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六章【彼氏彼女と狂言廻し<Ⅵ>】

 ここで今日から始まる合宿の日程に関しての説明だ。

 重苦しい空気だけに軽やかに説明してしんぜよう。

 とはいえそれ程に凝り凝りに凝った内容ではない。あくまでマティルダに上級階級の礼儀作法、つまりエチケットを授けるのが主だった目的という前書きがある。古くから「マナーが人を作る」という格言と、エチケットは上流階級の通行手形という事実がある。

 いずれは社交界へと足を踏み入れるマティルダが、覚えておくのは必要最低事項だから合宿してまで淑女教育を施すのは…一理は無いが必要ではある。

 なので彼女の日程は幾つかの小休憩と昼の休憩を挟んで午前と午後に渡って行われる。

 対してエリオットは?

 彼は生まれも育ちも上流階級の中でも上位のお坊ちゃま。礼儀作法は自然体の内なので合宿を必要としていない。ただし学業に関して、成績の上下に差が開きすぎているとうい事から、徹底して朝から晩まで監視されながらのお勉強。

 そして婚約者同士が過ごす時間なのだけども…部屋が男女別は当然と流せるが食事の時間や小休憩、夜の僅かな就寝を控える間だけしか、語り合う時間が用意されていない。

 さらに付け加えると部屋の位置が館の一番端と一番端という配置で、すれ違う二人にそう易々と深く掘り進む溝を埋める時間を与えぬ心配り。

 かれこれ5日間、この調子で今はおやつ時を目前に控える時刻。


「二人が抱える課題に逼迫した緊急性を帯びてしまっているなら、語らい後回し!は納得の対応なんだけど、実際はどうなんだい?ミスター・ブリストル」

「実際は良く出来ていますよ。ストレンジ嬢は勤勉家の様で、家庭教師を圧する質問の波状攻撃。見ていて僕なら教え甲斐があると喜びつつ、彼女の習熟度合いに喜ぶ次第」


 工房のマナーハウスの書斎で、決裁をせねばならぬ書類の束と戯れつつも、ブラッドレイ家の男性使用人をこの場にて総括する従僕(フットマン)のレイ・ブリストルから客人の様子を報告させつつ、私は気になる点を指摘する。


「その言い含みだと教える側の日頃の情熱不足と、マティルダの淑女としての成熟は実戦の場へと至っている、そう捉えてしまうのだけど?」

「実際に彼女に今更の淑女教育は余計かと。実戦の場での洗練し熟成させる段で、不要な教えは蛇足であり悪い癖もつきます。大らかに見守りその都度で助言すべきだと思う次第」


 フフッ、合宿を開く以前に開いたクレヴァリー氏との打ち合わせで組み立てた憶測は、次の報告で確信へと至れそうだ。


「エリオット様に関しては…確かに出来る出来ないの差はありますね。数学などの理系は天高く雲上、文系などは高く頂きモンブラン。差を感じるのなら感じられる差はありますね」

「それとっても優秀の一言で十二分なんじゃなのかい?」

「むしろ自分の息子なら誇らしく、得意な分野はどんどん極めなさいと背中を押します。ただ…周囲の使用人は努めて耳元で卑下する言葉を囁き、ストレンジ嬢は使用人を伝う形で噓八百を吹き込まれていす。見ていると実に不愉快に思う次第で」


 総論は、二人に今更の合宿は必要ない。

 つまりこの合宿は二人の仲を引き裂きたいという思惑で、クレヴァリー氏の後ろにいる何者かが仕立て舞台だ。

 近くでやればマティルダの才媛っぷりも、エリオットの優秀っぷりも響き渡って、二人の仲を取り持とうとする心善き者が間に割って入る。フィッツジェラルド伯が、ブラッドレイ卿に頼んで始まった合宿だが、これは彼の思惑か?

 まあそこは推理する情報に乏しいので棚の上にあげて後回し、私が今可及的速やかにすべきは別の事柄だ。


「さて、書類仕事も終わった事だし、ちょっとお茶にしゃれ込んでくるよ」

「おや?僕はてっきり糸を垂らして人形劇にでも興じるのかと」

「黒幕かい?それはおもしろい、だけど私の趣味じゃないんだ。私はね、舞台で踊る方が好きだ。何もかも、その舞台を作り上げた者達の思惑をしっちゃかめっちゃか引っ掻き回して踊り尽くすのが何よりも好きなんだ。観覧席なんてごめんこうむるぜ?」

「そうですか、ではいってらっしゃいませ」


 私はミスター・ブリストルに見送られながら二人が、どうせ一方的な口論に興じている談話室へと足を運ぶ。



♦♦♦♦



 陽だまりの心地よい一室へと足を運べば、そこには口論に興じるカップルが…いや一方的にマティルダがエリオットへ言葉を投げつけている、が正解だ。


「もうっ!?言いたい事があるんだから口籠らずにはっきりと言う!そんな調子で黙るから一方的に言われるがままなのよ!」

「…だけど……僕は……」

「はっきり!」


 内向的な性格というのは主に言えば些細に激昂する親、その他の大人と年長者が悪化させるものだが、この場ではマティルダの在り方がエリオットをさらに内側へと篭らせてしまっている。

 俯く姿は既に限界の一線で何とか踏みとどまっている、そう感じさせる痛々しい姿だが一方的に言う側のマティルダの表情は怒りよりも焦りの色合いが強く浮き出ている。

 エリオットがいかに情けないかを、脚色9割で聞かされた上で、既に婚約破棄も間近という現状で周りを見渡す余裕がないんだろうね。目の前で今にもへし折ってしまいそうなエリオットがまるで見えていない。

 これならチョロオットというあだ名をつけられてしまうのも納得。だが今折れてしまうのは、私としては望ましくない。なのでちょっとしたお節介を一つ。


「こんな長閑なおやつ時に喧嘩なんて、犬でもごめんだと踵を返すぜ?」

「貴女は…確かカーラさん。別に、喧嘩している訳じゃ…」

「フフッ、だったのなら親しみを込めてカーラと、敬称は不要だ」


 二人の間に、空気を読まぬ不躾者という体で割って入ると、喋る勢いのままに口を開いたマティルダの言葉を無視して、私は私の要求を口にする。

 思わぬ来訪者の一本調子に面を食らい、昇り詰めていた頭の血も一気に下方へと流れれたマティルダは、表情から怒りが消えて…。


「それじゃあ私もマティルダで良いわ。さん、づけって何だか苦手だし」

「良いね、それではよろしくマティルダ。それとエリオットも同じで良いかな?」

「え?…うん、僕もそっちが良い」


 年相応の女の子の表情で言葉を返し、マティルダの調子に釣られたエリオットも私の言葉に顔を上げてちょっと遅れてはっきりと返す。すると空気は実に少年少女が集うに相応しい軽やかになった。

 この調子で今度は陽だまりの温かさも持ち込んでしまおう。


「にしても…まるで手が進んでいないが舌に合わなかったかな?今日はサマープディングを用意したんだ」

「そ、そんな事無いわ!とっても―――」

「二人仲良く揃ってまだ一口すら運んでいないのに?」

「だって、マティルダが……」

「うっ…私だって本当はすごく食べたい!だけどその前に、今くらいしか話す時間がないから……」


 慌ててうっかり勇み足に口を開いてしまったマティルダに、さっと一口目すら運んでいない事を指摘する。ちょっぴり意地悪な行為だが、固まり切った場の空気を解すには、辱めない程度に墓穴を掘らせるのが良い塩加減となる。


「では今食べよう!私も甘い物が恋しくてね。ずっと椅子に座って書類と戯れると、脳が糖分を与えねば動かぬとストライキを起こすんだ。それに今日のも力作なんだ」


 

 その流れに乗りながら図々しく恋人たちの間に入りつつ、私は各々の取り皿にサマープディングを切り分ける。

 鮮やかなる複雑で多様なベリーを混ぜ合わせた色合いのサマープディング。時間が経ってちょっぴり古くなったパンを使ったお菓子。

 夏に旬を迎える甘酸っぱいベリーを砂糖で煮込んで、件の古くなったパンをプディング型にみっちりと敷き詰めて、そこへ更に更に煮込んだベリー類までも詰め込み、一晩冷やして作るお菓子だ。

 頬張れば口の中を駆け巡るベリー!ベリー!ベッリーッ!!という味わいは、甘酸っぱさを愛する者なら誰もが心躍る夏の定番。

 なので先程までの喧騒も、流れに身を任せて一口食べれば…。


「「美味しい!」」


 たちまち笑顔に早変わり。

 子供は何時だって甘いお菓子で、ご機嫌が斜めから上々になるのが道理。喧嘩も甘いお菓子の一撃で大方がどうでもよくなる。


「それはよかった。昨日、大量に色とりどりの果物が届いてね。他にもドライデーツもあったから、明日はそれを使ったお菓子を用意するつもりなんだが…何か食べたいお菓子があったらご期待に応えるぜ?フフン、これでも一通りは指南されているからね」

「え!?これ…カーラが作ったの?私てっきり料理人(コック)の人が作った物だと思ったわ!」

「雑役女中にも負けぬ、と図に乗って自負する程度には各種技能を叩きこまれていてね。その気になればディナーを用立てる事だって出来るんだ」


 目を見開いて驚くマティルダに、まさに天狗鼻で私は自慢をして胸を張る。

 シスター・ヴェロニカの指導の下で、私は多種多様な技能を身に着けた。以前の腐っていたが中流家庭の割と一般的な出来ない事の多い令嬢から、掃除洗濯炊事まで多岐に渡ってやって見せる乙女へと私は進化した。

 フェアリーケーキだって私が作ったんだ。

 それとエリオットは予想外過ぎたのか目を丸くしている。


「驚いた…機械義肢は字を書くのも偉業と褒め称えられる有様なのに、君は料理を、それもこんなにも美味しいお菓子を作る。凄い!ねえ!その義肢を作った人に会ってみたいんだけど、紹介してもらえるかな?」

「もう!エリオット!話す時は汚くしない様に、口の中の物をちゃんと飲み込んでから!」

「うわっ!?ごめんさない!」


 目を丸くしていたのはマティルダとは別の意味合いでの驚きからだったらしいエリオット、予定調和と興奮してからのマティルダの静止。空気の和み具合も良い感じ…なのだが、二人の空気がここまで和むと、読まなくてもよい空気を読んだ…。


「失礼、既に休憩の時間は過ぎています。ただちに雑談はお止めください」


 クレヴァリー氏(お邪魔虫)が現れる。しかもノックもせずに扉を開いてだ。

 本当に失礼だ。


「これはこれはクレヴァリー氏、見ての通りにまだお菓子は三口を食べ始める頃だ。二人がせめて皿に盛りつけた分を食べ終える姿を、温かく見守るのが大人の役割じゃないのかい?」

「気を緩め、弛んだ心を締めなおすのも大人の役割ですが…子供には分かり難い事でしょう」


 フフッ、緩むと和むの区別が混同するとは、クレヴァリー氏は実に人生経験が浅はかな様だ。いや、彼と彼の後ろにいる者の企みに沿う形なら、しっかりと空気を読んで機会を選んだともいえる。

 楽しい時間は戸を叩かぬ不躾の来訪で、途端に苦痛な時間へと転じる。

 まあ、させないけどね。


「朝から晩を過ぎて夜遅くまで励め、と今日まで頑張った二人だぜ?なら労いと憩いを提供する、頑張る君達を応援する、それやってるかい?大人なんだから」

「……その様な緩みを今まで許してきたからの今日の醜態。鞭打つ事への躊躇いは、彼等の為にならないと、当方は言っています」


 あくまで二人の為を思った善意、と主張するクレヴァリー氏。それが善意でアイシングした悪意でなかったのなら、一考する気もあったが丸わかりの悪意。疲労に次ぐ疲労と、耳に届けられる悪意で、二人を追い詰め抜くのが見え見えだ。

 ならこちらは愉快に悪意でデコレーションを施した善意をお披露目しよう。主に陰湿を働く無頼の輩用への。


「その結果は出ている様にはまるで、一つまみも見えていないのだけど?」

「何ですと……?」

「だからさあ、この5日という時間をかけた結果が鞭に打たれて疲れ果てた、気分は曇り空の二人、こいつは黙っていられないぜ?と私は言っているんだ。ブラッドレイ卿から二人が心身共に健やかに過ごせる様に、打てる手は全て尽くせ、と私は仰せつかっているんだ」

「なぬ…な……」


 ブラッドレイ卿の名前がひょっこりと顔を出した瞬間の、クレヴァリー氏の顔の引き攣り様は実にコミカルで分かり易い。大人が上から圧をかければ、スポンジ生地と同じ要領で潰せると高を括っていた大人の無様顔だ。

 大概の子供にはそれで口を閉ざせるが、私には無意味だ。


「私はね、今回の接待役を一任された。つまりこの場の労は私の職責であり、私の意見を最大限に汲み取り、日程に変更を加えるのはそちらの義務だ。上の人間の言う事が聞けぬのなら、フィッツジェラルド家に苦情を囁くまでだ」

「…ぐぬぅ……しばし待った後、再開が出来るか確認に赴きます」

「ああ、最初からそうしてくれ」


 ぽか~んとする二人にお茶のお代わりを淹れつつ、私はと負け犬でも、もう少し勇敢に遠吠えをするぜ?と鼻で笑っちまいそうな捨て台詞を吐いて、ティールームから出ていくクレヴァリー氏を見送る。

 この後、ゆっったりと時間を過ごしながらサマープディングを食べ終えた二人は、それぞれの日程へと戻っていった。

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