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六章【彼氏彼女と狂言廻し<Ⅸ>】

「あれ?」

「どうしたんだい?急に立ち止まられると、後ろに人がいた場合は衝突事故だぞ」

「さっきすれ違った…背の高い女中(メイド)さん……会った事ある筈……」

「当然だろう、ある筈がないじゃないか。今日この日に本邸から呼んだんだ、会った前例がある方がどうかしている」


 などと、お茶の時間を終えて次の日程へと向かう一時の間に、ふとすれ違った女中(メイド)に妙な既視感を覚えさせられたマティルダの疑問を、即決で否定する事で私は彼女の注意を逸らす。

 何の為に?もっぱら醜聞から目を逸らす為だ。

 手癖の悪さを多少なれど目を瞑ろうと思った私の思いやりは、この日までに起こった出来事が金やすりの如く削り取った物だから、地平線の先まで真っ平。

 フィッツジェラルド家の知りたくもない階下の日常を、この場で再現されたからには早々に追い出すのが道理。

 付属するクレヴァリー氏の抗議は請求書の金額を目にさせて封じ込め。本邸から人をドバドバと送ってもらい、追い出した者達の後始末に奔走してもらっている最中。

 すれ違った背の高い女中(メイド)も今の所は後始末に奔走してもらっている。

 という一連の出来事を、客人の目に端でも捉えられては接待役としては恥であり、上流階級とは見栄を張って見栄の為に身命を懸ける生き物。なのでさらりと話題を打ち切らせて、そうそうに別の話題へと挿げ替える。

 まだまだサプライズは準備中だしね。


「明日のお茶会にはヘルヴェティアチョコレートを用意するんだが、口が良く煮込んだシチューの様に蕩けて、至福の時間を過ごせると予告しておこう」

「その具体性は…食べたからなの?」


 お互い、上流階級の舌に馴染み深い味は縁遠いと言えば、質の悪い見栄っ張りと鼻で笑われる者同士。私が真剣な声色で味を述べれば、その言葉が想像からなのか?それとも実際に舌で味わってからなのか?をマティルダは尋ね…。


「勿体ない、と、欠片にも気を払って」

「ゴクリ……」


 実際に舌で堪能したと私が断言すれば、今にも涎を垂らしていそうな反応がマティルダから返ってくる。いくら婚約者が上流階級でも最上位に分類されようが、マティルダ自身は中流階級。

 日常的に口にする味は、労働者階級よりも上等だとしてもエリオットにしてみれば粗食扱いで、ましてや高級チョコレートの代名詞たるヘルヴェティアチョコレートなど、何かの大いに記念すべき日にチョッピリでも口に出来れば我が人生に悔いは無し。

 だからこそのこの反応。

 私もイーストウッド夫人から何気なしに給されたチョコレートの美味さに感激し、ヘルヴェティアチョコレートだと聞かされて卒倒しかけた。


「それじゃあ私はこれにて、この後も励み過ぎてそちらの家庭教師を圧倒し過ぎるんじゃないぜ?」

「大丈夫よ!今日はちゃんと箇条書きにして後日に教えてもらう事にしているから!」


 全然大丈夫な気が微塵も塵芥も感じられないんだが?

 意気揚々と午後の日程に戻っていくマティルダの背に、私はバスケットを片手にそう投げかけ次なる目的とする地へと足を運ぶ。

 途中で、マティルダと私が分かれるのを待ち侘びていたフィッツジェラルド家の女中(メイド)とすれ違った事は横目にして。

 


♦♦♦♦


 

 目的とする地は、取り合えず見栄えの必要性から用立てた使われる予定の無かった部屋。私という人間は残念な事だと吐露するが、音楽に関する才能は壊滅的で、何度か義肢のリハビリを兼ねて挑戦を繰り返したが、楽器の為に諦めるしかなかった。

 なので私自身が使う予定は未来永劫に渡ってないのだが、一人の客人だけはその部屋を誰よりも必要としていたので、何かと異論を口にしなければ息も出来ないクレヴァリー氏の反対を「文武両道が貴族の嗜みでは?」と黙らせて使わせている。

 客人とは?聞かなくとも、言われなくとも分かる通りにエリオットだ。

 彼は音楽に関する才能も数学と同様に抜きんでた光り輝き、近付くにつれて聴こえる明確に芸術としての音色は、交響楽団に名を連ねて然るべき腕前。

 なお本日はバイオリンらしい。

 部屋に入れば、熱中し真剣な面持ちでバイオリンと対話し、その楽器が持つ本質を理解して十全に実力を発揮させる姿は、普段の子犬の様な可愛らしさは薄れ、凛々しい一人の美少年である。

 恋に多感な乙女なら時めきを感じずにはいられない光景だ。マティルダがいたら目にハートを浮かべていたかもしれない。私は?私は別段何も、ああいう顔も出来るのだと感心はするが。


「…ふぅ」

「物憂げな溜息…何か楽器に不備でもあったかな?手入れは専門とする使用人が心血を注いでいるんだけどね?」

「うひょわぁっ!?カーラ!」


 おいおい、拍手と喝さいを送る人様に気付くなり驚くとは、余程に集中していたか?私を見ると無条件で驚く様に、パブロフの犬の様に習性化されているのか?見た目の子犬っぽさで後者だと言いたいが、普通に集中していたのだろう。


「フフッ、楽器類の管理について失礼ながら、そちらの使用人には一切関与させていなかったんだけどね」

「違うよ、ただたんにずっと触っていなかったから、思った通りに音を出させてあげれなくて、それでちょっと……」


 憂鬱な気分になってしまったのか。

 マティルダの語った事が真実ならば信じられぬ事に、エリオットがバイオリンやピアノといった楽器と親しむのを、フィッツジェラルド伯はとっても嫌がっているらしい。どういう理由なのかは、伯本人を締め上げるしか知り様は無いが、教養という側面から奨励されるべき事なのは事実だ。

 ましてやエリオットの才知は、音楽という方面でも秀でていると喜ぶべき事でもある。


「なら時間の許す限りで思う存分に楽しめばいいさ。望みがあるなら私の権限の許されている範囲で、揃えてしんぜよう」


 その一言でエリオットの目はぱあッと輝きに満ちる。抑圧されてきた弾きたい、という衝動を余す事無く開放する事が出来る。その喜びに満ちた輝きだ。


「ありがとう、でも満ち足りているんだ。僕がこの部屋に入れば、誰も近づかない様に君が手を回してくれたおかげで、盗人の様に顔色を隠れ回る必要も無くなったし……」

「フフッ、それは良かった。なら一息を入れるのはどうだい?ジャムタルトを用意しているんだ」


 私は手近のテーブルへ、片手に持っていたバスケットを置く。

 中には紅茶の入ったホーローの魔法瓶と、厚みのある丈夫なティーカップ。そして主賓たるジャムタルト。二人分だ…あ、今太るだろう?と思った諸氏には、計算の上で食事量の配分と、適当な運動をしっかりと組み込んでいると通達しておこう。


「さあ座りなよ、立って談笑しつつ嗜む。男児にとっては粋だろうが、お相手が女性なら座るのが作法だ」

「その、こういうと失礼だと分かっているんだけど……カーラと話していると、男友達と話して感じがして…ごめん!こういう感想を女の子を相手に言うのは…失礼…だよね……」

「…気に病む必要はないさ。男の中で切磋琢磨したからだろうね、汗臭さが移ったんだろう」


 私はさっさと用意してエリオットに着席を促し、意外にも人を見抜く目を持っていたと感じさせる一言に、僅かに動揺しつつティーカップへ紅茶を注ぐ。

 心に余裕させあれば、エリオットという少年は実に利発的だ。感付かれぬ様に気配りを怠らぬ様にしないとね。


「にしてもだ、数学は軽やかに段飛ばしをしていると驚嘆させられたのに、音楽という面でもここまでの腕前だったとはね。将来は音楽大学へ留学も視野に入れているのかい?」

「それはただの趣味。僕は楽器一つ一つの個性を数値化して、適切な方法で取り扱っているだけ。本物の音楽家の、彼等の感覚には遠く及ばないよ」

「謙遜するなよ…という訳でもないらしいね」

「兄さん…ええと、ジェイコブ兄さんだけど、あの人は触っただけで楽器を知り尽くし全能を発揮させる。あの音色を一度でも聞けば、僕は凄い!なんてとても胸を張れないよ」


 エリオットのそれが計算の積み重ねをした秀才としての結果だとしたら、義兄ジェイコブはまさに天賦の才、というモノらしい。まあ、世の中の多くが天より授かる事は稀の稀。大多数がエリオットと同じ積み重ねた努力の成果だ。

 されども本人はその選択肢を選ばないという事に、何の未練も感じさせずサッパリとした表情だ。

 ならば外野席がとやかく言って掘り起こす必要は不必要で、話題選びの作法がなっていないと戒められるので次へ。


「ああそういえば、小言になるが。あまり授業中に関係のない事を紙に書くもんじゃないぜ?付け入る隙を菓子折りつけて与えるだけだ」

「それは…その……」

「止めたいけど止めらない、か?分かるぜ、だが分からぬ者には喧嘩を売ると同義だ。相手が古き悪しき時代の慣習を、忘れられない低能なら尚更の事だ」


 エリオットを担当する家庭教師は、既に効果の無いどころか逆効果でしかないと、多くの教育者が実体験から警鐘を鳴らしている古典的な方法で、エリオットの教鞭を取っている。

 つまり体罰による教育だ。

 以前ならば子供の持つ落ち着きの無さを戒め、自らを律して成長させる最良の教育方法だと奨励されていた。だが実際には自主性を奪うだけで、下手をすると大人になって子供を虐待死させる効能すら含んでいる。

 法律によって規制はそこまで進んでいないが、教育の場では己の力不足を露呈させる行為でしかないと、改革の波が吹き荒れている。


「だけど…閃いた事を後で書き留めようとしたら、その瞬間とは違う内容になっているから、出来るだけその場で書き留めておきたいんだ」

「成績が伴っていなければ、叱りつけるところなんだけどね」


 それどころか非の打ちどころのない高成績を収めているので質がちょっぴり悪い。しかしこちらの都合には悪くはない。

 この後は、エリオットから聞き出したい事をさり気無く、ティースプーン二杯分のさり気無さで聞き出してから、お開きとなりそろそろ頃合いだと私は結論付ける。

 いや、サプライズはまだまだ先だ。

 その前の、二人にしておくべき下ごしらえは頃合いだという意味で頃合いだ。

 早速、翌日にはけしかけるか…と、こちらが通行止めの立て看板を用意し始める必要も無く、さも棚からマカロンの様に、好き勝手に焦ってくれたあちら側が丁度良いハプニングを引き起こしてくれた。

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