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二章【転生令嬢に至る為には<Ⅹ>】

 チャック・O(オー)・ミルトンという男の職業は、銀行家よりも稼ぎはあるらしいが、さて一体どんな職業についているのだろうか?というのが近隣の住民が抱いている共通の疑問であった。

 というのも彼は一般的に代理業を営んでいると、何か顔出しをする時には常に口遊んでいるというのに、その名前を見かける事は無いのだ。代理業を営んでいるという話こそあれど、その具体的な内容はまるで霞のようにはっきりとしていなかった。

 ただ彼の、ミルトン邸の周囲には常にガラの悪い、ギャングとまでは言わないが気軽に接すれば、酷い目にあうというのだけは分かる連中がたむろし、邸宅の中も仰々しくアレマラントの獰猛そうな番犬が、2,3頭は自由に放たれているので真っ当な職業にだけは就いていないと、誰でも近くを通れば把握できた。

 なので、上流ではない、中産階級の中でも真ん中よりも下に位置する人々が住むこの地区で、彼の住む邸宅に近づこうとする物好きはいなかった。


 さて、ではどうして代理業とは口だけの男が、広々とした庭と趣向を凝らしているにしては品の無い、過度な調度品と装飾品に塗れた豪邸に住んでいるのか?

 簡潔に言うなら彼は裏の社会で『恐喝王』と呼ばれているからだった。

 彼は人の知られたくない秘密を、とある手段を用いて手に入れてから、適切な時を図って『公表されたら大変だ、この金額があればお返しする』と恐喝して、大金を手に入れたからこんな御大層な邸宅を建てたのだ。 


「ロン、スぺディング議員は何と言ってきてくれたかな?」

「残念ながら、たったの300ポンドでも払えないと」

「おおっ!それは残念だ、ああぁ…何と悲しい事に、彼の推し進める政策は終わりだ。誠に残念だがパラディオン紙に、ちょっと気の利いた贈り物をしておいてくれ」

「かしこまりました、旦那様」


 ニヤケタ笑みを湛える、薄気味悪い脂肪の塊を人の形に成型したような、頭頂部の森林が枯死して薄ら寒くなった、中年より少し上の男、チャック・O・ミルトンは椅子に腰かけ長年の執事であるロブ・ロンに机の引き出しから封筒を取り出し渡してそう言った。

 封筒の中には、スぺディングと呼ばれた庶民院の議員の政治家生命に、決定的な終止符を打ってしまう、取り返しのつかないスキャンダル。彼がちょっとした出来心からしでかした、小さな悪事とそれに関する書簡が封入されていた。


「馬鹿な男だ、蜻蛉街は高いが秘密に関しては定評がある。ただあそこは少年の取り扱いは無いがね、まあ私はやはり女性が良いな。南エウロパのラツィオか亜細亜のパラータがね」

「そうお思いでしたら、もう少し痩せてください。慰謝料の支払いも目を瞑れる金額ではないのですよ?」


 こんな、脂肪の塊に抱き着かれたら?余程の腕っぷしに自信がなければ、男でもひとたまりもない。女性だったなら確実に怪我を負わせてしまうので、毎回興奮しては相手の女性に怪我をさせて、多額の慰謝料を払う羽目になっていた。

 ロンはミルトンには及ばないが悪党であるものの、根っこの部分は彼と違い他者の不幸に共感する事が出来るので、大怪我を負った娼婦を見るたびに心を痛めて、せめて真っ当な医者に掛かれるようにと個人宛の慰謝料も払って来た。

 そして彼女たちがかかる医者は、毎回のように蜻蛉街の医者なので『お前の所の主人に、マダム・アラビアータはご立腹だ』と、娼婦を母親に持つ若い医者から苦情が、お決まりのように届いていた。

 裏社会では新参者である自分達が古参から睨まれている。

 だからせめて興奮しても、相手の女性に怪我を負わせない程度には痩せて欲しい。

 そんな細やかな長年の部下からの願いは、身についた脂肪と同じように傲慢なミルトンの心には届かず、彼の頭の中は脂肪と今日来訪する予定の顧客との取引が詰まり、部下からの忠言が入る隙間は無かった。


「ロン、次の来客なんだが少々、席を外しておいて欲しいんだが…」

「旦那様、ご自身の生業に対する自覚は?」

「分かっている、だが相手は子供、それも幼い少女だ。大人が二人もいたら警戒するだろ?逃がすには惜しい来客らな猶更だ。あの!メイヤー家の雑役女中!!逃がすには惜しいだろ?」

「……かしこました」


 ロンは少しだけ考え、目の前の主人が油断なくアクィタニアの陸軍でも採用されている、回転式拳銃(ピストル)を用意しているのを確認して、納得はしていないという僅かに不貞腐れた声で言うと、部屋を後にする。

 バタンッ、という音が響くと部屋の隅のカーテンの中から、気づけばどこかに消えて潜んでいた猫のように、肌の色の濃い子猫のように愛らしい、歩けば鈴の音の聴こえてきそうな少女が、おどおどと怯えながら現れる。

 仕事が終わった直後なのだろう、白いエプロンと黒いドレスを身に纏っていた。


「あ…あの……」

「安心していいよ、さあ座りなさい」


 ミルトンと対面するように置かれた椅子にカーテンの裏から現れた少女に座るように促す。少女は不安と恐怖に怯えながら座り、今にも泣きだしそうな潤んだ瞳で、目の前のミルトンを見つめた。

 その仕草はとても愛らしく、保護欲を駆り立てるものがあったので、思わずミルトンは努めて(本人にとっては)優しい笑顔浮かべ「名前をお聞きしても?」と少女に尋ねる。すると少女は、か細い声で、


「エルバ……オヘダ、です……」


 今にも擦り切れそうな雰囲気でそう言いミルトンは、


「初めましてミズ・オヘダ。私がチャック・O・ミルトンだ」


 と、先程と同じように努めて優しい(実際には真逆の)笑顔で答えた。

 エルバ・オヘダと名乗った少女は、引き攣りそうになる顔をどうにか抑えて、そっとエプロンのポケットから三通の手紙を取り出す。立ち上がりミルトンに分かるように、丁寧に取り出した手紙を並べる。

 その動作は年齢の割には礼節の行き届いているのが感じ取れ、メイヤー家の使用人に対する扱いの悪さは、噂の通りなのだと理解したミルトンはさらに、目の前の少女に対する保護欲に駆り立てられていた。


「旦那様宛の手紙…です。内容は…むずかしい言葉が多くて、ただすぐに暖炉に投げ入れていたので……」

「では拝見させてもらうよ」


 少女の言う通り、封筒は薄っすらと焼けて変色していた。

 ミルトンははやる気持ちに流れないように、丁寧に開封して内容を確認し一通目から、無意識に顔を喜びで歪めていた。その一通だけで上手くやればロンディニオン銀行に、大きな取引が出来るからだった。

 二通目、三通目も、一通目ほどでなくても莫大な利益を生むのは明白で、ミルトンは少女が愛おしく思え、普段なら冷静に出来るだけ安くし過ぎず、と同時に高くし過ぎて足元をすくわれないように計算する勘定を、勢いだけで口走ってしまう。


「三通合わせて、500ポンド!いや1000ポンドだ!」

「そ、そんなに!?」

「もちろんだとも!望むならすぐに現金で、銀行から取り寄せて支払おう」

「でも、でも、そんな大金…家も、それに私子供だから…ちょっとだけ、お小遣いが欲しかっただけで……」

「ううむ…ではこうしよう、君の為に内の執事の名義でアゼルランド銀行に口座を開設しよう。執事を通してそこから必要な金額を取り出すと良い。なに、ご家族の為のお小遣い稼ぎ、個人的に応援したいのでね」


 相手が困惑するのは、工場で働く労働者という名義の奴隷が、一生を掛けても稼げない金額を提示されたからだと、一方的に納得していたミルトンは湧き上がる保護欲からさらに、どこかの誰かが目論んでいるかもしれないと、露程に考えずにそう提案した。

 オヘダはその提案の意味が、貧しい家の奉公に出ている文盲の少女だから理解できないが、言っている意味は何となく分かったという表情で頷きそして、


「あの…その……とても、言いにくい事なのですが……」

「なんだい?」


 と言い辛そうに口籠る。ミルトンはどんな言葉を言おうとしているのか、長年の経験から分かっていたので『ちょうど、人手が不足していてね』とわざとらしく口にした。

 するとオヘダの目はパッと明るくなる。

 その変化にミルトンは当然だと思った。

 何故ならメイヤー家の、ヴィンセントではなくディランの方の評判は月々の給金が一般的な水準よりも、倍以上で急募しても余程の困窮者しか応募しない有様だったからだ。なので自分の提案は、大海で浮木に出会うとの類語だとミルトンは納得した。


「ほ、本当…ですか?その私は…字も読めなくて……」

「まだ八歳か九歳なのだろ?なら今から覚えるのが当たり前だ、むしろ三十、四十を過ぎても文盲な者がいるのだから、恥ずかしがる事でも後ろめたい事でもない」


 その言葉が近くで控える長年の執事で友人を、どれだけ傷つけたのか?保護欲に酔いしれるミルトンは、後々になって思い知らされることになるが、今はまだ分かっていなかった。

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