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三章【這い上がり乙女<Ⅵ>】

 さて、それから幾星霜…などと語ってみたが実際は一週間と僅かな日々の後に始まる7月。つまり待ちに待った進級が出来るか否かの試験の日だ。合格すれば良し、駄目なら即日に私の首が飛ぶ。

 嬉しい楽しい進級試験が始まった。

 普通なら多少は気だのなんだの負う訳だが、今の私には特にない。

 常日頃からの成果を発揮する場なのだから、常日頃の延長線上として自然のままの体で望めば、怠りさえなければ問題など起こらない。つまりは今日(こんにち)までどれだけ不真面目にならずに勉学に励んだか?を確認する為の通過儀礼なのだから。

 フフッ、何よりだ。今の私は以前のような、日課のように羽ペンをへし折るなどという醜態とは、少し前におさらばしているのだ。羽ペンを最後に折ったのは6月以来というもの。

 神経を擦り減らしながらの解答という状況下から解放されたので、私はもうスラスラと文章を、数式を、書き上げて早々に座学では名実共に筆頭。主席だという事は揺るぎようのない事実だと確定した。


 実技に関しては座学とは違い二教科。

 教養とフェンシング。

 教養に関しては、日常生活の一編を諳んじれば済むだけだから、対して苦労もせず普段通りの生活風景をお披露目して、シスター・ヴェロニカから『問題ありません。実に美麗、見事、完璧な作法でした』と太鼓判を押してもらった。

 と、ここまでざっと三日間だ。有意義な三日間ではあったものの、私の置かれた状況だと本質的にはおおよそ無為な三日間でもあった。

 何故か?言うまでもないが言おう。

 私の手足に投資がなされる理由は傷痍軍人の為、つまりは文字が書けますだの優雅に食事が出来ますだのは重要課題ではあるが、最重要ではない。最大の焦点は実戦に耐えられる代物なのか?

 最低でもフェンシングの一つでも満足にできないのならお呼びではない。

 私の天王山は今日、四日目の今日。

 実技試験最終科目、フェンシングのサーブル。

 内容は5人一組による総当たり戦だ。

 

「第一組を発表する、静かに聞くように」


 防具一式を身に纏う養子候補三十と余が、ダンスホールのような大部屋に一堂に屯して、講師達が発表する組み合わせに一喜一憂、固唾を呑んで耳を傾ける。その余である私は誰と対戦するかで、一喜したり一憂したりはしない。

 おおよその予測からして無難な組み合わせになると判明しているからだ。

 体裁は無作為に意図で改竄する余地なく均等に振り分けているとしているが、最初に発表された組み合わせが、誰を進級させ誰を振るい落すのかを、露骨という言葉が謙遜語になるくらい明確になっていたものだから、冬になれば温かいスープが美味しいというくらい分かってしまう。

 実力面で進級するのは確実なイーサンと当たる事は無い。 

 私と当たるのは、まあ実力的に首の皮一枚の連中の保険としてだろう。

 おや?私の実力なら保険どころか蹂躙だろうと?まあ当然の疑問だ。

 実は私はまだ、本領を見せびらかしていない。

 絶対に食べられたくない特別なチョコレートを、鍵のかかる小箱に入れて厳重に隠す要領で、フェンシングの、サーブルの腕前を隠している。それが故に発表された私のいる組み合わせは、初日にイーサンと対戦していたヒューバートとその他を進級させる為の面子。

 適度に弱敵を組み込み、確実に一勝は出来る組み合わせという訳だ。


「では試験試合を始める。各組の審判の下に集合し、準備が整い次第始める」


 さてさて、これは逆説的に困り果てた。

 別に、初日にイーサンとやり合っていたヒューバートが強くて困りましたではないのだ。下手くそに実力を隠したが為に余裕をもって勝ち抜いてしまう面々と、対戦しないといけなくなったのが困り果てるという話だ。

 初めての八百長よりも疑わしさを醸し出すかもしれないのだから。


「試合は3分間の5点先取で行う。では第一試合、ヒューバート、カーラ、前へ」


 物事は基礎が出来ているか否かで結果の大半が決まる。どれだけの天才であろうが基礎が出来ていなければ地力の差で、最終的に押し負ける。ようは天才に打ち勝つ凡才の物語は、この基礎の習熟度愛に由来するわけだ。 

 手首、肘、肩、それらに一直線が通る均整の取れた構え。

 利き腕たる右と同じ足を前に、お飾りに見えて実際はバランスを取るのに必要不可欠な左腕を、自分にとって正しく構え。肩幅に開いた両脚は進もうが退こうが同じ幅。トリスタンは初日から常に、基礎に重点を置き基礎を疎かにする事を蛇蝎の如く嫌った。

 だからなのだろう、


「っ!」

「始め!」


 お互いに礼を済ませ、定められた位置で構えたのを確認してから口にする言葉よりも前に。

 開始よりもわずかに早く動くという無礼を働いたヒューバートの一歩目に、私は酷く落胆を覚えずにはいられない。攻撃権を得たという事は相手には反撃権を得る事だという発想の無い、欠伸をかみ殺す暇のある突き。

 上半身全てが有効だから選り取り見取り、だと思い違いをする突き。

 それを私は下がる事無く軽く飛び跳ねながら払い、


「えっ!?」


 攻撃権が私に映ると同時に返す刃にて、顔を斬る!


「っひぃ!?」


 防具越しでも顔を斬られる、という恐怖からヒューバートはお尻で餅をつく。

 この間は一瞬、包み込む沈黙は?どれくらい続くんだろうね。どいつもこいつも、私が身軽に動いて見せるとは夢にも思わせていなかったから、呆気に取られて審判の講師は呆然と、スズメが巣を作るのには最適な大きさで口を開いている。

 アッハハハハ!笑いをこらえるのに必死だぜ!他の連中も硬直してこっちを見ているんだからさあ!

 まさに、滑稽。


「おいおい、審判なら何か言うもんじゃないのかい?点が入ったとか、すぐに立てよヒューバートとかさ~」

「……っ!?ヒュ、ヒューバート、すぐに立ち構えなさい、試合中です!」


 フフッ、トリスタンという師を得た私になら分かる。

 こいつ等は本当に弱い、たぶんイーサンにも普通に勝てる。

 大言と壮語を口にするならば講師にも勝てる…いやそれは大口を開き過ぎか。

 だがそう思える程度の実力だと、確信させてくれるのだ。

 トリスタンから聞いた以前の講師達の話がより強く、確信を与えてくれる。

 貴族としての義務ノブレス・オブリージュを果たす為に戦火に散った先代の講師達。戦争外相と謳われた男が就任し、エァルランド政策で女帝陛下と対立して解任されるまでの間に起こった、幾多の戦争によって命を落とした先代の講師達。

 彼等の後釜として教育界から押し付けれた当代の講師達。

 過去を知る男を師事する私と、今をときめく連中を師事するこいつら。

 その質の差はは今この場で私によって証明された。

 私の一方的な勝利である。


「…しょ、勝者…カーラ……」

 

 信じられない出来事が起こったという面持ちで私を見る講師達、養子候補達、そして目と目が合って青くなるイーサン。ああぁ…不愉快極まる。

 私は弱い者を虐める事で愉悦感を抱ける安物の乙女ではない。

 一応、この手足は、それなりに酷使しても、100人乗ってもには及ばないが大丈夫な手足だと、証明する事が出来たから良しとせねば、の精神で不快感を呑み込もう。試合はまだ続く。

 弱い者を痛めつける行いだが、世は弱い者が搾取されて必然の世界なのだ。

 そこで良い、と甘んじて来た己を呪え。


 その後は全戦全勝という面白みのない喜劇とは程遠い、当たり前の展開で終わり、翌日には私の進級は問題なく決まった。

 決まったのだが、これといって達成感は無かった。

 三日間はまさに心躍らせる、坂の上を目指す心境だったというのに最終日の四日目に待ち構えていたのは、雲と共に広がる世界の美しき光景でもなければ、次の目標を見失う戸惑いでもない。

 ただの作業。勝てて必然極まる相手に勝利するという作業。

 それらが坂の上の手前に待ち構え、最後の一歩を踏み上がる頃には退屈を覚え、広がる景色の凡庸さに、おかげさまで上り切った私は何一つとして達成感を抱く事が出来なかった。

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