四章【イーストウッド卿と滑稽な復讐者<Ⅸ>】
さて、見本市を開く為にファーモイとロンディニオンを行ったり来たり泊まったりの日々を忙しなく過ごして、日程を決めたり何なりと多忙を極めた日々は、12月のクリスマス商戦に合わせる形で結実する。
つまりは本日、見本市の初日という訳だ。
かのハーミット横町が出店すると、だいぶ前から宣伝して回り、ハーミット横町の置かれた現状を、付き合いの古い常連に教え奉り、その結構な上の位置にいる方々までも方々で語ってくれたおかげで、大盛況とあいなっている。
見える範囲だけでも貴族院の議員や、上等な爵位をお持ちな方、新聞で見た事のあるオペラやミュージカルの名優、他にも色々と遠い世界の住人と思っていた人々で、この見本市は溢れかえっている。
そうなると、どうにも場違い感を感じてしまうが、イーストウッド卿からはいずれ身を投じる環境であるならば、早い内が何よりも得策だろうと、今日は必要になれば呼び寄せられて、上流階級の子女のエスコートを言い渡される予定となっている。
服装に関しては、男装の麗人という来春には流行するかもしれない白手袋を含める一式揃え。
手足の丸出し部分に関してブラッドレイ夫人の恫喝に屈したヴィクター博士が、急ごしらえで袖や裾を長くしても駆動の妨げにならない様に、晒せば酷過ぎる不格好なシーリングを施したので辛くも着込めている。
ただ、あくまで今日一日の為の処置で、排熱の問題や何やらで半日が限界。
この後は不服そうに待機しているヴィクター博士と、どうしてか逃げ出したがっているエドガーによって、徹底した分解を伴う整備がされる予定だ。
「あの……」
「フフッ、私めに何か御用ですか?麗しきお嬢様」
声をかけられ、何度も練習を重ねる羽目になった、のたうち回りたくなる臭い台詞を自然体で吐いて、おどおどとする見るからに上流階級のご令嬢に応対する。
「フェネックの傘店は…その、どちらでしょうか?」
「それでしたらこちらです、ご案内いたしますのでお手をどうぞ」
人ごみの雑多さに飲まれぬように、後ろで微笑み見守るご両親へ向けて『お宅のお姫様はしかとエスコートしますよ』と目線を送り、か細い少女の手を優しく握り、私はフェネックの傘店が出店している区画へと歩みを進める。
今では冬で、日傘の役割となると、見た目の栄えだけだが、来春から夏にかけてからは必要になる。来年の流行を買うのも良いが、廃れぬ芸術を愛娘に持たせてあげたいという親心から、本日のご来店なのだろう。
「さあ、こちらでございます麗しきお嬢様。ここがフェネックの傘店、素晴らしき職人の手仕事による品々、どれもが貴女に選ばれることを待ち遠しにしていますよ」
そしてここからはご両親のお仕事と、私は一歩引いて、こちらから気が逸れると同時にあからさまに草葉の陰から見守るかのように、こちらを見つめるイーストウッド卿の下へ移動する。
「中々、優雅にエスコートが出来ていた。あのお嬢さんの良い(初恋の)思い出になったに違いないのだよ」
「それは当然さ。シスター・ヴェロニカという熟達なる指導者を得た者が、この程度のエスコートが出来ないなどという醜態を晒せるわけがない。この後も粗相なくこなして見せるぜ」
自慢げに小生意気にイーストウッド卿の…一瞬、妙な単語が含まれていたような?いや気のせいだろう。人の心の内など分からぬように、言の葉に含まれた真意もまた、意図した場合を除いて完璧に理解するのは至極不可能。
私の気のし過ぎだろう。
「それにしても…クリスマスを見据えた男女、夫婦、親子のご来場。私自身、軽く見積もり高を括っていたと痛感するね、どれだけ声をかけたんだい?」
「方々に声をかけ、その方々からさらに方々へ。ははは、私個人も予想の外だったよ。おかげで予定より多く減量が出来そうなのだよ」
「中年を過ぎてからの急激な体重の減量は、体を壊す一助。ダメだと思う前に休んでくれよ、イーストウッド卿?」
「それに関しては周りが目を光らせていてね、何かと休憩を取る様にと強引にここから連れ出されて、今戻って来たばかりなのだよ」
「フフッ、そいつは良かった」
イーストウッド卿の為人とは、まさに一家の大黒柱。従業員全員を家族として、子が飢えるは親の不徳と、福利厚生、給与所得など多方面で時代を先取りし過ぎる経営方針を好き進んでいるから、誰もがイーストウッド卿を慕い励む。
それは子が父を思うが如く。
だからなのか、従業員一人一人の技能が極めて高い。接客は勿論のこと、上流階級の無茶な一言も平然と受け流す胆力。さらには咄嗟の気遣い。全てにおいて超を幾度も付けなくてはならない一流。
さて、私も彼等に及第点を頂ける様に励ま……おや?何やらどよめきが生まれている。
それもこちらへと向かって?
「突如とした来訪、痛く申し訳ない。ここはフェネックの傘店で相違ないか?」
一層どよめく人混みを掻き分けて現れた尊顔。
美しき蒼玉の瞳。麗しき端麗なる顔立ち。色鮮やかなる金糸の髪。上下の均衡が保たれる肉体美。醸し出すは皇太子が第一子という風格。アルヴィオンに住まう者ならば、女帝陛下、皇配殿下、皇太子殿下、皇太子妃殿下と並んで知らねば国賊と言える御身。
攻略対象であるフレデリック・アンソニー・フィリップ・ルイ・アルトリウスの実兄。
アーネスト・クリスチャン・フィリップ・テオ・アルトリウス殿下が朗らかな春風の微笑みを湛えて、フェネックの傘店へ現れた!?
「はいここがフェネックの傘店ですアーネスト殿下」
「良かった、実は店主にお尋ねしたき事があり、本日ここへ参った次第。少しお時間を頂けると幸いなのですが?」
「殿下直々にお時間をと言われたなら、応えるのがアルヴィオン臣民の礼節。さて何方かにお送りする物をお選びに?」
店主は店主で極端に畏まる事を意識せず、自然体の畏敬を抱いた接客。
そして隣に立つイーストウッド卿はこれまた別段、特に気にする素振りも顔をに浮かべずにただただ見守るだけ。今更に私がいる場所は、普段いる場所でも、以前とそのまた以前とはまるで違う別世界にいるのだと痛感した。
「お言葉に甘えて。実は長く家庭教師を務めてくれているサマンサという老年の女性へ送りたく、本日ここへ参った次第。女性への感謝を篭めた贈り物というのは何が良いか?どうにも不心得で皆目見当がつかないのだ」
「おおそうですか…そうなると…ええ、こちらの日傘などは?」
店主が選び抜いた日傘は実に簡素だった。
そもそも日傘という傘は女性の持ち物。ゆえの色合いでありレースやフリルを多用する。見た目に華やかさを、華々しさを、何よりも女性を麗しく着飾る物として。だからその日傘を私は簡素としか表現できない。
フリルもレースも殆ど使わずにいるから華やかさに乏しく、地味に単色な藍色と細やかに散りばめられる模様……あれは桜?そう確かにあれは桜だ。あと柄は木で鉄の部品は数少ない。
まさに簡素な日傘だった。
「この布は秋津洲より仕入れた最新の遮光素材。模様は秋津洲の伝統的な桜模様。柄は私が削り出し、秋津洲の職人が蒔絵を施した物を。見た目の淑やかさにこだわった品でございます」
「成程…やはり僕は節穴だ。イーストウッド卿に窘められなければ流行ばかりを追いかけた日傘を送っていた。サマンサのように奥ゆかしい女性には、こういう日傘こそが相応しい。ありがとう。貴方に相談しなければその事に気が付けなかった」
ただ簡素でも気を配ったからこそ栄える淑やかな美しさを持った日傘でもあり、アーネスト殿下の送りたいと願う相手が、老年の家庭教師となれば、下手な流行よりも色褪せずに残り続ける美を意識した日傘にこそ栄えある。
それを長年の経験により裏付けられている店主は即座に相応しい日傘を見繕い、殿下は迂闊に流行のお尻を追いかけていた自身を省みて、店主へ賛辞と称賛を送る。
そして会場はこの一幕を遠巻きに眺めて、店主の職人としての疑うは失礼という実力と、アーネスト殿下の実直にして謙虚なお人柄に心奪われる。
大物が後ろ盾になればと開いた見本市で、まさかここまでの大物が釣れる驚天動地の急展開、終わりは綺麗にハッピーエンド、実に良く計画された上演だった。
なのでこれも貴方の企みなのかい?という視線を、隣で、悪い笑顔を浮かべるイーストウッド卿に私は思わず送ってしまった。
「以前話した事は覚えているかね?バース駅にいた理由なのだよ」
「バース駅、確かエァルランド融和派の会合だったか……まさか?」
「そうなのだよ。アーネスト殿下は20歳という若さなど物ともしない聡明なお方だ。大任をよく任せられ、私はよくお手伝いを皇太子妃殿下に頼まれる。日傘は以前に相談されこの前返信の手紙と招待状を送っておいたのだよ」
つまりその伝手を利用しつつもアーネスト殿下のお悩みを三方が最大限に利益を納める形で達成させた、という訳か。これでフェネックの傘店は皇室御用達に選出の可能性を得た。融資は向こうからやって来てガッポリ、ウィン=リー百貨店はこれを機にハーミット横町に手を出せなくもなる。
フフッ、これだと私を含めて三方ならぬ四方良しという事になるね。
実に愉快痛快極まる展開だ、思わずお腹を抱えて大笑いをしたくなる。だがまだまだ大笑いをするには早い、本日は別件で不在のイーストウッド夫人が私の懸念事項を解決してくれるか?それが分かるまでのお楽しみにしておかないとね。




