二章【転生令嬢に至る為には<Ⅶ>】
12月。私が『選定の家』に移るその日は、鬱蒼とした空模様。
陽の光は分厚い雲に遮られる曇り空、アシュトン中尉が御者を務める馬車に乗り込み、ファーモイの近郊に到着した頃合いには、小雨までパラついていた。
手を上げれば分け隔てなく養子候補として迎え入れられ、朝昼晩の区別なく、日曜日以外の休みの無い、過酷な軍隊の教練の様な日常が送れる『選定の家』は、やはり希望者の多さもあってかブラッドレイ卿の邸宅や、ヴィクター博士の工房よりもずっと大きい。
三階建ての屋敷だけでなく広々し過ぎる庭、建物の裏手には手入れを忘れているささやかな雑木林。
フフッ、ここが正式名ファーモイ救貧学校特別校舎、通称は『選定の家』。
ただ気になるのは、やたらと窓が多い、確か成績上位者には狭い一人部屋が、低い者には芋風呂のような二人部屋が与えられるらしい。とするなら、比較して大きい窓のある場所が二人部屋、小さい方が一人部屋といったところか。
一見するだけだと、幾つか使われていない部屋もあるみたいだけど。
「カーラさん、それでは行きましょうか。本日は幸いにもシスター・ヴェロニカとチェルシー先生…ブラッドレイ夫人の両方がいるので、お二人に『選定の家』での暮らし方を聞いてください。あと間違ってもお二人を相手に、閣下と同じような対応はしないように、あの方達は出る杭は抜いてへし折る方なので」
「気を付けるよ、保証は出来ないけど」
出る杭をわざわざ抜くとは、噂以上に教育への情熱が溢れる方なのかな?
何せエドガーと同じようにブラッドレイ卿も、その夫人もゲームでは一切言及されていないしシスター・ヴェロニカは名前のみ、だから私は初見なのだが、せめて初見殺しと言う展開だけは遠慮したい。口の利き方には注意を払った方がいいね。
「髪、短くされたんですね」
「まあね、長いと義肢の中身に絡まって鬱陶しいんだ。だからエドガーに頼んでざっぱりと自由共和国風にね、どうだい?似合ってるだろ?」
中身が丸見えが故に義肢の稼働に合わせて複雑に動く、歯車といった部品へ無意味に長い髪だと容易く絡む。ぶちっと抜けた時とか痛い、だからエドガーに頼んでざっぱりと切ってもらった。
一般的に女性は髪を伸ばし、結んだり編んだり巻いたりするもの、だから垂らした状態で首筋より短くなる事は滅多にないし、していると年長者が『はしたない!』と口を尖らせる。だが私の場合は髪の長短より先に、悪目立ちする手足に周りの目が行くから、年長者を気にする必要は無いからショートヘアー。
アメリカのように自由の国である自由共和国では、エウロパでも比較して女性の社会進出が盛んなアルヴィオンよりもずっと盛んで、当然のように多くの女性が活動的な髪型を好み流行している。
なので手先の器用なエドガーに頼んで、自由共和国風の髪型、つまりショートヘアーにしてもらったわけだが、どうやら『選定の家』に入るなり出迎えた『厳格』、その二文字が人の形を成した老齢のシスター・ヴェロニカには下品に見えたのかもしれない。
伝統的なまたは、古典的なアルヴィオン人然とした様相を呈しているから…いや見えたんだろうね、気に入らないと顔に書いてある。
「初めまして私が『選定の家』の管理を任せられている者の一人、シスター・ヴェロニカです」
「フフッ、初めまして、私がカーラ・ケッペルだ」
カーラ・ケッペル。
ロンディニオンのスラム街出身、母親は娼婦で父親はエァルランド人の出稼ぎ労働者と思われる、元浮浪児。運悪く馬車に撥ねられて手足を失い、通りがかったヴィクター博士に保護される。
魔工義肢の被験者になる事を条件に、ブラッドレイ家の庇護下に入った幸運な元浮浪児。
これが私の新しい戸籍、どこにでもいる、社会秩序を保つ上で邪魔でしかない存在だったという過去、まあ今後の私の目的を達するには都合が良い。何処そこの誰それ、と明瞭にすれば怪しくなる。
元浮浪児なら不明瞭な事が明瞭、色々と後で追加要素を加えても問題にならない。実に気の利いた戸籍だ、ブラッドレイ卿には感謝しかないぜ。
「貴女がジェインだった事は聞いています、ですから奇縁、不思議な縁、運命の皮肉というものを感じずにはいられません…が、ここに来た以上はその手足であろうが一部を除いて一切の、特別な扱いは期待しないように」
「フフン、逆に特別扱いされても迷惑さ。実力でのし上がったという実績に曇り出来るからね、くれぐれも、だぜ?」
「いいでしょう、トリスタン、後は私が引き継ぎますのでアレクサンダーの手伝いに行ってください。階下の後片付けは済んでいますが、器具の持ち込みには時間がかかるので」
「了解しました、では小官はこれにて失礼を…」
アシュトン中尉は敬礼をしてこの場を後にする。
エドガーのお引越しのお手伝いに行ったのだ、と言うのもエドガーもここへ移り住む事になった。理由は私の手足の整備、あと今まで住んでいた常駐医が退職してしまったから、丁度よく医者の資格を持つエドガーに白羽の矢が刺さった。
面倒な話だが、私の手足は中身丸出し、なので体を洗うのも精密機械と言う側面から、不本意な事に介助を必要とする。素人知識でスマホを解体するのと同義だから、ブラッドレイ卿もそこに関しては納得してくれているのが幸いだけども。
シスター・ヴェロニカの後ろ歩きながらそう思いつつ、チラリ、チラリと顔を覗かせて興味深そうに、中には忌々しそうにこちらを見てくる視線を務めて無視する。
現在、『選定の家』には約30名の養子候補が住んでいる。
全員が八歳だから初等教育の4年生。
おや?ではその下や上は?簡単な話で4年から下も、4年から上ももれなく脱落してしまったから、今は4年生しかいない。そして私は八歳だから4年生に編入という事になった訳だ。
ちなみに女児は、私一人。
では足りない女っ気が来たかこちらを凝視?いいや、私がアルヴィオン本土から来たという話を、既に広めているとトリスタン中尉は言っていた。つまりエァルランド人の大嫌い、皆大嫌いアルヴィオン人が来たぞ!という視線だ。
フフッ、9割9分9厘の悪意の眼差し、実に愉快だ。
皆、手っ取り早く敵という事だからね。
「ここが今日から貴女の住む部屋です。女児と言う事から一人部屋、ただし一人部屋は成績上位者の特権、つまり貴女は今日から、この時点から既に上位者と同じ扱いを受ける。成績はもちろんの事、無作法、無礼、不用心な行いは即、自身の首に帰ってきます。何か不満は?あるのでしたら二人部屋でもかまいませんが?」
「フフン、権利とは、義務を果たし責任を負う事で与えられる。それを果たす前に負う前に貰う以上、徹底した重責を伴うのは必然の事、不平不満を口にするつもりは毛頭ないぜ。それに私だってこんな様だが乙女でね、感謝感激さ」
私の返答がそんなに不愉快だったのか、シスター・ヴェロニカは顔を顰める。
アシュトン中尉から注意をされているが、こういう性分だから仕方が無い。
さて新しい我が家、一人部屋はというと勉強机、子供用の小さなベッドと小さな衣装棚、それだけで大半を占拠する、カプセルホテルの様な兎小屋のような部屋だった。住めば都、の精神を必要とする素敵な部屋だぜ。
そう私が愉快に思っていると、こちらへ近づく均一な歩幅の足音が聞こえてくる。
振り返るとそこには、
「あらあら、貴女がカーラ?アーサーから聞いていたけど、本当に顔立ちだけは牧歌のようなのね。初めまして、私はチェルシー・ブラッドレイよ」
まるでハープのような優しい顔立ちの、栗色の髪の、エァルランド人の特徴である金色の瞳をした、ただし服には余裕を持たせていない女性が現れる。
チェルシー・ブラッドレイ、確か年齢はブラッドレイ卿とそこまで変わらないはずだが……とんでもない若作りだ!どう考えてもまだ四十にも達していない、とても五十代の旦那を持つ人妻には見えない女性がそこにいた。
「初にお目にかかる。私がカーラ・ケッペル、今日からここに住む事になるヴィクター博士の実験動物だ」
「……」
おや?笑顔を浮かべているが妙に目が冷たい。
興味が無いとか、見下しているとか、そういう冷たさじゃない、あれは敵意だ。
純然な敵意の眼差しだぜ、あれは。
「小便臭い、程度のしれた…あらあら、本当に小便臭い小娘の分際で……」
「チェルシー……」
「ごめんなさいねヴェロニカさん、でもね、自分の夫の首を寄越せという女は、小娘でも縊り殺したくなるのが、妻って生き物なのよ。それじゃあカーラさん、のたうち回る準備をしておいてね」
「フフッ、それはわざわざご丁寧な忠告は痛み入る、何時でものたうち回れるように備えておくよ、アッハハハハ!」
「あらあら、本当に鬱陶しい生きの良さね…どういたぶってあげようかしら?」
「はぁ~チェルシー…取りあえずカーラさん、本日より授業に参加していただきます。9時より授業が始まりますので、それまでに荷解きを済ませベルが鳴ると同時に、教室へ。筆記用具一式と教科書はそこで支給します、それと鍵は常に部屋の中にいてもかけるように」
部屋の鍵をシスター・ヴェロニカから受け取り、私はしみじみと思う。
アシュトン中尉からの忠告を二度も無視してしまった。けどまあ、仕方が無いよね?
相手は最初からそのつもりだったのだから、それではさてさて、今日から楽しい日々の始まりだね~本当に!




