三章【這い上がり乙女<Ⅲ>】
突拍子もなく、したり顔で草葉の陰から現れて、痛いところを突くというのが軍人の所作なのだろうかと、私は言ってやりたくなったがここは我慢しよう。どういう思惑を胸に秘めているか一番分からない相手なら尚更だ。
「やあアシュトン中尉、どういう了見の物言いなのか聞いても良いかい?こんな、一目の届かない林の中で、息を潜めて監視していた理由とかさあ?」
「おや、気づいていました。子供向けに気配を消したつもりでしたが、ああ、そう言えば前世の記憶が二つもあるのでしたね。次回からは大人向けで行かせてもらいます」
フフッ、やはりコーヒーの色みたいに濁されたか。
どうにも私は、気配を消して近づく相手と、後ろからついて来る相手には本能的に警戒してしまうね。時雄は嫌がらせから身を躱す為に、ジェインは人攫いから逃れる為に。ただ、こういう状況の草葉の陰からこんにちわ、は普通に誰でも一等気を引き締めるぜ?
アシュトン中尉の趣味は知らないが、私は守備範囲ではないと思うから露骨な警戒は不要だけど。面識は一応、ある訳だし。
帝国陸軍の中尉でブラッドレイ卿の副官。
顔立ちは柔和ながらも野性味があり、外見から察する年齢は二十代前半。鮮やかな金色の瞳と枯れ芝色の髪色。エドガーとは別の路線の美男子で纏う軍服にエァルランド人の伝統的意匠がなければ…あっても普通に世の女性方は黄色い声援を上げるだろうね。
私?私は、あれだよ。
半分は時雄の成分が含まれているからこれといって、だ。
さて私が知っているのは以上だ。
だからこそ思う。
この男は、何を考えて姿を現し、私を見つめるのか?
半端にしか知らぬ相手だからこそ、不気味だ。
「今日の、実技を見学をしていました」
「知っている。座学もだろ?」
「目があいましたしね、だからなのかどうにも小官には生温く、いえ冷水を浴びせかけられたような気分です。お上品が過ぎるとも言えますね、以前はもう少し野趣ある場所でしたから」
「へえ~」と私は答えたが、野趣ある場所か…言われてみればここにいるのは孤児で、人によっては浮浪児だったのだから。フフン、確かに気持ちティースプーン一杯分の粗野な色合いが足りないね、どいつもこいつも、反吐が出そうなくらい甘ったるい声を口遊むから。
もうね、日々苛立ちに満ちているよ。
「で、それが覗きの理由とどう繋がるのか、私には皆目見当をつける術がない。教えてもらえると、夕食に遅れずに済むんだけど?」
「おや、そろそろ夕食時ですか。では手短に言います、今後も小官はここ、『選定の家』に顔を出しますので、都合が合えば教えますよ」
「何を?」
「サーブルを、お行儀の良いお貴族様の嗜みから、荒々しいサーベル術まで。如何ですか?」
「……」
即答しかねる。
どういう思考の果てにそういう答えを出した?何を目論む?
いやその前に私にサーブルを教えたとして、この男はどのような利潤を得るんだ?
腹の内側を探るには、飾りっ気のない質問をぶつけるしかないか。
「それが、アシュトン中尉にとってどういう利益に繋がるのか?尋ねても良いかい?」
「利益?奇妙な事を聞きますね。ただ教えたいから、ではダメですか?」
さらに濁すか…もしくは彼なりの損得勘定の末に出した何らかの利益があるのか。
判断するには、アシュトン中尉の事を私はまるで知らないから無理だね。
「一つ聞いても良いですか?」
「乙女の秘密に関わらない事なら、答えるのはやぶさかじゃあないぜ?」
「そうですね、ちょっぴり触れますが…カーラさん、何故、利益という言葉を口にしたのか?教えてもらえますか」
「フフン、そんな当然のことか。決まってるだろ?人と人との関係性は損得勘定によってのみ推し量る事が出来る」
そして何が損で?何が得か?は人によって用いる尺度が千差万別、人類共通の尺度は物理的に距離を測る定規だけ。だからこそ人はそこに、その違いに特別な何かを誤認する。実際は損なら切り捨てる、得なら手元に置くという四捨五入の論理と概ね同じというのに。
かつてのジェインはそこに、ジョナサンとロベルタに特別な繋がりがあるとのぼせあがった。時雄も同じな上に救いようもないのか、二度も騙される不始末。そして私は二人と同じ轍は踏むつもりは毛頭ない。
アシュトン中尉は「成程…」と呟き、僅かに考え込む仕草をして、即断即決を求められる兵士だけあり、さっとこちらに視線を戻して「一つ提案があります」と言ってきた。
「閣下、チェルシー先生、そしてシスター・ヴェロニカも、小官に助力を禁じています。しかし小官は現状の『選定の家』がこれ以上悪くなるのは心穏やかに傍観も出来ません」
「ふ~ん…で?」
「助力を禁じられていますが、指導は禁じられていない。なのでカーラさん、貴女にサーブルを指導します。貴女の気概なら筆頭になるのはそう難しくないでしょう。何より見本の筆頭があれでは…我慢なりませんので」
一瞬だけ犬歯を剥き出しにした笑みを浮かべたのがこの男の本性、という訳か。
だけどまあ、イーサン程度が筆頭だと以前の筆頭としては噛み殺したくなるのが必然で、しかし『選定の家』に舞い戻って粛清からの改革、なんて訳にはいかないから彼は私がのし上がって、今を全否定してほしいという訳だ。
フフン、確かにアシュトン中尉にとっては、それが利益、なのだろうね。
ここはそれで納得しておいた方が、私にとっても得だ。
承諾するとしよう。
彼に屁理屈を言う相手が、追加の項目を加えるまでの間の付き合いになるかもしれないが。あのブラッドレイ夫人の直向きさなら、謹んで追加で『指導も助力に含まれます』と言うだろうからね。
「心得たよアシュトン中尉、是非とも貴方の助力を私にくれ」
「ええ、とは言いましたが今日はもう夕食時、始めるのは次回からにしましょう。どうせ近日中にも閣下からの私事が来ますのでその時に」
アシュトン中尉は今度は礼儀正しい好青年の顔を笑顔と共に張り付けて、さっと踵を返す。が、すぐに振り返って言い忘れがあったのを思い出したという表情で「たぶん、勘違いしていると思いますが、小官はこれでもエドガーと同じ年齢です」と………ん?
エドガーと…同じ……………………え?
確かあの男は、見た目はどう見直しても若々しいが実年齢は驚異の今年で三十路。
つまり今年で三十路になる予定?目の前のアシュトン中尉が????
どう見ても二十代の初っ端か老け顔な十代後半のアシュトン中尉が?
「おいおい、私を揶揄うなら小粋で奇の利いた揶揄いにしてくれるかい?露骨に嘘だの冗談だの、て分かるのは興ざめってものだぜ?」
「いえ、小官もエドガーも今年で三十歳。ウィルは、閣下のご子息のウィルも同じ三十。彼は心労で生え際が危険地帯ですが、はははっ、そんなに驚く事案ですか?」
「事案どころか事件だよ!?!?どこにそんなに若々しい三十路がいるっていうんだ!ディランとそう歳が変わらないとか!……冗談だろ?」
絶対に嘘だ、よく考えて見ろ?私は人間、彼も人間、なら?彼も見た目相応、相応…ブラッドレイ夫人も恐ろしく若作りだった。私は彼の瞳に「冗談?」という含みを持たせて視線を移すとニコヤカな笑みで「トリスタン・アシュトン、本年より三十歳です」と、爽やかに言い切る。
ああうん降参だ。つまりエドガー・アレクサンダーとトリスタン・アシュトンは今年で三十歳。
私は観念したという視線をアシュトン中尉に送ると、
「さて、では今度こそ…」
と言いながら踵をかえ―――、
「ああ、まだ忘れていました」
返す事無く振り返りまたまたこっちを見る。
フフッ…まだあるのか、今度は何だい?何だって言うんだい?
実は女ですとか?いやアダムの林檎…喉仏がしっかりとあるから男か。はぁ~だいぶ私の精神面が重点的に疲弊しているみたいだ。本気で疲れるから、驚きももの木山椒の木は勘弁願いたいね。
「小官をわざわざアシュトン中尉と呼ぶ必要はありませんよ。貴女は上官でもなければ部下でもないし同僚でもない。気軽に親しみを持ち合わせながらトリスタンと呼んでかまいません。堅苦しいのは、職務中だけで十分なので」
「はぁ~、分かったよ。そう、言わせてもらうよ、今度からよろしく、トリスタン」
「ええ、それでは最後に握手を」
差し出された手に私は努めて丁寧な所作で握る。
最近、軽い握手程度には出来るようになったんだぜ?




