表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/101

七章【大きな蛇の舌の根で<Ⅰ>】

 アゼルランドが丘陵地帯。産業革命の近代化とは縁遠く、昔懐かしき在りし日の記憶を色濃く残す絵物語なコッツウォルズの一場面。蜂蜜色のレンガの街並みが絵画的な大通りにゆったりと構えるパブ『大砲亭』。

 石炭ガスを燃やして揺らめくガス灯など無い、儚い月明りで照らされる闇夜を駆け抜け、そこを目指す一行がいた。

 月明りに浮かび上がる黒い影は4人分。一番背丈の低い者を囲う三つの影と、囲まれる一つの影は足早に大砲亭の前に立つ。

 気品あるけばけばしさとは対極な、純朴な実用性に富む扉。

 先頭に立つ、一番背の高い男は当然の様に扉を押し開けて目の眩む灯に耐えながら店の中を見回す。

 時間もあってか酔いが回り呂律が回れない大きく品性の無い、されど日々の疲れと億劫を酒で吹き飛ばす力強さの宿った声が一団を出迎える。

 一番背丈の低い、少年と青年の境目のイオン・ウルジカは、酒に溺れる姿に思わず表情を歪めてしまうが、すぐに平静さを張りつけ直し待ち構える店主の元へと向かう。


「…よう、座る前に注文しな」


 怪訝そうな声で店主は尋ねるが、それは田舎町の特有とする余所者だったらすぐに分かるからではなく、一行の容貌が揃って不審だったからだ。

 どれ程に不審かと尋ねられれば、幸いにも端正な顔立ちのウルジカを比較的に一番マシとしても、死蝋によって悲しくも生前の姿を留めている様な気味の悪い青白い肌と、それよりも酷い者が3名。さらには瞳の、赤というには恥じらいを必要とする濁り切った赤い瞳と鋭さにさっぱり見栄えの無いお粗末な牙を生やす者が一同に会せば、途端に馬鹿笑いも静まり返ってしまう。

 ましてや一番背の高い男は軽く6フィートを超えている。

 ただ店主は事前にそれと無く聞き及んでいたので、危険は無いと身構える程度の冷静さで対応した。


「ウイスキーを一局分」

「背伸びには早いぞ坊主。衣のかけら(ビッツ)をやるから、ほれ、2階でサイダーと楽しみな」


 そういって店主は子供を嗜める所作で小振りな紙袋に、フィッシュ・アンド・チップスが作られる段階で生まれてしまう、日本人的に言えば天かすを詰めて、栓を抜いていないリンゴ酒(サイダー)と合わせてカウンターに乱暴な勢いで置いた。

 行為自体はムッとする程度の事柄でしかなかったというのに、だのにウルジカは目を血走らせずにはいられなかった。

 彼には高い自尊心があった。それはとてもとても高く、どだけか?と問われれば高層建築物と答えるくらいに、但し書きで杭打ちとかの基礎工事はまるでされていない高層建築物と書かなければならない類だが。

 それでも外見の容姿に基づいた年齢判断による背伸びをした小生意気な(わらべ)扱いは、ウルジカの自尊心への最大値の侮蔑で衝動的に爪先を尖らせずにはいられなかった。


「店主もうしわけないが2階に上がらせてもらうようじがある、良いか?」

「いいが、もう少し訛りを直せ。聞き取り辛さに配慮せんとな」

「ぜんしょする」


 咄嗟に6フィート越えの大男がコルジカの腕を掴んでを下がらし、残りの2人が紙袋とサイダー、そしてグラスを受け取ってその場を一早く離れ2階へと向かう。


「おちついたかウルジカ?ここで問題を起こして泥を塗る相手を考えろ」

「…分かっていますともそのくらい!その油粕は貴方達で処分なさい、、ご老人には毒ですしね」

「わかった」

「酷い、紙袋が意味をなさない腐臭。だからアルヴィオン人は胸糞が悪いと常識になるのです」


 キブと呼ばれた大男は溜息を押し止める為に、紙袋の中身を咀嚼する。

 時間経過と使用回数の限界突破が醸し出す、得も言われぬ油の味わいを一心に吸い込んだビッツの風味は、味覚が鈍り果てたキブですら耐えがたく。後ろに控える自分よりも進行が進んだ二人に投げ渡す。


「キケロ、クザ」

「「……」」


 キケロと呼ばれた鼻が腐って落ちて代わりの不格好なゴム製の鼻を取り付けた男と、クザと呼ばれた4人の中で最も症状が進行した酷い容姿の味噌っ歯男は、不作法に渡された紙袋へ鷲のように手を伸ばして頬張る。

 味覚も嗅覚も既に死滅して久しい2人には毛ほどにも動じる要素は無く、むしろ程よい噛み応えの食感で、ボリボリと食べ歩く。

 そして2階へと上がった一行は小振りに区切られた部屋部屋の入り口にはめ込まれる扉の、数少ない良く磨き上げられた真鍮製の表札を確認しつつ進み、目当ての部屋の前で立ち止まりコルジカは来訪を告げるノック。


「……」


 一度目は何も反応は無く、二度目も「……」と静寂が答えようやく三度目で…。


「入るとよいぞ。狭いのでお連れとは来週だのう」


 と中から入室を認める陽気な言葉で、老年の年季を感じさせる低く渋い声色が届きコルジカは不快感で歪めていた表情筋を引き締めて扉を開ける。

 そこは人が2人か、観戦する者とちょっとした軽食類を置くだけの余裕を確保しただけの部屋で、空間の多くを占有するテーブルは駒は並べられていないがチェスを興じる為だけに設えられたらしく、中央に綺麗に区画分けされた盤が描かれていた。

 意外に光量に恵まれ映し出されるそんな一部屋で、来訪者を待っていたと思わしき声の主たる老人が席に座ってコルジカを見据えている。


「早く入るとよいぞ。時間は限り有りこのワシの時間に至っては1秒でも金塊…は高評価に過ぎるのう、砂金に匹敵する男だ」

「これは失礼を、おいサイダーとグラスを……」

「いらんぞい、ワシは酒が好かん!飲むのは日々の健康と活力の源、人類の英知たるホットチョコレート!砂糖の匙加減が巧みなんだよここのホットチョコレートはのう」


 酒を頼めと言ったのは貴方ではないですか!とウルジカは思わず口から飛び出そうになって、グッと飲み込んだ。先程までは傲岸不遜な高慢と偏見をボヤいていたが、流石に目の前に座る老人を相手に言えるだけの不敵さの持ち合わせは無かった。

 一見しただけでは、いや何度見しても目の前の老人は若者と話し、時に軽快な口車でおちょくる、孫との触れ合いに余生の過ごし方を見出した好々爺にしか見えようがない。

 だが実態はまるで違う。

 老人の名はグラハム・スペンサー・テンプル。

 かつては戦争外相と慄かれ、アルヴィオン黄金期である現在を確立した尽力者であると同時に、巧みであり狡猾であり、そして厳酷苛烈な政治手腕によって数々の必要性に乏しい戦争まで引き起こした政界の怪物。

 元メルボーン子爵グラハム・スペンサー・テンプル元外務大臣その人であり、若者からはテンプル翁と親しまれている。


「さてそろそろ始めても良いかの?お連れ方も心配せずとも良いぞ。ワシは一人ぼっちではないからのう」

「ウルジカ、おれ達は廊下に…いや邪魔になるな。パブに来たなら、食うか飲むか…気長に飲んでる」

「そうしてくれたら助かります。終わるまで飲んでいなさい」


 キブはを気遣って見え難い片隅でスクラップスを頬張っている2人に視線を送り、扉を静やかに閉じてその場を後にし、残されるコルジカは促されるままに席へと座った。

 そこで頼まれている事を思い出して懐に手を潜らせて、一つの手紙を探り当てるとテンプル翁へ差し出す。


「こちら…言わずともお分かりでしょうがご令嬢よりの」

「ほほう、さてさて今回こそは奇策の10や20を閃いておるかのう?」

「10、20、奇策とは想像に難しいからこそでしょう?その桁外れは如何かと」


 テンプル翁の呟きにコルジカは差出人の齢を考えて、無理難題と言う以前の問題だと口を滑らしてしまう。


「奇策とはのう、基礎を築き上げた者なら誰もが出来る必須技能だ。出来ぬ思いつかぬのは未熟者の青二才、奇策を王道によって打ち破ってようやく一人前だぞ。どの世界、分野で生きようがのう」

「そう、ですか。耳が痛む、まだまだ精進せねばなりませんね」


 とウルジカは窘められた事を真摯に受け止めた素振りこそ見せて、内心は「この老骨が!」と苦虫を噛み潰していた。

 テンプル翁は対面するウルジカの内心など気にと留めずに、仕事を終え親兄弟を支えられる一人前の男になった、幼き日を良く知っている少年とパブの片隅で語り合うように話し続ける。


「おおそういえば、どうだったかな?人情味溢れる下町の味は」

「とても独特な風味が、慣れると親しみを覚えてしまう味わいでした」

「そうかそうか。なら次はフィッシュ・アンド・チップスだのう。パブに足を運び、食べるなら庶民的な魚だぞい」


 当り障りを見つけるのも難しい世間話から会話は始まり、テンプル翁としては性急に過ぎるは及ばざるが如しと、何事も言葉遊びから始めて思考の準備運動をしてから根気よく話し合う事を好んでいたのでウルジカとの会談も同様に進めるつもりだった。


「テンプル翁、我々と貴方の目的は同じ。どうか良いお言葉を」


 だがウルジカは双方の意見を出し合い、熱く議論を交わして擦り合わせを突き詰めるだけ突き詰めようという発想は無く。全ての手順をすっ飛ばし結論は出ている事を当たり前に結果を求めた。

 賛同するか否か。

 この二択を序盤も最序盤に言い出してしまった。


「お前たちの目的がワシの手段でしかない、そして繋いだ者にとっても手段でしかない」


 だからテンプル翁はピシャリと拒絶を含んだ言葉を返すしかなく、ウルジカは自分の想像していた結論とは違う展開に不機嫌さを瞳に宿してしまう。それでも結果を出さねばならなうと、一旦半歩でも退くべき時に退かず尚も自分の出した結論を前提にテンプル翁に食い下がる。


「大公位の奉還とエァルランド併合、女帝の忠臣として弁えず邁進し、ついぞ成し遂げられなかった大望。貴方の無念は誰もが知り、我々はお力になりたい。我々には組織として世界規模での力があるのは御承知でしょう?」


 とウルジカはテンプル翁が外務大臣として辣腕を振るい続け、結果として自らの首を絞め上がる結果になってしまったエァルランド政策での妄執。自分達はそれを叶える助力がしたいと、厚かましく言い切る。

 ただテンプル翁からしてみれば、嘆息を禁じ得ない申し出であった。


「お前さん、何ぞ勘違いをしておるのう。ワシとってそれも手段だ。独立をした末路を思い浮かべれない大公や愚民共に誰が、お前達をエァルランド人だと保証しているのか?思い知らせようとしただけぞい」

「しかし貴方は女帝の忠臣として弁えずに貫いたのでは……?」


 ここまで言っても理解を得られない。

 テンプル翁はウルジカという男の器量の大きさをついに計り終えて、聞き分けの悪くて頭の柔軟性を欠いたいい歳の大人に根気強く言い聞かせるように、自らの信念を丁寧にただ一つの言葉にした。


「ワシはのう、ただ一度たりとも個人に仕えた事は無い」


 そしてテンプル翁は鍵を、古く大きな倉庫の扉を固く閉じる為であろう鍵をテーブルの上にコルジカによくよく見える様に置き、ウルジカの目はパッと明るくなり、喜々としだす。


「ドゥブリンにある倉庫、鍵の番号に案内してもらえば望むが手に入る。が、決行する日付はしっかりと合わせるのだぞ?でなければ無意味だ」

「分かっていますとも」

「だが台本通りでは面白みに乏しい、良く踊り尽くすとよいぞ。ワシは即興劇も好む男でのう」

「ご安心を、満足させると断言させていただきます」


 言い終えると鍵を手にウルジカは立ち上がり、部屋を出んとするがテンプル翁は一つ聞き忘れていた事を思い出して背を向けるウルジカに尋ねる。「おぬし等の言葉なんと言い表せば良いのかのう?侮蔑的な呼び方で構わぬのなら楽だが」と。

 すると振り向き、さっぱり見栄えの無い牙をむき出すように笑い、濁り切った赤い瞳を照り返す灯に鈍く煌かせたコルジカは一言言い切ってから部屋を後にする。


「こうお呼びください、悪魔の子(ドラキュラ)と」


 残されるテンプル翁は特に気にする素振りも見せずに、手紙を読み耽はじめる。

 手紙の内容は一見すると素人が直感を言い訳にして基礎から逃げ出して書き認めた楽譜。しかしこれを秋津言葉に置き換えて、そこからアルファベットに崩してから何時くかの手順を踏まえれば意味合いのある言葉に化ける暗号文だった。

 テンプル翁は手帳を開いて暗号を解読する、すると手紙の送り主の真意が浮かび上がった。


「成程のう、なかなか見込みのない男だと思っていたが…手の平で踊るのも満足にいかなさそうだぞい」


『テンプルお爺様へ。旬の捨て駒を送ります。煮たり切り捨てたり好きにしてください。

                            キャスリン・メイヤーより』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ