介護は続くよ、どこまでも。
直接かかわっていないけれど。
見ていて、思うことを書いていく。
一つ忘れないで欲しいのは。
老人が嫌だとか、介護が嫌だとか、そういう話ではないという事。
ただ、先を考えると気が重くなるねという話。
僕には祖母がいた。
4歳から18歳までの14年間、会話をよくした。
この期間は同居していたためでもある。
大変聡明な方だった。
戦後直ぐに女学校を出て、気難しい女として生きていたようで、苦労の話しか聞いていなかった気がする。
それで祖母が死んだ。
とはいえ、、流れる涙もなく…。
ただ、火葬場が嫌に「強制収容所」みたいで。
僕には、この事の方が祖母の死よりも印象深かった。
人間、行き着く先は同じなのかもしれない、そう思われた。
彼女とは7年以上まともに話していなかった。
認知症になってからは殆んど話してなかった。
とうの昔に、僕の中では眼光の鋭い祖母の存在は消失していた。
だから悲しい。
そう感じる気持ちは、思いの外なかった。
同席の方々には、不思議がられたけれど。
逆に涙ぐんでいる人の事が…僕には正直わからなかった。
85歳で、老衰。
家族が駆けつけたときには息をひきとっていた。
ポックリといったわけだ。
苦しむことなく行けたのだから、なんとも、幸せな死にかたじゃないだろうか。
羨ましく思えてならない僕は、変なんだろうか?
焼かれなければ、なおいい…。
元々足が悪かったので、外に出ることも少なくなった。
それで、次第に、痴呆の気が進み。
そろばんを使えなくなって。
四則演算ができなくなって。
食べたことを忘れて。
待つことができなくなって。
トイレに行くことを忘れて。
忘れる。出来なくなること。
これが累積債務のように積み上がっていった。
いつ終わるかわからない感覚に、家族内が険悪になっていた。
(祖母が悪い訳じゃない。ただ、何か別の問題が生じたとき、それを許容するだけのゆとりがどんどん無くなっていた。)
何をするかわからないので、外出できなくなっていた。
母によると、
何かしているんじゃないか?
大丈夫か?
そんな疑問が頭の中を埋め尽くすらしい。
そして、大抵、何かがおきている。
誰かが家にいないといけない。
そんな感じだ。
僕も受験があるし…。
自分のことで手一杯だ。
何時しか要介護の認定が進み、デイサービス、ショートステイ、そしてホームへ。
年金に余力が合ったので持ち出しは少ない方だったんじゃないかと思う。
(そもそも、デイサービスとショートステイをフルで使うと、中堅ホームの月額費と変わらなくなる。違いは一時入居金がないだけ。月々の出費は、大きく変わらない。←時として、増えることもあるけれど)
最初は嫌がっていた祖母も、家で籠っていた時よりも、断然いいと言って、楽しんでいた。
ホームには自分にできる遊びがあるんだとか。
(ホームのスタッフは心身な人が多い気が僕はする。)
そうして、両親は晴れやかだった。
ホームには毎週欠かさず訪問する夫妻だと有名だったらしい。
珍しいんだとか。
夜はぐっすり眠れる。
休日はホームの訪問と余暇。
たまに、遠方に旅行にいけるようになったらしい。
けして金額も低くないが、比較的、年金を祖母が貰っていたこともあり、持ち出しを少なくできた。
これでも、介護士の給与捻出が大変なんだとすると、介護というシステムがそもそも成り立ってないのかもしれない…。
二、三年して、痴呆は進み、最初にぼく、次に母の名前と顔が一致しなくなった。
なぜか、婿に来た父だけはわかっていた。
痴呆は時系列順じゃないのだ。
四五年たつと、祖母の様相も変わってきていた。
何だか、魂が次第に抜けているようだった。
いつもボーっとしていた。
ハリーポッターみたいに。
寝たきりになりつつあり、鬱血もしだした。
そんな矢先だ。危篤の報があった。
僕はずっと、遠方にいたので、いく機会もなかった。
大学とか、学校に行っていた方が楽しいし。
前進がある。
殆んど全て両親に任せていたと言っていい。
何れは両親、そして自分。
先だとはわかっているが気が重くなる。
二十代で考えることじゃないのかもしれないね。
ただ、二周りしか年が違わないから、逆転するんじゃないかという不安しかない。
年を取っても生きたい。
ただ、元気に生きられるに越したことはない。
呆けたくない。
焼かれたくない。
正直、焼かれるぐらいなら、炭酸ナトリウム漬けで骨格標本にしてもらった方がいいなと僕は思う。
そんな、今日この頃である。
最後に。
ホームはシーツ、清掃等の度に金額加算されるところがあるから、介護度が高いほど良いとこに入った方がいい気がする。
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