一章【三度の生は慟哭と共に<Ⅳ>】
「イヒヒヒッ!おはようクソガキ、もしくは頭の整理は多少は進んだかクソガキ」
「師匠、クソガキは良くないですよ。それとおはようジェイン、朝食と薬を持ってきたよ」
「ああ、おはよう博士、エドガーさん」
「エドガーで良いよジェイン、さん付けは苦手なんだ」
不可解な齟齬に苦しんでいる矢先にけたたましい笑い声が響いたから、ああ、博士が来ると分かり、私は考えるのを止めて狂気を孕んだ幼さの抜けない顔の、茶色の髪を大雑把に纏め上げたヴィクター博士と、コッツウォルズの呑気な羊のような笑顔を浮かべるエドガーを、努めて笑顔で出迎えた。
切り替えよう、今は何も分からない状態なのだ。考えれば考える程に坩堝に嵌る、それなら一切合切考えるのを止めて、気楽に朝食を楽しもう。
さて朝食は…ポリッジか。
まあ嫌いではないが個人的にはやはりベーコンエッグが良い。
前世と前世でも大好物で、今世ももれなく好物だと思うだけに、転生最初の朝食はベーコンエッグが良かった。まあ私は重傷の身だから栄養価の高いポリッジの方が断然、食べるべきなのは理解している。
「おいクソガキ、私はポリッジの味付けは塩こそが真っ当だと思っている、もしくは最近の甘い味付けは匂っただけで苛立つ」
「まあ、つまり師匠は久しぶりに食べるのだから、ゆっくりよく噛んで食べるように、て言いたいんだ」
それならそう言えばいいんじゃないか?と私は思ったが、口に出せば相手の逆鱗の上でコサックダンスを踊るようなものだから、ぐっと堪えてエドガーに抱き起してもらいそのまま彼の手で、匙に掬ったポリッジを口に運んでもらい咀嚼する。
宣言通り、薄っすらと塩味のポリッジだ。
普段なら味っけなく感じるが、数日ぶりの食事なのでとても食べやすい。博士はその口振りや容姿に反して、気配りの出来る人なのかもしれない、少なくともこのポリッジは消化し易いようによく入念に火を通してある。
一つ不満なのは量が少ない、いきなり満足出来る量を食べるのは体に悪いという、明確な理由は理解している、が私は同年代の女の子と比較して頭一つ分近く大きいし、男の子よりも背が高い場合もある。
だからそれなり食べる。
ふふっ、足りない。
「ダメだよジェイン、何日も食べてなかったんだから今日一日は少量で我慢。それよりもお薬、昨日と違って錠剤じゃなくて粉だから少し苦いよ」
「……具体的に言うとどれくらいの苦さなんだい?」
「東方の薬草センブリと同等、もしくは口いっぱいにミントを頬張ったくらいだクソガキ」
「……それ、少しじゃないと思うぜ?」
センブリって、あのセンブリ茶のセンブリだよね?
お笑い番組で、罰ゲームに飲む飲料の定番として有名なあのセンブリ。
それと同等とは…覚悟をして飲まないと吹き出してしまうね。
「それじゃあ口に入れるから顔を上げて、口を開けて…はい」
「もがっ!?」
「はい、水飲んで」
「もががっ!?」
苦!?
ただ一言、苦い!それ以外の表現は存在しない純然たる苦さ。
その存在全てを苦味に捧げたような苦さ!
脳髄のすべて苦いという感情で侵食する、なんて薬を私に飲ませるんだ!
人によっては卒倒してしまうぞ、これは……。
「ふ…ふふん、どうだい?飲み切ったぜ…うぇ~気を抜いたら吐くぜ、これは……」
「当然だクソガキ、もしくは良薬が甘いという道理は存在しない」
苦い…が、痛みは見る見るうちに和らいでいって、文字通りあっと言う間に楽になった。
「さてクソガキ、寝て食って飲んだら楽になったか?もしくは頭の整理は出来たのか?」
「ふふっ、まあ一応はね。ただ………」
そのままの事を伝えても大丈夫なのだろうか?
はっきりと言って一般人に『俺!前世の記憶があります!ついでにこの世界はゲームの中の世界です!』などと口遊めば、即座に精神に重度な異常をきたしているとして、精神病院へ送り込まれるのは必然だ。
ましてや私は生死の境を彷徨い、その果てに全くの別人に転生してしまったというおまけが付く……黙秘権を行使すべきか?
「おいクソガキ、黙秘権を行使すればガキでも自白剤を使うぞ?もしくは洗い浚いすべて話せ」
「ジェイン、師匠は本気で使うから話すことを僕はお勧めするよ」
「……私は、前世の、時雄という少年の記憶がある。さら正確に言えば蘇り、変な話だが前世と前世が合わさり、今の今世になっただ」
ふふっ、私は言っていて頭が変になったのかと思えた。
それくらい突飛な話だし、二人の表情から察するに『頭を強く打ったのかな?』という感想を抱いているのは間違いはない、実際に頭を強く打ったんだけど…ならここまで言ったのなら、さらに言うか。
「ふふっ、補足だがこの世界を虚構の世界だと認識する世界から転生して来たっていう話もあるぜ?」
ついでとばかりに私はこの世界は【転生令嬢の成り上がり】の世界だと、博士は本編に出てこないけど裏設定資料集で書かれているャラクターだ等、それと本編の大まかな内容を二人に説明する。
すると、
「「………」」
当然の反応が帰って来た。
キョトンとした顔はこんな話をされた時の、普遍的な反応だ。
呆然とこちらを見ている…ん?何で博士はお腹を抱えて笑いをこらえているんだ?
「…イヒヒヒッ!?こいつは面白い、もしくは統計的にもしや?と思っていたら当たった! おい馬鹿弟子、例の本とオートテラーを用意しろ」
「はい師匠」
博士がそう言うとエドガーは昨日、部屋に入って来た時に持っていた何冊かの本と、何かの機械を持って来て、私の寝ているベッドの隣に設置する……ん?んん?んんん?
「おいおい、言った本人がいうのもあれだけど、私の話を妄想だの頭を打った所為でおかしくなったとか、薬をキメてるって思わずに信じるというのかい?こんな素っ頓狂な話をかい?」
「そうだぞクソガキ、もしくは信じるか否かはこれからだ。おい馬鹿弟子、さっさとしろ」
「師匠!これ相当に複雑なんですよ?置いて直ぐに動かせませんよ」
オートテラーと言われた私の隣に置かれた機械は、まるで針金細工のような六つの腕を必要性に関して素人に判断できない、歯車と部品と共に譜面台に垂れ下がるように取り付けた物だった。エドガーはそれを必死に操作をして何かしようとしている。
オートテラー……あっ、ジェインの記憶にあるぞこれ!
そう確かベッドに転げながら本が読めるという触れ込みで、富裕層向けに何年か前に売り出された自動人形だ!ただ操作とか微調整は専門知識を必要として、かつての父ディランさんは、お気に入りの本を全てダメにしてしまい、怒りに任せて破壊したんだった。
ふふっ、価格は30ポンドと高額だったにも関わらずに、だ。
「おい、クソガキ。おおよそ察するに世に出回ったクソ忌々しい自由共和国製と同一の物だと納得してるみたいだが、これは魔工義肢研究の一環で私が作った試作品にして唯一の完成品、本破り器と一緒にするな、もしくは刮目してこの洗練された稼働を見るがいい」
「師匠、終わりました。で、どの本からにしますか?」
「そうだな…これがいいな、もしくは統計上ではこれが一番当たりの可能性が低い、さてクソガキ、これに何か心当たりはあるか?」
いや、そのまま掴めと突き出されても困るんだけど、ほら、これがこれなモノで。
博士も私に手足がないことを思い出したらしく、何やら申し訳なさそうにしながら、私に表紙が見えるように持ち直す。どうにもこの人は道徳や倫理を二の次にするだけで、本質的には良識のある人なのかもしれない。
さて、それで一体何を私に見せようというのだろう。
表紙に書かれているタイトルは…ええと、『二ホン国興亡記第三巻 二ホン・ロシア大戦』か、ふむふむ、日本とロシアの大戦という事は日露戦争の事だな。
ふふん、前世の前世の時雄は読書好きで『坂の上の雲』といった戦記物も読んでいたから……ちょっと待った。二ホン・ロシア大戦とかそういう前に日本国?
この世界に日本国は……存在しない。
極東にあるのはアルヴィオン連合帝国と同盟関係にある秋津洲帝國だ。
そう日本国も、大日本帝国も存在しない!?