五章【踏み潰すようなはやさで<Ⅸ>】
さて、以前に私はブラッドレイ夫人へこんな足長おじさんがいいな~とリクエストをしたのを、どれだけの諸氏が覚えているかは定かではないが、あれは別に特定の人物を狙い澄ませて口走った事ではないと、最初に前もって主張しておこう。
予想外な人物の登場に面を食らっているから言っておくだけで、まあ予想というのは常に外へと飛び出すものだ。予想通りに進むのは、その場での臨機応変に、どうにか目指すゴールへと辿り着かんという執念のなせる事。
何よりも計画通りとドヤ顔を決めるのは、乾坤一擲に限るのが一番楽しい。
日常の悉くは概ね予想外や予定外の方が楽しい、というのが私の考えだ。
え?これは乾坤一擲ではないのか?いやいや、こんな事はただのこの先も起こる日常の一幕にすぎないし、今日の相手はその一計に見合うだけの相手でもないしね。
「あらあら、そんなに緊張しなくてもいいのよ?今日お越しくださった方はレンスター公爵であるからと言って、縮こまる必要は無いの。さあ胸を張りなさい」
「いや~はははっ、相変わらず厳しいですなブラッドレイ夫人は。今日の私は私人ではなく公人。貴族院の議員としての来訪だから、緊張するのは当然だと彼らの気持ちを察するのだけど」
「それでも何時もの風景を見せる必要があって、改まった姿を見せる必要はないの。貴方もそんな姿は見たくないでしょう?」
「まあ、何時もの姿が気になりますね」
ニコヤカに試験会場たる大部屋にて、旧来の知人なのか?親しく言葉を交わす両名。
片方が言うまでも無く我らがブラッドレイ夫人。
もう片方が意外や意外にレンスター公爵ジャレット・ウェズリー・メイナード議員。
綺麗にさっぱりと髭を剃り、清潔感を醸し出しつ黒髪をオールバックにする姿はどこか伊達男。今は落ち着いた父親たる男であっても、若い頃はやんちゃをしていたという雰囲気の壮年の男性。
何をしなくても目立つ美男でもあるものだから、ここに集まる養子候補達の視線を意図せずにか?それとも意図してなのか?一心に浴びている。
そんな人物の視線を逆に釘付けにするのが私だ。
「ねえ、ブラッドレイ夫人。確かに私は教育界の良心的で気の利く素敵紳士を所望したけど、ここまでの大それた方のご足労を願ってはいないのだけど?」
「あらあら、貴女の注文どおりはジャレット君よ。昔、ちょっとなま…――元気が有り余っていたから、先代のレンスター公爵に頼まれてしめ…――家庭教師をしていた縁でお願いしたの」
ポロリと物騒な単語が散見されたけど指摘すれば私が辿る結末が分かり切っているから、ここは指摘せず流す。私とて空気を読んで口をつぐむくらいは出来るさ。それに近頃の私は気分が良い。
念願の防水にも気を配り、中身の丸出しから卒業せし義肢のおかげで、頻繁には無理だが定期てなシャワーで身を綺麗さっぱりと出来ているからだ。
あと服装に関する制限も無くなり……その方面に関する気持ちはわずかに複雑だ。
イーストウッド夫人が喜びようは、多くを語る前に誰もが察しの付く事。邸宅へ私を、最近では大体の人が常となっているように拉致してから、百貨店から取り寄せた今年の流行服を用いて散々に辱める。
好む、好まざるを無為にし、ただただイーストウッド夫人のご満悦の為に…ジェインが願うも叶わなかった上等な肌触りに、身を包まれる事自体は悪い話ではないのだが。
あと本日は試験という事から防具一式を既に身に纏っている。
「いや~はははっ、聞いていたから一目でわかったよ。君がカーラ・ケッペルだね?知っていると思うけど、改めて自己紹介。レンスター公爵ジャレット・ウェズリー・メイナードだ」
「フフッ、初にお目にかかる。私が噂で知られるカーラ・ケッペルさ」
差し出された手に握手で答えると、レンスター公は朗らかに笑みを浮かべる。
「実に礼儀正しい子だ、それに杞憂でもあった。妻の様に現実を前に挑む強かさが瞳に宿っているのなら、いや~はははっ!噂など何時も当てにはならないという事か」
「あらあら、まさかアーサーが噂にされていた通りの思惑でもあったと、そう思い違いでもしてたのかしら?」
「ブラッドレイ卿の事は良く知っていても、彼の気質にそぐわぬ行為を目にすれば、疑うのもまた道理さ。それに妻や子供程ではないが美人だしね、いや君の容姿は上の特上さ、だが妻や娘達は特上の特上だからね!いや~はははっ!」
「相変わらずの末期の愛妻家で重度の親バカ、フィオナちゃんは確か…カーラと同年代、だったかしら?」
「ああ、日に日にフィオナだけでなく、娘や息子達も妻に似て美人になっていくから父親として心臓に悪い、よからぬ虫が寄らぬ様に払うので必死さ!ほらほら、美人だろう??」
ドン引きするくらいの愛妻家…あと親バカにして重度の子煩悩。胸元のポケットには心より愛する妻子の写真を、常時肌身離さず話題に挙げれば即座に自慢できる様に入れていたらしく、私とブラッドレイ夫人へ堂々と自慢げに見せびらかす。
そこには美形で凛々しい顔立ちの、年若き女性と幼い、少年にはまだ早く幼児からは少し踏み出した男の子と、まだまだ幼児の女の子。そして白黒の写真だとしても目立って白い肌の、後に氷像と例えられる美少女がレンスター公と共に写っていた。
際立って白い少女がフィオナなのだが、肌の露出は顔のみで首も手も何もかもが何らかの布によって覆われている。ゲームではそういう描写が無かった。
「あらあら、家族自慢も程々に、そろそろ目的を思い出してほしいのだけど?今日は建前では講師達がぞっこんの子と、トリスタンが手塩にかけたカーラとの一騎打ちの見学でしょう?」
「いや~はははっ、忘れていないとも。では軽く挨拶をして来る。驚くだろうね、今日決めて今日伝える算段を付けていたから、心底驚いてくれると画策した側として愉快なんだが…」
「残念、そこはかとなくほんのちょっぴり臭わせておいたから、必死に無駄な努力を積んでると思うわ」
フフッ、やはりブラッドレイ夫人は衆目の前で、手始めの最初にイーサンをギッタギタにしてやんよ!という展開を意地悪く臭わせていたらしい。巻き込まれる忌々しい赤毛が顔を青白くさせて、柳の木の下にでも居そうな面持ちでこちらを戦々恐々と伺うのも道理だ。
講師達に手取り足取り、他にも意味深く教えてもらったとしても、死刑台を目前とすれば誰もが、顔色の良さに陰りが現れる。日頃の怠慢を誇るイーサンもまた例外ではない。
講師達に関しては…フフン、どうやらレンスター公は意地悪い表現をしているようだ。
目を白黒させている辺り、イーサンの首に掛けられた荒縄は、自分達の首も含まれていると今更に理解したようだ。イーサンを切り捨てる目算を立てていたのだろうが、辛酸を味合わせた相手が悪かった。
ブラッドレイ夫人を小遣い稼ぎの要領で敵に回すとか、命知らずにも程がある。
私は内心でそう心躍らせながら、愉快痛快の序章に備えた準備運動を行いつつ防具を、マスクを被り表情を隠す。不安が無いというのは嘘になる、ただしそれは私が敗北をするという可能性に対しては無い。
相手が、ほんのちょっぴりでも私に焦りを教えてくれるのか?という不安だ。
その内心の思惑を知ってか知らずか、ブラッドレイ夫人が…。
「実技試験は、レンスター公の御前での試合という事を鑑み、特別な形式で行います」
大部屋に響き通る声で急遽な試験内容の変更を伝達する。
どよめきは当然生まれ、講師達の表情に緊張が顔を出す。
「実力の拮抗した者同士による決闘に倣った試合を一度のみ。つまりこれよりこの場には、勝者と敗者のみが生まれます。通常の総当たりではありません…一人一試合のみ。一試合目は現在の養子候補の筆頭を競う2名。では試合位置につきなさい」
サーブルを手に、私はいの一番に開始位置につき、イーサンは覚悟も決まらず浮足立ちながらも、辛うじて開始位置についた。マスク越しでも分かるが、今にも心が彼方へ逃亡しそうな有様。
実力差はどれ程に縮んだか気になり始めていたが…まあいいさ、準備運動――いや宣戦布告をするには、圧倒さを演出しなければならない。
だが例え作業と割り振り割り切っても、退屈過ぎてやっていられない。なら趣向をちょっぴり私都合で模様替えしてみよう。決闘に倣ったというのなら、小奇麗に品性を貴ぶよりも、荒々しい無法者の流儀で行こう。
抜きな、どっちが速いか?の勝負の様に、そしてどっちかが、どっちともが墓の下へ行くような!
「始め!」
始まりを告げられると同時に私はイーサンの元へ一目散に飛び出し、跳び駆ける。
牽制も無く、様子見も無く、伺う事もせずただの一直線の踏み込みに、無様に意表をつかれたイーサンの姿は、曲がり角で野卑な野良犬に出会った子供のそれ。辛うじて反応し、初手を打ち払わんと横薙ぎの動きは、緩慢を極めあまりにも惰弱。
私の一手目たる刺突に、追いすがる事も出来ず虚しく、心の臓の真上を突かれると同一の瞬間に私の頭上を通過、つまり空を切る。
「ひっ…!?」
心臓を目がけた一手目の刺突は綺麗に入ったから一点。さて、ここで本来なら開始位置へだが、こいつはOK決闘に倣っているのだからまだまだ行くぜ!二手目は左腕!返す刃で右腕!状況の進み様に臆して腰が引ければ、ああがら空きになりましたので返す刃の左胴!!
「うわ!?ひ!やめ―――ぎゃん!?!?」
決め手はダメ押しに一突き。すってんころりんと尻餅を、フフッ、無駄な尻の贅肉のおかげで軽くバウンドをして一度ならず二度もイーサンは尻餅をついた。これ開始してからの数秒の出来事だったりするんだが…その数秒の出来事は私個人として非常に面白不愉快な事でもあった。
「フフン、私に期待を抱かせる程度にはと僅かばかり思い馳せたのは、慙愧に堪えぬ愚行だった。イーサン…お前は弱い」
鼻で笑いつつ、乙女の様に可愛らしくイーサンを侮蔑して、私は踵を返す。
向かう先は試験終了を待ちぼうける観覧席ではなく、一連の出来事を呆然と傍観するしかしていない、無能を晒す愚かな講師達の下。
何をする気だって?さっき言ったぜ、宣戦布告だと。