五章【踏み潰すようなはやさで<Ⅹ>】
「フフッ、どうして何も語らず、何の弁護もしないんだい?このままだとお気に入りは、身分不相応な肩書を返上するんだぜ?」
「カーラ…ケッペル……!」
挑発する視線と言葉を贈答したら、講師達は一人一人ようやく苦虫を嚙み潰し始める。リーダー格の…名前は記憶する必要のない雑多の優男は、特に量を多めで噛み潰しているらしくこちらへ向ける視線は実に殺伐とした感情に満ち溢れている。
まあ挑発の言葉を投げかけたのが、その件の優男なのだが。
「おいおい、あいつが貧弱で脆弱で、尚且つ腰抜けの口ばっかりな糞尿ひしめき合うクソ袋なのは、私の責任ではなくて手取り足取りよろしくしていた講師たる貴方方の失態にして実力が不足しているだけでは?睨んでも真実は常に一つ限りだ」
「この…クソガキ……!」
フフッ、語彙の貧しき青年達だ。もう少し気の利かせた負け犬の遠吠えなり、罵詈雑言の富み溢れた言い返しを期待していただけに、肩を透かされた気分だ。こいつなら軽く陶器の壺を振り下ろす程度の煽りで爆釣が期待出来る。
「おや?それともあれかい?イーサンの筆頭としての実力とは、フェンシングはフェンシングでも、真夜中の一室にて、ベッドの上で繰り広げられる熱き、夜のフェンシングの実力というやつかい?」
「このガキ……!?」
「それとも君等の基準でならイーサンの実力は確か、という事か?それだと講師としての資格に多くの疑義を感じずにはいらなれないぜ。もしかして、私の足元だったりとか??」
盛大に生意気な言葉を並び立てて、リーダー格の講師を煽ってみれば…途端に茹で蛸や茹で蟹も真っ青な怒り心頭の真っ赤なお顔。青筋から流血する数秒前という所か?
「イーサンに肩透かしを食らった私はまさに不完全に燃焼中だが…これだと君等にも肩を透かされそうだ。ましてや格下相手にちょっと私と決闘でもしないかい?と誘うのは酷と言うものか」
「二言はない、受けてたとう」
「おいおい震えた声では説得力が今一つだぜ?無理するなよ、イーサンより首の皮一枚上だとしてもザコだという事に変わりないんだからさあ?」
「上等だと言った!」
はい、言質取った。
後はこのまま公式試合に基づく試合で衆目にて、というよりレンスター公の前で叩きのめせば王手…。
「ただし、条件は二つ。身を守る防具の一切を纏わず真剣での立ち合い、勝者はここに残り敗者はここを去る。受けられないという腰の抜けた返答はしないな?」
リーダー格は厚かましく主張しながら壁に掛けられているサーベルを持ち出し、一方を自ら持ち、もう一方を私に差し出す。本物の、肉は切れるし骨も断てる本物のサーベルだ。
だからなのだろう、サルのお尻のように真っ赤な顔は逆に私が臆するか躊躇うかすると思い、余裕の浮かぶ顔に変わっていた。いやむしろへそ曲がりの、道から外れたいたずらっ子の顔だ。
「良いぜ。ブラッドレイ夫人、立会人をお願いしたんだけど?」
「あらあら、やんちゃが過ぎるわよ。でも…ええ、決闘に男女の垣根は無いわ。思う存分殺し合いなさい。負けたらどっちか必ず当日追い出すから安心してね」
さて、となればあっさりと了承し、さっぱりと決闘の場が整った事に目を丸くするリーダー格を脇に置いて準備を進めよう。
別室にて纏う衣類を脱ぎ、普段着としてイーストウッド夫人から与えられた丈夫な手仕事のハーフパンツと、それを支えるサスペンダー。後は簡素な仕立ての…それでも高価なブラウスに着替え大部屋に戻る。
その頃にはリーダー格も準備を始めていたので、私は得物の確認をしておこう。長さは刃渡りが2フィートとちょっと、そこに柄とか色々を含めれば、幸いに私の背丈なら少し不便に感じる位。
反りの浅き直刀に近い、切っ先がもろ刃造りのサーベル。
軽く振れば…サーブルで用いる試合用の、安心と安全に配慮した物では感じられぬ重量感。まさに人を殺める事の出来る凶器の重み…予想していたがやはり重い。
「さあ、無かった事にしたいのなら今が辞め時だが?こちらとしては弱者を甚振る趣味はあれど、少女を甚振る趣向は無い」
「幼気な少年と戯れる趣向は持ち合わせているようだがね。フフッ、能書きはもう聞き厭いた、早々に決闘としゃれ込もうじゃないか」
「このクソガキ…少しは口を減らしたらどうだ?これが慈悲とも分からないのなら仕方ないのだがな」
所定の位置に未だ立たずに口ばかり達者に動き回るリーダー格に、軽めの毒を投げつける手袋の代わりに吐き、私は試合で目印とする場所に立ち静かに構える。後はあちらが構えれば良いだけだが…急な余裕に違和感を私は覚えた。
真っ赤なお顔はどこへやら、余裕に下種な笑みを浮かべてもいるリーダー格。
まあいいさ、どっちにしても窮鼠猫を噛むというからには警戒を怠るのは愚策。
追い詰められる鼠はどちらで、噛みつかれる猫はどちらなのか?それは決闘が始まってみなければ分からない。
「ではモーリス・ナッシュと…」
ここで知り得たがリーダー格の本名はモーリスと言い、家名はナッシュと言うらしい。
今更で非常にどうでもよい事なのだが。
「カーラ・ケッペルによる、名誉と命を懸けた決闘を執り行います。双方、始め!」
ブラッドレイ夫人の合図によりまずは…様子見と決め込む。仮にも国内の大会で名をはせた男であり、アレマラントなどでは学生決闘の文化があり、留学の経験もしているであろうこの男ならば本場の決闘の一つでも知っていそうだ。
ここは初動を迎え撃てる距離で待ち構える…のは性に合わない。
まずは様子見で一歩目を踏み出すのが私の流儀だ、手始めは間合いを詰め小さく右寄りの横薙ぎ!
「っ…!?」
「ふん!!」
しくじったと吐露しよう。
大人との体格差を丼で勘定していた!軽く払われた程度で圧覚で感じられる振動!生身なら痺れを覚える程だ。それとこれもまた当初に気付いておくべきだった、あちらの方が間合いの広さが遠大!
大振りに好機を得たと踏み込んでも…潜り込む拍子に距離を取り、手首をくねらせる動きでサーブルを振られればそれ以上の間合いを詰める事が出来ない!躊躇い止まればっ…!?
「はい!はいはいはいはい!!」
「あ…ぐぅっ!?」
重い、純粋な振り下ろしだけでこの重さ!失念していた、今の私はどれだけ周りより恵まれていようが、女としてだ!男として、時雄として体格に恵まれていた時の延長で動けば…力で負ける!
幸いに一振り一振りに重みと大きさに重点を置いているから、合間合間が長く遅い。だから反応して受け流し、正面からは体制を整えて受けられるがっ!?
「はい、そい!!」
「のわっ…!?」
大振りで打ち払われてからの間髪入れない刺突を、紙一重に護拳で受け流し大股で距離を取る。
焦りから普段なら犯さぬ甘い目算での行動による失態と、そこを見透かしたように繰り出された素早い突きに、私は久しぶりに感じた冷っとする感覚に……左頬から熱い?
熱の意味を知る為に頬を撫でて左手を見ると…黒鉄色の義肢に浮かぶ赤い液体。
血?私は、斬られた?
「どうだ?これが真剣での立ち合いだ。今は頬を撫でた程度だが、心の臓を突けば死ぬし腹を裂けば臓物が飛び出す。降参なら快く受け入れるぞ?」
「……」
認識すれば左頬を走り這いよる鋭い痛み…斬られるという痛み。
これが…命を懸けるという事の本当の意味。
あの、サーベルで斬られれば確実に死ぬという証明。
心臓の鼓動が脳髄にまで響き渡る、なのに心胆は凍えない。
むしろを…ああぁ、昂る!!
「フフッ…アハハ…アッハハハハ!これが、これが命を晒し命を奪う、生死を懸ける事の本質!いいね、最高だ!」
何を深窓の令嬢が如くしおらしく物憂げに様子見をしていたのか?これぞまさに愚かにも、だ!
命を懸けるというこんなにも心躍り、胸ときめき、血肉沸き上がり、何よりも濃厚に生きているという狂喜を何事よりも実感し堪能する事の出来るというのに!
故に一歩を踏み出す、先程の臆病足ではない勇み足!力強く、何よりも、誰よりも、我が身を晒して身命を懸けて!
「なっ…バカか!?」
「アッハハハハ!!」
払うならば空を切る音の鳴り響く白刃の下を低く潜り進み、斬り下ろすなら刀身を滑らせ受け流し紫電迸らせ突き進み、距離を取られるならより一層大きく前へ!
受けられようが受け流されようが、愚直に前へ斬りこみ!斬りこんで!斬り進んで!がら空きになったら突き進んで!
「ひぃいいぃ…!?」
臆して腰を抜かしたなら体重をありったけ伸し掛かって、辛うじて受け止める相手の刃をへし切る為に思いっきり!そうすれば私の握るサーブルが徐々に相手のサーブルへ食い込んでいく。
「ひぃぁ…やめ、やめて…負けだから、もう俺の!」
片手の重量でもう一息が足りないなら、両手で体重を掛ければあと一息で肩から切り裂ける!もう一息、相手の刃も残すは半分も無い。あともう一息で、あともう一息でぇええ!!
「俺の負けだから止めてください!!!」
「そこまでカーラ・ケッペル!勝負は決した!
「ぎゃふんっ!?」
ふと気が付くと私は尻餅をついていた。目の前には誰かを突き飛ばした仕草のレンスター公と、何やら黄色い液体を下半身から流出させているリーダー格。あれだね、興奮し過ぎて本気で殺そうと一生懸命になっていた。
だってそうだろう?命がけの楽しさを知り、私は自らが殺される覚悟で攻勢に出たしリーダー格の攻撃は、確実に私の命に届くものだった。ならばこちらも本気で殺す為に一生懸命になる。
結局、殺す覚悟はあっても殺される覚悟は持ち合わせてい無かったらしく、思い返せば命乞いをしていた気もする。
ああそれと、直前に見せていた余裕の正体の露見した。
真剣だけが持つ明確な恐怖で対戦相手が早々に降伏を申し出るという、実に安い打算からの余裕。つまり実力に裏打ちをした意味合いではなかった…警戒したのがバカらしい。
それはさておいて…。
「さあ次の決闘だ。残す講師の皆々方?私は貴方達全員に疑義を抱いている、是非とも、私の疑念を払拭してほしい!」
「「「……」」」
立ち上がりお尻を払いながら、遠目にこちらを観覧する講師達に近づくも…何故に後退るのか?まさか、この一試合だけでもう腰が抜けたのか?
我こそは!という漢気を垣間見たいというのに、誰も彼もが今より失禁し果てるという青い面構え。相手はこの年端も行かなぬ乙女たる私だぜ?
そう落胆しているとおもむろに1人が前へ一歩進み出る。




