雨の中の怪~作者の実体験ホラー~
作者ふとんねこの実体験。
雨の夜を恐怖の夜に変えた出来事。
これは作者がまだ小さな子供であった頃のある雨の日の話である。
私はその頃毎週近所のピアノ教室に通っていた。教室側の都合上仕方無く夕方で、春か夏でなければすでに日の暮れた薄暗い道を徒歩3分ほどの距離、一人で歩いた。
その日は酷い雨で、秋が終わり冬に足を踏み入れようとしている頃の冷たい雨が叩きつける様にして降っていた。
雨で濡れたアスファルトのにおい、それとどこかから花のにおいがしたが果たして何の花であったか。
雨粒が道を、傘を激しく叩く音に包まれながら、バシャバシャと騒々しく水溜まりを踏んで歩いていく。周囲の暗さには慣れたもので少しも怖いと思わなかった。
教室兼先生の自宅まであと少し。しっかり整備された道になり大きな水溜まりは無くなった。それが少し残念で、小さな水溜まりを見つけてはふらふらと近寄って、わざわざ踏みながら歩いた。
突然だが、他人の気配というものを感じたことがあるだろうか。勿論相手が騒がしければ足音か、息遣い、声で近づいてきたことに気づけるだろう。
しかしその相手が音も無く現れたとき、またはどしゃ降りの雨の音に紛れて現れたとき、果たして気づくことができるのだろうか?
幸か不幸か、幼かった私はそれに気づいた。恐らく、点在する小さい水溜まりを見逃すまいと感覚を研ぎ澄ませていたからであろう。
首筋の辺りに感じた違和感と視線。この時点ではまだ不気味とも思わず、ただ何だろうという気持ちで振り返った。
雨の中、傘を差した黒いものが立っていた。
自分を囲むあらゆる音が遠退くという感覚は実際に体験しなければ分からないだろう。私はそのときそれを実感した。
すべての音が遠くなり、辺りから音が消えた。あれほど騒がしかった雨音すら聞こえなくなったのである。
ざわざわとしたものが背を駆け下り、空気は冷えているというのに汗がドッと噴き出した。
黒いものはただそこに佇んでいた。この道程にある数少ない街灯のうち一つが振り返った私の後ろにあったというのに、その姿は依然として上から下まで黒かった。
私とその黒いものはしばらくそこで見つめ合った。音は戻らず、無音の雨の中で、私は息を止めていた。
どちらかが動いたら、そして私の呼吸の音を聞かれたら、おしまいだと思った。
何分経ったのだろう。体感では恐ろしく長い時間に思えた。
突然、黒いものが一歩こちらに踏み出した。その瞬間音が戻り、私は黒いものの二歩目が、びちゃりと嫌な水音を立てるのを聞いた。
その音を理解した瞬間、私は身を翻してピアノ教室まで走った。止まったら死ぬと本気で思いながら走った。あれは足の遅い私の人生で最速の走りだったと思う。
自分の荒い呼吸と、激しい雨音、自分の足が濡れた地面を蹴る音の中、もしかしたら黒いものはもう真後ろにいるかもしれないと泣きながら考えた。それでも走り続けた。
このときの感覚は他に例えようもない。喉元までせり上がってくる恐怖、背を撫でる悪寒、ただただ怖かった。
そして私はピアノ教室にたどり着き、絶対に背後を振り返らないままチャイムを押した。早く早く、と心臓が急かす。黒いものはまだこちらへあの嫌な水音で、びちゃりびちゃりと近づいてきているかもしれない。その呼気が、今にもうなじを撫でるかもしれない。
先生が戸を開け、私は一目散に玄関に滑り込んで鍵をかけた。普段の私は礼儀正しい子であったし、そのとき私は雨に涙にびしょ濡れだったので、先生は何かを察してすぐに話を聞いてくれた。
あの黒いものの正体は一体何だったのだろう。ただの不審者だったのか、はたまた本物の雨の中の怪であったのか。
今となっては確かめようもないが、あのときあの辺りに不審者情報は出ていなかったように思う。
それから、私の背後に白々とした街灯があったにも関わらず、あの黒いものは爪先まで真っ黒であった。傘を背中側に傾けて佇んでいたあの黒。今思い出しても寒気がする。
今でも雨の夜はその道を絶対に通らないようにしている。
果たしてあれは、一体何だったんでしょう?
信じるも信じないも貴方次第です。
あの日の悪寒は今でも忘れられません。
読んでくださってありがとうございました。
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