態勢をとる。


「すまない、驚かせるつもりだったんだが…良くない悪ふざけだった」

「「「陛下!?」」」


 すまなさそうに、しかしどこか悪戯を先読みされた子供のように、曲がり角から現れた静寂の中で学問を探求する賢者然とした面持ちの美男子たる若きエァルランド大公フェイリム・ネイル・アルスターだった。

 三人は、アーネストは帝室の人間として礼節を持って、コールリッジとバウアーは一国の元首へ最上の礼節を持って、作法に則った行動を起こそうとしたが大公は「古い友人に会いに来たんだ」と三人の先手を取る。


「すまないな、こうでもしないと会えない。私は大公となってしまって、君は皇太子の息子として重責を負っている。昔なら良かったが今はな…」

「フェイリム……」


 アーネストとフェイリムは年齢に差はあるが友人だった。フェイリムが大公となる以前は兄弟のように、竹馬の友の様に笑いあった仲だったが互いにそれぞれの宿命を、逃れられぬ重責を負わねばならなくなると立場が故に、もう何年も私人として語り合えていなかった。


「…老けたな」

「そっちはまるで老け込まないな、一児の父だろ?ブラッドレイ卿の副官もそうだが、人狼は老けないのか?」

「老けるさ、彼も私も若作りが自慢だ。死んだ父は若くして禿たがな」

「ははは、知ってるさ。椅子で眠りこけるその頭を2人で触ってクライドさんに怒られただろ?」

「アーメストは無礼だ!私は年長者としての規範はどうした!とな…懐かしい、あの頃は良かった、純粋に今を腹の底から笑っていられた」


 フェイリムが何かを口にしようとして堰き止めて、私人として、ただ一人のフェイリムとして他愛のない事を語り始め、アーネストもそれにつられて懐かしき日の思い出を口にする。だがアーネストは気付いていた、フェイリムは大公として何かを告げる為に来ていたと、だが目の前にいるアーネストの疲れ果てた有様にその言葉を飲み込んだ、と。

 そしてアーネストは決意を固める。

 危険な橋だと分かっていても、僅かにでも光明を掴める可能性があるのだからクリー男爵の提案を受け入れよう。最良の形で協議を終わらせる道筋を敷く為に、エァルランドに根を下ろすアルヴィオン人の有力者達に助力を取り付ける為に、踊る人形亭に赴かんと。

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