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幕間【その行く先に救いを】

「ふむ、ふむ…ふぅううむふむふむ……」


 テーブルに並べられた、聳え立つ山脈を彷彿とさせる新聞の頂を次々に平地へと変えては、床に踏破済みの新聞山脈を築いていくイーストウッドは、読み進める速さに比例した唸り声を上げていた。

 カーラから檄を飛ばされてからの翌日には、傍らに頭痛を起こしそうな甘いお菓子と砂糖と牛乳を溢れんばかりに投入したミルクティーを控えさせて、新聞を読み進めるまでに気力を取り戻していた。

 仕事に復帰するまでには鈍り錆び付き、噛み合う事を忘れかけている頭脳を、魑魅魍魎が裸足で逃げ出す恐ろしい輩の跋扈するロンディニオンで辣腕を振るえるまでには戻したいイーストウッドは、年齢からくる目の疲れとも苦闘しつつ脳内に情報を刻み込んでいく。


 1年間。

 自分が隠居同然の生活を送っていた間に起こった出来事、事件、醜聞、そういった一考に値しない事柄も含めて世の中がどれだけ動いていたのか?知れば知る程に数十年ぶりに俗世に触れる世捨て人の気持ちを、イーストウッドは図らずも理解する。

 日本的に言えば浦島太郎の気持ちだろうか?

 次々と建設される発電所に添えられる立役者と紹介される意外な人物、電気代が安くなるのは良き事と思いつつも、ディランという名前と従来なら載る筈のない人物の名前と、遠く自由共和国で奇人変人と語れる天才の名前。

 亜空間送電装置という奇怪な装置を考案した結果、危うく街一つが消し飛ぶ一歩手前という事件を引き起こした人物が、画期的な交流を用いた発電所を設計したと説明されている事に一抹の不安を抱き。

 ヘイゼル&バートン社はバートン家が経営権を譲渡されて、幸いにも堅実な方針に転換した事で、元来のブランド力を生かした経営再建に成功しつつある事に胸を撫で下ろして安堵する。

 気分の浮き沈みを繰り返す様を唸り声として表現しながら、イーストウッドは順調に菓子もミルクティーも消費して、気が付けば皿もカップも空になり次を求めて呼び鈴を鳴らそうとするも、近くで編み物に熱中するセリーナがすかさず静止した。


「ダメよトレント。今の自分がどれだけ以前よりも恰幅が良くなったのか自覚しないと、二回りという表現も媚を売っていると捉えてしまう現状よ?」

「……一応、自覚はしているのだよ。膝の痛みが現実なのだと教えてくれる、しかし頭を動かすと甘い物が欲しくなるのが道理なのだよ」

「まあまあ!出会った頃のクリケットを嗜む快活な好青年が聞いたら失望してしまうわ!この先も貴方とお散歩を楽しみたい妻の細やかな願いを聞き入れてくれないなんて……」

「分かった!分かったのだよ!控えるし減量も意識して行う……まあ確かにここ何年もクリケットは嗜んでいないしな、努力、するのだよ」


 涙を浮かべた妻のぐさりと刺さる言葉に、苦労を掛け続けてしまった罪悪感も抱いているイーストウッドは、渋々と呼び鈴をテーブルに戻して甘い物を諦め代わりに珈琲を所望する。

 本音を言えば甘いミルクティーだが、その生活が今のグラマラスな腹回りなどだからと諦め、砂糖や牛乳を入れていない苦い真っ黒な液体が運ばれてくるのを待ちつつさらに新聞を読み耽る。

 セリーナは元の場所へと戻って編み物を進めて行くがふと、夫が落ち着いたら確かめておきたかった事と、伝えたい事を口にしたくなった。


「ねえ、カーラちゃんに…養子にならないかと聞いたのよね?」

「ん?ああ…断られたのだよ。当然なのだろうね、私が養子に欲しいといったのは彼女ではなくジェーンだったのだからね」

「そう…ね、あの子はもうカーラでジェーンではないのよね。断られて当然だわ」

「「……」」


 口にして尋ねて、そして重たい沈黙が充満しかける頃に珈琲は運ばれ、二人は若き日の青春時代にコーヒーハウスで飲んだ物よりも上等で、しかし紅茶の方が好ましいという味を表情に浮かべて気分を変える。

 そしてセリーナは伝えるべきか迷っていた物を取り出してイーストウッドに見せた。


「これは……もしや?」

「ええ、ジェーンの遺品、私達との文通をまとめた切り抜き帳(スクラップブック)よ。カーラちゃんが所持していた物をチェルシーが…遺品は、残された物に渡るべきだと……」

「そうか……」


 黒く変色して模様になり果てた血痕に塗れた切り抜き帳(スクラップブック)を受け取ったイーストウッドは、静かに1ページずつ開いてジェインの生きた証を読み進める。

 丁寧に不慣れな少女の、良いとは言い難い手際でまとめられた写真や手紙、作った本人の為人が如実に現れるそれは、やはりジェインは既に故人なのだという現実を読み進める親しい者に突きつける。


「ジェーンは、本当に心優しい少女だったのだね。どれも雑に扱われていないのだよ」

「そうね…でも一つだけ言えるは、ジェーンはカーラちゃんにちゃんと受け継がれている。復讐をすると言っているのに、殺してやるなんて言わない所とか…まあそれはそれで陰湿だし、ちょっとチェルシーに似ているから心配だけど」

「ブラッドレイ夫人かーー……彼女はね、うんまあ彼女はね…凄かった、社交界があそこまで激震で包み込むとか…衆目で復讐を完遂するとか。カーラの行く先もあんな感じになるのだろうね」

「上手く行ったらの話よ、でも…チェルシーは気に入ったみたいだからこの先も苦労するわねカーラちゃんは、ウィル君も苦労続きだったし」

「彼はね……頭皮、大丈夫なのだろうか?」


 どこか遠い先、具体に言えば陸軍の兵站部で日夜二癖、三癖は確実にある同僚と悪辣な上官、男として旬だからと縁談話を持ち込んでくる親戚やまたも上官に悩まされるウィル・ブラッドレイの生え際の現状を憂う夫妻。

 同時に愛し方が一般的からズレているチェルシーからの、胃痛を伴う愛情にさらされているであろうカーラにも思いを馳せる。


「少ししたら…もう一度、カーラに養子にならないか聞いてみるつもりだのよ」

「…たぶん、いえ絶対に断られると思うわ。イーストウッドのという名前は警戒されるって、本人がチェルシーに伝えたらしいし」

「それでも伝えるのだよ、私は、私達は絶対に、今度こそ手を離さないと伝える為に」


 イーストウッドは察していた。

 誰からも手を突き放された末に、カーラは人を信用する為に線引きを必要としている事、人間不信を患っている事を。長年の経験から理解していた。

 セリーナもまたチェルシーからその事を聞かされていた。

 カーラは、損得勘定という線引きをする事で人を辛うじて信用している事を。


「何より、すべてを終えた後、きっとあの子は道に惑う。身を焦がす激情で自らを形作ったあの子が、復讐を終えた先を見据えてはいないのだよ」

「何時か、何時かになるかは分からないけど誰かがあの子を抱きしめてあげないといけないわね。本当だったら私達の娘になっていた子なのだから、お母さんとして何かしてあげたいわ」


 二人は願う。

 カーラの行く先に、復讐の果てにあるのが救いである事に。

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