無形の少年
ランプを吊り下げた少年はただ無言で険しい山道を歩いていた。草木を掻き分ける音と遠くで嘶く何かの声。それから時折頭上を飛び去っていく黒い何かと轟音。ランプの明かりは小さく、森の全容を暴き出すことなど不可能だった。
少年自身ですら、果たして自分が少年なのかどうかも分かりはしない。少年は自分の姿形を忘れてしまった。少年の体は、いつからか全てが黒色の襤褸きれで覆われ、その顔すらもすっぽりとフードに隠されている。だからと言って、少年がそれに頓着したことなどない。
少年の道中ではヒソヒソと木々がざわめいている。
「来たぞ……来たぞ」
「来てしまったぞ」
「こちら側に来てしまったぞ」
「じゃあ」
「じゃあ」
「なんとしてもこちら側に引き留めよう」
「なんとしてもこちら側に引き留めよう」
「それが一番いいはずだ」
「今はそれが一番いいはずだ」
しかし少年は木々の囁きに一瞥すらくれなかった。少年の役割はそれではなかったからだ。ある意味、そこに『いる』ことが最大の役割だったけれど、今はどうだが定かではない。
役割すら、忘れ去られてしまったのだ。
けれどそれでよい。忘れられるのもまた役割である。かといって少年自身が自覚しているのかと言うと、それは別の話だった。そうでなければ少年が、ただ黙って山道を登っているはずがない。
「……」
少年はただ無言で歩を進める。お気に入りのスニーカーが地面を踏みしめている。黒い一枚の布にキラキラとラメの加工が入ったスニーカー、アンバランスなその服装に言及する者は一人としていなかった。少年を含め。
少年は話せない。
少年は笑えない。
姿形を忘れてしまった。もっとも、以前話せたかどうかと言うのも怪しいものだった。
少年がもう少し進めば、険しい山の中腹に、灰色の家が出てくるはずだ。崩れかけた灰色の家。
そこには、一人の少女が眠っている。
処女作「残り物のファントム」。
ある問題を軸に据えた、ヒューマンドラマです。若輩者ゆえ至らない点多々あると思いますが、精進していきますのでよろしくお願いします。
名前のない少年少女の旅路、どうか暖かく見守って下さい。