8話 凄惨たる生還
「みんな聞け。今日からうちの部隊に大型新人が配属されることになった」
ヴィクトル少佐の言葉に、ルークや梓燕など部隊の中堅メンバーが一様に顔を上げる。
「あ、やっぱりですか? さっき、可愛いけど見かけない子がこの部屋の前で突っ立ってるのを見たんですよ」
梓燕が浮わついた声をあげた。ヴィクトルはそんな梓燕の方に目を向ける。
「おまえの直属になる。きちんと面倒見てやれよ」
「そりゃあ、可愛い子なら何ダースだってウェルカムですよ」
張り切る梓燕に
「よろしくお願いします!」
と、鈴を転がしたような若々しい声が元気な挨拶を述べる。
見れば、少佐の横に直立していた新兵は、白い髪に白い肌、愛嬌に満ちたあどけない少女。
ピシッと敬礼を決めて、
「本日よりトライデント部隊に配属されました、ロザリア・バタリオン少尉です! ご飯と勝利とご飯のために全力で頑張ります!」
†
吐き気を催す悪夢の魔手に捕まれて、ルークは現実へと意識を引きずりだされた。
その直後に彼を襲ったのは、ASTS強化施術を受けた時以来の強烈な生理的嫌悪感。
それは波のように幾度となく押し寄せ、収まったかと思った頃にまた臓物を握りつぶすような感触を連れて訪れた。
あまりにひどい感覚にルークの頭は混乱していたが、それでも何とか、ここが病院の一室であることまでは理解できた。
同時に、自分が生き残ったことも理解させられた。
──いっそ夢と現実が逆なら良かったのに──
らしくない泣き言が脳裏をよぎる。
しかし現実は変わらない。あのロザリアとかいう人懐こい小娘はレギオンの手先であり、奴のせいで大勢の戦友が死んだ。紛れもない事実だ。
分からないのは、あの惨劇からどのくらい時間がたったのか、どのくらいの犠牲者が出たか。そして……ロザリアの生死。
特に最後のことだけは何がなんでも確かめたかった。あいにく、近くには誰もいなかったが。
するとそのとき、ルークの気持ちでも通じたのか、病室のドアが開いた。
「よう、グッドモーニング」
その顔と皮肉がかった声だけは、もやのかかる頭でも誰のものか簡単に判別することができた。
焼けただれた顔の女医、死神先生ことDr. エルシーだ。
数日前までは『最も会いたくない女ナンバーワン』だったが、こんな体たらくでは医者に頼らないわけにはいかない。怒濤の嫌みを除けば、腕は確かな医師だ。
少しずつ、目が利くようになってきた。そこでようやく、ルークは自分の体に無数のチューブがつながれていることに気がついた。
周りには大掛かりな機材がいくつも並んでいる。それらの横を通り、エルシーはルークの枕元までやってきた。
「ドクター、俺は……」
「言いたいことは色々あるだろうが、まずは自分の名を言ってみな。脳機能をチェックする」
「…………ルーク・ウィンター中尉だ」
「オーケー。階級までは聞いてないんだが、こりゃ職業病だな。ヒヒッ」
エルシーはいつものようにせせら笑いを浮かべている。
「両手の感覚はあるか?」
「両手? 確か、切断されて……」
「話は後だ。ひとまず握れるか?」
せかされて、何が何だか分からないままルークは両手を握ろうとした。
確かに、神経の末端に指が存在するようだった。1本1本が鉛になってしまったかのように動きは悪いが、確かに存在はしている。
「ある。指の感触……。動きは悪いが」
「なら良い。ひとまず今は機械義手をつけているが、あんたの体細胞情報を用いたクローン培養で、新しい手を作っている」
と、エルシーはタブレット型カルテへ入力しながら言った。
「私が片手間で改良した手法でな、従来よりコストは倍かかるが培養期間を3割程度に抑えられた。まあ、凡人への自慢話ほど空虚なこともないから、講義してやるのは別の機会にしておくが」
流石は天才軍医といったところだろう。しかし今のルークにとって、それは些細なことでしかない。
状況がまだ飲み込めないルークは、なんとかエルシーの方へ顔を向けると、
「ドクター。知ってる限りで良い、何があったか教えてくれないか?」
「聞いてどうする。今は自分の心配だけしてろ。それとも、精神安定剤も投与してやろうか?」
「頼む。知っていることだけで良いから」
かすれる喉にある限りの力をこめながら、なんとかルークは問いかけた。
エルシーの眉間に少し皺が寄る。
「ASTSの癖に情けない声出しやがって。……まあ、良い。まず脊椎損傷、内臓破裂、両手の切断。これがあんたの負傷の全容だ。ひとまず損傷パーツは交換した。パーツが馴染むまでは1週間くらいってところだ。以上」
「それで、戦況はどうなった? あの悪魔は──」
「戦況? あんたの言う戦場がどこのことかに興味はないが、私にとって戦場というのはこの院の中だ。今回の一件で、どれほどの人間が運ばれてきたと思っている? それでも良いなら【戦況】を聞かせてやるが」
エルシーの言葉に、ルークは言葉を詰まらせる。
「どの道、知ったところで、あんたも今の体では何ひとつできないだろ。最善手は、そのガラクタ同然の体を休めてやることだな」
エルシーはカルテを取り終えると、ふいに顔を渋らせながら懐より小型通話機器を取り出し、
「ちっ、よりによって院長か」
そうボヤキながら電話へ出た。
「タックストンだ。どうした? ──あ? 樫崎閣下が? ……あー、察しはついた。はいはい、んなことだと思ったよ」
どう聞いても直属の上官に対する口の利き方ではない。
そんな重度の不敬を全開にエルシーは、ニヤッと笑いながら、ベッドに横たわるルークを一瞥した。
「しかし、出世する人間ってのはやっぱり良い勘してんだね。たったさっき回復したところだ。会話や意思疏通はできるが、それ以上は生死レベルで保証できないって伝えとけ」
とぶっきらぼうに電話を切る。
「良かったな。お暇な少将閣下がわざわざ見舞いに来てくれるとよ。見舞いにブリキのおもちゃでも買ってもらうんだな」
†
「君がウィンター中尉か」
樫崎克己少将がルークのいる特別集中治療室を訪れたのは、電話のわずか1時間後だった。
なんといっても将官の来訪なので、副官や身辺警護などを引き連れて大勢でやってくると思われたが、少なくとも治療室の中へ入ってきたのは少将ただ1人。
気配を察するに、側近たちや迎合に当たった院長などは廊下や応接室などで待たされている模様だった。
それはともかく、樫崎克己少将。
ウシュアイア駐屯地における重鎮の1人であり、ことさら勇猛な演説をすることで兵士の間では有名な将官だ。
ルークも幾度となく彼の話を聞いては感銘を受けてきたが、地位の差ゆえ、こうしてマンツーマンになるのは初めてのこと。
「樫崎閣下……」
失礼があってはならない、とルークは頑張って体を起こそうとしたが、
「無理はよせ。下手なことをして傷が悪くなれば、お互いに不幸だ」
と、樫崎がルークを制止する。
実のところ、制止されなくてもルークは途中であきらめていただろう。情けない話だが、そのくらい体がいうことをきかなかったのだ。
ただ、敗兵になってしまった自分に対する樫崎の気遣いは、本当に身にしみるほど嬉しかった。
「まして君は、ただ1人の生存者だ。仲間の信念を継ぐためにも、今は体を大事にしてくれ」
「恐れ入ります」
お言葉に甘える形で、ルークはベッドに再び体重を預ける。
「閣下、失礼は承知しておりますが、どうか話の前に1つだけ教えてください。あの悪魔は、死にましたか?」
ルークは祈るような気持ちで、本当に聞きたかったただ1つの問いを、樫崎へぶつけた。
しかし樫崎は少しの間、返す言葉もなく天井を仰ぎ、やがて腹を決めたような口ぶりで、
「本当は死んでいった者たちの無念を晴らす返事をしたかったのだがな、嘘を言うことはできない」
「……そうですか。ありがとうございます」
ロザリアはまんまと逃げのびた。その事実が、ルークの心に影を落とす。
もちろん、軍人となって全てが順調だったことなどない。いや、全てが“非順調”だった。それでも、今回ほど痛恨の戦績を聞かされることになったのは、ここ最近の記憶にはない。
「この際、先に君へ被害状況を説明した方が良さそうだな。お互いの理解に齟齬があっては困る」
と樫崎はルークへ語り始めた。
「あの日、セレモニーホールにて開催された慰労パーティにレギオンが潜入した。経路はまだ特定できていないが、目立つ形でなかったことだけは確かだ。その後、緊急コード534が発動され、ホールは閉鎖。中には大勢の仲間がいたが、今のところ生存が確認されたのは君だけだ。その後、侵入したレギオンはホールの天井を破壊して外へ出ると、我々の対空攻撃を振り切り、最終的にカリブ海の中へ逃亡。民間人への被害がなかったことだけは不幸中の幸いだが、今も行方は把握できていない」
その説明は、ルークに1つの安堵と1つの絶望をもたらした。
絶望については言うまでもなく、ロザリアが完全勝利をおさめた結果になったことだが、民間人へ被害を出すことなく帰ってくれたのは、不幸中の幸いと言いきっても良いだろう。
「しかし不可解なのは、奴の侵入ルートだ。ホールの定点カメラも確認したが、あの虫どもはいったいどこからやってきた。映像を確認するに、奴らは【虚空から唐突に現れた】ようにしか見えんが」
と、樫崎は唸るような声で述べた。
──そんなはずはない──
ルークは唖然としてしまう。
あの羽虫はどこからわいたか? 決まってる。ロザリアの仕業だ。
おそらくは異能を使ったのだろうが、奴の体内から溢れ出したのをルークはこの目でしっかりと目撃している。
「閣下。奴は──、羽虫どもの親玉、ロザリアは──」
「ロザリア? 何だ、それは」
樫崎には、何も思い当たる節がないようだ。
そんなのは、定点カメラからの映像を見れば分かるはず。
その旨を伝えると、樫崎はすぐさま待機させていた副官にタブレット端末を持ってこさせた。
端末には定点カメラからの映像が取り込まれていたが、いざ再生してみると、ルークは樫崎の言葉の意味を理解させられた。
どこにもロザリアの姿がないのだ。羽虫が飛び回る中、【何もない空間】と対峙している自分やヴィクトルの姿が映っている。やがて映像は、カメラを羽虫が破壊したことで終了した。
──俺は、幻覚でも見ていたのか?──
そんなはずはない。幻覚だったとしたら、ヴィクトルたちの死は何だったのか。
わけが分からなくなったルークは、ひとまず、ロザリアとの出会いの経緯から惨劇の様子までの全てをありのままに樫崎へ報告した。
ジャマイカ戦で初会合したこと、この街でまた会ったこと、そしてパーティー会場での再会から戦闘まで。
「──ここまでが、俺があの悪魔に関して知っていることの全てです」
「そうか。……ロザリア・バタリオン、か。なんとも理解に苦しむ、鵺のような奴だな。ステージ7に相当するかもしれん」
樫崎は今にも頭を抱えそうな声で、力なく述べた。
レギオンは、その危険度に応じてステージ1から10までのランク付けが行われている。
数字が上のものほど力が強く、特にステージ7以上ともなれば人間と同等以上の知能と、容易く万単位の人間を葬れる力量を持つとされている。それは最早、敵というより天災と表現した方が的確かもしれない。
「しかし、この情報は千金に値するぞ。中尉、よく生きて戻った」
「閣下。俺は生き残ったんじゃない、ただ理由は分かりませんが、奴に生かされただけなのかもしれません」
とルーク。
ロザリアは最後、確かにルークを自らの意思でテーブルの下に投げ込んだ。それがなければ、瓦礫の下敷きとなって圧死していたかもしれない。
レギオンに生かされた、それはルークにとってひどく不愉快なことだった。
「生かされた、か。確かにレギオンの中には、捕らえた獲物をわざといったん逃がし、狩りを楽しむものもあると言うが……」
と樫崎はひとりごちる。
ルークはその話は初めて聞いたが、レギオンどもならやりそうなことだ、と難なく受け入れられた。
奴らは『誰が1番惨たらしい殺し方をできるのか』を競い合っているかの如く、想像を絶するような手法で人間を惨殺する。
死体はどれも悲痛の叫びをあげながら死んでいったようなものばかりで、それを目にした兵士たちは生理的嫌悪感から大いに士気を削られる。
「だが心配はいらない。君が回復するまで、ここに警護をつけることにしてある。貴重なASTSをこんな形で奪われるわけにはいかないからな」
「閣下。恐れ入ります……」
このときルークは、満足に頭も下げられないことが何より口惜しかった。
※ASTS専用生体パーツ
バイオサイボーグとも呼べるASTSのために作られた専用の人工生体組織。
臓器、筋肉、骨など多岐にわたるが「元からかなり頑丈な人間にしか耐えられない」という点は共通。
またあくまでも人工物であるため(コストを度外視すれば)損傷したパーツを速やかに交換できる。
ただし交換手術は平常時よりさらに人体に負担をかけるため、Dr. エルシーのような腕利きの名医でもないと施術できない。
※ブリキのおもちゃ
この資源難の時代、金属をおもちゃに使うなどもってのほか。
仮にそんなおもちゃがあるとしたら、それこそ将官級の人間でもなければ手に入れられないような超高級品である。
エルシーはその辺を踏まえて言っている。
つまり、自分が代えの利かない人材であることを盾にした、超ド級の嫌味。
●樫崎克己
陸軍少将。コロンビア駐屯地の偉い人。
今でこそ老指揮官となったが、若い頃は鐡聖将を用いて前線で上級レギオンを何体も討ち取ったと言われる伝説の戦士。
どんな苦境にも屈せぬ鋼の魂と、必要とならば清濁併せ呑む度量を持つ。