五章【踏み潰すようなはやさで<Ⅰ>】
「…まさか、こういう仕掛けで来ていたのね」
「講師達の身辺を精査し、洗い浚い、徹底し尽くしても埃ばかりしか出ない訳です」
苦虫を口から溢れる程頬張ってから盛大に噛み潰したという表情のブラッドレイ夫人と、淑やかに考え至るべきだった手口を前にして、煽られ小ばかにされて苛立つ顔を崩さまいとする様な表情のシスター・ヴェロニカ。
その原因なのは机の上に広げられし小奇麗に名前の書かれた紙切れ。何て事のない紙切れだが、その書かれている氏名は先日『選定の家』を自主的に後にした少年の名前。さらに付け加えると現在、ファーモイ救貧院学校から失踪した少年の氏名でもある。
年明け手間もないあの日の、暖炉の前で手に入れた紙切れ。
氏名だけが書かれたそれを最初に見た私は「なんぞこれ?」と思うだけで、後で使えるかな?とポケットにしまった。
それから日を置かずに件の少年は『選定の家』から退場。
自主的だと聞いていたが、気になってその後を教師に尋ねると救貧院学校からも退場したというのだから、何かあってしかるべきと、今日この2月となった日に責任者たるブラッドレイ夫人とシスター・ヴェロニカに提出した。
ただお二人が何故に苦悶の表情を浮かべているのか?事情を知らぬ私には想像のしようもなく、説明待ちをしているのが今である。
「フフッ、それが何を意味しているのか?想像は出来ないが、とんでもなく厄介事だというのは予想出来るんだけど、如何に?」
「正解よ。厄介事、それも『選定の家』の存続をかけている厄介事」
こいつは予想以上に、予想を遥か上をホップしてステップしてから飛び越えたと白状しよう。紙切れ一枚にそれ程のパンドラの箱と対等の災いが含まれていたとか、本気の本気で予想外だ。
「それで、どうしてそれ程に厄介なのか説明してもらえるんだよね?私個人としても『選定の家』が無くなるのはそちら以上に困るだ」
「あらあら、本当に生意気なお口、一度でも針を手にして塞ごうとしなかった私の忍耐力も相当ね。それじゃあ説明してあげる、簡潔よ。少年に手を出した庶民院の議員から連想しなさい」
庶民院の議員……ああ、去年のパラディオン誌の一面を飾り立てた醜聞か。
年若い少年との一方通行な愛の一幕……そうそう、教育界の重鎮と言われていた議員だったね。
しかしだ、その議員の醜聞と今回の紙切れの繋がりとは?そもそもの事で書いてイーサンに渡したのは誰か?ここまで綺麗な筆記体を書くには相応の教育が必要だ。イーサン及びその周辺の養子候補でないのは必然。
ならば書いて渡した人物は養子候補以外かつ高い教養を身に着けた者、するとここで件の議員を絡めれば自ずと浮かび上がるのは……不自然にイーサンを厚遇するフェンシングの講師達。
成程ね、これで今までの疑問符に得心の行く説明が出来る。
つまりイーサンは、講師達から指名された容姿端麗な養子候補を意図的に追い出す役割を担っていた。講師達は『選定の家』から追われた少年を言葉巧みに唆し、少年の柔らかなお尻が大好きな変態紳士に紹介していた。
主犯と実行犯が見事に役割分担を担う、男娼の斡旋業がここ『選定の家』で秘密裏に行われていた。こいつは厄介極まる事だ。
何故ならば、同性愛は社会的に死ぬ。
時雄のいた世界のキリスト教圏が現代の、時雄の生きていた時代になってから同性愛に対して寛容になったように、現在のアルヴィオン――この世界は同性愛に対して多くの地域が不寛容であり、地域によりければ磔獄門鞭打ちの刑は平常運転。
知られれば社会的な死を免れず、精神病と同義としての治療が待ち構えてもいる。
それが現在のアルヴィオンの同性愛に対する日常。
「フフッ、どうする気なんだいブラッドレイ夫人?放置していも構わないという案件ではないだろう?ここが男娼の出荷場でしたと知られれば、安く見積もって…ブラッドレイ家は完全に詰み、だぜ?」
「分かってるし出荷場は言い過ぎ、仕入れ先の一部よ。それに幸いにも講師達は無理やり押し付けられた連中。『選定の家』との関わり合いはごく最近であり、ブラッドレイ家との繋がりもない。どうにか揉み消せる範囲、ただ…」
「ただ?」
なんとも歯切れの悪いブラッドレイ夫人だ、非常に珍しい。
自信ありげに嗜虐的に笑うお人が、深窓の令嬢を彷彿とさせる物憂げを纏うと酷くこちらが不安になってしまう。何やら面倒くさいを極めた大人社会の事情が絡んでいそうだ。
口籠る様はそれを明確に語り聞かせてくれているが、話の進まない有様にシスター・ヴェロニカが代打として口を開く。
「これをもって彼等を追放するならば朝刊を飾る醜聞となり、彼等を送り込んだ者は勿論、結果としては教育界全体を敵に回す事態になります。立て直しの最中での横槍には、礼儀をもって叩き潰すのが万国共通事項なのですから」
まあ確かに男娼の斡旋業を組織的に、教育界でも相応の地位にいる者と関わり合いのあるフェンシングの講師達が行っていた。それが衆目に晒されれば無関係の位置にいた方々にも迷惑を被らせる。
味方になる筈の側から、呉越同舟と犬猿すらも仲良く手を繋いで敵側という事態になるのは明白。
一発で社会的に死に追いやられる証拠を持っているが、そいつは使わずに戸棚に飾るのが最適な、使うと敵も味方も自分自身も巻き込んで全てが台無しになる核弾頭のようなもの。使わないのが最適という事だ。
しかし、このまま放置すればいずれ露見して然るべき事態に、芋づる式の蔓の一角に仲間入りする未来が待ち構えている。
私としては早々に打開したい事だ。
「ねえブラッドレイ夫人、一つ質問してもいいかな?そのあと提案もあるけど」
「あらあら、随分と暢気に構えているのね、でもいいわ言ってみなさい」
深刻そうなお二人とは違い、打開の手段なら既に頭の上に電球を顕わにして思いついている私の、余裕に満ちた声に不快感を示しつつブラッドレイ夫人は即答したので、私ももったいぶらずに話を進める。
「この紙切れ以外の証拠をもって追い出すなら、教育界の変態紳士達は納得するんだよね?」
「ええそうよ」
「なら貴族院でも児童労働や児童売春の問題に取り組む素敵な紳士に話を持ち込んでくれるかい?」
「カーラ、お耳をコルクで塞いでいたのかしら?」
「まあ結論は待ちなよ、あくまでそっちは内密。素敵な紳士ならば口も堅く、融通の利いた対応をしてくれるだろう?そんな御仁の知り合いは夫人の領分だ。講師達を追い出す手段は別件、私の仕事」
「あらあら、小生意気ね。それでどういう妙案で事態を解決するつもりなのかしら?」
「簡単だ、私が講師共に大衆の面前で決闘を挑んでボッコボコにするんだ。今年で10歳になる少女に泣かされた良い大人とか、追放するには十二分な理由だ」
講師達の実力は本気を見ていないだけに未知数と淑やかに言ってはみるも、同時に『トリスタンと比べるにはあまりにも貧弱、貧弱』と粋がってもしまう。トロフィーの数は仰々しくとも、実際に積み上げてきた実力の程は割と底が知れる。
ついでにイーサンも積年の鬱憤を晴らす為に、講師共に決闘を挑む山車に使う。
お互いに揉み消したいと思い合っているのだから、手打ちに出来る理由をサッとお見せすれば喜んで快い返事をしてくれるというものだ。
「そうね…教育界全体で今は揉み消しや、今も小狡く動き回るネズミを見つけ次第踏み潰している最中、なら静かにした運んだ方が良いわね」
「おいおいブラッドレイ夫人がそんな穏やかに事を運ぶなよ、後ろめたい気持ちはありませんと堂々と盛大にやっちまった方が、負け犬の遠吠えを記事にしたい連中も、嘘っぱちと吐き捨てられるのが目に見えて食いつかないと思うぜ?」
「表立った理由はおおげさに、隠したい理由は静やかに、確かにその方向性ならあちらも喜んで口を紡ぐでしょう、貸しも借りもなく終わらせられるんですから。チェルシーその方向で行きましょう」
コソコソするから余計な妄想を生む、新聞記者とかいう人種は基本的に妄想の翼を広げて、自らがイカロスの気分で人々の知る権利を守ると称して、空から糞尿を垂らす生き物だ。害獣駆除と撃ち落されれば、言論弾圧とのたまう心底悪質な人種でもある。
ならばこそ、自棄になって道連れを目論み新聞社に乗り込んだとしても、表立って少女にボッコボコのギッタギタのメッタメタにされたと、しかも得意分野で!世の皆様お聞きくださいと知れ渡っていれば、逆恨みからの作り話と断じられる事間違いなし。
繋がっている連中も尻尾切りが楽に出来るなら喜んで切る。
結果、(一部例外を除いて)皆で幸せになる。
「ああそうそう、作戦を実行に移すのはこの義肢を新調してからで良いかい?また不調が出始めたんだ、たぶん丸出しだから何か詰まったんだと思う」
「あらまたなの?確か先日は細かく刻んだ人参でしょう?そもそも何で日常的にケーシングしないのかしら…不格好だから?」
「いいや排熱の問題らしい。生身ならば汗とかで冷却されるけど、義肢は空冷、覆えば中身が熱でダメになるらしい。この後ヴィクター博士にちゃんとした試作品を出せと強請りに行く予定」
それにだ。
中身が丸見えだからシャワーも満足に浴びれない、というかもう2年近く浴びてない。
立ち洗いをするにしてもエドガーの介助を必要とする始末…嗚呼、地獄の釜のように熱い風呂が恋しい。時雄の部分から日本人成分が染み出して、兎にも角にも風呂を切望して止まないのだ。
とまあ、そんな物思いよりも今は念願叶える為の、名実共に『選定の家』で養子候補の筆頭になる為の、我が復讐の舞台へ上がる為の算段を、ブラッドレイ夫人とシスター・ヴェロニカと共に整えることに集中しよう。




