三章【這い上がり乙女<Ⅴ>】
「……ぇ……………っ!カーラ!?どうしたの!何があったの!?」
ああ、うん。
まあそうなりはするね。
ブラッドレイ夫人の小脇に挟まる私。普通の、常識を地で歩み続けるエドガーの脳裏では、状況を論理的に思考で理解するのは、一拍子以上の時間を要するだろうね。小生意気にもチーズクリームが細やかに添えられた、キャロットケーキを口に運ぼうとしていたひと時で固まるエドガーが動き出すのに、四拍子以上の時間を要した。
で、動き出すと慌ててキャロットケーキの載ったお皿と、一切れの刺さるフォークをもろ手に私へと歩みより、で右腕の肘から先が行方を眩ませている事にさらに仰天する。
本当に驚く姿はコッツウォルズの呑気な羊のようだぜ。
「あらあら、おやつの時間でもないのにもうおやつなのかしら?それも焦げた液体をお供にするなんて、アルヴィオン人ならお茶を飲みなさいな、あとヴィクターへ電話をかけて今すぐ早急に」
「はい!?喜んで!!」
ブラッドレイ夫人の一睨みで音を立てて血の気の失せたエドガーは、相当に未練があるらしくもろ手にキャロットケーキを掲げたまま、急病に備えるという名目で置かれた電話機へ向かう。
そして受話器を手に取りその先にいる交換手に、表向きのヴィクター博士の工房に繋がる場所を口にする。ただ特殊な場所だけに繋ぐのにモタモタしているらしく…フフッ、私は何時まで小脇に挟まれればいいんだい?
「師匠ですか?」
ようやく話器の先に繋がったらしい。日本人でも無いのに見えぬ相手に気遣う仕草から、フフッ、どうやらヴィクター博士の機嫌はすこぶる最悪のようだ。上手く行っていないのか?それとも上手く行っているところへの水差しか?
まあ、トリークルタルトを食べ損ねた乙女の前でキャロットケーキを食す。許す余地のない事にちょっぴりでもチーズクリームを添えていた男だ。もっともっと皮肉を言われると私の胸がすくのだが、私を小脇に抱えるブラッドレイ夫人はそう我慢強くはないらしい。
エドガーから受話器を取り上げ、私を取り込んだ洗濯物を投げ渡すように、文字通りエドガーに投げ渡すと、
「ヴィクター?カーラさんのみすぼらしさを極めた義肢が完璧でもない癖に完璧に壊れたから今すぐ新しいのを準備しなさいな」
『………!!!!』
と、単刀直入。
それはもう気遣いという飾りっ気が邪魔だったらしく、全てひっぺはがしての直球要求。
お陰様なのか受話器の向こうからの怒鳴り声が、薄っすらと響いてきている。
「まだ調整中?圧覚しか再現できていない?あらあら、試作品だというのに完成品の質を求めているとアーサーは言ったかしら?試作品なのだから、試作でよろしいのでしょう?見栄っ張りを気にして全部が台無しなんて…無様よ」
『………!?!?』
最後辺りは鼻で笑う、つまりさらに燃料投下だ。聞き取れないが相当に怒っているね。
人並み以上の自尊心の持ち主にあそこまでの『お前っておバカwww』と草を生やすとか、拗ねてしまうんじゃないか?まあ、私個人としてはいち早い試作品の納品を期待したいところだから、いいぞ!もっとやれ!とブラッドレイ夫人を心から応援しよう。
「あまり聞き分けの無い事ばかり言う凝り性なら、そうね…完成するまで貴女の生き恥の朗読会を始める事になるけど、ねえカーラさん。実はヴィトリアは以前と――――」
『………』
「そう、それでいいのよ。それじゃあエドガー、手配するから今すぐカーラさんを工房に連れて行って」
こっちを嗜虐的な微笑みを向けるブラッドレイ夫人の言葉の続きを遮ったのは、聞き取れないがヴィクター博士の根負けの言葉だ。ただ以前とは?以前に何をしでかしたのか?もしくはしでかされたのか?
気になる。特にヴィクトリアと呼ばれた次の言葉が根負けなのがより一層気にあるところだが、話を複雑にして怪奇に持ち込むほど、衝動に弱い訳ではないからまたの機会があれば聞き出そう。
♦♦♦♦
で、私は久しぶりにエドガーの膝の上に乗っかって馬車の旅…ではなくブラッドレイ家が所有する、蒸気の力で疾走する車だ!いや~車だよ、文明開化の蒸気音をたなびかせる自動車の旅だ。
布張りの屋根の、機関車の先っぽを車らしく仕立て上げた車でマナーハウスへ一直線。
そこから何時も通りの義肢と部品と歯車が充満する工房へ。
出迎えるヴィクター博士は、
「イヒヒヒッ、おいクソモルモット。無様に手足が壊れたんだって?もしくはついに壊れたか」
受話器の先で言い負かされた泣きっ面を蜂に刺される前に取り繕ったらしく、何時ものまさに狂気の科学者という面持ちとけたたましい笑い声で私を出迎えた……私とて、空気を読める方ではあるから、先程の事は触れないでおく優しさを見せよう。
それよりも、
「フフッ、それでヴィクター博士。ようやく私は試作品を堪能できる運びにあいなった…でいいのかい?またまた仮組みと同程度だなんて展開は勘弁だぜ?」
「少しは口を減らせクソモルモット、もしくは驚愕し仰天しろ!まるで別物に仕上げている。イヒヒヒッ!お前の目を見開く姿が楽しみだ」
これまでの醜態なんて自分とは無関係だと、まさに自信家の語源は自分だと言いたげなヴィクター博士の顔を見る限り…フフン、どうやら期待しても良いのだろう。流石にここからコメディータッチな展開は喜劇に過ぎるしね。
「おい馬鹿弟子、さっさとクソモルモットをベッドに寝かせて、邪魔な部品を取り外せ。さっさと取り付けてさっさと終わらせる。まだまだ研究は黎明期だ」
「はい師匠、それじゃあカーラ。少し我慢してね」
ああぁ…あの感覚、最襲来か。
この先、何度も経験するだろう、今から経験するだろうあの、電流が走る感覚!避けては通れずか。避けて通りたい事は決して避けては通れない、まさに人生の真理だ。
憂鬱な乙女の心境など作業に熱中し始めたエドガーには察する事は出来ず、手早く既に準備されていた、待ち遠しかったまたは、目にする事は無いのだろうと中半覚悟していた試作品の義肢を、ヴィクター博士とエドガーは――――。
「!?!?!?!?!!」
「あ、ごめんカーラ!」
「イヒヒヒッ!良い顔だ、もしくは良い泣きっ面だ」
これだから研究畑脳は!一言、まずは一言語りかけるのが筋道だろうに!
物思いに耽っている隙に取り付けるとか…まさに電流を流されたカエルのように跳ねてしまったじゃないか!後でエドガーのお茶の…いや彼はコーヒー派だったね。コーヒーのお供を貰ってやる!
「でぇクソモルモット、どうだ?まさに新品の出来上がり立ての義肢の調子は?」
「そうだね……」
以前と変わらず中身は丸見え…ただ丸見えの作りはより精緻に、機械的な人体を思わせる雰囲気に。重機の駆動部な関節から、まるでアンティークドールを彷彿とさせる球体関節へ。
小さな小さな指の関節から大きな関節まで、義足も同じだ。
全体を俯瞰してみれば…以前のお粗末なブリキのトタン屋根から、作りかけの真鍮製なアンティークドール。という変わりようで何より、
「凄い、良く動く…しゃんと動く!」
そうそれだ!そしてこれだ!
無くなった手足とはこうだった!こう動かせていた!!
違和感などない、逐一一々、何事も!常に脳裏に細やかな考え事をする暇も与えてくれなかった以前とは大違い。立つ、から初めて軽く跳ねるまでの精神の疲労感など最早、さようならだ。
ああ、そうだ。
手足とは、こう動かせるものだった!
「フフッ、随分と様変わりだ。以前の仮組みとはまるで違う、いや同列に扱うのは失礼だと実感させてくれる出来栄えだ。純粋に感謝するぜ、ヴィクター博士」
「イヒヒヒッ!そうだろうそうだろう、クソモルモット?だがそれでも試作品としては初歩中の第一歩だ。真の意味での第一歩にはもう半歩足りていない。主に中をどう隠すか?どこまで覆い、どう覆うか?それがまだまだ空論の段階だ」
それは…普通に覆う、ではダメなのか?
こう……そう、確かパーフェクトなグレートの機動する戦士のように、骨組みにはめ込む的な?一回だけ買って作った事のあるあれみたいに?いや、畑違いだから特には言うまい。
今はこの義肢で、来月早々に執り行われる進級を懸けた。
私の首が飛ぶか?飛ばないか?を懸けた、試験に臨む事だけに意識を向け、集中しよう。




