六章【彼氏彼女と狂言廻し<XⅢ>】
当日のコースメニューや食材の手配とか、その日だけ特別に使わせてもらう銀食器とか、片手間では一苦労な諸々を迂遠なく執り行う日々を私が過ごす中、主賓たるお二人はというと…まあ見事に口が廃糖蜜の滝となってしまう程にお熱い有様。
鬱陶しさを極めるバカップルという訳ではなく、お互いに些細な触れ合いに逐一気恥ずかしくなってしまう初々しいカップルが如し…お前ら婚約してから何年目だ?と思わず私は心の中で呆れてしまった。
だが良い変化ではあるので、軽く茶化す程度ですませている。恋路を邪魔すれば馬に蹴られてしまうからね。今は温かくむず痒い一幕を微笑ましく見守るのが得策。で、元から残りの日数はほぼ無かったので一週間もせずに最終日前日。
つまり正餐の昼食の時間を今迎えている。
わざわざ夕食は軽めにして昼食を?という問いには、家庭教師は夜は勤務時間外と姿を現さないから。逃げ場を失くす為に今日の正餐の昼食。
部屋の隅で顔色悪い中年の、品の乏しい肥満気味の女性がマティルダの担当。
エリオットの担当は?フフン、そっちは解雇。空気は平和になった。
という訳で全員が正装に着替えて…という訳には行かず、なにせマティルダへの嫌がらせを手始めから取り掛かっていてくれたらしく、正餐に着込むべきお買い上げしたばかりの服一式をフィッツジェラルド家の女中が紛失してしまっていたのだ。
などと供述していたがどうせ、質屋にでも投げ売ったのは明白。
しかも分かったのが今日この日なので、流石にイーストウッド夫人を頼るには無理難題。仕方がないので、というかどうしようもないので本日は日常着にて。何時の日か、然るべき時にまで楽しみは取っておきなエリオット、という流れで食事を楽しんでいる。
初日から軽めの夕食続きであったのを、もう少しばかり要観察していればと個人的に反省もしつつ。
「このミントソース、とっても爽やかで、ビネガーと砂糖の風味に打ち勝って美味しいわ」
「そうかな?ちょっと強く、ミントの主張が出しゃばり過ぎているような気もするよ」
「フフッ、このマトンは自らの風味に威風堂々だ。臭みを考慮すれば良い塩梅だと思うが?」
今はローストした2歳以上の羊肉に舌鼓を打って、その味に対する各々の感想を口遊んでいる最中。その間も卓上ではナイフとフォークは優雅に優美に、日常の一遍を認める詩のように踊ってもいる。
日頃の慣れのあるエリオットは当然だが、マティルダはその身分に早々しい淑女となるべき研鑽した成果を遺憾なく発揮しているので、実にとても自然体だ。
私は?一応、ジェインはイーストウッド夫妻の教えによって身に着け、この私が実践して来たので、見劣りはするが出来ているぜ?見栄っ張りではなく、実際に。
そうでないのならば、小話片手間に食事など出来はしない!
しかし…ミントソースはどうにも舌に合わない。時雄の感覚が、というよりもジェインの頃からの苦手意識だ。国民的なソースではあるが、日本人だって味噌汁を苦手とする意外性を持ち合わせる人物もいるのだから、際立っておかしな話ではない。
幸いにも拒絶するまでも無いので、空気を読んで嗜んでいるが…醤油の味わいを懐かしんでいるのは内緒だ。
まあ、退屈にも時間は優雅に過ぎて行きマトンのローストを食べ終え次の皿へ。
次はデザートという段取りだ。
出されるのは素朴にもポセット。気取らぬなめらかな味わいは、慣れぬ料理の数々で舌の疲れたマティルダには心地よく、食の細いエリオットにも心優しい。
そして女の子はデザートを前にすれば、興奮してしまうのが習性。初めての正餐に気を張り気味なマティルダはここでちょっとしたミスをしてしまう。
「あっ!?」
と手を滑らして落としたスプーンに思わず驚いてしまう。
すると近くで見ていた長身の眼鏡をかけた女中さっと近付いて拾い上げ、別の女中が…
「すぐに代わりをお持ちいたします」
と言ってその場から離れる、それだけの一幕だったのだが…
「何と不作法な!」
突拍子も無さすぎる家庭教師の金切り声が部屋中で木霊した。
何が?不作法か?スプーンを落とす事か?いやいや、どのような人間であろうが生涯一度たりともスプーンを落とさなかったという偉人は、ただの一人たりともいない。
こういう場合はサッと使用人が代わりをパッとお出しする。それだけ、それ以上は何も言わない咎めない。空気を読んで話題をそっちには近寄らせない。
だが家庭教師の表情は小狡い鼠の尻尾を掴み上げた、間抜けな猫のように滑稽に勝ち誇っていた。
「えと…スプーンを落とした事ですか?」
「そうですその通りです!高価な銀製品を落とすのは不作法!非礼です、無礼です!」
「その…そういう場合は謝罪をしてから交換を願い出るでよか…―――!?」
必然的に真っ当な意見をマティルダは口にしたのだが、口答えだと喜んだ家庭教師は躊躇いの無い平手打ちでマティルダの言葉を遮る。
突拍子も無いヒステリーの後の平手打ちは、委員長気質で頭が固茹で気味なマティルダの思考を停止させ、困惑の色があっという間に彼女の顔を覆う。
理性的な人間には衝動的な小物の発想は理解し難いから仕方がない。だが呆気にとられるマティルダとは違い、流石は軍人の息子、即座に立ち上がり…
「何をやっているんですか!マティルダに何も不作法はない!間違っているのは貴女だ!」
声を荒げる。
返す刃の平手打ちを再び構えた家庭教師も、そのエリオットの初めて見せる男らしい気迫に圧せられたのか硬直したじろぐ。特に今にも掴みかかってやるぞという身構えは、例え小型犬でも十全に相手を怯ませる事が出来る。
「マナーに反する事を逐一咎める事は、大人同士でも相手の事を思って指摘せず改めて間違っている事を、相手の名誉を汚さぬよう思いやって伝える!それを教えるのが家庭教師である貴女の職責の筈だ!」
「……っ!?」
言うようになったじゃないか!と心の中でエリオットの成長を喜びつつ、このままエリオットの鬼気迫る怒声に、家庭教師が芋を引く。という展開もあり得るだろうが、マティルダを守ろらんと一歩踏み出そうとしたエリオットを、待ち構えていたクレヴァリー氏が取り押さえてテーブルに押し倒す!
「がはッ!?」
「困りますよお坊ちゃま。そんな乱暴狼藉の構えは困ります、ええ本当に。マティルダ嬢が不作法を働き、それを体罰という戒めを持って諭さんとする教育を妨げるのは困ります」
いやいや自分の仕える家のご子息を、腕の間接極めてテーブルに押し付けるのはいかがなものか?そっちの方がヤバい案件だと思うが?と心の中でニタニタと笑いながら、私は静かにポセットを掬って口に運ぶ。
フフッ、レアチーズケーキが如し!というなまらかな味わいだ。
生クリームにレモンなどを使っているから、その酸味が実に良い。
舞台の上で乱痴気騒ぎな一幕の最中を観覧する中で食べるのも実に良い。
特に家庭教師とクレヴァリー氏の間抜けっぷりは実に良い。
助け船が来たと喜び、日頃の憂さ晴らしに興じんと平手は振り上げられる。それを見たエリオットが「やめろ!」と叫び、マティルダは恐怖から目を瞑り、この流れで二度目の平手打ちがマティルダへ……行くことは無かった。
「止めてもらおうか?個人的な見解を述べるなら、体罰による教育は効果の低さは既に立証されている。何より父親の前で実の娘を不当に暴力を振るおうとする者は、男か女かを問わず敵だ」
「「「………」」」
家庭教師の手首をつかむ長身の眼鏡をかけた女中。ちょっとよりももう少し前にマティルダが気になったかの背の高い女中。よくよく観察すればマティルダに雰囲気の似ている美麗な女性。
しかしてその声は実に渋く、ダンディズムに溢れる美声。
まあ、おおよその諸氏は察してくれたであろう。
「おとおとととととととととおとと!?」
「マティルダ、いつも言っているがパパと呼びなさい」
「お父様!?!?!?」
「パパと呼びなさい!」
答え合わせ、正体はマティルダのパパことストレンジ教授御年40手前。
正体を知っていたブラッドレイ家の女中は笑いを堪えるので必死、なにせサプライズはまだまだ途中。いや~最初はここまで用意するつもりはなかったんだぜ?あっちが乗り気でさ~私も流石にやり過ぎかな?と楽しくなって…
「ママもいるわよ」
「兄ちゃんもいるぞ!」
ストレンジ御一家を招待してしまった。だから客間女中も寄こしてもらった。
「……っ!?」
唐突に喜劇展開な幕開けにマティルダは許容限界を超えたのか、鳥に巣でも作ってほしいのか?という程に大きく口を開いて思考停止。まさか父親でなく兄まで女装し、さらには母親も一緒に女中の恰好をして現れたのだ。
誰だろうがこうなる、下手すると気を失う次元の話だ。辛うじて意識を保つマティルダは賞賛に値する。
後ろで取り押さえられるエリオットも、取り押さえるクレヴァリー氏も同様に綺麗さっぱり思考停止中なのだから随分と神経の太いと…フフン、どうやら最後の賓客が痺れを切らしてご登場のようだ。
「ぎゃあ!?」
待たされた分だけ昇りつめた怒りの赴くままにクレヴァリー氏の肩をつか…おや?何やら骨の軋む音が聴こえるような?流石は大海原の漢、海軍大佐!その潮の香りを醸し出す屈強な体躯なら握力も相当のようだ。
二度見、三度見、何度見してもあの子犬様なエリオットの父親とは思えない頑強で強面っぷり。ただいま鬼の形相だからなお怖い。
スティーブン・アダム・フィッツジェラルドは本日も顔が怖い。
フフッ、そうサプライズとは父兄さんいらっしゃい!




