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三章【這い上がり乙女<Ⅹ>】

 意味ありげな視線を投げかければ、やはり熟達の淑女であるお三方は軽く咳払いで場の空気を整え、話を本線へと戻してくれた。


「さて、どこから説明すべきでしょうか。まず…トレント・イーストウッドという人物をご存じですね?」

「ああ、知っているとも」


 騎士爵(サー)トレント・イーストウッド。

 ジェインの文通相手であるクリケットおじ様の本名で、ゲームではジェインの養父となる御仁だ。何でも若い自分はクリケットの名手だったとか、なので文通を始めてた折に、愛称としてジェインはそう呼ぶようになった。

 ちなみにジェインはクリケットおじ様から『ジェーン』と呼ばれていた。

 そして彼はロンディニオンでも有数の百貨店『イーストウッド百貨店』を経営する社長でもある。ウィン=リー百貨店とは真逆の、上流階級の中辺りから中産階級までを相手とする高級志向。

 おまけ従業員への待遇は、この時代の経営者とは思えない程にホワイト志向。福利厚生の充実さは、慈善授業の化身たる王太子妃殿下が思わず爵位を授けてしまう程。


「そのイーストウッド卿が一体全体、どういった関係があるんだい?」

「実はねカーラちゃん、私の夫なの。セリーナ・イーストウッド、それが私の名前」

「……」


 心臓の脈打つ速度に、一瞬だけの狂いが生じたのは、致し方がないと思って欲しい。

 このご婦人、ゲームでならジェインの養母となるご婦人だった。そして…これは運命的な何かの歯車のお導きか?まさかここまで来て、イーストウッド卿との関わり合いが生まれるとはね。

 完全にジェインのストーリー進行とは、無関係な身の上だと思っていただけに、この対面は完全に寝耳にホースを突き刺し冷水を注入された気分だが、このディランの腰巾着とは真逆の人物がジェインの養母となる筈だった人か……。


「あらあら、何時もの獰猛さはどこへお出かけしたのかしら?普段の貴女ならここで、厚かましく名乗り返すのに」

「…フフッ、ああそうだね…二度目のご対面だが、以前に名乗り損ねたが私こそがカーラ・ケッペルだ。今のところは養子候補の実力面は筆頭の、ただの、カーラだ」


 呆ける暇も与えてくれないか…ブラッドレイ夫人の前で揚げ足なんて迂闊な真似をした私が悪いのだけど、さてならばより一層、状況は私の理解の範疇の外だ。

 『選定の家』で開かれる家庭招待会は、もっぱらが養子選びにやって来た慈善活動を使命とする、懐具合に余裕のあるご家庭の女主人との交流。遠目から子供を観察すれども、直接会うのは大筋を決めた後の最終確認の為。

 私はブラッドレイ夫人がはっきりと養子よりも嫁入りと言った、イーストウッド家には子供がいないから、嫁入り路線は無い。

 ならば社交を?いやいや、経験をさせておくならば修道院で事足りる。

 そもそも論でなら、家庭招待会に子供持参はマナー違反。

 養子候補も持参の範疇内。

 ならばこれは何の為のお茶の席なのか?何の理由があって私が座っているのか?

 見当をつけるにも情報が少ないね。


「カーラちゃんには何で自分が呼ばれたのか?とても困惑していると思うのだけど…チェルシーから夫の事を貴女に任せれば快方に向かうって勧められて、今日はそのお願いに来たの。夫のお見舞いをしてもらえないかしら?」

「私に?」


 私が?文通相手のジェインではなく私が?こんなチンドン屋と名乗った方が通りの良い孤児が、百貨店の社長をお見舞いをする?普通は逆だぜ、慈善活動は上流階級の嗜みだから、病人として見舞われるのは私の立場だ。

 それに快方…つまりイーストウッド卿は病床に伏せている。

 だがゲームではそういった情報は無かったが、この世界は同質であって同一ではない。ならゲームになかった持病か何かに蝕まれているのか…いやそれでも私が見舞う理由にはまるで足りない。


「混乱してしまうのも仕方ないって分かる、でももう他に頼る相手が……」


 先程までの陽気な姿は、そう受け取らせる為に装っていただけらしく、困惑する私の反応よりもずっと酷い、長い間沈痛を耐え忍んで来たという苦悶の表情で、イーストウッド夫人は俯く。


「カーラさん、バース駅で火をつけられたのは誰だと思う?」

「誰って……はっ!?」


 ブラッドレイ夫人の言葉に僅かな時間でイーストウッド卿を何が襲ったのか見当がついた。つまり火を付けれたのはイーストウッド卿だった、だが軽くはないが命に危険を及ぼす程ではなかった筈。

 いや、そうだとしたら夫人の有様に説明がつかない。あれは…私を気遣う出鱈目だったのか?


「火傷はね…もうだいぶ良くなったの、でも…でもね…ジェーンから手紙が届いたの。私もあの人も、ラジオに耳を傾けて、ジェーンを…最後まで信じてあげれなかったから……」


 忘れていた。

 ジェインは、クリケットおじ様に手紙を出そうとしていて、あの手紙は私の手元にはない。無いのなら、どこかへ消え去った、と……願った先へ届いたなどという考えなど、今日まで過りもしなかった。



♦♦♦♦



 去年の8月頃の事件に塗り消される形になったが、トレント・イーストウッドが何者かに火を放たれたという記事は、ひっそりと報じられてはいた。ただその頃のカーラはまともな新聞に目を通す環境で生活をしていなかった。なので低俗紙を介さず世俗を知るすべは無かったので、知らなかったのも無理は無い。

 エァルランドの首都ドゥブリン近郊にある自宅の、ロンディニオンでは誰もが知る高級百貨店の、その社長の自室とは思えない質素な一室で、呆然と窓から覗ける外の景観を呆ける眼差しで、トレント・イーストウッドが安楽椅子に揺られているなど、さらに知る由もない。


 彼がこうも呆けているのは、火傷の具合が悪い訳ではなく、ジェインが死んだ事だけでもなかった。ジェインが死んだ事は、確かに大きな悲しみを彼に味合わせた、だがそれはだけではない。

 病室で夫婦共に聞いたかのラジオ放送、そこで語られたジェイン・メイヤーという、悪辣な少女の物語を、最初こそ嘘だと思ったイーストウッド夫妻だったが、時間の経過が夫妻の中に、ジェイン・メイヤーという少女への不信を植え付け、死者からの手紙が届く頃には、もう悼む心は失わせていた。


 今も手に握られる、黒く変色したかつては真っ赤な血に塗れていた手紙。

 そこには自殺へと辿り着いた心境など微塵も含まれず、勘当され人生のどん底へ転げ落ちた事を、決して相手に悟られまいとする気高さと、それでも隠し切れない悲痛な叫びが見え隠れする。

 そんな一通の手紙に、夫妻はジェインが自殺したのではない事を確信し、同時にイーストウッドは、あの日、あの場にいた自分なら、あの瞬間にいた自分なら、彼女を魔の手から救い出せたという真実に直面する。

 さらに言うならばその悲劇の少女に騙されいたという、一方的な被害心に支配されていた真実にも直面した。


 何故、自分は助けてあげられなかったのか?

 何故、自分は悼んであげられなかったのか?

 何故?

 幾度も幾度も、イーストウッドは自らに尋ね続け、一年を経た今では心が摩耗しきり、穴の開いた根底から気力の全てが漏れ出し、ただ延々と自問自答を続ける生きているだけの屍と化していた。

 そして今日も窓辺から外の景色を眼球に映すだけで、眺める事もせず呆然と安楽椅子に身を任せていた。

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