序章【彼と彼女の終わりの物語<Ⅳ>】
村瀬花子、松下水帆。
小学生の時、両親がまだ失踪する前。
俺は二人と同級生だった。
「やーい!おもらし花子!ちゃんと風呂入って学校来いよ!」
「くっさーい!マジ臭い!男子!洗ってやりなよ!」
当時、村瀬さんは虐めを受けていた。
教師の都合でトイレに行けなくて、我慢させられた末に、教室で漏らしてしまったのがきっかけで、酷い虐めを受けていて、松下さんは村瀬さんを何度も庇ってはいたけど、
「やめて!何でそんな酷いこと言うのよ!」
「げえ!チクり魔!おーい、ついでにチクり魔も一緒に洗ってやろうぜ!」
「「きゃあ!?」」
とても小柄だったから庇いきれず松下さんも一緒に酷い虐めを受けていた。
そんな時に俺は転校して来た。
父さんが故郷で新しい事業を始めると言って、広島の片田舎のあの小学校に転校する事になって、転校初日に二人が水を浴びせかけられる光景を目の当たりにした。
「ぎゃっはっはっはっは!」
「きゃははははは!」
教室に入った直後に聞こえた下卑た笑い声。
バケツを持った今日から一緒に授業を受ける同級生達と、囲まれずぶ濡れになっている二人の女の子。
黙ってはいられなかった。
俺はまだ水の入っているバケツを奪い取って、二人の前に立ち思いっきり水を被って、
「ふふっ、どうした、俺も水浴びをしたぜ?笑わないのか?」
下卑た笑い声を上げる同級生を睨みつけた。
俺は割と体格が良い。
今でも体格が良いのだから小学生の時は今以上に周りとの差は大きい。
いきなり入ってきた自分達よりもずっと体格の良い俺に、睨みつけられた同級生達は笑うのを止めて、蜘蛛の子を散らすように席に座り、教室に入ってきた先生に事の顛末を伝えて、俺は二人と親しくなった。
それから少しして俺と村瀬さんは付き合い始めた。
初恋で、何より心底惚れていた。
毎日、毎日、毎日、躾のなっていない犬のように喧嘩をする両親に、心をすり減らしていた当時の俺は、村瀬さんにとても依存していた。
だから、両親がいなくなって親戚中をたらい回しにされ始めても辛くなかった。
あの噂が広まるまでは、
「おい知ってるか?青山の親って犯罪者らしいぜ?」
「聞いた聞いた、逮捕されたって、それで親戚中から煙たがられてるらしいぜ」
「確か振り込め詐欺の実行犯らしいわよ」
「え?あたしは殺人犯だって聞いたわ」
「ヤクザだろ?親父が言ってたぜ、青山の親父は昔から悪い奴だったって」
「じゃあ、皆で懲らしめよう!」
俺の両親が犯罪者だという噂が突然、クラス中に広まった。
すると同級生全員から無視されるようになった。
それは次第に学校中に広まって、
「松下さん、おはよう」
「……」
「村瀬さん」
「……」
二人はその輪に加わって、俺は間もなく県外の親戚に引き取られることになって転校した。
「……ええと、その…ああ!あれだよな!二人ともずいぶん変わったし、俺もだいぶ変わったから最近まで気づかなかったってやつだよな?」
「分かってた知ってた気づいてた、忘れれる訳ないじゃん。そっちの薄情者はどうかは知らないけど、どうのな?どうなの?ど・う・な・の?」
「私は、一目で…時雄君だってわかった」
「ふざけるなよ!!」
何だよそれ!
じゃああれか?
記憶の隅に追いやって、無かった事にしちまうくらい、傷ついたのは俺だけって事か?
そんで、覚えていて、それで平気で普通に!
普通に会話して!
普通にゲームの話をして!
普通に、普通に……分けわかんねえ。
頭の中がグチャグチャだ。
よくトンカチで頭を殴られた、そういう表現があるけどまさにそんな気分だ!
「言い訳になるけど、ずっと後悔してた。貴方を見捨てた事、自分可愛さに虐めのきっかけを作った事……」
「虐めのきっかけ?」
「簡単な話、ええ簡単、簡単、わたしはうっかり口を滑らして、花楓は保身で時雄の両親が失踪して親戚中をたらい回しにされているって漏らしたのよ」
「なんだよそれ……」
それじゃあ俺は今まで、今までずっと、そんな奴に恋をしていたのか?
ダメだ、頭が回らない。
考えようとしても、本当に、何が何だか……、
「時雄君!話を聞いて欲しいの、ずっと私は―――」
なん…だ……?
すげー気持ち悪い。
視界が、いや!世界がぐにゃってまがってる感じだ。
有名な特撮ドラマのオープニングシーンのようにぐるぐる回りながらタイトルになって行く感じ、もしくはその逆再生のような…おえ!?吐きそうだ。
「なんだ、今のは?」
「今、世界が、歪んだ?」
「ありえない、ありえない、ありえないっきゃあ!?」
今度は何だ!?
世界が曲がったと思ったら地震か!?
立ってられない、校舎が!建物が!
「やばい、今の揺れたやばいぜ!二人とも早く校舎のそ――――」
おいおいおいおいおいおい!?!?
何だよそれ!
天井が、二人のいる位置の天井が崩れて落ちてきそうじゃねえか!
「おい!そこから早く離れろ!天井が崩れるぞ!」
「ちょっ!?水帆、離して!」
「こ、こ、腰が抜けて、たす、助けて!ねえ助けて!!」
「ふざけないでよ!離して!」
「ばっかやろう!!」
何やってんだ俺は!
腰を抜かして近くにいた浅岡さんの手をつかんで離そうしない松下さんを、さっさと助け起こして一緒に逃げればいいのに、自分が逃げたい一心で振りほどこうとしている浅岡さんを助けるとか!
ああ、本当に、俺は、馬鹿野郎だ。
二人を突き飛ばして、心底そう思う。
「ごぼ……」
何かすげー、間抜けな。
座るとオナラのように空気の抜けるクッションに座った時のような、間抜けな声を俺は出した。なんか口の中が鉄の味がする。
それに…胸から下の感覚がない。
ああ、これ、あれだ、うん…ミンチだ。
ふふっ、俺100パーセントミンチだな、うん。
「―――――」
「―――――――」
二人が何か言っている気がする、だけど目がかすんで見えないし、何も聞こえない。
意識も……、次の揺れが来る前に逃げて欲しいんだけどな…まだ言い合ってるのか?
「――――」
「―――――――――」
「―――――――」
ああ、何というか本当に、間抜けだ。
自分を裏切って、そして騙した女を助けてミンチとか。
いや、まあ、うん、今でも好きなんだろうな。
ああ、ダメだ。
もう、頭が回らない、まとまらない。
いきなり過ぎる、もう少し考える時間が欲しかった。
ああ、ほんとうに、ああ、なんというか、ああ、ほんと…――――――――