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三章【這い上がり乙女<Ⅷ>】

 イーサンを背に食堂を離れて廊下を突き進む私の胸中は、僅かばかり穏やかではなかった。いや穏やかでいられるかい?ブラッドレイ夫人からの呼び出しだ、何を言ってくるのやら……。

 トリスタンからの助力の件?それとも何かの因縁つけ…いや、ブラッドレイ夫人は情熱的に相手を踏み蹴るお方だが、陰湿や陰険とは仲が悪い。やるなら正面から堂々と、竹を割ったかのような女性だ。

 ならば……行ってみれば分かる事だからそうしよう。

 執務室は『選定の家』の二階、ちょっと歩いた先の目の前…おや?


「今日はありがとうねチェルシー」


 目と鼻の先の位置で執務室から人が、それも見慣れない人だ…と、扉を叩こうとした瞬間であったから、そのつもりではなかったけど相手とぶつかりそうになってしまったので、思わずまじまじと見てしまった。

 穏やかでいて、淑やかな、壮年の優しい面持ちの女性。

 どこのご婦人なのだろうか?家庭招待会で来訪した人…いやそれだったら応接間が適している。ならブラッドレイ夫人の仕事関係…おおと、まじまじと見るのは失礼だ、淑女の嗜みたる礼儀作法に反す―――、


「まあまあ、驚いたわ。ここにこんな可愛らしい女の子がいるなんて!貴女、お名前は?その手足は…自由共和国の機械義肢みたいでカッコいいわね。それにとても背が高くて腰もお尻も引き締まって、それにお胸も!」


 ると思ったらなっ!?何を!何をしてくるだいこのご婦人は!?いきなり、いきなり弾丸のように話したかと思えば腰を触って、そこからしれっと尻からの胸!何故の胸を揉む!?


「あっ!?ごめんなさいね、おばさんだから思わず……」

「い…いやいや、特に気にしていないから平気さ。知り合いは女性同士なら犯罪ではないと豪語して、鷲掴みにしてくるからね……」


 怒るに怒れない。

 ハッと我に返り、シュンと子犬のように落ち込む表情なんてされたら、一般常識と照らし合わせてお巡りさんに相談だ案件な行為をされた身の上でも、許す、からの気にしていない、そう返すしかなくなる。

 私や手足を見ても奇異な目よりも好奇心を優先する辺り、根っこは壮年に至ってもお転婆なお嬢さんのままなのかもしれない。正直に言うと、変に思われるが好感の持てるご婦人だ、責め立てず流して終わりにしよう。

 そしてご婦人は急ぎの用事があるらしく、名乗る事無く慌ただしく去って行った。では私も自分の用事を済ませるとしよう。

 部屋の中には執務机に座るブラッドレイ夫人と、隣に立つはシスター・ヴェロニカ。

 そして対面するように椅子が一つ。


「あらあら、何時まで扉をあけ放つのかしら?もしかしてお話は大勢に聞いて欲しいのかしら?」

「いやいや、昔から大勢は苦手でね。話は少人数で静かに、時折笑いを挟むのが好きさ」


 私は覚悟を決めて扉を閉め、促されるままに椅子へと座る。

 そして対面するブラッドレイ夫人の目を見返す。さあ、呼び立てた理由は如何に?


「あらあら、そう身構えなくても大丈夫よ。今日呼んだのはとても簡単な事。アーサーは軍務で忙しくて、11月の査定に出席できそうにないから、私が代わりに貴女の査定を行う事になった。それだけのことよ」

 

 十二分に身構える事なんだけどさ!という内心を、動揺という形で表情に出す前に顔を引き締めて、


「フフッ、それはそれは…私の査定結果はどういう感じなんだい?」


 と言葉を返す。

 本当に心臓に悪いご婦人だ。

 嗜虐的や加虐的という言葉がこうも似合い違和感のない人は、微笑むだけで相手の心胆を凍り付かせる。隣にシスター・ヴェロニカだ立ってくれているおかげで辛うじて生きた心地を保ってはいられるが。

 しかしだ、ブラッドレイ卿は軍務で忙しいか。

 フフン、これでもトリスタンからフェンシング以外にも軍隊に関して軽い講義を受けたからブラッドレイ卿がどれだけ多忙で、多忙を極めているから知っている。なので代理がブラッドレイ夫人でも異論はないさ。

 

 アルヴィオン連合帝国陸軍は、大きく分けて三つの軍からなる。

 一つは兵役を終えた予備役の兵からなる予備軍。次に常設で何かあれば本土の守りから侵攻まで行う野戦軍。最後に海外領を鎮守する駐留軍の三つだ。ブラッドレイ卿はもちろん野戦軍…ではなく駐留軍、エァルランド駐留軍司令だ。

 エァルランドの正式名称は連合帝国領エァルランド大公国で、連合帝国に所属する名だけは残された大公国。なので扱いは目と鼻の先の海外領。そこにいる軍は駐留軍となり、ブラッドレイ卿はその司令官。

 多忙で当たり前の役職という訳だ。


「面倒な探り合いはお茶会で十分だから単刀直入にいいます。査定の結果は合格、引き続き援助を行い、引き続き首は載ったままとなります。また授業に関して、実技に変更を加え貴女だけ別、となります」

「私だけ?別個とは…好待遇と喜ぶべきか、何を企んでいると訝しむべきか。フフッ、理由を聞いても?」


 実技で私だけ別個、というのは少々どころの事ではない。 

 一個人を優遇するというのは平等な競争という建前を、無作為に壊すことに繋がりかねない。確かにイーサンの謎の優遇を鑑みれば、私を優遇したとしても些末事として割り切れるかもしれないが。

 それだとしても露骨過ぎる話ではあるのだ。昨年にひょこっと現れた珍道屋もかくやといういで立ちが、そそくさと這い上がって行くのだ。そこに優遇が加われば?面倒ごとになるのだけは避けられまい。


「説明は私が、理由は簡単、明瞭で簡潔。貴女は基本の教養が出来ているのですからその先は淑女の嗜み。男子とは別個となるのは避けられないのと、密かに試験を見学したトリスタンから、自分以外が指導するのは厳に慎ませるべきと上申がありました。ですので貴女は別個となります、良いですね?」

「フフン、そうかい。それならば致し方ない、異論もなければ反論もない。それどころか快諾させていただくよ」

「ただし、フェンシングの授業は時たま出席する事にはなります。講師達の反発もあり、見学にだけ留める事になりますが」

「それも承ったよ」


 フフッ、どうせ、ああしようがこうしようが、私への批判非難、誹謗と中傷は避けようのない事、それらを道すがらの草花と割り切ってトリスタンとシスター・ヴェロニカから個人教育という厚遇を、甘受するのはやぶさかではない。

 しかる後に滞納金を、忘れず利息込みで取り立てるように蹂躙すれば良いだけの話。

 煩わしい見学も、その日を待ち遠しく感じるアクセントと思えば愉快なピクニックだ。


「最後に今後の進路について、確かカムラン校への入学を希望しているのよね?」

「ああ、そうとも」

「…無条件と言うのも面白みのない事よね」


 無条件?無条件とな?いやいやいやいやいや!条件盛りに持ったパッッフェと思うけど!常時私の首をかけている時点で、相当な条件が付いていると思うけど!…その条件はブラッドレイ卿との取り決めか。

 成程ね!つまりブラッドレイ夫人とも首に相当する条件が必要という訳か……容赦ないね、このご夫婦は!余計に楽しいじゃないか、愉快で痛快なコメディにはこうでないと。


「フフッ、どんな条件が付属するんだい?ちょっぴりのお塩みたいな条件だと刺激が足りないと思うぜ?どうせならクランペットを覆い尽くす廃糖蜜(ゴールドシロップ)のような条件を希望したい心境なんだけど?」

「カーラさん、売り言葉が来たなら即座に大枚の買い言葉を返すのは無謀、感心しませんよ。特にチェルシーのような者を相手にする際は、果敢を装うだけでも命知らずです」


 私とブラッドレイ夫人の会話が余程の非常識に思えたのだろう、シスター・ヴェロニカは眉間に皺を寄せて苦言を口にした。別に最初から無理難題を吹っかけてくるのだから、純粋に楽しもうと返しただけ。

 果敢なんて微塵も装っていないぜ?私は。


「この先、嘲り笑って平然と這い上がって行きそうだから、そうね…入学費用をこちらで負担する、ただし女帝の学徒になる事を絶対条件としましょうか。貴女は養子になるというより嫁として引き取られる形になるけど、華爛(からん)の青磁でも傷物だと誰も欲しがらないでしょう?せめてもの箔付の為に、女帝の学徒に選出された栄誉を手に入れなさい」


 華爛、東アジヤのかつての大国が統治していた地域を指す地理的呼称、現在で群雄割拠して治まっては乱れ乱れては治まりを繰り返す戦乱の大地の地理的呼称だ。

 戦乱の大地が故に美術品は日増しに貴重になり珍重されるようになってはいるが、それでもが割れて修復して、さらに割れて粉々になってから修復した壺なんて…確かに私も欲しいとは思わない。つまり私の貰い手なんて余程を超越した好事家にしかない訳か。


「この先、私がカムラン校に入学するには女帝の学徒になるのが必要…フフッ、それはちょっと困った事案だ。女帝の学徒の栄誉を手にする自信はある、が一身上の都合で私がその枠を食ってしまえない事情もある」


 シンシア・ヘイゼル。

 彼女の為に私がその枠を食う訳にはいかない。彼女が居なければ復讐の構図を作り出せない。非常に困るしとても困る。だがそれはブラッドレイ家にはどうでもよく、ブラッドレイ夫人にしてみれば与太話だ。

 一応説明はする、事情を説明せずに出来ないなどとは押しとせないからね。


「あらあら、それは困ったわね、でも条件は変わらない。やるかやれないか、成せるか成せないか。その二択だけよ」

「フフン、そう言い切られると覚悟していたさ」


 要約すると、私は女帝の学徒になる。シンシアは女帝の学徒にさせない代わりにこちらで、何らかの方策をもってカムラン校への入学費用を用立てる……こいつはマリアナ海溝の海底まで素潜りするような難題だ。

 やるだけの価値はあるが、やれるか?

 ちょっとしたこぼれ話を一つ。

 廃糖蜜にルビ打ちしましたゴールドシロップ、元ネタはイギリスを代表する味『ゴールデンシロップ』です。この作品を書くにあたって買ってみました。

 レシピ本などではべっこう飴のような甘さと書かれていて、確かに砂糖などの『甘い』とは違う、色合いの似ているメープルとも違うコクのある甘さ。素朴で異国の味なのにどこか懐かしいべっこう飴のようで、人によってはチロルのコーヒーのヌガーとか思う味。

 それがゴールデンシロップで、イギリスではご家庭から王室に至るまで普及している国民的な味にして、これを湯水のように使って作るのがハリー君の好物『糖蜜パイ』です。

 以上、こぼれ話でした。

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