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七章【大きな蛇の舌の根で<Ⅳ>】

「おいおい、大衆紙は軒並み全滅かよ」

「高級紙までも酷評。バーゲンセールどころではないですね、これ」


 密会の場としてアタシがお買い求めしたテラス・ハウスの一室で、ジョシュアとお父様は今朝の新聞をどの面を下げているのか?と叱りつけたくなる様相で読み進めては、他人事としてボヤいている。

 怒りの赴くままに罪の無いティーカップを投げつけたくなる衝動を、ただただ以前から決めていた矜持、『森羅万象は思うようには運ばない、逆にこれを楽しめる事こそが真なる人生の正しい過ごし方』の精神で、アタシは辛うじて抑えていた。

 ええ、全てが裏目のゾロ目に出る事は自然の摂理として許容範囲を決めていたの。

 買い漁り、買い集め、幾つかの新聞社の大株主様!様!様!になった権限で、バーゲンセールを大々的に宣伝する為に記者を呼び寄せたのが、後半戦で主だった敗因になりましたとか!ええ、納得して諦めるわ!!

 まさか負傷者の一覧に新聞記者が名前を連ねたとか、予想だにしようがなかったと言い訳をし続けたい気持ちだけど、我慢して謹んで自らの失策を受け止めるわ。

 これこそが用意周到動脈硬化、というお粗末なんだから。

 でも、前半戦は!5日前の小火騒ぎに関して、飲み込めない事よ!そうでしょう?

 考えてみて、頑張って整地した路面をドリル戦車で掘り返されたら、誰であろうと怒り狂いたくなるわ。年単位で室内灯の全面電化を推し進めていた筈なのだから尚更。

 アタシは今日という日まで改革とか改革を着実に積み重ねてきたの。

 例えば度外視されていた、いえこの時代では当たり前だけど従業員の福利厚生の整備。信用金庫を立ち上げて保険販売も始めて、さらには…もう言い切れないくらいの数。

 貯蓄もコツコツと、予定外の外の出費もあってお尻に火を点けられても、他愛ないと乗り越えられる下準備はしていた。いいえ、本来なら工期通りなら起こらない事態というのが正しいのだけど。

 まさか、まさか…。


「にしてもよ、ガス禁止、何時からだ?室内灯に?」

「5日前からですかね?」


 5日前は小火騒ぎが起こった日付よ、お父様?

 ガス禁止はアンタが自分の兄(ジョセフ)から百貨店を奪い取った時から予告されていたわよジョシュア!ああ、もう!何で精神性が小学生なのかしら!?社会人として耳穴を綺麗に保つのはマナー。

 知らぬ分からぬ存じ上げぬが通じるなら、裁判制度が瓦解するから通じない。

 なのにこの大人達は身の危険をまるで理解していない!バーゲンセールどころか、今日にも営業停止処分は確定、明日には執行される。

 死者が出なかったから加点に廃業こそ免れたけど、今から工事を再手配しても相当な日数が…足元への警戒を怠り過ぎたわ。

 脳無し、低能、無知蒙昧!諦めの心が勝り過ぎて、周囲を固める手合いの警戒をアタシは完全に疎かにしていた。

 結果的に根深く関わる羽目になりそうな裏社会との繋がりに、警戒を割かねばいけなかったとはいえ、何と滑稽な無様!

 アタシへ上げる報告書は全て改ざん!書類上では順調に、されども工事費は全てジョシュアが着服。そしてガス灯は以前と使われ続けていましたという真実!をまるで白なったアタシ!!

 …兎にも角にも早急な再手配と諸々の支払。貯蓄した資産も、蓄財した資産も、カムラン校への入学費も全てを回せば事足り―――…うぅ、胃薬、胃薬、胃薬。


「おいおいキャシーよキャシー。そんな早くから胃薬は胃を壊すぞ」


 ああ、殴りたいあの物憂げ顔。ジョナサンと顔の作りを基礎だけ同じくした上で赤毛なのも殴りたい理由。立ち上がって水を求め流離うアタシの後姿に投げかける、心配していますですという声色も苛立つわ。

 だけど今は胃を鎮める為の頓服薬を飲むのが優先。

 部屋の片隅に置かれている水差しからコップへ水を移して、薬包紙に封される酷く苦い粉薬を水と共に流し込む。そうするとチョッピリの間を置いて胃痛は治まる。

 治まれば思考も冴える。

 

「状況は最悪、だけど詰んでないわ」

「起死回生に一手か?」


 うっかりと飛び出した一言に、ジョシュアは次の言葉を切望する瞳を向けてくる。

 餌をチラつかせれば聞き分けの良いと高を括っていた結果の惨事だけど、足を引っ張るだけの知能はある相手だと弁えれば、お父様よりは楽。

 明確に目的が分かるのは特に。

 この男はただ良い思いを現在進行形で味わいたい。未来への積み立てという常識を母親の胎内(なか)に忘れて来たから、今日の我慢は明後日の豪勢という発想がない。だから今回は華麗にアタシの足を掬ってみせた。

 でも分かれば対策を講じられる。アタシは迷路を緻密に計算して作る心持ちで(はかりごと)をしていた訳じゃないの。どちらかと言えば始まりと終わりだけを定めて、要所要所を記しそこへ向かう旅人の胸中。

 ジョシュアは計算に入れられる……問題はお父様、とあの女。

 特にあの女だけど、今はお父様。

 周りからバカだのアホだの人の形をした生ゴミとか言われている人だけど、ちゃんと理論整然としているのよ?あれでも。地球人ではなく金星人としては、とっても博識に富む。

 思考は解明を諦めるべき相手で、地球人としては非常識な人だけど。

 それでも道を敷き示せば辿り進む地球人的な思考は、幸いにも身に着けている。

 

「ここはお父様に頑張っていただかないといけないわ」

「ぼ、僕に!?」


 自分の登壇など考えもしなかったという情けない声で、指名された事に驚いたお父様にアタシは努めて優しく、幼子へ絵本を語り聞かせる様に話す。


「会議を計画していたの、ウィン=リー百貨店への増資よ。根回しは旧本家を焚きつけておいたから席に座っていれば、風向きを知りたい人達は静観して勝手に通してくれるわ」

「だ、だけど、その会議は…本店で、だよね?」

「ええ、大叔父様の出席は無いから大丈夫」


 組織は、大きくなればなるだけ野心家に恵まれる。

 誰もが、彼もが、飢えから逃げ延びたいと欲しているのだから当然。上の席は下よりもずっと少ないし、お父様のように家柄だけで限り有る席は常に予約席ばかり。

 残されたさらに限られる席は、葡萄酒で満たされた盃のように全て定員で満たされて、野心家にでも転身しなければ決して座れない。

 伝統と格式あるロンディニオン銀行が叩き上げの為に設える席は大叔父様のお眼鏡次第。

 誠実で謙虚で人を蹴り落とすなんて出来ない!善良な純真な若者は、中堅に至るまでに冷酷な狡猾な野心家へと変貌して、大叔父様に近しい幹部ですら出世の道筋を垂らせば爆釣!あっさりと日和見の姿勢を見せてくれたの。

 ええ、ロンディニオン銀行はまさしく魑魅魍魎の跋扈する魔窟。

 元本家こと旧本家に縁無き幹部も、お父様を山車にして祭囃子を踊り明かしたい旧本家と海向こうのメイヤー家と結託すれば、今以上に出世できるならばと乗り気。

 ()()()()()()()()の根回しもあって、あとは切っ掛けの上げ膳据え膳で、お父様が会議に顔出しをして「ディラン・メイヤーここにあり!」となれば、皆々様方々は日和見を始めてお父様の立身出世と栄達はアタシの思い次第。 

 大叔父様にとっては、お父様を通して上がって来る提案を鼻で笑って吹き飛ばせなくなる。5日前の恐ろしき来訪は、お父様にそろそろ腹を括って欲しいという娘からの細やかな謀略。

 きゃは♪お父様自身はもう退けないのよ?

 だけど、その前に…。


「お父様、そろそろお時間よ」

「そ、そうだったね。僕はこれで…」


 今日は商談があるの。

 とある海運企業の、止ん事無き上流階級の社交場に出入り出来る偉いお方からの商談、いいえ、そんな身分を持つ方からのお金を貸して欲しいという請う願い。

 ちょっと筋書お品書きよりも速い展開で、アタシ的には先延ばしをしたい心持ちだからお父様だけで行かせる予定なの。相手方もその方が諦めの目途はつきやすいと思うわ。

 まだ手に入っていないパズルの欠片が幾つかあるから。

 だからアタシはお父様を約束の場所へ向かうように馬車へ促して、面倒なジョシュアを馬車に押し込んでから、最近とある筋から買い求めた外国製の車を専属の運転手に任せてアタシの客人を迎え入れる為に一時家路へ。

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