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六章【彼氏彼女と狂言廻し<Ⅺ>】

 次の場面へと移る前に、もしもの話をしよう。

 傲岸不遜に開いた扉の向こうでベットに腰掛けるエリオットに、些末な事ででも爽やかな面持ちがあれば、私は彼を見捨てていたかもしれない。

 宿願を達する為にはなにも二人の仲を仲良しこよしのオシドリにする必要性があるだけに過ぎず、選択肢はもう一つあるのだから見捨てる事を厭う理由にはならない。このままエリオットを社会的にも人間的にも潰せば事足りるのだから。

 だが幸いにも エリオットの素敵な暗い暗い表情で見捨てるという選択肢は失せた。なお、その暗さは闇夜の暗さではなく、湿度を伴う陰鬱などんより曇り空の方だ。


「……カーラ、何か用事?」

「フフッ、別に大した用事で来ただけさ。夫婦喧嘩は犬でも腹を壊すというからね、まだ恋人同士だが。なに、ただのお節介焼きのお節介さ」

「今は、口を忙しなく動かす人と喋りたい気持ちじゃないんだ」

「そうかい、だが私は話したい気持ちだからお構いなく口を開かさせてもらうよ」


 ズカズカと、そちらのお気持ちなど知らぬ存ぜぬと部屋に張り込む私を、エリオットは不機嫌な物腰で迎える。図書館にて、静かに読書をしたい気持ちを無視する姦しさと幸薄く出くわした者の様に。

 

「ここで不貞腐れても、今更の自己嫌悪は治まらないぜ?」

「……マティルダだけは僕の気持ちを、理解してくれていると願っていたんだ。だけど…いや、僕が悪いのは分かっているんだ、だけど……」


 マティルダだけは、自分の味方だと思っていた。

 と最後までは口にせず、私を見上げる事も無く俯くまま溜息の様にエリオットは歯切れ悪く口を動かす。

 まったく、まるで湿気たビスケットじゃないか。しっとり系なら味わい深く思えるが、軽やかな食感を売りにするならば致命的に不愉快。叩いて砕いて炒ってから衣にすれば救いもあるだろうが。

 なので私らしくエリオットに発破をかけよう。


「そうかい?考え方によっては、口酸っぱい婚約者と手を切れる好機。だって面倒だろう?何かを言えば、何かをすれば、喚く叫ぶ癇癪を起す。厚かましく目障りな、性悪女とさあ?」

「今…何て言った?」


 ここに来てようやくエリオットは私を睨む。


「もう一度言えと?なら言ってやろう。自制心の乏しい癇癪持ちの性悪女、だ」

「ッ!!」


 勢いのよさなら及第点だったんだが、どうしようもなく背丈が足りず胸倉を掴めはしたが、笑ってはいけないがつま先立ち。それでも私の胸倉を掴もうとしたエリオットの心意気は、現状は合格点だ。


「マティルダは!マティルダは!本当はもっと…確かに厳しくて石頭で、融通が利かなかったり、僕を何時だって子ども扱いでお節介を焼こうとするし…ちょっとした字の崩れで手紙を一から書き直したりするけど、本当はとても優しい女の子なんだ!」 


 何よりも怒りに満ちた瞳、ひ弱な体躯からとは思えない声量は実に良い。普段の情けなさはまったくもって感じられない気迫だ……話した内容はまるでなっていないが。

 しかしそれを含めてマティルダを愛している、という事なのだろう。ただし、を付けさせてはもらうが。


「それだけマティルダを愛しているなら何で、彼女を守ろうとしない?エリオット・ダリル・フィッツジェラルド。お前は何故、マティルダを守られてばかりだ?」

「マティルダに…守らて?」

「そうだ、それと…お前は今、マティルダはどうしていると思う?」


 この質問に対する即決の答えの無さが、この男の、男としての足りなさだと私は断言しよう。男という生き物は、極論を言えば弱さを許容されない生き物だ。後の時代に多様性の御旗を掲げ始める以前のこの時には、弱い男に価値は無い。

 まあ、その多様性の御旗事態。自分の気に入らない者を踏みつける免罪符なのだが。


「どうしていると思う?口走った言葉に自己嫌悪にお互い陥っていると思う程度か?それとも…言いたい愚痴を言ってやったと爽やか?さてどちらだと思う?」

「それは……」


 分からない、だから軟弱者なのだと私は心の中で唾棄する。

 御高説を垂れ流すのも一興だが、何だかすっごく面倒くさくなってしまった。なのでさっさと真実を突きつける事に私は決した。いや本当に面倒が面倒で仕方がない。

 なのでエリオットを小脇に抱えて、知らしめるべき現実を知らしめる為に、タッタッと小走りで屋敷の反対側、つまりマティルダの部屋へ。

 

「何?何なの?説明は??説明とか求む!?」

「静かにしなよ、そろそろ乙女の寝所だ。騒がないのが覗く時の作法だぞ?」

 

 近場の面倒な忌々しいクソったれの集合体たるフィッツジェラルド家の使用人は…しっかりと蜘蛛の子を踏み散らす様に、ミス・ソラーズと愉快で痛快な仲間達が追い払ってくれている。

 そして覗き見るに足りる適度な具合に、扉は開かれていた。

 私はエリオットを小脇から解放しつつ、人差し指を真っ直ぐ伸ばし口もにかざす。

 静かにしろ、と。


「ひぐ…ぐす……」


 さもなければ、漏れ聞こえるむせび泣く声が描き消えてしまうから。

 誰の?勿論、マティルダのだ。

 

「何で…どうして……」


 虚を突かれた、という間抜けな表情でエリオットは覗く。

 日頃の勝気に胸を張る姿から想像のし辛い、弱々しく痛々しい泣き姿。

 押し殺す声の悲痛さはより見る者の胸に突き刺さる。

 あの意地っ張りだ、きっとエリオットの前では弱い側面など一時たりとも見せてこなかったのだろう。だからエリオットは一方的に大丈夫だと、決めつけていたのかもしれない。

 だが人間とはそう強い生き物ではない。藁が視界に過れば掴まずにはいられない生き物だ。かつての私が、ジェインがそうであった様に、時雄がそうであった様に。


「さて一旦、そうだね…四つ隣の部屋にでも行こうか?」


 数多ある使われていない部屋へエリオットを誘う。

 一人で泣きたい時は、一人にさせてあげるのも気の利く乙女の所作だしね。部屋の前での立ち話は、気が散って泣き辛いだろうから。


「マティルダが泣いていた…今までそんな事は……」

「フフッ、鈍い婚約者殿だ。好きな男に情けない素肌を見せないのが淑女に求められる教養だ、初夜では当たる素足の具合まで気に止めよと酸っぱいキャベツよりも酸っぱく説かれている。弱さと泣き顔は尚更だ」


 本当に鈍過ぎる婚約者殿だ。

 弱さを受け入れる懐の度量は男女を問わずに求められるが、女は母になる事でより内面の強かさを求められる。外で男が見栄を張って、女は家で意地を張る。故に夫婦は互いに支え合う。

 そして支え合いの損得勘定の拮抗が崩れれば、夫婦は夫婦でなくなる訳で、恋人同士とはつまりそこに至る前の過渡期にしてお試し期間。ここでダメなら夫婦は諦めろ、という話だが現状のエリオットは落第点と言える

 恋人の置かれた立ち位置を丸っきり知らぬのだから。

 なので私は耳元で囁き語るように、マティルダのこれまでの日々を口遊む。


「今回の合宿だが、マティルダにとってもまた最後に与えられた機会だったんだ。ダメだったらと諦める他は無い、とね。綺麗さっぱりエリオットを諦めろ、と」


 目を丸っとして驚くエリオット。どうやら気付けたようだ、何故のあの厳しさか?

 憎しみからの鞭打ちだとでも思っていたのか?もしもそう仮定したならば、打つ側も痛みを堪えている事に早く気付くべきだった。私は蔑む視線でエリオットを僅かに見やる。

 この時代に家長たる父に逆らう乙女の勇気は、ゴリアテに挑むダビデと比肩するのだから。


「マティルダはお前を守りたい一心、エリオットは決して腰抜けの愚図ではないと証明したい一心。だがら誰にでも噛みつく、父に噛みつく乙女なのならば口から汚泥を垂らすそちらの使用人にも噛みつく」

「じゃあマティルダは!?」

「ああ、毎日、日々、常々、余す事無く虐め抜かれていた…陰惨にね。あちらの目的はマティルダにお前を潰させる事だったのだから、それはもう心に一分(いちぶ)の余裕も残らぬよう周到に。だから今日はあんな風に口が滑ったんだぜ?」


 八面六臂に表情をコロコロと変化させるエリオット、今は絶句という表情だ。

 使用人からの虐めを自分だけが受けていた、と思い込んでいたのだから。何よりもマティルダの愛の深さの想像が、いかに浅く自分が見積もっていたのかを…絶句は当然だ。


「どうして…何で…そこまで僕を……」

「愛している、からだろうね。毎度毎度、のろけ話をせずにはいられない程に。ああそういえば、野犬に立ち向かった話はとてもうっとりと語っていたぜ?」

「野犬……?あの時の!」

「その日からずっと、ずっとだそうだ。愛されてるな、エリオット。愛してくれる女を誰からも守ろうとしていないけどさ」


 忘れていたという顔だが、まあ心に深く残る思い出はどちらも共有する事は物語での定番であって、実際は片一方だけというのが常習だ。だがその事はエリオットがかつて抱いた思いを呼び起こさせる呼び水になった。


「僕は…僕は母さんが死んでからずっと、一人ぼっちで…だけどマティルダはずっと傍にいてくれた、傍にいてくれて…僕は守りたいと思ったのに…誓ったはずなのに…!」


 フフッ、良い塩梅に心が揺り動いたようだ。余計な腹回りの贅肉の様に心へ纏わりつく曇りは、どういう風に剥がれ落ちるか?このまま付き纏われたままか?自らの信念を抱きなおして踏み出せるか?

 見物だ。実に良い見物だ?さあ、この後からエリオットの決意次第。

 どうするかな?どうす…おやおや、何で握り拳を自分の顔の高さに挙げるのか?


「僕は…僕は!」

「ちょっ!?おま!!」


 どうするか?見物だと思っていた矢先の奇行!エリオットは自分で自分の顔面を自分の握り拳で殴った!?それも力の加減は一杯にだ。そのおかがでエリオットの鼻からはボタボタと鼻血が、それなりの勢いで流れてしまっている。

 どうした?気でも違えたか?と、その有様に私は思わず思い違いをしてしまった。

 顔を上げて真っ直ぐ私を、決意に満ち溢れた瞳で見返すまで。


「僕はバカだ、弱虫だ、腰抜けの臆病者だ。守りたいと思った人に守られている事に安らぎを覚えいた!」

「おいおい、だからって顔面に一撃はどうなんだい?まあ男になったのは分かったけどさ」


 男子三日会わざれば刮目して見よ、という故事がある。エリオットの変化はまさにそれだ、それだった。私を臆せずに見据えるその顔は男だ、燦燦と熱を瞳にも宿した男だ。(マティルダ)の後ろに隠れて怯える小便臭いガキ犬ではない。

 良い変化だ、ああとっても素敵に変化している。

 もう少しだけ親という生き物の現実でも突きつけたやろうと思っていたが、不要だな。今のエリオットなら、自分の愛を他人に委ねるなんて愚行はもうしないだろう。エリオットの下準備はこれで完成だ。


「カーラ、僕は変わりたい、いや、変わらないといけない。強くあるべきなんだ!だから…」

「フフン、ブラッドレイ卿には前もって話は通しているさ。この合宿には他者を不幸に陥れる以外の役割は無かったからね、後日談となるが、素敵な生き地獄でお迎えるする予定だ。乗り切れればの話だが、より男になれるぜ?」

「望む所だ」


 良い目だ、良い瞳だ。

 私はエリオットの成長に心を躍らしつつ、取り合えず噴き出す鼻血をどうにかさせる為に、部屋の外側で待機する客間女中(パーラーメイド)にエリオットを託し、次の場面へと物語を進める。

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