序章【彼と彼女の終わりの物語<Ⅰ>】
何でこうなったのかしら?
人生のどん底と言うのはキャスリンという双子の姉を持った時だと思っていたのに、あっさりと人生のどん底を更新してしまったわ。
とんとん拍子という表現がまさにという感じに、あたしは階段を転げ落ちるボールの速度を越えて転げ落ち、気が付けば駅のホームで一人旅行鞄を抱えて佇んでいる。
今から来る汽車に乗って、あたしは隣のさらに隣にあるロンディニオン中央駅に向かい、そこで待っているシスター・ヴェロニカさんと合流して飛行船に乗ってエァルランドのファーモイ女子修道院へ向かう事になっている。
つまりはお家から勘当、縁を切られてしまった。
付け足すなら婚約も破棄、まさかこんなにもあっさりと、ジョナサンがあたしとの婚約を破棄するなんて、想像もしていなかった。だってジョナサンは、あたし以外の人を好きになるなんて考えられないって言っていた!
あたしもジョナサン以外の殿方に恋慕しないと思ってた!
だけど…ジョナサンはあたしとの婚約を破棄した。
咎人、つまり転生者だってお父様とお母様に疑われた時も、あたしを信じるって言ってくれたのに、昨日ここに来る様にジョナサンに言われて、そこであたしはジョナサンから婚約の破棄を言い渡された。
ジョナサンのお父様が経営するウィン=リー百貨店で起こったブルーダイヤモンドのペンダントが盗まれた事件、その犯人があたしでその証拠に盗まれたペンダントはあたしの机の中に隠してあったって……まったく身に覚えが無い。
本当よ!
主に誓って、絶対にあたしは盗んでない!
だけどジョナサンははっきりと、とても、とても怖くて恐ろしい顔で汚い物を睨みつけるように、はっきりとあたしとの婚約は破棄だって言ったわ。
あたしが犯人じゃないって分かっている筈なのに……、
「はあぁ……」
ダメよ!ダメなのよジェイン…ジェイン元メイヤー!
ただ人生のどん底が更新されただけ!
まだあたしは八歳!
そもそも貴族じゃないのに、いくら銀行家の娘って言っても八歳で婚約というのが早過ぎたのよ!
だって双子の姉のキャスリンには婚約者がいないんだもの。
そう、悪く考えたらダメよ。
今は人生のどん底。
つまりここからは這い上がって行くだけ。
二年前に戻っただけ、ジョナサンとロベルタに出会う前、人生はどん底暗がり夜道だった頃以上になっただけの事よ、ええそうよ、これ以上悪くなる事は無いわ。
底なし沼だって底なしって言ってるだけで、実際にはちゃんと底があるもの!
修道院送りになったからって人生の終着点につく訳じゃない。
今までだって辛い事があっても、その後には必ず良い事があったじゃない!
文通相手のクリケットおじ様は確か、エァルランドに住んでるって言ってたわ。
それならずっと会ってみたいと思っていた人に会えるのだから、ええ、きっと……、
「大丈夫よ、ちゃんと正しく真っ直ぐ主に仕えて生きれば、きっとあたしの事を信じてくれるようになる、ジョナサンもあたしをきっと…きっと……ぐす……」
ええい!何を未練を持っているのジェイン、迎えに来てくれるなんて思っちゃダメ!
頬を叩いて気合を入れて、夢はもう覚めたのよ?
あたしの人生はここからやり直すのよジェイン……ファミリーネームは絶賛考え中!
だけど……せめて見送りには来て欲しかったわ。
そう、誰もあたしを見送りには来てはくれなかった。
いくらとんとん拍子に話を進めて縁を切ったからと言っても、せめてお父様やお母様が見送りに来てくれても良かったのに、あたしの唯一の友人だったロベルタも、生涯愛を貫く筈だったジョナサンも、誰もあたしを見送りには来てくれなかった。
それに何時もなら定時通りに絶対に来ない汽車が、生真面目に仕事をしているみたい。
立ち上がる煙が見えていて音も軽快に響いて来る。
もう!
空気を読んで何時も通りに最低でも三十分は遅れて来なさいよ!
いいえ、悪い方にとらえたらダメよジェイン。
予定通りに来たのなら、このクリケットおじ様宛ての手紙を出して行く時間の余裕が出来たって事よ!ええ、そう!その通りよ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!?」
「・・・・・・・・・・・・・・・!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!??」
何かしら?
後ろが妙に騒がしいわ。
汽車が定時通りに着た事で予定に狂いが生じた人が、駅員さんに文句でも行ってるのかしら?それとも何時ものように、人の荷物を盗ろうとしただろう!という喧嘩かしら?
どちらにせよ、今のあたしは何時ものように「ダメそう言う事は!」なんて割って入らないもん。正しく真面目に生きるのは修道院に入ってから、少しの間だけジェインは悪い子にるの。
正しく生きて来たのに婚約は破棄されて、友達にも、家族からも捨てられたのだから、少しの間だけキャスリンみたいに悪い子になる。だってキャスリンはあたしと違ってお父様にもお母様に愛されて大切にされてる。
悪い子のキャスリンが!
だからあたしも少しの間だけ悪い子になるもん!
「火!火があ!?何で私の服に!誰か!誰か助けてくれ!」
火!?
どういう事なの!
服に火って、マッチが勝手に発火したの?それとも誰かのタバコの火が服に?
たっ大変、一大事!
何か火を消せる物、消せる物ってある訳ないじゃない!
あ、でもインク入れに入ってるインクなら…消せるわけないじゃない!
だけど服とか叩けば、兎に角…、
「ばあ!驚いたジェイン?」
「キャスリン?」
え?
何で?
何で…いるの?
絶対に、絶対にこの場にいる筈がない、太陽と月が同時にはっきりと手を取り合って浮かぶくらいありえない筈の、合いたい人も来て欲しかった人もいなのに、絶対にこの場にいる筈の無い人がいるの?
「ばいばーいジェイン♪」
何で?何が起こったの?
あたしは、振り向いたら目の前に、双子なのに顔の全く似ていない。あたしと違ってお母様似の派手な顔立ちでお父様似の神経質そうな目元の。
あたしと違って要領が良くてお父様とお母様に愛されてる。
今も家で悠々としている筈の。
双子の姉のキャスリンが目の前にいて…、
あら?
あたしは今、落ちて行ってるの?
何で目の前に汽車が…、
「キャス――――」
――――――え?
何が起こったの?
汽車が目の前に来て…何か強い衝撃が横から来て…それで………痛い!?
痛い痛い!?
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!??
全身が酷く痛い!
痛くて、苦しくて、なのに体が自分の体じゃないみたいに動かない!
何でこんなに痛いの!?
何であたしの、あたしの手足に感覚が無いの?
何でキャスリンがあたしを、あたしを駅のホームから突き落としたの?
分からない。
何が起こったのか。
何でこうなってるのかも。
痛い、誰か助けて、誰か!
「うっわ、まだ生きてる」
「キャ…ス……」
「はーい、貴女の双子の姉のキャスリンでーす。もう何で生きてるのジェイン?せっかく私手ずからブラック企業で精神的に追い詰められ末にリストラされた中年サラリーマンの如く、駅のホームから突き飛ばしてあ・げ・た・のに♪」
何を…言ってるの?
ぶらっくきぎょう?さらりーまん?りすとら?何を言ってるの?
それに…誰?
キャスリンは、姉はこんなに邪悪に笑う子だったの?
まるで狡猾な、主がお創りになった最初の夫婦に、知恵を授ける無花果を食べるように唆した蛇のように笑う子だったの?
違う!
キャスリンは、キャスリンは確かにずる賢くて、要領が良くて、口が達者で、とても酷い悪戯を平気でやる子だった。
だけど、けど、こんな…こんな……。
「あ、助けは中々来ないように、貴女がいる所は真逆の方にいるって言っておいたから!その間に出来れば死んでほしいな♪ほら貴方ってこのまま放置していたら、私が逆ハーレムエンドに行くのに邪魔だから!だから死んで?きっちり死んで?ね?ね?ね?」
「だ…れ……な……」
「うっわ、まだ喋れるの?こんなに血が出てるのに、手足だって糸の切れた操り人形みたいにぐっにゃぐにゃなのに!」
「ごふ…!?」
「血!脇腹蹴ったら血を吹いた!おもっしろい!じゃあ腕持ったらどうなるかな?かな?かな?かな?」
「や…め……」
「ありゃりゃ取れちゃった!接着剤あるかな?それともガムテ…まあいいか!取りあえずはいこれジェインのもげたての腕!腕!腕!」
嘘!?何で、何で、何で!あたしの腕がそこにあるの!?
何でそんなに楽しそうなの!?
キャスリン!
「うっける!うっける!!うっけるー!あ、そうそうブルーダイヤ盗んだのロベルタだから、私がお願いして盗ませたの!それとジョナサンにチクったのも私♪」
誰?
これは本当に誰なの?
キャスリンじゃない、違う何かがキャスリンの殻を被ってるだけ!
誰なの!これは一体誰!?
「邪魔な難敵は最初に潰すのが定石、早いうちにぶち殺そう冤罪令嬢。私の明るい未来と成り上がりの為に死んで。転生令嬢のこの私が成り上がる為に、きっちり死んでねジェイン?それじゃあばいばーい♪ばいばいーい♪ばいばーい♪」
嫌!
嫌よ!
何でよ!
こんな、こんなところで死ぬなんて嫌!
何でよ、何であたしばっかり!
何も悪いことしてないのに!
何時も、何時も幸せなのはキャスリンばっかり。
わがままなんて言った事ない!
何時だって良い子にしたのに!正しく主の教えを守って生きて来たのに!
何で!
嫌、こんなところで一人ぼっちで死ぬなんて嫌!
誰か助けて!
お父様!
お母様!
ロベルタ!
ジョナサン!
誰か助けて!
こんな所で終わるなんて嫌!
助けて!ジョナサン!
ジョナサン!
「だ…か……」
いや……こん…ジョ……ナ……―――――――――――――――