六章【彼氏彼女と狂言廻し<XⅣ>】
ここで一旦少し前の時間軸へ話を戻す前にふと小話を。
上流階級が溜まり場とする場所と聞かれて、多くが早々に想像するのはやはり夜に花開く舞踏会か?それともまた別の、夜闇の中で開かれる催しか?
溜まり場の定義によっては上記のどれかが当てはまるが、字面から察して思い浮かべれば、気軽さと気楽さを前面に押し出した場所の方が当てはまるであろう。
というのも社交界というのは、外交は綺麗に着飾った戦争、という言葉がすっぽり納まり良くはめ込める世界観で、舞踏会は開く者の階級や身分やあれやこれやの大きな差はあれど誰もが鍔迫り合いに白熱する場所であるのは変わりなく、とても気楽さなど持ち込めない場所だ。
つまり舞踏会は違う。
なので必然として溜まり場として挙げられるのは二例。
女性なら窮屈さとは無縁のゆったりとした服を身に纏いて言葉遊びに花を咲かせるお茶会。男性なら会員制の、選別する条件の先で入会できるクラブ。
他にも例を挙げれば枚挙にいとまがないが、今の所はクラブを名前を挙げておく。
何故かというと今、ロンディニオンの高級住宅街のあるエリアの片隅、隠れ家的な意匠を誰よりも好んで偽装されたクラブの一階。入った直後の一角に設けられた隠し扉のその先にあるバーカウンターでその男は顔を真っ赤っ赤にして怒っているからだ。
流れで察すれば男の名前はスティーブン・アダム・フィッツジェラルド、つまりフィッツジェラルド伯爵、略してフィッツジェラルド伯。
ただでさえ心底恐ろしい顔を真っ赤に染めて、牙でも生えていれば赤鬼のような見栄えの顔で、今にも口から火を吐き出さんばかりに怒っている。
怒りを向ける相手は我らがアーサー・ブラッドレイ。
歴戦の兵でも心胆が永久凍土と化してしまいそうなフィッツジェラルド伯を相手にどこ吹く風。気にも留めずに中太の葉巻を燻らせ、エァルランドに一族が所有する蒸留所で作ったウィスキーを口に含んで嗜んでいた。
「兄貴!」
「ふむ、まあ落ち着け。カーラの暴言に腹が立っているのならば、私ではなく当人に直接言い喚けば良かろう?手の平の上で踊らせる結果になるがな」
時間軸にすればカーラがサプライズを計画した頃合い。
とある一報がフィッツジェラルド伯にもたらされた。
内容は大幅に省略して「フフッ、脳みそ筋肉と潮風で満たされた伯爵。息子の有様を直に確かめに来い。来なければ小娘に鼻で笑われた伯に改名しろ」という、出会い頭にドロップキックを入れるような暴言。
怒りのあまりにフィッツジェラルド伯は受話器を握り壊してしまった。
そしてそれを聞いたブラッドレイは内心で大笑いをしつつ、カーラの向こう見ずで楽しいを優先する狂いっぷりに愉快にもなっていた。
「どういう神経をしているんだあの暴言は、とても大人を相手に吐く内容ではないぞ!?絶対にありえんと断言出来る!」
「仕方あるまい、あれはそういう小癪な、狂喜という酒瓶に理性という酒を流し込んだ娘だ。理性的に振舞いつつも本質は破滅的に悲劇すら愉快と笑う、諦めて踊ってやれ。この私を踊らせたのだからな」
「兄貴!」
「君達、個人的な見解を述べさせて貰うなら、隠れ家を売りにしたクラブで外まで響く怒鳴り声は自粛すべきだと思うのだが?」
ブラッドレイの物言いに怒りの頂点に達しかけたフィッツジェラルド伯を嗜めたのは、小雨振るロンディニオンを分厚い外套を纏いてただいま到着したダレン・クリフォード・ストレンジ。つまりストレンジ教授。
最近、加齢から来る視力の低下に悩み始めてようやく眼鏡を掛けようと考え始めた、知的だが規則や規律に煩そうな眼鏡をかけていない事に違和感を抱いて必然な、栗毛色ではない黒髪の男性。
どうやら娘のマティルダは髪色以外は父親似らしく、お互いに顔の基本が良く似ていている。
「おお来たか、どうだ?一杯飲むか?」
「ここってマティーニは飲めるのかな?僕はあれが好きでね、だけど上流階級の人は今もジンを毛嫌いする人が多くて気兼ねなく尋ねられるのは、ブラッドレイ氏とアダムしか心当たりがないのだけど?」
「ふむ、君の好みは事前に伝えておいた。少し待てば給される、取り合えず座りなさい」
「お言葉に甘えて」
空気を読んで既に用意周到に準備を終えてバーテンダーはブラッドレイの合図に合わせ、ストレンジ教授が所望するマティーニを給する。
後の時代に市民権を得て、カクテルには欠かせぬ定番となったジンではあるが、この時代には貧しい者達が酔いつぶれる為に飲む酒、という視線が上流では根強く洗練されて品質を高めようが飲むのは上ではなくそこよりも下の方。
ストレンジ教授は一応中流の中の上方、しかしとてつもなく|自分の目で見て確かめる《フィールドワーク》を好む気質な為、酒類に貴賤など気にも留めない御仁であった。
なので美味い、ならば飲む。の発想でマティーニを好んでいた。
「美味いね、何時も飲んでいるのよりも明々白々に上等だ。どこのジンを使っているんだ?」
「イーストウッド百貨店から見繕ってもらった。何でも経営の立てなしに成功した新進気鋭だそうだ。ふむ、すまないが私にもマティーニを頼む」
「呑気に酒を煽っている状況じゃないだろ!?ダレン、お前にもあの小娘から電話があったんだろうが!」
久しぶりに友人と会い、会話に花を咲かせる様にブラッドレイとストレンジ教授はマティーニで乾杯をする有様に、ついに…以前からご立腹だがフィッツジェラルド伯は立ち上がりまたまた雷鳴のように轟く怒鳴り声を上げる。
しかし慣れた友人の怒鳴り声は、旧友であるストレンジ教授の鼓膜を揺るがす以外の効果はなく、くいっとマティーニを飲み干したストレンジ教授は…
「あったよ、そして腹が立った。現時点での見解を述べるなら、上等だと乗り込むつもりだ。ただ…若い頃は国境越えに女装した事もあるが今はもう…」
「四十路手前ッ!?」
あっけらかんとしていた。
近日には何時もの長い休暇を大学に申し入れて、女中へ様変わりして工房のマナーハウスへ、娘と娘の婚約者のいる工房のマナーハウスへ乗り込もうとしているというのに、あっけらかんとしていた。
なので旧友であるフィッツジェラルド伯は年齢を指摘せずにはいられなかった。
美男子に分類されていても、年齢から来る限界点は既に超えている。
年を重ねて石頭加減は和らいだ結果の、または妻の天然さに毒された結果の友人の思いっきり加減に、怒りは呆れに代わってからそぐに諦めへと至る。
おかげでようやくフィッツジェラルド伯は冷静に会話が出来る状態にもなった。
「そもそもだよアダム、僕はとても痛いところを突かれたから腹を立ててしまった。エリオットを風評以外には知らない。それは家に殆ど帰れない君も同じじゃないのか?最後にエリオットと真正面から話したのは何時だ?」
「それは…半年前だ、確か…」
「開口一番に怒鳴った。これ会話とは言えないと思うけど?」
「………」
ストレンジ教授はカーラから内容を省略して「学者の癖に、自分の足で赴き手で探り目で確かめるストレンジ教授がとんだ無様だ。エリオットを直接見もせずに結論を出し切る。もしや、引きこもり考古学者だったりするのかい?」と暴言を吐かれていた。
同様に腹を立てたが同時に論理的な学者らしく、すぐに自身の問題点に気が付いてカーラの挑発にまんまと乗り込むことに決めていた。
決めてしまっていたから友人の痛いところを突っ突いていた。
「ふむ、結論は出たな。ああそれと、私は良薬を処方した覚えはないぞ」
「「は??」」
「劇薬を処方した。カーラという小癪な娘っ子は狂人の親戚筋、良い影響だけでないのは確約しておこう」
という会話から幾星霜。
合宿採取日前日のお昼、つまり今の時間帯へ軸を戻す。
肩を握り砕かんとするフィッツジェラルド伯の怒気に尻尾をまいたクレヴァリーが、命乞いをするかのようにエリオットを解放してから尻餅をついた状況で物語は再開する。
♦♦♦♦
フフッ、さて役者はお揃いだ。
いや予定外の闖入者ことストレンジ夫人とご子息のジュニア氏は脇に置いておいて欲しい。少しばかり会話をしたが、私の手には負えない天然であっさりと話の筋の脱線事故を引き起こす。
緊迫感のある状況下なので、ご夫人とご子息の闖入は話を振らない事で避けておきたい。
で話を戻して、エリオットは久方ぶりに会う父を、久方ぶりに真正面から見据えていた。
その瞳は明確に敵へ向ける眼差し。
ついにエリオットは父と対決の姿勢を打ち出しのだ。
対してフィッツジェラルド伯は…というと実に情けない。
怒気を孕んだ先程の怪物が如き眼光は、後悔と罪業の念を宿して明らかに光を失っていた。
「…父さん」
「……」
困惑を気合で敵意に塗り上げた呼びかけに、フィッツジェラルド伯は無言を返す。
まるで酷く口下手で言うべきことは理解していても、それを言葉に表すのが苦手な様に…いや、実際に苦手なのかもしれないが、私はこの御仁を調査資料と電話越しでしか知らない。
この館に隠れ潜んでからの世話一切は、ミス・ソラーズとミスター・ブリストルに任せっきりだったんだ。会話という会話どころか面識という面識は皆無。
ストレンジ夫人とジュニア氏はあちらから突撃して来たので、嫌おいなく面識はある。
などと観察しながら思い耽っているとおもむろに、早々に着替えてくれれば娘の苦悩も和らぐというのに、違和感なく女装したままのストレンジ教授が一歩エリオットへ歩みった。
「本来なら、個人的な見解を述べるなら、大人である我々がいの一番に君へ手を差し伸べる気だった。恥ずべき事に手を差し伸べるどころか…石を投げた。許されない、そういう自覚はある、だがすまなかったと謝罪をさせて欲しい」
「ストレンジさん……」
そして自らの過ちを認めて謝罪をした。
なにせ彼は今までずっと、目の前でエリオットが虐げられ娘が苛め抜かれる惨状を直視させれていた。何度も助けんとする行動を、ミス・ソラーズや周りの女中、あと行方知れずになりがちなミスター・ブリストルに諫められていた。
ただ目の前で見ているだけしかさせてもらえなかった。
二人の三万分の一でも苦しみを味合わせてあげたいという、私の心遣いで。
思い知らされた彼の振り絞った謝罪は、僅かにエリオットの心に響く何かがあったらしく少しは表情が和らぎ、と同時にこの期に及んでも口を開かぬフィッツジェラルド伯に私は内心で酷く呆れ果てた。
が……
「アダム…君は甲板の上ではああも饒舌だというのに、一旦陸地に足を運べば何で口下手になるんだ?言い訳でも、例え見苦しくても何か言って欲しいモノじゃないのか?父と不仲だった君しか言えない言葉だってあるだろう?」
「だが…俺は……」
「はぁ~…君って、そういう必要な時に及び腰になる癖をまだ治してなかったんだね。友人としての見解を言うなら、10年の片思いでまだ痛感できていないようだね。今度は終生の対立がお望みかい?」
私以上に呆れ果てているストレンジ教授が、フィッツジェラルド伯の話して欲しくはないだろうという小話で尻を蹴り上げ、ようやくフィッツジェラルド伯は終始圧倒されながら口を動かした。
が、言葉選びが壊滅的に不得手な上に鈍足だったらしく、開けば返され詰まるの繰り返し。よくまあそんな醜態で駆逐艦の艦長としての職責を全うできるものだ。
エリオットの眼差しが軽蔑に染まり始めているぜ?
そろそろ助け舟でも出すか。と思った矢先の忘れ去られていた…
「エリオット。許せない気持ち、私にも分かる。いけしゃあしゃあと、どの口が言っているの?とお父様を引っ叩きたいものッ!」
「マティルダッ!?」
マティルダが血の滴り始めたエリオットの手を解き、優しく包み込みそう言った。
複雑に入り組む葛藤で当人も気づかぬ内に、強く、指先の爪が肌に食い込んでも強く、拳を握っていた。それを察したマティルダの温かみに、エリオットの表情はここで幸いにも平静さが浮かび上がった。
代わりに引っ叩きたいと言われたストレンジ教授が涙目になった。
「でもね…きっと憎しみ合うのは、同じ思いを味合わせてやるって、きっとダメなのよ。一度は心が晴れても束の間、すぐに曇って苦しくなるだけ。だから許してあげよう?エリオットが私を許してくれたように」
「マティルダ……」
割り切れない思いの、その葛藤は実に正しく、即答する事の出来ないエリオットは決して狭量ではない。もしも狭量としたならば、復讐譚は成立せず師の許しに対する教えが聖書に金言名句と羅列されもしない。
許す、これって以外にも覚悟のいる諦めだ。
復讐する正当な権利を未来永劫に自ら放棄する、つまり全てを水に流して一切合切を帳消しにしてもらうという加害者の願望を満願成就させる事なのだから。
割り切れる奴の方が正常さに欠陥がある。
まあ私の話ではないし、ここから家族ぐるみでの話し合いでどうこうするべき事。なので手を叩いて注目を集めよう。
「おいおい、そういう大切なお話は別室でしようぜ?特にストレンジ教授も似合っているからと言っても節度がある、見せびらかさられる娘の苦悩も考慮すべきじゃないのかい?なので一旦お開きにして、場を改めようと提案させら貰うよ」
そして集まった注目に場を改める事を提案して、特にストレンジ御一家には着替えを…忘れていた上に今更だがジュニア氏も女装していた。彼の着替えも必要だ、その間があればお茶の準備も整う。
アルヴィオン人が人心地をつくには紅茶を飲む所作が必要不可欠。
特に感情的な今はことさら。
ミス・ソラーズが呼び寄せた客間女中に後の事は任せて…おや?どうやらバカがバカたる所以を見せてしまったようだ。
媚び諂う薄気味悪い表情を浮かべたクレヴァリー氏が、フィッツジェラルド伯へ近づいていた。
「旦那様、ご案内は当方に任せてくだされば…」
「…?誰だ、お前」
基本的にバレぬ様に立ち振る舞いを求めれれていたフィッツジェラルド伯にとって、クレヴァリー氏は完全無欠に初対面。使用人の管理等は姉に任せっきりだったからもあるがそれ以上に、あれだからね。
「誰って、ダンカン・クレヴァリー氏だ。君の家の副執事だろ?確か、アダムは初対面ではなかった筈だろ?」
「そうですよね!?そうですよ旦那様、ダンカン・クレヴァリーですとも!」
「違う、確かにクレヴァリー氏は知っている。だが70歳を超えたご老人だ。てっきり新人教育の一環を請け負ってくれたと思っていた。お前は若過ぎる、同姓同名…いや絶対に言える、記憶に違いは無く70歳を超えたご老人のダンカン・クレヴァリー氏を雇った筈だ」
「そうなると…君は何者なんだい?」
「……」
一斉に疑念の目は偽クレヴァリー氏へと向けられる。
フフッ、自身が偽装した身分証で生きている事にもう少しの配慮があれば、騒動の合間に逃げおおせる選択肢を取っていた筈だろう。だが残念を極める偽クレヴァリー氏は乗り換えの好機と居残って媚を売ってしまった。
本当にこの手のバカは、バカの種類は数あれど質の悪い方面の壊滅的なバカは、ちょっぴりの良識があれば…という行為を熟考した上でやってのけるバカはどうしようもない。
そしてこの手の、こういうバカは沈黙で空気に不穏を充満させて…
「ちくしょうッッッ!?」
破滅的なバカをやってしまう。




