悪魔のお迎え
汗びっしょりになりながら、少女は目を開けた。保健室の白い天井が目に入る。
(……何?あの夢)
浅い眠りに落ちていたのだろう。少女は断片的な恐ろしい絵を思い出していた。
鬼に、悪魔に、そして少年。
(あれはなんなの?)
鬼はすでに見た。しかし、あのような悪魔は見たことがない。悪魔なのかさえ少女にははっきりとわからないけれど、あの恐ろしい姿は悪魔以外に説明のつかない気がした。
……それより。
ひ と ご ろ し。
あの五文字が頭にこびりついて離れない。無理矢理に布団をはねのけると、ずきずきする頭を押さえた。
今更になって自分の迂闊さを後悔する。なぜすぐにあの少年を信用したのだろう?突然に現れた、得体の知れない人になぜ付いていったのだろう。
夢のように、少女を敵視しているかもしれないのに。
「あぁ、起きた~?」
しきりのカーテンが開く。オルゴールが現れた。
……そうだ、この異形たちのなかに、あの少年は少女を放り込んだのだ。なぜ従ってしまったのだろう。
いや、いや、それ、より。
(もしかして、私)
少女は。
(もしかして、何かをしたからここに連れてこられたの?)
人殺し。苛烈な言葉だ。
そんな言葉を、普通の健やかな女の子が、夢のなかで告げられるだろうか。潜在意識にせよ、何らかのきっかけがないとなかなか出てこないだろう。
冷や汗と悪寒がねっとりと背筋を伝う。
オルゴールの先生が背後の時計を見た。
「ずいぶん眠っていたねぇ。でもまだ顔が真っ青だなぁー。熱を測ろうか?」
間延びした口調が神経を逆撫でする。この先生は、いったい少女をどうしようとしているのか。
大丈夫です、とかすれた声で呟いた。喉がカラカラだった。
先生は気に留めなかった。
「はい、これ、脇に挟んでねぇー」
ぐいぐいと体温計を押し付けてくる。結構な装飾がついていた。
強引な押し付けに、少女は渋々と制服の下をくぐらせる。ひんやりとした金属が脇に触れた。
しばらく無言が続く。
ピピピッ。
「36.8。ぎりぎり平熱かなぁ?君は普段、体温高かったっけ?」
「さぁ……」
「んー、でも、大事を取って休んだ方がいいかなぁー」
小さなバレリーナが回る。本体もくるりと回転し、黒い電話を手に取った。
誰かに、少女が休むことを伝えているようだ。
電話を終えると、机から小さな四角い紙片を取り出す。ちらりと見えたが、そこには電話番号と思われる数が並んでいた。
「じゃぁ、#◎□さんに電話かけるからねえ。お仕事中じゃないよね~。あれ、お仕事してったけなぁ……してないかぁ」
ほとんど独り言だったが、オルゴールの先生は迷いなく番号を打ち込んでいく。
プルルル、先生の耳元ではそんな音が鳴っているだろう。
「あ~、もしもしぃ」
どうやら繋がったようだ。♪%♪□♪の◎#♪%♪#ですけど、と、少女にはわからない単語が挟まれる。
少し気になり、少女は身を乗り出す。
電話の向こうの声がかすかに聞こえた。
θθθθθθθθθθθθθθ…………
「っ!」
さっきの今で間違えるはずがない。
あれはあの声だ。
悪魔の声だ。
しかも、不機嫌そうである。
先生は気にした風もなく淡々と、「迎えに来てほしいんですよぉ~」と伝えている。
(迎えに来るって何!?あれが来るの?)
冗談ではない。
絶対に、良い目には合わないだろう。
何せあの見た目に、奇妙な行動。夢を全面的に信用するわけにはいかないが、少女に危害を加えるかもしれない存在だというのは確かだった。
(捕まりたくない!)
先生が電話を終える前に、ここから出なくては。少女は身を起こし、できるだけ素早く静かにシューズを履いた。
幸いにも、電話は長く続いている。好都合だと忍び足でドアの前へたどり着いたとき、電話からひときわ大きな声が響いた。
θθθθθθθθθθθθθθθθθθθθθθθθθθθθθθθθθ!!!!!!!
「っ」
嫌な音だ。しかしチャンスでもある。長く続く怒声に合わせ、扉を素早く開けて閉めた。
できるだけはやく、どこかへ。
悪魔に捕まってはたまらない!
扉の前には少年がいた。どこから取り出したのか、饅頭を食べていた。それも器用に皮の部分だけ。
余った餡はどうするのだろうか。
一瞬そう考えるけれど、すぐにまた少女は走り出した。少年は疑問を呈すでもなく、ただ少女について走る。
廊下を走る。人影は見えなかった。そういう時間帯なのだろう。
もうこの校舎は出てしまおう、泣きそうになりながら少女はそう思った。少年も信用するわけにいかなくなったが、だからと言ってあの保健室に戻りたくはない。
玄関はたしかあっちだった。そんなあやふやな感覚で走り、目をさ迷わせながら三つ目の角を曲がる。
曲がった。
「え!?」
─────見つかった。
そこにいたのは─────。