六章【彼氏彼女と狂言廻し<Ⅲ>】
気分を上々にしたからと言えども、しなければならない下準備を怠れば、後に万事を尽くしても惨憺たる味わいの料理が出来上がる。つまり7月の終わりより始まる合宿を行うに当たって、双方で潰せる不測の事態を予め潰していく作業。
端的に事前の打合せ、だ。
ヴィクター博士の工房を隠す為だけとなっているマナーハウス…長々とした寿限無寿限無のようで、舌を噛み千切ってしまいそうなので工房のマナーハウスと略してしまおう。
その工房のマナーハウスの応接室に集うのは双方の家から二人。
ブラッドレイ家からは当然、今回の重いとは言えないが重要な責を担うのは私だ。
「…はぁ~……」
フィッツジェラルド家からは長い沈黙を破り開口一番に、挨拶でもなかければ社交辞令も口にせず、不躾に溜息を私へ投げつけた僅かに枯れ始めが見え隠れする中年の男。
事前に名前と身分を聞き及んでいるが、その不作法はとてもその役職を任じられる者の所作でもないし、何よりも品行方正を求められる界隈の男としても落第点といえる。
そんな、テーブルを挟みソファーに腰掛け只今ご対面中の男の名は、ダンカン・クレヴァリー。フィッツジェラルド家の副執事の一人。
「4月の初めの日なら笑いをもって受け答えますが、はぁ~…ブラッドレイ氏やご婦人は何処へ?またはそちらの執事、家政婦は?」
「残念だがブラッドレイ卿も夫人もこんな些末事に精を出すほどに余暇を持て余してはいない。執事も家政婦もまた同様だ。今回の合宿に際していずれはその要職を任じられる為に精を出す従僕と家女中は使わされているがね」
「ではそちらの方と変更を」
フフッ、睨みつければ相手が怯むとでも思っている顔だ。ただし睨むのならば相応の顔立ちが求められる。そうでなければ物笑いの種だ。してこの中年のクレヴァリー氏といえば残念にも程遠い。
声を低くしても地声の調子の高さからあまり、チワワの囀りにも劣る。
「残念だがどちらも私が総括する事になっていてね。そんな私がここにいるのなら充分過ぎる対応だろう?それにだ、そちらの君は上等な、ブラッドレイ卿が歓待するに値するのかい?」
「っ……ええまあ。そうであるのなら仕方ありませんが、こちらは子供への対応は業務外ですので、甘い物言いは期待しないでください」
「フフッ、逆に子ども扱いは無礼さ。こちらも一人の重責を担う者としてソファー腰かけているんだ。大人として扱うのが礼儀、作法さ」
まあそんな由無し事は口にしないのが大人の紳士たる振る舞いだが、世の中には年齢を重ねるを、階段を踏みしめて高みへ上がるでもなく、本棚に知識という蔵書を増やしていくでもなく。
窓枠に積もる塵芥のように無意味な積み重ねをしてきた者もいる。
この男はそんな一例だと思え至れば、フフン、私はこれでも大人な乙女だ。
大人の形を縁取り下だけの子供を相手にしても、平手数発で黙らせるなんて無能を晒したりはしない。感情的に口を動かさず優しく大人の対応をして差し上げるだけださ。
例え不貞腐れる口振りに接しても、だ。
「目的がフィッツジェラルド伯爵のご子息への教育、婚約者殿には淑女教育。ブラッドレイ家はそれ等を完全無欠に指南し、指導する人員に恵まれているから大船に乗ったと確信してくれていいぜ?」
選定の家からはブラッドレイ夫人が選りすぐった教師達と我らがシスター・ヴェロニカ。
完全無欠と言わずして何を完全無欠と称するのか?というおもてなしの配置。我ながら末恐ろしく感じる事だ。
「滞在中の身の回りに関するあらゆる事態は、ブラッドレイ家の優秀にして秀逸なる使用人達が万全をもって担う。フフッ、合宿中は常々に満たされた日々を確約しよう」
と私は何一つとして憂う気持ちなど必要にしていない、という態度を示す。
しかして、クレヴァリー氏の口から出たのは感謝や感嘆の言葉などでもなく、似ても似つかぬ言葉だった。
「このマナーハウスと、それらの備品の貸し出しだけで充分。人員の全てはフィッツジェラルド家から手配する。つまり期日にマナーハウスを借用したいというのが当方の要求だ」
「…………………」
本当に思わぬ言葉過ぎて、絶句、という単語を私は身をもって表現してしまった。
普通、いや物事の常識として屋敷一軒丸々貸せ&備品その他も諸々込みで……ひょっとして私は笑う為の掴みが難所のジョークを投げかけられたのか?と困惑を覚えたが、クレヴァリー氏の目ははっきりと本気であると語っていた。
「随分と品の無い言い方だが、バカを言うね。常識を語るなら高価な食器を納める棚は家政婦が鍵束を肌身離さず管理する物事。その鍵束を他人様に貸せ?そういう冗談は睡眠時に寝言で口走る事だ」
「補足だが、銀も貸し出しを。マナー教育の場では必要となる」
睨む、という所作を私はクレヴァリー氏へと向ける。
銀、銀製品、つまり銀の食器だ。
さて事情を知らねば私が睨む理由は分からまいが、言ってしまえば他人様に金銀財宝を貸し出すか?という事だ。銀製品は財産であり有価証券であり、長期の旅行なら銀行の貸金庫を必要とする大切な、とっても大切な物だ。
その家の執事が厳重に、身命を賭して管理する物でもある。
「家を貸せ、財産を貸せ…随分と無礼千万な御仁だ。フィッツジェラルド家はブラッドレイ家と騒動を望んでいる、と私はブラッドレイ卿に報告せねばならないが…個人の意見か否か?」
「…今回の合宿はダンカン・クレヴァリーが一任されている、と宣言しておく」
「そうかい。だったらご破算だ」
私は呼び鈴を鳴らし部屋の外で佇む家女中の一人。今回の合宿で各女中達を総括するをナタリー・ソラーズを呼び寄せる。壮年となって日は浅く、されども深い教養と思慮深い堅物という雰囲気を顔に張りている通り、仕事に関しては素晴らしいの太鼓判。
そんな家女中だ。
「お帰りだ、玄関までは見送って差し上げてくれ」
「かしこまりました」
「待っていただきたい!」
何かの駆け引きなどを期待していたのは言葉尻から察すれば、まあ目玉焼きの程よい半熟加減を見極めるよりも容易だった。だがしかし、今日の気分は駆け引きを楽しむ天気模様ではない。
お互いに今回の合宿が成功の裡に幕を下ろす事を願っての打ち合わせだ。不必要な交渉事は、時間を無策日に浪費する愚行。追い返し然るべき礼節を弁えた者を私が所望するのは、責任を負う者としての当然の権利だ。
クレヴァリー氏は遅きに失する形で私が、取らぬ内に算盤で皮算用を弾く者と楽し気にお喋りに興じれる相手ではないと理解したのか、顔色を青めにして話は終わっていないと迫る。
「待つ?何をだい?癪に障ったら塩を顔面にぶちまけるぜ?」
「何故塩!?いえ…破談と物申すなら貴女がブラッドレイ氏から…」
「塩」
「はい、塩」
私の呼吸に合わせでミス・ソラーズは塩の入った小瓶を手渡し、受け取った私は手っ取り早く終わらせたいから、早々に蓋を摘まむ。
「分かった承知したそちらの言い分を述べて欲しい!それと塩ッ!何故!?」
「もう既に述べた上での否定だろ?折り合いをつける気の無い否定はならば、フフン、秋津洲の作法に倣って塩まけ塩だぜ?」
「焼き塩がよろしいようなので、炒っておきました」
「塩マジ止めて!分かったから折衷案を!そう、こちらにはこちらで後ろから睨まられているんのだ。どうかこちらの要求を汲み取った折衷案を!」
必死な狼狽…フフッ、ご破算にする気は毛頭ないらしい…が、それなら最初にもう少し人の好い態度で接すれば、ここまでこじれずにすんものだが。さて折衷案か、言動と狼狽ぶりを勘案すれば、使用人他全ての人員はフィッツジェラルド伯爵…いやフィッツジェラルド家の人間が関与したいという意思表示。
されどこちらは手癖の良し悪しなど気にする以前の問題。まあ面倒事を口走っているのはあちらだ。後でミス・ソラーズと昇進目指して頑張る従僕な彼から、仕事を増やしてくだいましたねと恨めしく思われるが、この案でしか些末な問題は解決出来ない。
「料理人と台所女中はこちらの人員。それ以外はミス・ソラーズと今後顔を合わせる従僕のレイ・ブリストル及びその他の使用人の監視下で滞在中の業務。ああそれと、食器類から調度品の全て、合宿前日までに目録を作っておくからミス・ソラーズと立ち合い確認し合う。銀製品は貸し出さない、メッキだ」
「確認し合う?そんな時間の無駄遣いは…それにメッキは…」
「盗った盗られた持ち去れた、野郎テメェこの野郎という騒動を期待されているのなら断っていいぜ?」
選択肢は、解決策は、ただ一つのみ。という見事な妥協案を提示した上で四の五の口を開けば、他案で背負い込むリスクをどうするのか?と脅迫すれば、案外あっさりとクレヴァリー氏は折れて、提案は持って帰ると言ってこの場を後にした。
なお、お帰りの際はきっちり塩をまいて見送り、ミス・ソラーズはその足で応接室に戻ってくると…。
「良いんですかカーラさん?提案を持って帰った後に書き換えて、素知らぬ顔で白を切る腹積もりかもしれませんよ」
「その心配は…たぶん無い。あちらの目的は人員を自分達の色で染め上げたいだけ、それと…たぶんだがフィッツジェラルド伯爵の視線を邪魔だと思っているから出来るだけ遠くで」
「それは…つまり?」
「まだ答えは、主観だけでは出せないさ。精々当てずっぽうがやっと、物事を俯瞰する為には情報集めに勤しまないとね。取り合えずミス・ソラーズは目録作成をミスター・ブリストルと作っておいてくれよ」
私の言葉の含みに訝し気にしながらも、ミス・ソラーズは自らの仕事へと動き、その隙を見て私はとある人物へ電話をする為に書斎へ赴き、アルヴィオンで最も情報に精通する御仁へ連絡を入れる。
この、解せぬ思いを晴らす為に。
初手からご破算をお求めになっているとしか思えない妄言、か~ら~の~こちらがちゃぶ台をひっくり返そうとすれば大慌て。軽く恫喝したらあっさりと折れる。解せなくて当然のことだ。
何よりもあれで執事を補佐する副執事…あり得なくない?と箇条書きにしだせば解せぬ事ばかり、だから彼に依頼をする。
『おら?急にどうしたんだわさ?調査依頼は早晩で終わらせられないって言っておいたはずだけど?』
「フフッ、実はね伯爵。もう一つ調査依頼をしたくてね。大至急の」
受話器の先から響いたのは今もアルヴィオンのどこかと、常夜界へ潜伏するサン=ジェルマン伯爵。一応、彼の電話番号は以前の時に聞いていたし、ついでに調査依頼もしておいた。
どんな調査依頼?それはまだ秘密だ。
『追加料金にお急ぎ料金を足したいなら高いわよ?』
「払うさ、出世したら払いだけど」
『出世払いね…まあ出世しそうだし出世払いにしてあげるだわさ。そういう気前の良さもアクィタニアの洒落男の嗜みだし。で、何を調査するの?』
「フィッツジェラルド家の副執事であるダンカン・クレヴァリーの経歴、勤務評価、ああそれと後ろにいるであろう真っ黒な人影、当てずっぽうだが身内の策謀だと踏んでいるんだ」
『あら、張り合いの無い調査依頼ね。それなら友人価格で今度お茶してくれれば払いで良いわよ。ナイトロードが会いたそうに舌なめずりならが待ち構えているだわさ』
……私はしばし思い悩んでから腹を括って「商談成立だ」と伯爵へ返答した。