七章【大きな蛇の舌の根で<Ⅱ>】
とっても良いお話があるの、ええとても良いお話、そうとても良いお話。
何でかと問われたなら親切心から語り聞かせると、今日はロンディニオンでも随一となる筈なのは既に確約されたも同然の火力発電所を建てる為の落成式の日だから。曇天の空模様は相も変わらずなロンディニオンだけれど、今日ばかりはアタシの空模様は晴れ晴れ。
交流式なのよ!交流式、そう交流式!!直流ばかりの立ち並ぶ中での交流式発電所。
とても文明開化な響きありなのだけど……どうしても一つだけ曇る場所がある。
どこか?
「ええ、本日は…その……お日柄も良く……」
それはお父様が不格好に立って挨拶をする壇上の真上。
より正確に言えばテムズ川の一角、遥か聳え立つ摩天楼然とした蒸気塔が見える場所。
そこに集まる紳士淑女のお歴々を前にして、中身が空っぽなのは何時もの事だけど今日は外身も無いのだから、あらあら悲惨。欠伸を噛み殺せない人はそこにも、あそこにも、こんな所にも。
当然だわ!ずっと同じ事ばかり言い詰まっているから。
見守る愛娘の心象風景に何時も曇り空どころか風雲雷雨を吹き荒らす実父、ディラン・メイヤーの情けなさ無様さは空前絶後。
関係者だけが座る席で見守るその娘であるアタシも平時通りで呆れる始末。
「大丈夫なのかい?」
「逆にはっきりと雄弁を持って壇上を飾っていたら、替え玉を疑われてお開きになってしまうわ。情けないのが返って安心していられるのが、お父様の救いようのない所なのよ」
心配そうに幼さの抜け始めた物憂げな顔立ちの赤毛の美男、ジョナサン・ウィン=リーは今日も年不相応な相貌でアタシを気遣い、さもそれが自然の理の様に隣に座っている。
妹を謀殺してからのジョナサンの献身は、日を増して富み栄える百貨店と相似形を見せ暇を作り出しては足繁くアタシへ注がれる。
即興劇が苦手なアタシが他者の書き上げた台本を途中採用する形をとってしまったけれど、上手く…ちょっと最後は露骨さが滲み出ていたけど運べたのはジョナサンのおかげ。
本当に…いいえ、今は言うべきではないわ。
「集まる人達の目当てはお父様でもないのだから、大目に見てあげるのが善き家の娘、だからアタシもちょっぴり大目に見てあげているの。あのお…お母様よりは随分と可愛げがあるもの」
「そう…なのかい?君がそう言うならこれ以上は無い。だけど許婚として頼ってほしいと俺は思う、いや頼ってくれ」
「ええ、何時も信頼しているわ」
13歳を越えて14歳を控える幼さの薄れ始めた声色で、とても心優しく囀るジョナサンにアタシは心揺さぶれるトキメキを感じて、少しだけ…あらいけない!年頃の女の子が口に出そうともしてはいけない言葉をうっかり出てしまいそうになったわ。
だからとっても意外。
ジョナサンを盲愛する主格を、ドロドロな前世が蚕食したのに、僅かに残る残滓が仄かに顔を出して主格を奪わんとする。
てっきりアタシは両親の醜悪さを煮詰めた希代の穀潰しと思っていたのに、細やかに心の虚ろに身を潜める執念深さ。本当に意外だわ!立ち向かう事から逃げ続ける気質だけは、ジェインと同じように受け継いでいなかったのね。
きゃは♪それはそれで素敵だわ。
事のついでと割り切れば、ジョナサンだってアタシは愛せる。片手間の一幕限りと割り切れば、愛せない相手はいないわ。
「……キャスリン、疲れているのかい?」
「いいえ、ちょっと感慨深い事が多くあり過ぎただけよ。だからちょっと呆けた顔をしてしまったの」
「目の隈はもう少し薄くしてからでないと、ただ相手が心配するだけだ。空元気にしか見えない」
心配そうに顔色を伺っていたジョナサンの指摘に、齢を気にも留めずに薄化粧をしておけば余計な気配りをされなかったのにと、アタシは僅かに後悔してだけど、この時代の化粧品はただ美容への大罪ばかりに溢れているから、と心の中で嘆息をつく。
医学と迷信が渦巻く…それは未来でも同じだけど古い分だけ質が悪い。
それに開明的に進歩した化粧品は並みの上等なレストランで食事をするよりもお高く、買い物はウィン=リー百貨店を通している関係から、とてもとてもとても手が届かない。
何よりこれは自慢なんだけど、母親に似て美貌とブロンドの髪に恵まれたアタシは、日々の研鑽と適切な美容と自己管理で、健康的な美を築き上げたわ。だから態々、あの女の様に頼り切る必要は無いの。
ただ…背丈は低いまま。ディランの要素よね、これは。
「そうだ、義父さんから贈られる服。後悔はしないのかい?折角、イースウッド百貨店に負けられない仕上がりの流行服を買い寄せたのに」
「後悔はないの、だって似合わないじゃない?それよりも古典派でも淑女然としていたいの、アタシは」
おかげで何だか上流階級から中産階級の上辺りで流行る、凛然とした佇まいを象った男装を彷彿とさせる流行服が似合わなくて、古典派な服ばかり似合ってしまう。
噂だと…。
「本当にいるんだろうか?貧しい生まれの両腕両足が義肢で、傷だらけの体を晒しても威風堂々と着込んで見せる少女がいて、それが切っ掛けだなんて…まるで信じられないと俺は思う」
「どうかしら?誇張されるのは当然だけど、イーストウッド夫妻が入れ込む少女がいるっていうのは本当の話らしいわ。なら原型になった少女がいて、顔に疱瘡の痕が目立てば」
悲劇的に彩れるし、美談に仕立て上げられるもの。
慈善家のイーストウッド夫妻なら目を付けて当然だわ。
それに噂が流れ始めてから逆算すれば、折角心をへし折ってあげたイーストウッドが復活した時期と不思議に重なり合う。と同時にイーストウッド百貨店の逆襲も時期を同じくして。なら切っ掛けはその少女の登場。
まるでチュートリアルはここまで、オープニングアニメーションが流れ出しそうな展開。
だけど……【転生令嬢の成り上がり】に両腕両足が義肢な登場人物なんていたかしら?隠しキャラ…の線はあまりにもか細い。つまり差異、という事ね。
この世界は同質であっても同一ではない。ゲームとの差異は多岐に渡っているのが平常。
なら、もしかしたらその少女こそがアタシの…あら?どうやらお父様の校長先生よりも無駄な長い話が終わってみたいだわ。
「それじゃあジョナサン、アタシは用事が待っているから。明日も明日も明日も、ね」
「うん…あ、ロベルタ?」
「ロベルタは…あの子は、お使いにエァルランドへ出掛けさせたわ。取引の代理人にね」
「エァルランド…確か今は帝室と公室の縁談話が漏れて抗議運動が……」
「大丈夫よ、ちゃんと1人で行かせていないわ」
アタシはまるで探りを入れるようなジョナサンを後ろに置いて、足早に待ち侘びている紳士の下へ。誰もが政財界の各派閥を隠れ蓑にする御老公の友人達、あと足長おじさんの悪いお友達も。
ディランへ話を持ち掛ける体を整えて、アタシの到来を待っている。
ああ、その光景を見ると今日までの日々が脳裏に駆け抜けるわ。
苦難に満ちたチュートリアルの日々が。




