五章【踏み潰すようなはやさで<Ⅵ>】
ベールを抜けた先で格式がありつつも緩やかさのある、玉座の如き寝椅子で寛ぐ幼き少女の姿を目に映した時、私は深く考える間も必要とせずに理解した、あれは…ヤバい!!
全神経が即座に怖気を感じ臨戦態勢を整える為の警鐘が、頭の中でヒステリックに鳴り響く。
あれは、ヤバすぎる!!
「ああそうなん、驚いたわ~、わっちを見て恐怖が出来るなんて…普通の女の子はすぐにわっちの虜になって骨がのうなるのにな~。もしかいてこの子がフィルの言ってた子?」
「そうだわさ、この子がヴィクターとホーエンハイムが道端で拾った前世の記憶を持つ子よ。ついでにヴィクターの作品」
私を見つめる相貌は辛くも幼き少女のそれではるが、決して人間としてはあり得ない、生気の一切を原初より宿さぬ、気高く白磁の名品すら唾棄すべき粗悪と思い至る青白さ。瞳の色の赤を讃える為に、鳩の血の、鮮血の色を引き合いに出したとしても、その赤は酸化し色褪せていると断じてしまう赤き瞳。
幼き少女の儚きあどけなさと、究極にまで完成された造形はまさに美の結晶であり、艶やかで艶めかしく、妖艶な肢体を仄かに透き通らせ顕わにする絹の薄衣にまとう姿は、一枚の壮大な宗教画。
そして性別を問わずに愛欲を刻み込む妖しき相貌は、蠱惑的な微笑みを浮かべ、こちらを覗き込むだけで心弱き者ならば全存在を奪い去るのだろう。
私はその姿に、完成を極めたナイトロードの姿に……生まれて初めて心底から恐怖した。
「クロード、本当に面白い子なんやね。わっちを見ても正気を保ってるわ~」
「ええそうよ。あの、神経接合手術を4回も、それも短期間で乗り越えた気骨ある子だわさ。ナイトロードを相手に、即座に全神経を警戒に回せる辺り、アーサーが気に入るのも分かるわ」
そして伯爵の神経図太過ぎない!?
まあおかげでガッチガチに竦んだ体が適度にほどけたけども。相手がこちらを害する気分でない訳だし、私も伯爵にならい図太く行こう。その方が私らしいというのもあるしね。
人生は開き直りが何よりも肝心だ。
「初にお目にかかる。私はカーラ・ケッペル、家名には手続き上の利便性以外に何の意味も持たないただのカーラ。親しみを持っていただけるのならばカーラ、と呼んでいただけたら、とっても幸いだ」
「あんた、随分と開き直るのね。さっきは今にも大洪水寸前って顔だったのに」
「良いじゃないか、私という人間性は、何時だって人生を楽しく喜劇として受け止めるんだ。フフン、それとも伯爵は振舞っている割には心胆が凍えているのかい?」
「本当に生意気だわさ!可愛げ無いの程々にしないと、行き遅れるわよ?」
「行く予定は今の所はないよ。それに口先だけはご立派な男も、女も、双方お断りだ。自らの生き方に信念を心に秘めて貫き通す気骨ある殿方なら、考えなくもないがね」
「あら、それならウィルね。ウィル・ブラッドレイ」
ウィル・ブラッドレイ?そいつは無い事だ。母親が怖くてお家に帰れない男とか、理解は惜しまないが共感はお断りだ。怖くとも恐ろしくとも笑ってお茶を飲み合うのが、骨太なかつ図太い生き方だ。繊細さが売りで通るのは優しい世界のご家庭だけ。
ましてや軍人一族の跡取り息子ならば、ブラッドレイ夫人と楽しくピクニックに行ける程度でなければ務まらまいぜ。
「あんた…顔は牧歌の様なのに性格は獰猛ね、猛禽類だわさ。笑っている顔はチェルシーにも負けない凶暴さよ」
「フフン、私という存在に、蝶よ花よの深窓なお淑やかさを求めないで欲しいね」
などと伯爵と乳繰り合う姿に、どうやらツボに入ったらしいナイトロードはクスクスと、可愛らしい笑い声を口にした。フフッ、掴みは重畳という事かな?
「面白い子やね~それならわっちも自己紹介。初めまして、わっちがこの常夜界を統べる女主人。夜を先導する者。ムィロスラーヴァ・ナイトロードって言うんよ」
「あら、随分と気に入ったのね。何時もなら誠実そうにあしらうのに」
「そりゃあ正面から入って来れた子供は、アーニャ以来なんよ?気に入って当然、それに…意外と好みな感じやし生きも良い。後は…そういえば、何で来たん?カーラの事はフィルから聞いて会ってみたいとは言っとったけど、今来られても困るわ~」
おいおい伯爵、当初の目的も告げていないとか。どれだけ良い感じな掴みを得てからの商談でも、事前に商談の内容を伝えていないとお帰りくださいだぜ?もしや、そっちはディラン並みの陳腐なおつむなのかい?
という視線を送ると伯爵はしれっとした顔で「ワタシは仲介だわさ」と宣い、全てを私に放り投げてきた!まったく、どうして何時も事前の予告無しに重要案件が飛び込んでくるのか?楽しくとも連続すると辟易してしまう。
緩急を入れて欲しいものだが、さてマイクを渡されたからには一曲という勢いでこちらの目的を伝えよう。私は目立つように自らの四肢を曝け出す、元から晒しているが。
「フフッ、ご存知の通りに私の手足はこういう物でね。見ての通りに丸出し、覆う為には材料が足りない。そこで材料の製造元へ直談判に、ヴィクター博士の代わりに赴いた所存」
「成程ね、でもあれやね。魔法合銀も廉価魔法合銀も、作っとる人がおへそ曲げたんよ~。わっちが頼み込めば顔を立てて作ってくれるけど……クロード、味見してもええ?」
「ご勝手に、どうせ子供でも元婚約者と終わらせてるだろうし」
終わらせている?何を??
どういう暗喩を含めて言葉なのかと思考を巡らしていると、唐突にナイトロードが寝椅子から下りて、何時の間に!?いつの間に私のがんぜ―――。
「むー!?!??!?!」
「ぷはっ、この味…あらあら初めてやった?」
な…何を!?今、ナイトロードは…私の、私に口づけをした。
一瞬で、刹那よりも短い時間で距離を詰められたと認識したら既に…初めての口づけを奪い取られて……事後だった。そんな……前世でも前前世でも叶わなかった、愛する相手との最初の口づけが…同性。
なんだこの喪失感……。
「あらやだ!やってなかったの?元婚約者と?ジョナサンと!」
「フ…フフッ、ああそうともしてなかった。出来ると思うかい?時雄はともかくジェイン・メイヤーは手を繋いだだけで顔を真っ赤に染め上げ、茹蛸になる乙女だったんだ。最初に手を繋いだ時は不審者に追いかけられていたからだったが、二度目でも三度目でも真っ赤っ赤!口づけなど出来る訳がないだろう?」
「意外に初心なんやね。可愛ええな~」
ニヤニヤという笑みをこちらへ向けるナイトロードと伯爵…こいつら!人をネタにして!フフッ、だが私という存在を笑いの種になるだけの程度だと高を括るのは勝手だが、このまま終わるのは主義じゃないんだ。
失うまでは惜しむモノでも失ってしまえば、その行為の持つ意味合いをある程度に割り切りが出来るようになる。今知ったから今実行してやるぜ!
「まあからかった分には融通してあげんとね、後で…どうないした―――」
一息で間合いを詰めて顎をくいっと利き手で持ち上げ、私はまさにキョトンとした表情で驚くナイトロードの唇に私自身の唇を押し当てる。やり方だの作法だのは知らないが、された事をそのままで返せば良い。
半ば自棄になっているというのが実際だが、それでも泣いて寝入るよりはずっとマシ!時間にして数秒も無い事だが、私はナイトロードの唇に口づけをし、されたナイトロードは可憐な乙女の様に頬を赤らめ、こちらを惚けながら見つめている。
その姿はまさに…。
「…え?え??」
「フフン、どうやら奪うのは玄人でも、奪い取られるの初めてだったみたいだね。まるで初夜の初心な女の子様な表情だぜ?ナイトロード」
私は勝ち誇る顔でナイトロードを見下ろす。
で今更になって思うのが、これって普通は打ち首モノの愚行では?伯爵の顔から急降下で血の気が失せて行っているから明白。まあやってしまった事は仕方がない、奪われる覚悟なしに奪うのがいけないんだ。
「ええわ~、ほんまにええ。クロード、ちょっと本格的に…」
「ダメ決まってんだろ!んな事許したら、今度はワタシがアーサーやその他にぶち殺されるだわさ!」
「いけず~まあでも、久しぶりにええ体験したし魔法合銀はまとまった量を手配したる」
おお!それはありがたい。まさかこういう結果で終わられるとは、自棄も時には役にたつ…おや?何やらナイトロードが身振り手振りで私に屈むように言って来ている。まさか口づけ返し?いや流石にそれは無いだろう。
取って食うつもりでもないだろうし、言われるがままナイトロードの高さに合わせよう。
「ちょっとだけ、チクっとするけど動かんでね?」
「チクって?それはどういう…つっ!?」
屈むと同時にナイトロードは私を抱擁するかのように近づき…たぶん私の首筋に牙を押し当てた!痛い…動くなと言われていなければ突き飛ばすからの距離を取っていた。流石に無理やり口付けをすると言う蛮行の後だけに、そんなことをすれば周りが許すまい。
ただ…映画よろしく吸血鬼になったりはしないよね?
「大丈夫だわさ。吸血鬼に血を吸われても所有権の証になるだけで、同族になったりはしないわ。それに牙で首筋に痕を付けるのは親愛の証、良かったわね。あんたはこれでナイトロードの寵愛を受けた事になるだわさ」
「私が?そいつは光栄の極みだ。このような見るに堪えない身ですら、寵愛してくださる。ナイトロードは実に寛容にして寛大な御方なんだね」
「わっちは寛大というより~基本がおばあちゃんやから、カーラみたいな子には飴ちゃんあげたくなるんよ~」
「おば…」
お祖母ちゃん……下手すれば私よりも年下に見える子からお祖母ちゃん視点発言。
ちょっとどころではない違和感…が不思議としないのは、ナイトロードが歩んで来た人生に裏付けられた貫禄からだろう。
「それにしてもええ時に来たね、今日はお茶会の日なんよ。皆に紹介する手間が省けるな~クロード、お色直しするから手伝って、やっぱりアクィタニアの美的感覚は信頼出来るし。テッド、カーラを客室へ。甘~いココアでも出してあげてな」
ナイトロードがそう告げると、案内を務めていたフットマンが私を外へと連れ出し、ナイトロードは伯爵と、突拍子も無く隠れ控えていた侍女達を引き連れ奥へと姿を消した。
♦♦♦♦♦
「どういうつもりだわさ?」
侍女を除いて入る事が許されるのは、ほんの僅かに限られた親愛を向けられる者だけのナイトロードの私室の一角に招き入れられたサン=ジェルマンは、開口一番にナイトロードの真意を問うた。
どうして初対面のカーラに対して、明々白々な親愛を向けたのか?
「簡単やよ。あの子、ええな~。久しぶりなんよ?わっちの唇を奪う気概を見せた子は、それがあの子の曾祖母以来だったなら、運命を感じるんが生きる者の定めやろ?」
「曾祖母…辻褄が合わない事よ。今は亡きロンディニオン銀行先代総裁と現総裁の実母、アーニャ・メイヤーはその包み込む穏やかさに反して、猛禽類の、鷲や鷹のように鋭き様相の美女だっただわさ。あれは牧歌、まるで似てないわ」
「最初にここに来て、わっちから唇を奪い返した時は、牧歌の様な、今のカーラの様な顔立ちやったんよ。そしてあの子はアーニャの生き写し。そうやね~あの時は9歳やったし…もう始まってるし…そろそろ顔がガラリと変わるな~」
「あら、だったら整形手術の手配は必要なかったのね。方々のサン=ジェルマンに声をかけて段取りを整えていたけど、まあ顔にメスを入れるのは男でも嫌だし、女の子なら尚更だから無駄足は良い事だわさ」
衣装棚を物色しながら、サン=ジェルマンはヴィクターに依頼されていた整形手術の段取りが無意味になった事に、何かと苦心していた事が無意味になったのを、別段気にもせず逆に下手をすると顔を崩すだけになる行為をせずに済んだと、一人の紳士として胸を撫で下ろし着替えの支度を黙々と進めるのであった。




