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六章【彼氏彼女と狂言廻し<Ⅹ>】

 合宿の期間も後残すは、という程度に月日の流れたその日の午前。

 エリオット・ダリル・フィッツジェラルドの頭脳にはきっと、素晴らしい閃きの雷光が走ったに違いない。それ自体を咎める正当な理由は実在と存在はしないが、時と場合を顧みない心の赴くままにとなれば話の趣向が様変わりする。

 彼が自らの悪癖に従って、その閃いた事をつらつらと考え、ノートに認めてしまえば咎められて然るべき。

 心ある指導者なら口を酸っぱくする事はあれども、まあ出される宿題が倍になる程度の罰ですむ。が、無能なる家庭教師だったのが運の尽き果てた事。

 金切声を付属させた癇癪を起こし、それがマティルダへフィッツジェラルド家の女中(メイド)の品性の乏しい口から耳打ちされた。

 普段から無い事、無い事、口汚い事を吐き捨てられている最中の出来事に、マティルダの怒りはついぞ、頂点へと達してしまう。


「もうっ!何でこんな事ばかりしているの!!」


 鞭で幾度も手を動かせなくなるる程に打ち据えられたエリオットの姿を見つけたとマティルダは、普段なら開口一番に出ていた筈であろう言葉をすっ飛ばして、いの一番にエリオットの行為を糾弾した。

 顔は血走る目に合わせる様に真っ赤に染めて、青筋の浮かばせた形相は赤鬼!?と気の弱々しい者なら恐ろしさから(すく)む威圧。角が生えていない事が辛うじて彼女を人間という枠組みに止めていた。


「…僕は……」

「僕はじゃないわ!貴方は!!そんな事が許される状況なの!?違うでしょ!」

「でも……」


 何か口を開こうものならば即座に、喉元を食いちぎってやると言わんばかりの怒声。手を埋め尽くす蚯蚓腫れに酷く響き渡るものだから、エリオットは平時よりもはるかに萎縮し怯えている。

 普段との落差は、特に良くエリオットを恐れさせてもいる。


「何でなの?何で、何で自分がバカにされているのに黙ろうとするの?嵐が去るのを毛布を被って隠れようとするの!?そんな事をしたって、立ち向かおうとしないと貴方は生涯臆病者って笑われ続けるだけなのよ!」

「……」


 俯き怯えるエリオットの姿は、まさに火にガソリンだ。油よりも質が悪いのは筆舌の必要も無く明らかで、ほんの僅かでも睨み返す度胸でもあればマティルダの怒りも…静まりはしないが押し黙るよりはマシになる。

 だがエリオットにはそんな気概は無く、ただただ黙る。まさに嵐が去るのをベットの上で毛布を被って震え願う子供だ。実際に子供という年齢ではあるが、状況が悪い。目の前で醜態を見せられたのだから、マティルダの怒りはより激しさを増す。

 さらにさらにで、騒ぎを聞きつけた呼んでも無いフィッツジェラルド家の女中(メイド)まで来たものだから、クスクスと耳障りな嘲笑も漏れ聞こ始め、彼女の怒りはより高まり、かつて地上に栄えていた古代の生物を滅ぼした大噴火の様相を見せ始める。

 哀れかなエリオット。

 女性のヒステリックは、一度でも勃発すれば留まる事の知らぬのだ。


「ねえ、黙ってばかりいないで答えて!答えてよ!何で頑張る事から逃げるの?何で挑もうとする事から逃げるの!?何で立ち向かおうとする事から逃げるの!?何で…」


 答えない、口を開かない、ただ押し黙って俯けばその内に嵐は過ぎ去りて静かになると、繰り返された何時もの延長だと高を括るエリオットの有様が、今日という今日は非常に都合が悪かった。

 気遣って口走らないようにしている事を、この場でも口走らない様に気を遣う心の余裕は都合の良い(残念な)事に、マティルダにはティースプーン一杯分も無かった。


「何で…こんな落書きをしても現実からは目を背けただけなのよ!」

「……っ!?」


 金切り声の、悲鳴とも感じられるマティルダの絞りだした一言は、エリオットにとっての踏み越えて欲しくない一線だった。


「僕だって!僕だって立ち向かってダメだったんだ!!」

「エ…エリオット?」


 俯きながらも絞りだした言葉の大きさに、マティルダは驚く。

 フフッ、当然だろうね。きっと今日この日までここまで彼が声を荒げる姿など、ついぞ見る機会は無かったのだろうから。

 肩を震わせるエリオットにマティルダは困惑の色に染まり、と同時に自分の口走った言葉の鋭さに考えが至ったのか、顔色は徐々に青くなっていく。やってしまった、という色合いだ。


「何度だって、何度だって!でもダメで…頑張ったんだ!頑張ってもダメだったんだ!!父さんも兄さんも、誰も!誰もが!僕の言葉を言い訳だって断じて!!」

「……」


 傍から眺める諸氏にはたかがその程度の一言だ。自分がノートに書き認める事を落書きと断じられた程度だが、エリオットという少年にはそれとマティルダのいる場所だけが唯一の居場所だった。

 そこがあるから耐え忍べたことだからこそ、否定されれば押し込めて溜め込んできた感情の堰が、途端に決壊するのは当然だ。


「落書きじゃない!これは!落書きじゃないんだッ!!


 マティルダを真っ直ぐ見据え返して広げられたノート。

 そこには無数の走り書きと絵が描かれて書き込まれていた。

 確かに落書きではない。分からぬ者には分からなくて当然だが、彼の描いた図面は良く計算尽くされたモノで、部品の一つ一つまで綿密に計算された設計図。いずれ戦車に辿り着く雛型、蒸気の力で駆動する鎧というまさにパワードスーツ。

 それを落書きと、心の拠り所としている相手に言われたエリオットの悲しみは、爆発して然るべき。何せ彼の周りにはマティルダ以外の味方は一人としていないのだから。


「君には、マティルダにも落書きにしか見えないんだね。君も、父さんと同じなんだね」

「違う!違うのエリオット!!私は…私は……」


 関係は明確に亀裂が入る。

 何時の間にやら呼んでもいないのに律儀にクレヴァリー氏が、意地悪にほくそ笑みながら達成感に満ちた眼差しで二人を見つめていた。さてさてさてこの辺りで質問!この辺まで予定調和の一幕として見守っていた私が、意気揚々と動いたらどうなるだろうね?

 上げ膳据え膳、を台無しにしてやったとリンゴを勧めた蛇の様にドヤ顔を決めているようだが、路線を敷いたのはそう!この()()()だ。

 そちらの女中(メイド)を真綿で首を絞める様に切り詰めて差しあげたのは、お忘れかな?この私だ。当然だが、数の少なくなった人手を効率的に動かそうとすれば選択肢は狭まる。

 低能を絵に描いたそのもののクレヴァリー氏を、路線に蹴落とすのは左程の頭脳を必要としなかった。後は雨を降らしてくれれば、ささっと地を固める下準備は済ませている。

 なので…。


「おいおいマティルダ。手を蚯蚓腫れ塗れにしている相手に怒鳴るのは良くないぜ?エリオットもさ、痛いなら痛いって言うべきだぜ?」


 ちゃぶ台返しの要領で、空気を読まないお節介による場の雰囲気を切り替え、だ。

 おかげで二人は揃って、仲良しこよしに「え???」という表情と疑問符を頭に取り付けて私を見る。何を言い出したんだ?と口にしてはいないが表情からは伺える。


「大切なお話は、頭に血を昇らせながらやるもんじゃないぜ?お互いにそれぞれ、一旦小休憩にしよう。昼食の時間も差し迫っているしね…どうだい?ミス・ソラーズ」

「はい、準備は終えて万端ですが…一息を付けてからの方がよろしいかと。さあお二人とも、それぞれの部屋へ」


 提案をしてからの返答待ちなどはせずに指をパチン、と鳴らせばサッとミス・ソラーズが現れて、後に賓客を遇するのに必要だからと最近寄こしてもらった客間女中(パーラーメイド)に二人を、それぞれの部屋へ移送するように指示を出す。

 迅速かつ的確な、逐一余計に余計な余計過ぎる行動をやって見せるクレヴァリー氏の横槍を入れる間も与えない動きの客間女中(パーラーメイド)達。ただ、状況の変化に対応しきれないマティルダは「まだ話がっ!」と食い下がっていた。

 なのできっちりとどめを刺しておく。


「ねえ、マティルダ」

「カーラ!話はまだ―――」

「エリオットが自分の思い通りに生きようとしないからと癇癪を起すのは、がみがみ女の所作…惨めだぜ?」

「私は!?私は…私は……」


 そんなつもりは微塵も無い、と言いたかったのだろうがマティルダは続けられなかった。

 フフッ、どうやら理解したようだ。そうさ、もしもエリオットは最初から逃げ続けるような玉無しなら、今日の時点よりもずっと以前の別の日に逃げている。分かり辛いだけで彼は、現実に立ち向かってはいたのだ。

 エリオットを守りたいと語った彼女の今まで行為は、ただ他と同じように生き方を押し付けていただけ、まさにエリオットを一人の人格を持った人間と扱わぬ所業だったこれは変えようのない積み重ねてきた事実。

 と私の一言でマティルダは痛感し、それ以上は話す事はせず促されるままに部屋を後にする。


「合宿は…中止ですかな」

「フフン」


 二人の後姿を見送りながら、茶々を入れられたが勝利の確信を胸に抱いたクレヴァリー氏に、意味ありげな微笑みを送った私はちょっと用事を済ませてからまずエリオットのいる部屋へと向かった。

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