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四章【イーストウッド卿と滑稽な復讐者<Ⅶ>】

「ほう…これは見違える。やはり、少女が着込むべきは古着の男物ではなく、流行を取り入れた服なのだよ」

「……」


 着替えを終えて、百貨店の入り口から少しばかり歩いた場所にて、男性秘書と共に待つイーストウッド卿は、歯を浮かしたくなる言葉を平然と口走ったが、今の私には返す言葉を練り上げる気力も僅かにしか残っていないので沈黙で返すしかなかったのは致し方が無い。


「どうしたのだね?随分と顔色に疲れが見えるのだが?」

「…フフッ、当然さ。どれくらいの時間、私が着せ替え人形に徹していたと思う?疲れの一つや二つ、浮かんで当然さ」


 イーストウッド夫人を始めとするイーストウッド百貨店の女性従業員達も加わった私のお着替えは、身の毛のよだつ所業だった。あろう事か見るに堪えない素肌を衆目に晒す羽目になり、小一時間以上も私は着せ替え人形にされていた。

 あれでもない、これでもない、それでもない、どっちでもない。

 そういう調子で片っ端から着せられ、脱がされ、着せられ、脱がされ、合間合間に胸も揉まれ……もう心を虚無に据え置き、無我の境地で時計の秒針を眺め続け、終わったのがつい先程。

 買い物に、ショッピングに出かける前に心は疲れ果てている。

 それとだ……人生において、ここまで上等の生地を用いた衣服に肌で触れたのは今世が初めての私は、生きた心地を保つのにもやっとだ。

 圧覚でしか感じとれないが、今履き締める革のブーツ。

 足裏は明確に言い切る、絶対に汚しちゃあかんヤツ。

 さらにこの純白の、イーストウッド夫人が袖を私用に仕立て直した刺繍やレースなどで飾り付けられるブラウスの、心地よさを極めた肌触り。ハーフパンツもまた、上等過ぎる純然たる黒は、見惚れる濡羽色。

 腰の細さを強調し胸を支えつつも主張させる、その革製を意識した見た目の硬さに反する柔軟性と、10月を迎え肌寒さを越え始める今日この頃でも、しっかりとした保温性によって覆う体を暖かく包み込むアンダーバストのコルセット。

 そして最後に仕上げと頭部へ載せられた、革のベルトと真鍮の装飾が施された帽子。

 総論……工場労働者の年収何人分とかいう次元では到底足りない。


「だが、私は心の籠らぬ誉め言葉は好かぬ質なのだよ。本当に、綺麗だぞカーラ」

「っ……フ、フフッ、まあいいさ。で、ショッピングはハーミット横町でいいんだよね?とするならば、徒歩?」

「いいや、歩くには遠い、車で行くには風情がない。そこの馬車で行くのだよ」


 落ち着いた色合いのラウンジスーツと、それに見合う簡素な山高帽を被るイーストウッド卿は、近くで出発を待ちわびるを指し示す。通常なら四人は乗れそうな、百貨店の馬車なのだと表す紋章(エンブレム)が描かれた一頭立ての馬車が停まっていた。

 これから私はイーストウッド卿とその男性秘書と共にハーミット横町に向かう、夫人は会議室で資料と睨み合い、次に狙われる場所の見当を付けている最中でお留守番だ。


「では、行くとしよう。美しいお嬢さん」


 イーストウッド卿は再び歯が重力を振り切って飛び立ちそうな言葉を口にして、馬車へと私をエスコートするのだが、どうにもこの御仁は、根っこの部分が天然物の、常人となるれば気恥ずかしくて口にするのも躊躇う言葉を躊躇いとは何ぞや?と口にしてしまう人らしい。

 まあ、一般的な上流の階級に居る者ならば、下すであろう決断を拒否して、今も夫人一筋に愛し続ける人ならばそういう気質なのも納得のいく話ではなる。私個人には理解できない事だが。

 こうして私は馬車に揺られながら一路、ハーミット横町と称される場所へと向かうのだが、はてさて、ハーミット横町とは如何なる場所なのか?ジェインは知らず、時雄の【転生令嬢の成り上がり】にも登場しない地名。

 だが、イーストウッド卿は知っているようだし尋ねるのも一興だ。


「知らぬのも致し方ないのだよ。あそこは、知る人しか知らず、知らぬ者は知らされない場所だ。プリンス・ストリートにほど近く、職人の中の職人だけが古くから集う横町だ。名前の隠者(ハーミット)とは、隠れ構える姿から名付けられたのだよ」

「成程ね、フフン、目的はさらなる競合店への引き離しと客層の抱き込みか」


 知る人しか知らない、個人で大量に生産していないからお値段は下手な職業の年収と同等な、そんな商品をお手心価格で!なんてやられたら、上流に程遠い中産階級の中間下寄りには、ときめきに心踊らされる事態だ。

 例え、見る人には『粗悪』と断じられる品でも、上との交流の無い位置にいれば毛ほどの問題にはなりはしない。故にそれらの客層を抱き込めたならば、安さだけの競合店に差を開ける。

 フフッ、ちょっとだけ愉快になって来た。

 やり方の次第になるが、私の組み立てた仮定に正しさがあるのなら、キャスリンの企みに足を引っかけて転ばす事が出来る訳だ。

 カムラン校へ入学するまでの楽しみと、つまみ食いも出来ない状況で、果敢に自らに課せられた命題を突破する事に必死に足掻いていたから丁度よい気晴らしになる。

 おまけにジョナサンへの嫌がらせにもなる。

 ほんのちょっぴりに愉快な気分だ。


 そう思い馳せていると、馬車はプリンス・ストリートへと辿り着く。

 ハーミット横町には場所で行くには道が手狭なので馬車を御者と共に適当な位置で待たせて、徒歩で向かう事になる。

 プリンス・ストリートでも老舗たるパブの裏手、入り組み隠れ潜むような道筋を歩いた先。時間にして歩く事の20分程で件のハーミット横町に辿りく。

 古くから集う、というだけあり、建物の一軒、一軒の醸し出す年期に確かな歴史を感じられる。ここを落とす事が出来れば、着実な躍進が約束されるのは考える間も出ない。どうやら私の感はそれなりに信用が出来るようだ。


「社長、どこから行かれますか?」

「そうだな…やはり、順序良くフェネック傘店だ。それではカーラ、今から君は上流階級のご令嬢だ。慌てず、騒がず、驚かず、値札を気にせず、欲しい物があれば何でもねだると良いのだよ」


 イーストウッド卿はそう言うと、横町の入り口付近。つまりいの一番に視界に映り込む、傘を加える狐…フェネックかな?の描かれた看板が掲げられる、比較すれば新しい趣の商店へと向かう。

 扉を開ければ軽快なベルの音が静かに響き渡り、店の奥でカウンターに佇み億劫そうに新聞を読みふける店主が顔を上げてこちらを見やり、一瞬だけ私を見てギョッとしたがすぐに客を出迎える表情に戻る。


「いらっしゃい…おや?貴方はイーストウッド百貨店の、お体はもうよろしいので?」

「問題ないのだよ、そういう店主はどうなのだね?」

「なに、まだまだ現役さ。若い小僧共に席を譲る気は、もう四十年先になら持てるかもしれんが」


 軽く挨拶を交わしたイーストウッド卿と店主は、久しぶりに会う知人との語り合いを始めた。さて、イーストウッド卿に事前に欲しい物があれば、などと言われたから見て回るとしようか……フフッ、圧巻の光景だ。

 並びに並ぶ、壁、戸棚、陳列の為の傘立て、それらを埋め尽くしてもなお尽くし足りないと並ぶ傘。日傘、雨傘等々、兎にも角にも傘という傘で埋め尽くされた空間。

 そして一本、一本の傘が持つ品位は私の知る傘と明確に別物。

 時雄の知るビニール傘とか、話に出したら追い出されそうだ。

 と、あふれ出す高級感に気圧されている場合じゃなかった。イーストウッド卿からは、上流階級の令嬢として振る舞うように言われていたのだ、自然体で目が丸くならない様に見て行こう。

 雨傘…は別段欲していない。欲するならば日傘、淑女が故の嗜みを意識してではなく、真夏の日差しと義肢の相性は最悪なんだ。熱した鉄板は熱いのなら、義肢や接合部もまた熱い。

 適度に日差しを和らげる日傘の一本、欲してしまうのも乙女心。

 だが派手派手なのは遠慮しておきたい、ふんだんにレースをあしらうのは性に合わない。なら黒を基調とするのが好ましい、で模様……おや?


「この日傘、少し開いてみても?」

「ん?ああ、どうぞどうぞ」


 店主の許諾を得て、ここぞばかりに日傘を開く。

 真鍮製の骨組みなので時雄の知る傘とは明確な重量感の違いはあるが、丁寧な仕事が垣間見える、部品一つ一つへの磨き上げは見事。レースやフリルは使い方の緻密さで、過剰さを演出せずに、されども華やかさはしっかりと持たせている。

 黒の色合いはハーフパンツに負けぬ鮮やかな黒さ、淑やかな紫陽花の柄と上手く手を取り合い。銀製の石突で迂遠なくまとまっている。

 何より気に入るのは、柄の初対面とは思えない手との馴染み方。


「それが気に入ったのだね?」

「ああ、一目惚れさ。開く時の、穏やかで淑やかな、滑らかな開き具合。それと差した時の重心への気遣いは…フフッ、ときめきを覚えるよ」

「それは良かったのだよ、店主。これを」


 日傘を手に、会計を行うイーストウッド卿が財布の中から取り出すのはシリン……一瞬視界の端に見えた金色の輝きに、ギョッとしそうになるのを私は必死に抑える。気のせいでは無ければ、あの傘……ディランの月収よりもずっと高い。

 それと……今更だが、買い物をする必要性とは一体?

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