二章【転生令嬢に至る為には<Ⅵ>】
「閣下、契約書が出来上がりました。確認をお願いします」
「ふむ、問題は…ないな、ではカーラ、よく読んでから署名をしたまえ」
あれから一時間。
不貞腐れるヴィクター博士を横目に私は、ブラッドレイ卿から契約書を受け取る。
契約書の内容は、一に現在11月から翌年11月まで援助を続ける。二に翌年の11月までに明確な、成果を提示する。三にその方法は、
「私が、ブラッドレイ家の養子候補達に混ざって、頭角を現すか……」
「そうだ、我がブラッドレイ家は代々、孤児院と救貧学校をファーモイ女子修道院と共同で運営している。主にエァルランド人とアルヴィオン人との混血児など。その救貧学校から希望者を募り、通称は『選定の家』で英才教育を施し、養子として迎え入れるか、後援となって各界に送り出す。そうやってブラッドレイ家は軍事の名門となったのだ」
そして後継者に恵まれない家や、ブラッドレイ家と関係を持ちたい作りたい名家に、英才教育を受けた、優れた子供を養子として送り込む。なので巷では『子売り斡旋業者』などと、蔑称で呼ばれてもいる。
ただ偽善塗れの救貧院、孤児院に比べればすべての孤児に分け隔てなく、這い上がる可能性を与えるブラッドレイ家の方針は、口先だけの連中よりもずっと人道的だ。
隣に立つ副官のトリスタン・アシュトン中尉も以前は養子候補として、英才教育を受け、エァルランド人でありながら、ブラッドレイ卿の副官に任じられているのも、今までのブラッドレイ家の実績の賜物。
「小官もかつてはスラム街でゴミを漁る孤児でしたが、今はご覧の通りです。養子候補は任意、名乗りを上げれば『選定の家』に迎え入れられますが、多くは一年以内に脱落。最後まで乗り越え卒業したのは、自分を最後に後はありません」
「成程ね、それは愉快な話だ。現在の私には文字通り苦難の道のり、だが…平坦な道のりなんて欠伸が出るから、艱難辛苦の類は大歓迎、刺激は人生に必要不可欠だからね!」
養子候補として『選定の家』に移り住み、そこで他の養子候補達と切磋琢磨、権謀術数、食い合いをしながら、毎年の11月に援助を続けるか査定を受ける。問題なければ援助を、問題があればそっ首を切り落とす。
実に簡単明瞭な取り決め、副賞に最後まで養子候補として『選定の家』を卒業する12歳を迎えれば、良家に養子に出してもらえる。そうすればカムラン校へ通う事が出来る、キャスリンが通う事になるカムラン校へ!
フフッ、その為に誠心誠意、死力を尽くして努力しなければ。
意気揚々と私は契約書に署名をした。
「ふむ、では一週間後に『選定の家』に移るように、アシュトン中尉はそれまでにカーラの新しい戸籍の用意を、家名がなければ書類に署名もままならん」
「はっ、了解しました。本日の契約書に関しては?」
「個人と個人の、口約束を書面にしたものだ。なくてもかまわんが、後々には必要になろう、速やかに取り掛かるように」
アシュトン中尉はブラッドレイ卿の返答を聞くと、敬礼をして署名のされた契約書を持って部屋を後にする。残された私、ヴィクター博士、エドガーの三人は幾つかの事柄を確認をしてから、ブラッドレイ邸を後にした。
♦♦♦♦
「閣下、そろそろよろしいかと」
カーラ達を別の信頼する御者に任せて、部屋に戻ったトリスタンは、窓から過ぎ去る馬車を見つめるブラッドレイに、もう我慢する必要は無いと伝える。すると肩を震わせ始めるが、それは小娘の口車に乗せられた事への、怒りからの震えではなかった。
「くはっーはははは!!実に興味深いな小娘だったなトリスタン!この俺が小便臭い小娘の口車に乗せられるとはな!屈辱だが…実に愉快だ!」
館中の隅から隅にまで届く、砲弾の炸裂音のような笑い声をブラッドレイは上げた。
怒りで気が触れた訳ではなく、心から久しぶりに楽しめたからだった。
カーラとの会話がとても楽しかったからだ。
自分を前にしても臆せず逆に啖呵を切って見せる姿が、とても愉快で痛快で、自分の最愛の妻に負けず劣らずの凶暴さに、心がとても踊ったから。
アーサー・ブラッドレイの女性の好みは油断ならない、隙を見せたら逆に自分を取って食いそう、ではなく取って食って、魅せる。生涯をかけて屈服させたい、そして屈服させられたい。
そう思える女性。
齢50歳を超えても若き日の猛々しさを失わい、少年のような心持ちのブラッドレイは、最愛の妻チェルシーに比肩する、凶暴さを垣間見せたカーラがとても気に入り、この後はどんな事をしでかしてくれるのか?それとも何の変哲もなく潰れるのか?
それが楽しみで、楽しみで、ブラッドレイは湧き上がる笑い声を止められずにいる。
「くはっーはははは!トリスタン、早々に戸籍を用意してやれ。都合よくヴィンスの又 姪ならエァルランド系の血が入っている、それを踏まえて娼婦の娘辺りだな。今後、あれの言った事が妄想の類でなければ必要になるだろう」
「了解しました、して…本気なのですか、閣下」
「本気とは?あぁ、首を刎ねる事か?本気だ、覚悟を決めた者への最大限の礼節は、こちらも覚悟を持って相対する。つまり俺手ずから首を刎ねる、当然だろう?」
カーラは本気だった、本気で自分の首を差し出す覚悟を決めて返答を口にした。それを深く理解し察したブラッドレイは、一人の対等な相手として、カーラに接する事を決めた。だからこそ首を刎ねる、例え相手が八歳の少女だとしても。
そんな上官の姿にトリスタンが思ったのは、ブラッドレイとは違う感想だった。
(カーラさん…あの自分の首が飛ぶ事すら喜劇と笑い飛ばす姿。似過ぎていてゾッとした、閣下の見せる凶暴な笑みに、チェルシー先生のあの笑みに、恐ろしく似ている。何より調査内容とかけ離れ過ぎだ!ジェイン・メイヤーは、模範解答のような子供だった!だが、あれは……)
まるで怪物、狂喜を湛える怪物。
自らの生き死にすら喜劇の演目として許容し、けたたましく嘲笑いながら踊り狂う怪物。
トリスタンには二つの前世が混ざり合う事で生まれた、カーラと言う人格を宿した少女が、怪物に思え恐ろしかった。
「実に愉快な子だった、自分の娘に欲しいくらいだ。それと感謝すべきかな?麒麟児と噂されていた才媛を、平然と死なせたディランに」
「……」
「前世の記憶がある。幼児の為の子守歌、または自由共和国の酒の席で語られる法螺話如きであれ程の才媛を手放すとは、愚かなディランにあきれ果てるべきか、それとも張り合いのある玩具を手に入れたと喜べきか」
「嘆くべきだと、物見派の思想では前世の記憶がある、転生者であるというのは罪人、咎人とされているので。たとえ占い師がホット・ジン恋しさに口にした戯言でも一大事です」
「ふむ、愚かだ。まあ当人も当人で程度の知れた男に恋をして、底の知れた女に友情を抱いたのが運の尽きなのだろう。今後ともその人の好さが変わらぬのなら考え物だ」
「……、では自分は手続きの方を進めます」
出来る副官のトリスタンは、既に自分の中で結論が出ている上官が、沈黙による同意を求めている事を察して、僅かな沈黙の後に仕事へ戻る旨を伝えて部屋を出る。
一人残るブラッドレイは静かに外を見つめながら思う。
(帝室と大公家の縁組は…鳥と魚が契りを交わすが如き偉業だぞ?ましてや皇太子の次男と婚約なんぞ……)
カーラがヴィクターとエドガーの二人に語って聞かせた【転生令嬢の成り上がり】という物語。
突飛もなく正気を疑う余地もなく正気ではない、と判断される内容だというのに、ブラッドレイは確信を抱いていた。これは今後、間違いなく起こるであろう出来事なのだと、エァルランドの現状を憂う者の一人として確信を持っていた。
ならば自分はどうすべきか?
きっとカーラの語った【転生令嬢の成り上がり】という物語は、預言書で今後の動き方次第で流れは、良くもなれば悪くなる。いや、こういう事柄は下手に大筋を変えようとすれば、大きな災いに転じる。
だからブラッドレイは、カーラをどう扱うか?どうすべきなのか?一人思案を続けるのであった。




