二章【転生令嬢に至る為には<Ⅳ>】
最初の一週間は激痛を、奉公に出た先で冷遇される少女のように耐え忍ぶ日々。
痛みを抑えようにも『無い部位』の痛みが故に鎮痛剤の効果は無く、ましてや私の新しい手足は痛覚の再現は行われていないので、そもそもの問題で痛みを感じるのが異常な話。なのでただひたすら幻肢痛が過ぎ去るのを願い、日々をリハビリに費やすしか無かった。
二週目になると痛みは少しずつ失せ始め、中を跨いだ辺りから目に見えて痛みは和らいだ。そこからリハビリのペースを一気に上げて、ひたすらホテルのエントランスのような地下室を、グルグルと歩き続けた。
あと自室として貸し与えられた入り口側の、四つある部屋の内の一つで、腕や手を動かすリハビリも同時に行う。
三週目はエドガーに腕を掴んで支えてもらわなくても、今にもへし折れそうな老人さながらではあるものの、歩けるようになった。だいぶコツを掴んだのと元々の足の感覚を、私の体が思い出してくれた。
『歩く』という事に関してはその日を境に、目に見えて上達した。
ただし『書く』という事に関してはようやく、掴めるようになった程度だ。
苦心の末に書いた文字は、クリケットおじ様と文通をしていた頃と比べれば悲惨極まる醜態だが、ティースプーン二分の一分くらいには、文字と称しても問題ない手度には上達した。ただ『歩く』を優先したので、やはりお世辞でも文字とは言い切れない。
四週目に入り、11月も終わりを迎える頃。ついにパトロンからのお呼び出しが掛かった。
曰く『結果が出せそうなら早々に見せよ』との事らしい。
なので私達はパトロンが手配した馬車に乗り込み、このマナーハウスから半マイル程の走った辺りに、本宅のマナーハウスがあるらしく。今日はそこへお邪魔する事になり馬車に揺られている訳なのだが、私の手足の都合上、スカートの類は義肢の稼働を妨げるので男物のハーフパンツと半袖のブラウス、それとウェストコート。なので、フフッ…地味に寒い。
だがそれ以上に、どうにも御者が気になって仕方がない。
エァルランド人の特徴である金色の瞳、余裕を多く持たせた服はこれまたエァルランドの伝統、確か人狼に変じる際に服が破けないようにする配慮。
それらの特徴を併せ持つまだ年若い青年…だが、塵一つ無い完璧に整えた身なり等から、十二分以上に教育のされた信頼を得ている人物、というのは察せる。
同時に、均一な歩幅。無駄のない動き。洗礼された立ち振る舞い。
とても年若い馬車の御者が身に着けるような技能ではないと断言できる。これでも父親の程度が知れているだけで、ジェイン自身はとても自発的に多くを学び取っていた。なので分かる、この青年は間違いなく軍人だ。
汚職、不祥事、隠蔽工作で有名な警察には無理難題で不可能事な所作。
なら?当然、軍人。
不自然に見えないように気を払っているみたいだが、右側に僅かな小指程の不自然さ。
つまり左利きで右側に拳銃でも隠しているのかな?
エァルランドはジェインの記憶によれば、昨年の女帝陛下の誕生祭に出席したカレドランド貴族の男爵が、若きエァルランド大公へ無礼な行いをするという事件が起こり、今までは穏健的な姿勢だった独立派の一部が過激化し、治安が悪化している。
襲撃に備えてかな?
まあ軍人だから拳銃を持っているという線もあるけど。
後はこちらを何かと観察する視線は……、
「皆さん、到着しました」
さて、退屈を紛らわせる推理ごっこは終わりだ。
「おいクソモルモット、到着したが馬車から自力で降りるな、エドガーに介助してもらえ。もしくは泥まみれでパトロンに会うってなったら、その場でテムズ川行き確定だぞ?」
「それくらいの礼儀弁えてるさ、ヴィクター博士。フフッ、エドガーの腕をぺきょっとしないように気を付けるとも」
扉が明け開かれるなりヴィクター博士はそう言ったが、最初から自分で乗れても降りれるとは思っていないよ。こんな足じゃあ階段を関節痛に苦しむ中高年のように上がるのが精いっぱいだ、自力で馬車から降りるのはもう少し先だ。
先に降りたエドガーに抱き抱えられながら、私は馬車から降り立つと目の前には……随分と堅牢な外観を持った豪邸が。
ここにヴィクター博士のパトロンが住んでいる。
御者の青年に案内されながら屋敷の中へ。外観とは違い内観は意外な程にさっぱりとしていた。権威と権力と財力を見せびらかす、無駄に豪奢な飾りつけやどこその名品は無く、ただ必要な物を必要なだけ、必要なら権威を現す物を、不要なら置かない。
実に合理的。
あとチラッと見えただけでも数名、こちらを窺う視線。
「カーラさんでしたか?随分と感がよろしいので」
「まあね、自慢にならない理由からだから聞かないで欲しい。フフッ、だけど良いのかい?素人目に分かって、それとも噂好きな女中が多いのかな?」
「申し訳ない。どうにも、手は良く動かすのに口まで良く動く方が多いもので」
専門的な教育を受け、相互に綿密な連携を取り合う女中を雇っている。
屋敷の主人を守る為に徹底した厳重な警備、さて心の準備をしておこう。予想以上がさらに以上だった時、ロバのような間抜けな声を上げて驚かないように。
館の二階、その奥へと案内する青年の後ろを覚束ない足取りで歩きながらそう思いつつ私は、介助の必要は殆どありませんよ。という体で先を歩くヴィクター博士とエドガーの、っておいエドガー!心配そうな顔をするんじゃない!全く、こういう時はしれっとした顔をするものだ。
などと思っているとようやくパトロンのいる執務室へと到着し、青年は扉をノックをする。すぐに中の主から『入りなさい』という返答が響き扉が開かれる。
先頭は当然ヴィクター博士、ついでエドガー、主役の私は最後。
「ご苦労だったな。さて、久しぶりだなヴィクター、エドガー」
入口正面。
質素で簡素、しかして実用的な書斎机。
そこに座るのは、
「ふむ、そちらのお嬢さんとは初対面だったね。私はアーサー・ブラッドレイ、見ての通りの軍人だ」
………予想以上のさらに以上、のさらに以上が来た。
アルヴィオン連合帝国が誇る猛将にして知将。その功績を称える二つ名は『戦術と戦略の玄人』、『勝つべくして勝つ男』、『共産主義者の仇敵』、『アルヴィオンの守護龍』と枚挙にいとまがない。
騎士爵・アーサー・ブラッドレイ帝国陸軍中将。
つまり超が幾つもついても付けたりない、軍事なんて冒険小説に出て来る程度しか知らない人間でも知っている、超大物が私の目の前で興味深そうにこちらを見据えている。
だけど同時に理解が出来た。軍人なら義肢開発に援助をするのは道理だ。
「これは丁寧なご紹介、痛み入る。フフッ、では初にお目にかかる。私はカーラ、家名のないただのカーラだ」
最初から予想していましたよ?という素知らぬ顔で、ある程度は軍関係かな~?と当たりは付けていたけども、という態度で、ただここまでの大物と言うは正直に予想の埒外だったという表情を繕い、内心の動揺をひた隠す。
「ふむ、私がいても驚かない辺り、アシュトン中尉?」
「小官は何も言ってません閣下。彼女が自然と察したのです、使用人の視線、小官の立ち振る舞いと…」
「私のようなガキが都合の良い実験動物になる職業、フフン、答えは一択に絞られるってものだぜ?」
内心はフライパンの上で撥ねるベーコンの如く動揺しているぜ?
そして何時の時代も傷痍軍人の社会復帰は国家の命題だ。
足や失う腕の本数によっては退役後、定職に付けず社会の最下層へと転落は一般的だ。
そういった人々を救済する為に国家は、それなりに心血を注いできたけど限界はある。中には傷痍軍人として退役させたくない傑物もいる訳なので、軍人なら魔工義肢を見れば自然と口から手が出る。
「ふむ、成程な。では幾つか検分させてもらおう、アシュトン中尉。ここまで来るまでのカーラについて報告を」
「はっ、では…―――」
アシュトン中尉と呼ばれた青年は、道中の私に関してどこまでの動きが出来たのか?出来なかったのか?についてブラッドレイ卿へ説明を始め、一通りの説明を受け終わると今度は私に文字を書くように言う。
私はサラッと言われた通りの内容を出来るだけ丁寧に、しかしロバのように遅くならないように書く。書き上げた紙をアシュトン中尉から受け取りをまじまじと見た後、ブラッドレイ卿はどこか興味を失せた様な目を!?
「ふむ、ヴィクター。援助は打ち切りだ、魔工義肢開発は即刻中止、貸し与えているマナーハウスは返却、退去期限は一週間以内。以上だ、トリスタン、送って差し上げろ」