六章【彼氏彼女と狂言廻し<XⅤ>】
「誰も決して動くなぁッ!?」
偽クレヴァリー氏は、懐より不格好で不細工で不体裁な小振りの拳銃を奇声に近い怒鳴り声の後に抜いた。
あまりの甲高過ぎる怒声は怪鳥の呻きが如く、場の空気を凍り付かせるには十二分に効果を発揮し、ピストルの不細工さを差し引いても一同を緊迫せるに事足りた。
些細な微動作でも暴発させてしまうであろう状況下。
軍人として慣れた男のフィッツジェラルド伯と、噂では冒険を伴うフィールドワークを嗜むストレンジ教授は、迂闊に動きはせずじっと偽クレヴァリー氏に身構える。いぜという変化に対応できるように。
……この段になってもまだまだ整わないか?ああ、こちらのお話であちらとは無関係…ではないが違う段取りの話だ。今朝方、予想していたが追加の来訪があってね。
今この場にいない彼の関係者なのだが、まああれだね、このままの放置は誰も事情を把握する事も無く終わる。そうなれば後日、喉元に小骨が刺さっているような極めて不快な感覚に苛まれるであろう。
なのでちゃっちゃと解説を終わらせて、もう十二分だから幕を下ろそう。
「落ち着けよエディ・グリーン。懐から拳銃を抜き出す時は、颯爽と吹き抜ける一陣の風のような作法が合わさらないと格好がつかないぜ?」
「…ッ!?何で俺の名前をッッ!?」
「知っているか?親切心に溢れる乙女としては答えるのが道理と言うもの、だが簡素な話でね、パッと調べた。調べたら分かった知った口にした。蛇足をするなら、4年か?5年前か?とある令嬢の事件に抱き合わせになって忘れられたバースで起こった強盗殺人事件の真犯人さんでもあるだよね?」
一同ビックらこいた、という表情。
自身しか知らないと思い違いをしている経歴を私に知られていた事、階下の重役たる副執事が強盗ついでに人を殺めた殺人犯だとい事実に慄いている方々。
「フフッ、そうだねお前は背徳と不道徳の酒場を生き甲斐とする汚らわしく汚らしい男で、副執事は…こいつのおかげだろう?」
「何でテメェッ!?」
胸元より取り出したる手紙が幾枚。さてこれが何だというのか?それはエディの生命線であり、今回の一連の事件の黒幕を死刑台へお送りする為の片道切符だ。
なのでここいらで黒幕は誰なのかの種明かしだ。
名推理などは期待しないでくれよ?というか多くの諸氏は既にお察しの事であろう。そう、黒幕はフィッツジェラルド伯の姉にしてエリオットの伯母、ジェマ・フィッツジェラルドだ。
経歴はかいつまむと、良家に嫁いでも男遊びから足を洗えずに突き返されて、それでも美男に溺れていたいと邪魔になる父と母を毒殺、ついで家を継ぐであろうもうジェイコブの父でフィッツジェラルド伯の弟を妻諸共に、事故と見せかけてギャングを雇って殺害。
さらにエリオットの母であるマイナも邪魔だからと、病死に見せかけて毒殺。ついでに一族の危機に立ち上がる良識に富む親類縁者も片っ端から毒殺しての毒殺。んでその時にした手紙のやりとり、その一部をエディに握られて脅されて彼を雇った。少し前に邪魔になって殺したダンカン・クレヴァリー氏の身分に衣替えをさせて。
ちなみに本物のクレヴァリー氏は合宿が始まる前ちょいと前に、奇跡かな?テムズ川から水揚げをされた。長年連れ添った妻は、自宅の床下で三つ折りにされていた。
ではでは合宿の目的とは?
これも簡単でマティルダに付属するストレンジ教授が顔を出せば、あっという間に破滅するのは本能的に分かっていたから、全てをちゃぶ台返しにしてしまおうと、ついでにエディから手紙を奪い返す為に。
知能指数はアルコールでガッツリ削られたであろうエディなら、頭の悪いところへ隠しているだろうという発想で、エァルランドに押し込めば容易いと踏んで、当人には働きぶりを評価したとおべっかをして。
その間にギニー単位でなら子供でも金庫の重厚な扉を開け胡麻な銀行から、文字通り数十ギニーを握ってもらってこんにちわ。
なら手紙の入手先はジェマ?いいや違う、手紙を伯爵に託したのは…
「さあさあ皆さん、ジェイコブ・クリフトン・フィッツジェラルドに乾杯だ。まさに彼の功績。義弟を見捨ててでも無念を晴らさんとする執念の産物。ジェマよりも手早く手紙を勝ち取ったのだからね」
「ジェイコブ兄さんがッ!?」
「そうだぜエリオット。彼はマイナ病死後、ジェマを最初から確信を持って犯人だと睨んだ。両親の事故死にも不信があって、さらには親類縁者が次々と病死とかしちゃったら、フフン、一番得をする者を疑うしかないしね」
彼がエリオットを虐めはしなかったが助けなかったのは、純全に人身御供として利用していたから。
ジェマの視線がエリオットに集まれば、とても動きやすくなる。罪悪感に関しては私の関知するべき事ではないから何も言わないが、真実を知った伯爵の平手打ちを素直に受けたらしいから思う事はあるのだろう。
後々の家族会議の議題としやすい様に、ここでは口を噤んでおく。
とまあ以上で解説は終わりだ。
聞き終えた一同の表情はまさに様々。
フィッツジェラルド伯は特に酷い表情だ仕方がない。肉親の情などという些末事にかまけたばっかりに、父と母、最愛の妻、弟夫婦、その他にも親類縁者等の死屍累々。危うく息子もその一員になる所だったんだ。
えも言われぬ表情の一つや二つ…いっそう二十や三十はしてもらわないと釣り合わない。
それとやはり、バカという生き物の本質は何種類かあるがこの手のバカは救い難い、いや救いようがない…誰か教えてくれ。
「だからどうしたっていうんだよぉっ!?ええッ!?俺には拳銃、テメェ等は丸腰だな!ああっ!?」
そそくさと優勢を保っている間に逃げれば良かろうに、振り上げた拳を一先ず置いておく場所の目途も立てられず、興奮しっぱなしで拳銃を構えているのに怒鳴っている。
まったく、どうしようもない。機を逃しているのがこうも重なってしまうと、下手に動くのは愚策で得策ではない。さっさと逃げろとでも言えば…いやそれすらも刺激になる。
などと溜息を付きそうになっていると、不意に、そう不意にだ。
狙い澄ませた不測の事態が起こってしまった。
いやまあ、もう少しばかり気遣いをすべきだったと自省している。
悠々自適に私が語り明かしているからといっても、実態は緊張と緊迫の空気が充満している。ここまで怒涛の急展開からの急展開からのまたまたの急展開。怒涛が謙遜語になっちまう状況の目まぐるしい変化に、ついにマティルダの神経が限界に達してしまったのだ。
そうとも、フラッと気を失ってしまった。
年相応の乙女には辛い場面だったから致し方がない。
実の父親と兄が今も女装しているんだからね。
ただそうなると「マティルダ!?」とエリオットが駆けだすのは自然の摂理。受け止めんとする素早い動き、二重の意味合いでエディを刺激してしまう。
そうなればもう撃鉄は重みを失う。
咄嗟に動けるフィッツジェラルド伯が、戦場を幾度も潜り抜けた歴戦の兵が動かぬわけも無く、何より行動でしか自身の感情を表現できない不器用を極めた男だ。こんな形での行動でしか、息子への愛情を示せなかったらしい。
殺到するであろう銃弾から二人を守る為に、強く全身で覆うように抱きしめて背中をエディに晒し、自らを盾にした。
引き金は引かれるであろう、さすればフィッツジェラルド伯は滅多撃ちにされる。例え屈強にして屈強な男でも、命を失う。本当にとっては本望であろう、だがなフィッツジェラルド伯、残される側にしてみればたまったもんじゃないぜ?
話し合う機会が今わの際、お涙を頂戴したい三文芝居にはうってつけだろうし、感動話とすれば良く整っているから胸糞悪い。
なので私は颯爽とエディと、フィッツジェラルド伯の間に飛び出して駆ける!
私が代わりに、などという自己犠牲の、反吐を催す精神の持ち合わせは無い。
そう以外にも私は冷静だ。平静に銃口の位置と、相手の視線の向かう先からどこを狙っているのか?その位置関係によって弾丸の歩む軌跡がはっきりと分かる。後はタイミングだけだ。
初めての体験、人生で一度も経験のしていない初体験、銃で撃たれる!
私は左腕を構える。
「クソッ!?畜生!野郎このクソがぁああ!」
エディの汚らしい金切り泣き声が響き、即座に掻き消した耳をつんざく発砲音、白煙と火花が散り、瞬間は今ッ!
「何だってぇえええッ!?」
ガキンッ!?という金属と金属がぶつかり合い衝突し合う音が鳴り響き、少し遅れた火花の後に虚空を突き進んだ銃弾が窓ガラスを突き破り、割れる音までも部屋中に響かせる。
もしも痛覚などがあれば、痺れを覚える重みを感じつつ私は歩みを止める事は無くそのまま距離を詰め、右腕を振り上げる!さあ、教えてしんぜよう!振り上げた拳の真なる下ろし方をッ!!
「アッハハハハ!」
「ぎぴっ!?」
握り拳を全体重を掛けたまま、一息に振り下ろせば、魔法合銀の強靭なる硬さの暴力がエディの右肩を取り返しの付かない猛威によって、文字通り粉々に粉砕する。
その激痛は容易く意識を断ち切り、糸から切り離された操り人形のように、エディ・グリーンは顔面から床に倒れ伏す。
頭部を潰さなかったのは私なりの慈悲ではない、伯爵から生かして捕らえれば調査料を半額にしてくれるという約束をしているから、後は手紙の出所と誰に電話をしていたのか?を聞き出す為、仄かに嫌な女の気配を感じずにはいられないんだ。
心配性なのかもしれないが、石橋は非破壊検査で調べるに限るしね。
保険は病気になってから入る制度でもないし。
「さて、そろそろ登壇してくれないかな?明日まで顔を出さないつもりかい?カレドランドヤードのミスター…いやブリストル警部補?」
「いや申し訳ない。状況が状況でしたので機会をうかがっていて……」
「はぁ~そいつは再来週になっちまうぜ……もういいさ。ちゃっちゃとこの糞尿袋を引き取ってくれ、手紙も渡しておくが事情はちゃんとそちらの口から、フィッツジェラルド伯に伝えておいてくれよ?」
執事の装いではなく、醜態で名の知れるカレドランドヤードの警部補の装いで間の抜けたタイミングと共にミスター・ブリストル、正確には従僕として潜入捜査をしていたブリストル警部補は部屋へと顔を出して、さらに遅れて部下たちが殺到する。
倒れているエディの腕を縛ると、襤褸を運ぶように粗野な扱いで連行して行った。
まあ、あれだ、伯爵が出会った予定外の相手とは、ジェイコブとカレドランドヤード。
顔を合わせるのがミス・ソラーズばかりだったのも、彼がエディを逮捕する為に監視していたから。
、何でも私が依頼した調査と、伯爵が進めていた秘密の調査、そしてカレドランドヤードの捜査が見事に重なっていて、さらにはカレドランドヤードにとっても重大な価値を持つ手紙までお互いに入用。
手紙に関して、紛失をやらかしかねない相手が寄こせと騒いでいるので、一段落が付けば譲渡すると伯爵がちょっと前に話をつけてようやく今日の逮捕劇に繋がったのである。
エディはおまけ。クレヴァリー氏の遺体を水揚げした後に身元を洗ったらあいつも悪人じゃんと、今更になって本格的に捜査を始めたという醜態っぷり。
救いなのは、カレドランドヤードにブリストル警部補の様に、選定の家の出身者が幾名か在籍している事だ。でなければ、今日はもっと酷いドタバタ劇を演じる羽目になっていた。
と、話を区切った瞬間にドッと疲労感が小粋なステップで顔を出す。予想外にも、私自身も相当に神経を擦り減らしたらしい。なのでパン、パン、と手を叩いて合図を送る。
「ミス・ソラーズ」
「はい」
「私は疲れたし…銃弾を弾いたら左腕の調子が悪くなってしまった。休みたいから後は一任しても良いかい?」
「どうぞ、お任せください。皆様、一度置き換えを、その間に一席を設けますので……」
キビキビと動き出したミス・ソラーズを背にして、私は一人静かに退室する。
♦♦♦♦
その後、エリオットとフィッツジェラルド伯は不器用ながらもお互いに胸の内を、一度には行かなかったがストレンジ一家の取り持ちで、少しだけ知り合う事が出来たらしい。帰り際の晴れて決意を固めた表情のフィッツジェラルド伯が良く物がっていた。
マティルダは翌日、両親と兄と共にカレドランドへ戻って行った。
別れ際、ブラッドレイ卿が用意する恐怖の紳士教育を受ける為、エァルランドに一人残る事になったエリオットは…
「必ずマティルダに相応しい男になってみせる。だからもう少しだけ待っていて欲しい。絶対に辿り着いて見せる」
と決意を語り…
「うん、先に行って待ってる。ずっと信じて待ってる」
とマティルダは言葉を返して幕は下りた。
だがこの物語はまだ序幕であり、この二人にとってもまだ序幕にすぎない。
二人はまだこの先に待ち構える、本当の意味でのお互いの愛を貫く為の本幕を迎える事になるが、それはしばし後の物語であるのでこの場においては、まだその展開を知らぬ現時点での私は口を噤んでおく。
なにせまだ序幕なのだから。




