四章【イーストウッド卿と滑稽な復讐者<Ⅹ>】
さて、イーストウッド百貨店で開かれる大見本市の最中に、社長夫人であるセリーナ・イーストウッドは何処に今現在いるのか?
帝都ロンディニオンより25マイルの距離に点在する小さな集落の一つ、セント・マリア・ミード村というどこにでもある小さな集落へ足を運んでいた。
そこは程よく駅から離れ、辻馬車などを利用すればある程度の不便を耐えるだけで、喧騒と高価な家賃から解放される。ロンディニオンへ仕事へ赴くのならば、汽車の旅を必要とするが、それでもロンディニオンで安くて狭い一室を借りる同程度の金銭で、広々とした一軒家を借りれるのだから、最近では住宅街として発展し始めている。
そんな新興住宅地になり始めた村をとある目的の為に、最近とある事情からここへ最近移り住んだ若い夫婦と面会する為に、セリーナはセント・マリア・ミード村を訪れていた。
若い夫婦が住むのは月々の家賃が工場で働く者なら足がつる覚悟で背伸びをすれば、何とか手の届く範囲で借りられる、幸いにも古風と称せる程度に古い、ただし狭いので今後家族の人数が一人二人と増えて行けばすぐに窮屈になってしまう、そんな一軒家。
今はまだ9歳の娘と2歳下の弟だけの四人家族なので家族の集えるリビングで、家長であるブルーノ・ヘイゼルとその妻のドリス・ヘイゼル、そして対面に座るセリーナ・イーストウッドが顔を揃えている。
テーブルの上に紅茶が注がれたカップが三つ、ドリスと娘のシンシアが作ったジャムを用いる絶品のジャムビスケットが盛られた器。そしてブルーノの今後を左右する契約書。
内容はセント・マリア・ミード村にイーストウッド百貨店の系列として開店を予定している、総合的に商品を扱う、異世界の文化で例えるならば…某製パンメーカーのコンビニエンスストアのような、街の小さな百貨店。
とある貿易会社が経営する運送会社で、酷使されるにはあまりにも惜し過ぎる才覚を持つブルーノには適任であり、経験豊富な指導者を添えればまさに適材となるので、カーラからのお願いを聞いたトレントはこれぞ幸いと彼に白羽の矢を立てた。
「はい、これで貴方はイーストウッド百貨店の従業員、家族です」
「ありがとうございますイーストウッド夫人。これでようやく家族に貧しい思いをさせずにすみます」
「いいのよその分、貴方には新規事情の一翼を担ってもらうから。忙しくなるから頑張ってね」
今も青年という面持ちのブルーノは思いがけない天啓を得て、人生の再出発と、自分に寄り添い続けてくれる妻と支えてくれる子供達に報いることが出来る、ようやく家族に貧しい思いをさせずに済むと嬉しさのあまり、瞳を涙で潤ませる。
「本当に、本当にありがとうございます。夫の事だけではなく娘のことまでも……」
「良いのよ、それよりもシンシアちゃんは大丈夫?学校で倒れたと、私の耳にも届いていたのだけど?」
「…はい、睡眠不足が原因だとお医者様は、なので当面はとにかく休ませる事に……」
「そう、なら応援の気持ちとして家庭教師を派遣します」
と微笑みながらセリーナは語り。
(世の中には無理が得意な子と、無理が苦手な事がいる。カーラちゃんは無理無体無謀が得意だけど、シンシアちゃんは普通の努力の方が向いていそうだから、適材の家庭教師を就けて正しい努力の仕方を教えないと、意固地に育ってしまうわ)
と内心で結論付ける。
そうセリーナがここへ来た目的は二つ。
一つはブルーノを自由共和国で生まれた新しい形態の小売店を試しにやってみようと、その事業を任せる為スカウトしに、もう一つは後に悪役令嬢となるシンシア・ヘイゼルをカムラン校へ入学させる為に、入学に必要な費用とその後の生活費も含む諸々の費用を援助するという申し出をする為に。
カーラはあの日、馬車の車中でイーストウッドにお願いした事。
それはシンシアの入学費などを援助して欲しいというものだった。
女帝の学徒という狭き門のさらに狭き門たる女子生徒枠を自分が手にしつつ、シンシアが女帝の学徒になれなくても入学できるように、かつイーストウッド家が後ろ盾になるという箔付けをして、ウィレム・リュフトとの婚約を維持しつつ入学できるように支援して欲しい。
イーストウッドはそれを快諾したついでに、以前にバートン家から相談されていた懸案も解決する為に、今回の二つの話をセリーナに託し先程の無事に話は纏まったのであった。
「それじゃあ後はこちらからリュフト家に話を通しておくわね。とは言ってもあちらにも快く受け入れられる事だから、すんなりと無事に解決するから貴方は今後の準備に勤しんでね?」
「はいイーストウッド夫人、必ずご期待に、そしてこのご恩に報いて見せます」
「まあまあ、気合十分ね。でも力み過ぎはダメだから今は肩の力を…あら?お客さんかしら?」
気合の入り過ぎたブルーノを息子を見守る母親のように優しく窘めようとした直後、玄関のベルが忙しなく鳴り出し、今日は自分以外の来訪の予定は無いと確認していたセリーナは訝し気にドリスへ見やる。
ドリスもまた特に来訪の予定もなかったので郵便物だろうかと思い、立ち上がってすぐ傍の玄関へと赴くと「どなたでしょうか?」と外にいる人物へ尋ねる。すると「将来の息子です」と突飛な返答が来たのでセリーナを見る。
「構わないわ、それに気になるの。一度見ておきたいわ」
「…はい」
玄関の扉が開け放たれるとそこには、後に攻略対象者となるまだ幼いウィレム・リュフトが流行の服を着こんで立っていた。その後ろには馬車があり偶然に近くを通ったから、病床の婚約者を見舞いに来た、という佇まいだった。
毒気の無い根の善さそうな微笑みを湛えている様に、将来は整った顔立ち人なるのだろうと期待を持たせてくれるそんな少年でもあった。
「こんにちわ、君がシンシアちゃんの婚約者?」
「はい、ウィレム・リュフトと申します、ええと…貴女は?」
「まあまあ、礼儀他正しい男の子ね!私はセリーナ・イーストウッドという世話好きなおばさんよ」
とニコヤカに返しつつも内心では……。
(ダメね、不合格。顔に仮面を張り付けているのははっきりと分かるわ。接着剤がはみ出しているのが丸わかり。この縁談は幸ある方向へは進まないわね…でもどうするかはカーラちゃん次第だし、おばさんは静かに黙って見守っていましょう)
と何やら暗澹とした感想を抱きつつ、セリーナはその場を後にした。
♦♦♦♦
クリスマスは過ぎたならばそぐに年明けとなる忙しない日々を乗り越えて、祝うべきは懸案事項の一つが無事に解決し、後はヴィクター博士の努力と私がイーサンを叩き潰し上程の学徒になるを残すだけとなった。
そんな爽やかな朝を………全身を掘削機のように震わせる寒風から逃れる為に、暖炉を求めて彷徨い歩いている。
この『選定の家』はその時代の先端の医学を取り入れた為か、よく空気が循環する。それはもう外気温と大差ないほどに!かつては扉を閉めると酸素が不足して窒息するなどと信じられていた。
なので扉や窓のちょっと上に通気口が設けられ、そこから寒風さんいらっしゃい。一応は塞ぐには塞いでいるらしいがそれでもすべてではない、そのままの場所もいくつかあるので……寒い、灼色に燃え上がる暖炉と心温まるココアが恋しい。
ココアは無論諦めねばならず、なので暖炉……いや時間を考慮すれば自力にて火を起こすしかない。寒さに震えながら火でも…おやおや、どうやら共用の暖炉が鎮座せしめる部屋に先客がいるようだ。
さて一体どんな寒さに打ち震える子羊なのか?
「くそ、くそ、くそ、くそ……」
口汚く暖炉の前でマッチを擦っては凍える手なので加減もおぼつかず、へし折っては口汚い悪態を吐くのは目障りな赤毛、つまりはイーサンだ。
早朝から反吐の出る後姿だが、何をしているんだ?
こういう雑事が嫌で嫌で仕方が無い男が、熱心に火を起こそうとしているのは少しばかり興味深い光景だ。ん?何やら丸められた紙切れが真新しい薪の上に置かれている、違う世界なら親に見られると叱れるゼロ点の答案だろうが……。
「おやおや?イーサン、かじかむ手では大変だね。私が手伝ってやろうか?」
「ひゃわっぷへて!?カーラ!?」
随分と間の抜けた悲鳴、悲鳴か?奇声だね。
腰を抜かしかけながら振向てい、声の主が私ことカーラだと分かる否や慌てて暖炉をその巨体で多い、大慌てに足を動かして―――。
「ケホッ!?ケホッ!?灰を巻き上げるな、立ち洗いの前だったら殴り合いものだぜ?」
「う、うるさい!お前がこの筆頭である俺に無遠慮な挨拶をしたからだろうが!」
「そういうのなら今度試合をしようぜ?一度も対戦してないんんだ、どっちが上でどっちがさらにその上なのか?はっきりとさせるのも必要事項だ」
「それは講師の方々が裁定する事だ。俺はもう行く、マッチなら全部湿気ってるから無駄な努力だぞ」
というより全部へし折っているだろうが、と言いたかったのだけども速足の脱兎の如き逃げ足でいなくなってしまったから、言う暇はなかった。さて早々に新しいマッチでも貰いうに…行く前に必死に隠した物を検分しよう。
本人は隠し通したつもりか、火種の紙だと押し通したつもりだろうが私の眼を誤魔化すには、演技があまりにも大根過ぎた。気になれば出歯亀をやりたくなるのが乙女心。
さてと灰被りとなってしまった麗しき丸まれた紙は…あったあった。では内容を検めさせてもらおう。
「開けごま」




