一章【三度の生は慟哭と共に<Ⅰ>】
――――――――…、目が眩んだ。
何日も目を開けていなかったのか、一瞬自分の目が潰れてしまったと思うくらい、実際はそこまで明るくは無いのに、酷く明るく感じた。そしてまず最初に思う疑問はただ一つ。
私は誰?
ジェイン?
時雄?
違う、私は私だ。
時雄でジェインでもある、が、私は私だ。
二人の記憶と感情は確かにある、いやあった、だ。
今は…――――で、分からない。
二人はいる、けど二人は二人じゃない。
一つ。
私はどうしてここに、ここは、一体どこ?
薄汚れた天井とほのかに漂う埃臭さは、何年も使われていない部屋を、大急ぎで片づけて掃除したという事実を表し、カーテンの閉め切られた窓から漏れ込む光で照らされる室内にはベッドが、私の寝ている分を含めて四つ。
ここは…ジェインの、最後の記憶が確かなら病室だ。
ダメだ、ベッドに寝たままだと正確な情報が掴めない。
とにかく立ち―――――、
「っ!?」
痛い!?
何で!
意識がはっきりとするに比例して、痛みもはっきりとして来た。
意識がはっきりとしたついでに私の鎖骨下付近に何か刺さって、そこからチューブが伸びているのが分かった。刺さっているのは針?それにチューブはそぐ隣にある、必要性の感じられない何かの部品を、複雑に取り付けられた何かの装置に続いている。
あれ?……そうか時雄は初見だがジェインは見たことがある。
点滴装置だ。
ならここは病室で間違いはない。
そんな物と繋がっている状態で起きようとしたから、痛みを感じたのか…いや、違う、足りない。本来あるべき感覚が四つ程、全く感じられない。
さっきから顔にむず痒さがあり掻こうとしているのに、一向に手が顔に触れない。視界に腕が映らない、何より何も感じない。
足もだ。
『ありゃりゃ取れちゃった!接着剤あるかな?それともガムテ…まあいいか!取りあえずはいこれジェインのもげたての腕!腕!腕!』
あ、そうだった。
私の腕は、千切れたのだった。
「あ…ああ……いやむぐっ!?」
「黙れ、もしくは嘆くな騒ぐな泣き叫ぶな」
誰!?
その手で私の口を塞ぎ、その眼で私を見下ろす。
老齢そうな、年若そうな、幼い顔立ちの狂気を孕んだ相貌の女性は誰!?
「いいか、よく聞け。もしくは清聴しろ。全てを話すのはお前次第、この手を退けた後に泣き叫ぼうものなら、ご褒美にこの瓶の中身を食べさせてあげよう」
何て…目をする人。
あの瞳に映る私はきっと、今から解剖する鮒と同じでしかない。
ただそれが人の形をしているのか、魚の形をしているのか、その程度の違いでしかない。そういう風に人を見る目をしている。
「イヒヒヒッ!この薬瓶の中身は何だと思う。飴玉かな?もしくは錠菓かな?残念だが私はガキの好む菓子など常備はしない主義でね。つまり安楽死に使う薬だ、飲めば眠るように死ねるぞ?」
本気だ。
私が少しでも癇に障る行いをすれば即座にあの瓶の中身を取り出し、どのような抵抗を図ってもその一切を排して、私の口にあれをねじ込む。
口を塞ぐなら顎を砕き、歯を食いしばったのならすべてをへし折ってでも!
落ち着くのだ私、何時もの事だろ?
人生のどん底がさらに更新されただけ!
「さあそれじゃあ手を放すから、ご褒美が欲しかったら泣き叫ぶと良い」
「ふふっ、その心配はないぜ、おかげでだいぶ冷静になれた。そう人生のどん底が更新されただけ、いささか予想を遥かに超える事態に、戸惑いを隠せないというのが本心ではあるがね」
「……物分かりが良過ぎる。牧歌のような顔立ちの割に聡いのか?まあいい、その方がこちらも楽だ。さて状況を説明する前に自己紹介をしよう、私はヴィクター・ウルストンクラフト・ゴドウィン、もしくはお前の手足をぶった切ったヴィクター博士だ」
ヴィクター・ウルストンクラフト・ゴドウィン?
ヴィクター・ウルストンクラフト・ゴドウィン!?
天才外科医にして医学会の異端児。かの有名な小説『フランケンシュタインの怪物』に出てくる、ヴィクター・フランケンシュタインを基にしたキャラクターで、今は確か…生命工学の権威として魔工義肢の研究を行っている。
と、裏設定資料集にそう書いてあったヴィクター・ウルストンクラフト・ゴドウィン!?
「つまり貴女は…ヴィクトリア・フランケンシュタイン博士という事なのか?」
バカな!いやその前。
とても、とても今更の疑問だ。
私は時雄だった、そしてジェインでもあった。
ジェインとは、ジェイン・メイヤーの事。
つまり私は冤罪令嬢のジェイン・メイヤー!
私はゲームの世界にいるという事なのか!?
「そんなば――――」
「……聡明そうなクソガキ、私はガキを解剖する趣味は無い、もしくはそういった趣向を持ち合わせていないから忠告をしてやる。次に私をヴィクトリアか、フランケンシュタインと呼んだら。ホルマリン漬けにして蚤の市に売り出すからそのつもりでいろ」
ペンキをべったりと塗ったような満面な笑みを浮かべて、そう口にしたヴィクター博士の目は、もちろんまるで笑っていない。幼さの残す顔立ちが、より一層の恐怖を演出して、自分の迂闊さを私は心底痛感している。
「ふふっ、これは失礼、どうにも自分自身の状況が奇妙で奇天烈なものでね。悪気は無いんだ、本当だぜ?」
「ヴィクター・ウルストンクラフト・ゴドウィン。次は無いぞクソガキ、ヴィクターもしくは博士と呼べ」
「肝に銘じるよヴィクター博士」
首筋に当てられたメスのおかげで、意識がはっきりとして来た、そして思い出した。
そう言えば裏設定資料集には本名を忌み名として呼ばれる事を何よりも嫌い、下手に機嫌の悪い時に言えば、容赦の無い制裁を加えるという設定があった!
あと意識がはっきりとして行くに連れて、痛みもはっきりとしてきた。
「さて、以前より少しお利口になったクソガキ、容態の説明だ。お前は三日三晩昏睡状態だった、手足は処置不能だった、全てがズタズタ、腸詰の中身と同義だったから壊死する前に切り落とした。腕は肩の付け根から、足は膝の付け根から少し上、つまりマトリューシカもしくはダルマという状態だ。ダルマは分かるか?」
「ああ、分かるとも」
「次に意識が戻ったのなら点滴針を抜く。暴れたら針を縦横無尽に動かす、もしくはそのまま押し込む。暴れるなよ?」
ゆっくりと鎖骨下に刺さっている物をヴィクター博士は引き抜いて行く、最後の抜ける瞬間に鋭い痛みが走り、思わず私は顔をしかめてしまう。
それで分かった事だが顔にも違和感がある。
顔をしかめた瞬間に痛みがあったからだ。
「それと補足だが、飛び散った旅行鞄の中身が体中に突き刺さっていた。取り出し縫合はした、一番酷いのは顔だ。大小の縫い傷…、鼻筋から左の頬へかけて、一直線に切り傷が一番酷い。かなり深かったから、覚悟はしておくように」
一瞬だけ、言い辛そうに言葉に詰まってから、ヴィクター博士は残りの様態を説明した。
顔中に大小の縫い傷、あげくに人が気にしている低い鼻の筋から…ここまでこっ酷い様になってたなんて、
「あははは!もう笑うしかないね!」
「煩いぞクソガキ、もしくは黙ってこの鎮痛剤を飲んで寝ろ」
「鎮痛剤?ヴィクター博士はさっき安楽死用の薬だと……」
「ん?嘘だが、もしくはお茶目な冗談だ」
ヴィクター博士は瓶から赤色の錠剤を取り出しながら、何を当然の質問をしてきているのか?という視線を送って来る。
普通に考えれば何か得体の知れない大きな力に触れて、前世と混じり合う感覚に襲われ、今の自分が何者なのかも定かではない状況で、冷静な判断は出来ない。例えラベルに何か書いてあっても、医療知識の乏しいこの身には、薬品の名前など分かるはずもない。
料理の知識の乏しい人がエクストラ・ヴァージンオリーブオイルとは何か?と尋ねても即答できる筈もないように。
「まあいい、おい馬鹿弟子!さっさと入って来い!もしくは小児性愛者だと告解したいなら、自らの師の手を煩わせると良い」
「師匠!誤解を招くような言い方をしないでください!入らないのではなく入れない!両手が塞がっているんですよ!」
「おやそうだったか、まったく世話の焼ける馬鹿弟子だ」
弟子?弟子と言ったのか?
そんなバカな!裏設定資料集にはヴィクター博士に弟子がいるという記述は無かった。逆に気難しい性格が災いして、弟子はおろか友人もいないと明記されて、
「君!意識が戻ったんだね!」