六章【彼氏彼女と狂言廻し<Ⅰ>】
鳴り響く金属と金属が打ち合う鋭い音、合間合間に擦れ合う金切声も合わせて聞こえるのは、フェンシングの、サーブルの試合をしているからだった。
集まる観客は筋骨隆々の青年、中年、老年の男達で中央で一進一退の試合を繰り広げる二人の姿に感心するか感嘆していた。
ここはエァルランド駐留軍の駐屯地が一つ。その片隅にある室内訓練場。
試合をする片方は青年と思わしき年頃で軍人として細身ではあるが肩幅からは鍛えられている事がはっきりと分かり、もう片方は?と尋ねられると胸の脹らみを考慮すれば小柄であり、考慮したなら少女とは思えぬ長身。
お互いに戦い方が似通っている事とサーブルという競技自体の特性も重なれば、圧巻で見応えがふんだんに溢れる戦いぶり。だからこそ集まる男達も感嘆しているし関心もしていた。
体格の差に力負けをするのは当然という妥協など納得せずに、押されたなら押し返さんと踏み込む少女を、細身の青年が経験の差に物を言わせた技量でサラリといなして態勢を崩し、しっかりと横薙ぎの一撫でを加える。
互角に見えていた戦いも実の所は丁寧に真心を籠めて手加減をされていただけで、少女は今日も完膚なきまでに打ちのめされた。
ただ対戦する相手の実力が、駐留軍内でも五指の一つとして数えられる猛者の中の化け物、つまりトリスタン・アシュトン中尉である事を鑑みれば善戦していたと賞賛に値する試合内容であったので、集まる観衆は口々に少女に賛辞を送った。
しかし本人からすれば…。
「何一つとして嬉しくも無いよ。手加減をするどころか赤子の手首を捻らぬように気を遣う相手に手も足も届かなかった。完全完璧たる敗北。よくやったよりも慰めにレモネードを所望するぜ」
「何時ものように用意しているよ、俺の奢りだ」
マスクを脱ぎ素顔を顕わにして、手渡されるレモネードを受け取り飲み干したのはカーラ・ケッペルだった。
年齢はカムラン校への入学試験を控え12歳を迎える、
元より高い背丈はさらに伸び、流石に同年代の少年達の方が大きくなり始めているがそれでも長身。以前は見上げるばかりであったトリスタンとの身長差は縮まり、成長に比例して新調される義肢も加わるとその姿は凛然とした佇まいだった。
だが一番の変化は体の成長でも新調される義肢でもなかった。
顔立ちが一番変容していた。
顕わになる素顔にかつての面影は、牧歌の様な顔立ちは一遍も残さず消え去り、代わりに鷹や鷲、猛禽類を彷彿とさせる鋭く端正な顔立ちへと形作られる乙女となっていた。
♦♦♦♦
相手が相当の実力者、つまりトリスタンであるから賞賛したくなるのも分かるが、試合の内容はお世辞を言わねば褒めちぎれぬ程に惨敗。刃の切っ先は一時たりともトリスタンへ届いてない。
拍手を伴い褒められてもちっとも嬉しくも無い、まあ用意されていた心地よく冷やされたレモネードの、爽やかにして刺激的な炭酸の味わいを何よりも堪能できる運動が出来たのだから、それで良しとせねばただの不貞腐れになってしまう。
「感慨深いものです。小官が教えを施した最初は歩くのもままならぬ小鹿が、今ではここまでやって見せる様になった。まるで妹の成長を見守る気分です」
「おーいアシュトン中尉、相手が顔見知りの女の子だからって微笑んでっと、秋津洲の女は嫉妬深いんだから拗ねられるぞ」
「それに関しては妻もカーラさんを妹のようにするつもりなので、逆にこちらが取られてしまうのではと、新婚早々に憂慮するばかり」
新婚、そうとも新婚である。
数か月前にトリスタンは結婚したのだ。
お相手は秋津洲皇国出身で実家は陸軍の将校を何人も輩出した名家のご令嬢。名前は旧姓を宇川、名前は柚子。現在は柚子・アシュトンとしてエァルランドへと嫁入りして来た。
しかも付け加えるとトリスタンよりも10歳以上も年下。
お付き合いはトリスタンがまだまだ20代の初め頃からで、周囲には―――さすがに上官のブラッドレイ卿には伝えていたが、それ以外には完全に秘匿し続け結婚する段取りをし終えてから白状した。
何度かお目にかかったが、奥ゆかしい香り纏う市松人形のように愛らしく幼い顔立ちの、秋津洲人と考慮しようが童顔。背丈まで同じように幼ければ誰もが未成年の子供に手を出したと嘆く程にだ。
とまあ何かと変化を続ける日常に思いを馳せつつ次の試合に臨むトリスタンとその他の方達を背に、私はさっさと体を這いまわる不快の権化たる汗を流しにこの場を後にして、着替えを片手にシャワーへと。浴びれば待ち人がいるので手早く着替える。
服装はイーストウッド夫人が定期的に持ち込んでくださる、今ではだいぶ慣れ親しめるようになった目玉が飛び散りそうになる上等過ぎる衣類。
本日は肩バントのあるアンダーバストの見せコルセットに合わせる形状の濃い色のズボン。純白のブラウスと上から軍服をモチーフにせしジャケット。無骨に実用性のみが滲み出でiるブーツ。愛用する革手袋。総じて麗しき女性士官という装いだ。
「にしても…これ以上大きくなられれば悩むことが増えるな……」
見る側であるなら見ごたえを感じるであろうが、見せる側だと不便を極める。
幸いにして私の胸は脂肪の集合体ではない。無作為でもないから動きの邪魔立てをする事もない。だがこれ以上となれば肩こりを始めとする諸々の苦悩に見舞われるのは必定。圧倒的質量を誇る乳だけは勘弁願う。
今でも防具を一つ調達するにも一苦労どころではない苦労を要しているのだ。
故に挨拶代わりに私の胸を揉むご婦人方と博士に夜の女主人を最大限に警戒せねばならない。何かと揉まれだしてからの急成長は目を見張るばかり!有難くも無い成長を阻む為にも、押してくる相手には退く強さを身につけねばならない。
と妬まれそうな事に苦悩を覚えつつ、着替え終えた私はここで一番偉いお方の下へ。
すれ違う将兵の方々にトリスタンから指南された敬礼をしつつ一路、指令室へ。
到着と早々に扉を景気の良いリズムでノック、ノック、ノック。
さすれば…。
「ふむ、入りなさい」
「お待たせしてしまったかな?ブラッドレイ卿」
入室の許可をくださればさっさと司令室の中へ。
そこには玉座の如き司令官の為の上等な革張りの椅子へ腰かけるブラッドレイ卿が鎮座し、隣に立つトリスタンの他にも数名いる司令官付きの士官が持ち込む書類に左手で署名を済ませ、右手で封書に蠟を垂らしていた。
「片手間を一つ待っていただけだ。他の片手間を済ませる余暇が出来たと思えば大した事ではない。君、その書類は人事課へ」
「では閣下こちらの書類に関して通常通りの処理で?」
「君の差配を観たい、一任しよう」
さらに私と会話をする片手間に書類仕事と部下への指示出しも、朝食のトーストへバターとマーマイトを塗りたくるように済ませる。これが出来る中将の在り方なのだろう。到底真似できないぜ。
「さて試合は今日も華麗に惨敗を喫してみたいだな?」
「おいおい、人様の傷口にレモン汁と粗塩を揉み込むのが夫婦共通の趣味趣向だと知っているが、相手はこれでも年頃な乙女なんだぜ?気を使って新調した義肢の調子はどうか?とか聞いてくれるかい?」
「ふむ、痛覚などの再現に至らずとも軍用としては及第点となったな。来年には希望者を募り順次試験導入とするか、君その方面での書類を仕立てておいてくれ」
人様の生傷をニコヤカに突っつき回すブラッドレイ卿に、私は愛用する革手袋を取り外して左手を印象強く煌びかせるように振って見せた。
荒削りの目立っていた義肢は細部まで作り込みが入念にされ、アンティークドールの手足に負けず劣らず勝ち越す出来栄えに。それの最たる成果は手指の先の滑らかさと、それに相反する物を掴めども滑り落ちない加工。
何で薄さを極める金属皮膜を要所に施し、所謂指紋の役割を持たせたとか。
なので私の現在の両腕両足はまさに美術品と言わねば過言なる謙虚だ。
ブラッドレイ卿もその事を重々承知らしく、脇に控える部下へ追加の書類仕事を投げ渡した。部下はそれを受領するなり速足で仕事へ向かい行軍を始め、司令室には私とブラッドレイ卿だけが取り残される。
するとブラッドレイ卿はようやく本題を切り出した。
「ではカーラ、今後のについてだ。主に身の振り方だ」
「ああ、待ち侘びていたよ。今年に入学試験を受けるのは決まっているが、入学時に私は何と名乗るのか?事前に知っておきたかったらかね」
ケッペルという家名は不便だから名乗っているだけで大いなる含みなど一切ない。
それならば私が今後もケッペルを名乗る理由も必要性も無く、何かメリットがあったりする訳でもない。むしろデメリットの方が多いと来ているのだから、上流階級から貴族に比肩するジェントリに並んでも差支えないモノが必要となる。
さすれば私に与えられる選択肢は…。
「嫁入り先を入学前に目途を立て、ブラッドレイの名を一時的に名乗る。正式にブラッドレイ家の一員となる…このどちらかだ」
「意外だ、てっきり私は前者に足す事はブラッドレイ家が後援をして私が立身出世に励む道だと思っていたんだが?まさか名を連ねるという選択肢が出てくるとは…意外だぜ」
「ふむ、男児なら正式な養子とするに反対票は出なかったのだがな。一族で今も喧々諤々と議論が白熱している。入学の時までには議決するが…未だ議論は尽きていないのだ」
私がブラッドレイ家の一員になる…反対票の存在はその議論が結論あれかしで進んでいないとを如実に語っているが…しかし、私を正式に養子と迎え入れたいという奇特の持ち合わせを懐に抱く者がいるとは純粋に驚きだ。
損得勘定を算盤で弾いたのなら、筆舌の必要も無く適当に内側から蚕食したいな~という家にでも売り払うのが妥当。迎え入れても損しかないと私は思うがね。
「まあ今現在も私は養子候補の筆頭として立ち振る舞えばいいだけの事と、理解しておけばいいのかい?」
「ふむ、迂遠なき理解は手間が省けて助かる。ではその筆頭へ課題を出そう」
「課題…それは愉快痛快?それとも無理難題?」
「愉快でもないし痛快でもない、難題だが無理ではなく努力の死力次第で解決出来る苦難だ…好きだろう?」
「ああ、大好きだ」
難題は好きさ、でも無理難題の方がもっと好きさ。




