エピローグ
「おはようございます」
「……斜陽の中でおはようって斬新だわ、ああでもこんばんわには早いし、こんにちはにはもう遅いわね」
アタシが目を覚ますと目の前にはつぶらな瞳が憎たらしい黒猫が、お行儀よく体面に座っていた。ええ、ロベルタが座っていた。不思議よね?何時でもアタシを首をそのか細い綺麗で卑しい両手で絞められる立場にいるのに、愛を口にしていたのに、一度たりともその手を伸ばした事が無い。
童顔だけあって、アタシが言うのもなんだけど幼さがここまで残っているのは、将来の若作りに苦心しなくても良さそう。とはいっても、ロベルタが社交界に顔を出す機会なんて、アタシの付き添いくらいだから壁際の花になって売れ残った時の心配なんてする必要もなさそう。
でもでもでも、流れる景色の陰影と交互に差し込む斜陽で煌くその瞳はとても綺麗で鮮やかで不愉快だわ。なんて綺麗な目なのかしら?アタシと違ってとても綺麗、宝石みたいだし濁っていないのも、とっっっても不愉快。
だけどその厚かましさがこの女の美徳なのかもしれないわね。
「キャスリン様、電報が届いていますよ」
「電報?誰かしら?」
私用で赴いたカレドランドの片田舎、田舎も田舎の、最早誰一人としてその家名を記憶の片隅からさえ除外された、キャロルの生家。一応の確認をする為に、爵位も土地も何もかも失ったサニービーン家を探し当てて、ちゃんと断絶しているか?その確認を終えた帰りの汽車の一等車の中。
電報なんて送って来たらせっかくアルヴィオンに潜伏しているつもりの、可哀想な武器商人のおじ様たちに罪を全て被せてあげた意味がなくなるのに、誰かしら?そんな間抜けな事をしてくれるのは?粛清のリストに名前が増えてしまうわ、困った事ね。
「先程停車した時ですよ、彼等からです」
ロベルタの手から電報を受け取って内容を見ると、わざわざ電報なんて使う必要もない事が端的に書かれていた。間抜けだと思っていたけど、予想以上に間抜けで捨て駒にさえなれないなんて、と思いつつアタシはその人物の名前をノートには書かない事にした。
だって使い道っていうのはどんな物にでもあるのよ。
気づけるか、気付けないか、どう使うか、どういう用途があるか、その審美眼の有る無しが謀略を巡らせる者の真価が問われる。アタシはそこまで自惚れていないから、自信を持って優れたる審美眼を持っているとは口に出して言わない。
でもこの人の使い道は捨て駒以下となると使いどころかが限られるわ。
今すぐ消えて欲しいけど、今すぐ消すのは後々の諸問題の原因になる。
物語に大した影響のある諸問題ではないけど、人って小石に躓いて死んじゃう生き物だから短気は損気、気長に使いどころを待つことにしようかしら。
「失敗、したわりには上機嫌ですよ」
「失敗?何を言っているのかしら…アタシの機嫌を損ねたいの?」
「……」
ロベルタのうっかり口を滑らした言葉に少しだけアタシは不機嫌になった。
失敗?失敗?失敗?
バカよねロベルタは、本当におバカで浅はかで短慮でそこがいじらしく可愛らしい。
アタシの目的も、テンプルお爺様の目的も、成功している。
失敗したのは大金を得たとご満悦だった絞首刑台に並ぶ武器商人のおじ様と彼等だけ。でもアタシは平等に機会を与えたし、平等に利益を与えた。その上で引き際を見誤ったのは彼等の愚鈍さ。
ああでもでもでも、一つだけ褒めてあげてもいい点があるの。
ずっと欲していた相手をはっきりと輪郭を持って捉える事が出来たわ。
「アタシの目的はねロベルタ、フレデリックとリサの間にしこりを残す婚約をさせる事よ」
「しこり?」
「ええ、2人は円満とは程遠い婚約を交わしたからしこりが生まれる。フレデリックにはフレデリックの、リサにはリサの意思があるのに、円滑な後始末の為に大人の都合を押し付けられたら、精神の未成熟な若い男女の間にしこりは必ず生まれるわ」
「……他人の恋路を邪魔するのはよくないそうですよ」
「きゃは♪恋って壁を超え壁を壊しす過程こそ最高潮に燃え上がるのよ」
「冷めた時は大変ですよ」
本当に分かってないのかしら?それとも分かっていて出来なかったから僻んでるのかしら?
燃え上がる恋はいずれ冷える、でも本当に愛し合うって刀を作るのと同じ。
何度も熱して叩いて、何度も熱して叩いて、最後に冷やして、そこから色んな工程を経て一振りの刀になる様に、男と女の中は強固になって行く。情熱を知らない愛なんて紛い物、愛し合っているつもりでいるだけのごっこ遊び。
だけど多くはそうならない。
途中で皆が皆、妥協して、諦めて、愛想を尽かす。
自分が可愛いから、愛する事で可愛い自分が傷つくなら可愛い自分の為にあっさりと愛を捨てる。今までのアタシの人生で愛を貫いた人なんて数限られていて、肉親に至っては1人もいないという惨状だけど。
ロベルタには期待していたわ、でもダメだった。
そんなんだからアタシに飼われる羽目になる。
「ねえ、何時かアタシに終わりをくれるのは貴女かしら?」
「……そんな資格、私にはありませんよ」
「謙遜しなくてもいいのに、アタシ、貴女が嫌いだから貴女にならいいと思っているわ。だって前世のアタシそっくりだもの」
ロベルタは何も言わずただ静かに車窓からの景色に目を移した。
ああでも早くしないとダメよ?
きっとカムラン校へ入学すればアタシの敵が待っているから。
きっと必ずアタシを終わらせてくれる敵が待っているから。
きっと必ずアタシが終わらせるに値する敵が待っているから。
ああ、早くロンディニオンに到着しないかしら?