6話 歪天使ロザリアの優雅なディナー
「行くぞ、ルーク!」
「はい!」
刹那、ヴィクトルとルークは地を蹴った。
残念ながら鐡聖将はないが、だからと言って退くことはもはやできない。いかなる状況においてもASTSたる者、泣き言はこぼせないのだ。
「いざ尋常に!」
ロザリアも両手を一瞬にして肥大化させ、その鋭くも禍々しい爪をもって迎え撃つ構え。
テーブルを踏み台に、ヴィクトル。年齢を感じさせない機敏な動きで、宙へ浮くロザリアへ一気に距離を詰める。
ロザリアはこれをなぎ払うため、右手の大爪を振り下ろした。
血飛沫と肉片が飛び──、なくなっていたのはロザリアの両手の方。
「……お?」
痛みも感じられぬほどの素早い所業に、ロザリアの思考が一瞬止まる。
が、なくなった手首を両目で見ることができていたのもつかの間。
今度は、鼻から上が吹き飛んだ。
ルーク・D・ウィンター中尉の愛用品に、XRE波動拳銃がある。
とにかく高威力で弾薬のかさ張らないバッテリー式弾倉が売りだが、本来ならパワードスーツを纏わねば射手に大ダメージを与えかねない危険な代物だ。
特にその反動のキツさは【最も小さな重火器】とも評され、優れた身体能力を持つASTSや歪天使ですら、生身で扱える者は一握りだ。
しかしそのじゃじゃ馬も、使いこなせれば名馬になる。故にパワードスーツを纏った歩兵たちは、連射性より単発の威力が求められる場面ではガンガン使用している。
それどころか、その威力に魅せられ、普段から携帯するASTSも少数派ながらいるにはいる。 ルークもその数少ない愛好家の1人だった。
「ガラ空きだ、バカ野郎」
一瞬の不注意を突いてロザリアの頭をぶっ飛ばすと、ルークは悪態をついた。
が、まだ終わっていないことは自覚している。
レギオンは人間とは違い、コア以外への攻撃は致命傷に至らない。現に、ロザリアは平然と飛行しながら
「ひょえー……。お兄さんたち、結構えげつないねー」
と、鼻から上のない顔で呑気に感心している。
人型のレギオンは頭部か心臓部にコアを持つことが多い。頭を潰されても生きているなら、狙うべきは……
「心臓部か」
「おそらく」
ヴィクトルとルークは互いに視線を交わした。
そのとき。
「そこまでだ! 化け物!」
勇猛な声と共に、1頭の軍服をまとった野獣がロザリアにとびかかる。
歪天使中隊・第4小隊長、野獣化を介した身体強化の能力を持つアイラ・チェン中尉だ。
ロザリアはとっさに後ろへ飛びながら口より槍状の舌を繰り出すが、見えない障壁がその舌先を吹き飛ばす。
「少佐! 我々も援護します!」
歪天使中隊長のナタリア・アシモフ大尉が駆け付ける。
彼女の異能はサイキックバリアーの作成。すぐ隣に核ミサイルが落ちても平気という、驚異の防御力が売りだ。
流石は歪天使。鐡聖将が使えないこの状況において、最も頼りになる存在と言っても良いだろう。
しかし、ロザリアだってそれを警戒するのは当然のこと。
「流石。お姉さんたちには本気を出さないと、ひょっとしたらボク負けちゃうかもね」
恐れるどころか、ロザリアは鼻から上のない顔で不敵なことを言う。
それと同時に……。
──ぽたり。
ロザリアの胴部、切り落とされた断面から何かが垂れ落ちる。
──ぽたり。ぽたり。
血ではない。透明で、少し粘性のある、それはまるで、唾液。
途端、ロザリアの体から異様な力が膨れ上がる。
それを察知し、思わず形容しがたい恐怖を抱いてしまったルーク。
「避けろ!」
そう叫ぶも、遅すぎた。
切られた胴の断面がガバッと裂ける。中には無秩序に並んだ無数の歯、歯、歯。
そのさらに奥、無限の深淵とも思える喉から放たれた漆黒のビーム。
「猪口才な──」
ナタリア中隊長は得意の障壁を展開する。そこを襲う漆黒のビーム砲。
最初は誰もが防ぎ切ったと思ったが、それは大きな間違いだった。
隣に核ミサイルが落ちても平気という驚異の障壁はたやすく破られ、ナタリア中隊長は右足首だけを残し、遺体も残さず消滅していた。
それを見た途端、逆上したアイラ中尉がロザリアに襲いかかる。
が、一枚上手だったのはロザリアの方。その胴体の割け目とも言える口を大きく開き、アイラの上半身をガブリと食いちぎる。
ナンセンスな血の噴水。勇猛な戦士がただの肉塊へと変化した瞬間。亡骸がグラリと倒れ伏す。
「……お姉さん、ちょっと硬いね。生なのにウェルダンみたい」
さも当然の口調で、それこそ朝食にパンを食べたかのような軽い調子で批評を言うロザリア。
しかし、その間にも吹き飛ばされた顔と手は、喰らった兵士の血肉をもって再生されていった。
「てめえ!」
怒りに任せて銃をぶっ放すルーク。しかし銃口を向けたときにはすでに、ロザリアはそれを横に飛んで避けていた。
きょとんとした目でルークを見つめるロザリア。
「やだな、お兄さん。そんな怒っちゃって。人間だって牛さん豚さんを殺して食べてるじゃない」
「ああそうかい! んなら、俺がてめえを殺したって文句はねえってわけだ!」
轟音を引き連れて放たれた銃弾が、ハエ状の羽に大きな穴を開ける。
見た目のチャチさに反して、意外と丈夫な羽だ。普通、アグニ合金XRE拳銃の一撃をくらえば、風穴では済まない。
しかも、
「ふう! お兄さん、やぁる~!」
羽を傷つけられたはずのロザリアはむしろのんびり感心しており、飛行速度が鈍る気配もなかった。
「それならお兄さんにも本腰、入れちゃおっとね」
と言った途端、ロザリアの体に異変が起こる。
回復したばかりの両腕がレギオン本来の体のように黒ずみ、変質・変形し、即座にカマキリを想起させる形状となった。
見た感じからして、よく斬れそうな手先である。
さらには、
「カモン! バタリオン!」
その号令と共に、周りの雑兵を食い殺していた羽虫どもの一部が、ロザリアの周囲へと集合した。
まさに数の暴力、集中攻撃の構え。仮にロザリアを倒せても、それで周囲の羽虫が機能停止しなければルークは終わりだ。
──上等。生き残るか死ぬかは結果論。大事なのは敵を殺せたか殺せなかったか、それだけだ。
意を決したルークは、あくまで迎え撃つ姿勢を見せる。
「行くよ! 勝負!」
大勢の羽虫をまとって、こちらへ剛速で飛来するロザリア。
確実に殺すため至近距離での最大火力を狙うルーク。
そこに
「ルーク!」
一筋の輝く雷電が、敵の羽虫を一挙に焼き殺した。
まさにとっさの判断で、間一髪のところ梓燕が助太刀してくれたのだ。
「助かる! 後は任せろ!」
あとはロザリアだけ。ルークは十分に彼女を引きつけ──、最上のタイミングでトリガーを引いた。
虚空を進む銃弾は、誤らずロザリアの胸部へ着弾。
その刹那、ロザリアは少女の形を保持した怪物から、断末魔をあげる猶予すら与えられず、ただの炭化した肉塊の破片となって四散したのだった……。
間違いなくレギオンコアごと焼きつくした。その確信が、ルークに銃を下げさせた。
「ルーク! やりましたね!」
大金星に、梓燕は顔をほころばせながらルークの肩にハイタッチ。
「気を抜くのは早いぞ。まだ羽虫どもが残ってる」
とは言いながらも、ヴィクトルもどこか一安心した様子だった。
……ただ1つの誤算は、まだ何も終わってはいなかったということ。
「おい……」
最初に気付いたヴィクトルが、血相を変えながら思わず声をもらした。
「──ルーク、梓燕! 伏せろ!」
とっさの命令ながら、2人はそれぞれ反射的に床へ伏せた。
いや、梓燕に関しては「倒れた」と表現すべきかもしれない。
床へ崩れ落ちた彼女の首から、斬り落とされた頭部がコロリとカーペットを転がった。何が起きたか分からない、そう言いたげな死相のまま。
あふれ出る鮮血が、彼女の死を告げる。ルークはすぐ体を起こし、後ろを見た。
そして、思い知らされた。自分が敵対していたモノは、本当に常識から逸脱した存在だったのだ、と。
そこにいたのは、最初に斬り落とされたロザリアの下半身。
腰から上が欠損しているにもかかわらず、堂々と2本足で直立しており、右足に至ってはブレード状に変形していた。
そこについた鮮血が、誰が梓燕を斬り殺したか教えてくれた……。
「この、化け物がァ!」
長年ずっと苦楽を共にしてきた戦友の、前触れなき突然の死。
ルークが怒りを爆発させるのは当然だった。もはや衝動のままにアグニ合金XR拳銃をぶっ放す。
だがロザリアの下半身は、これを宙返りしつつ華麗に避けた。
さらには、着地と同時に断面より無数の羽虫を産出し、ホール内へと放つ。それら羽虫は人間を襲うことなく、蚊柱のごとく一か所へと集まり、身を寄せ集まって
「……ごめんね、お兄さん。正直、ただの雑兵かと思って見くびってたよ」
虫の集合体から、木端微塵にしたはずのロザリアの上半身へと“変身”したのだった。
ルークはとっさにそちらへ銃を向けるが、それすらも遅すぎた。
不可視の速度を伴った斬撃が虚空を裂き、ルークの両手が銃ごと床へ落ちる。ロザリアの上半身が、両腕の鎌についたルークの血を舐めた。
そしてまた、その悪魔の大鎌が振り上げられる。
「さがれ、ルーク!」
とっさにヴィクトルがルークを庇うように前へ出た。
今までに何体もの悪魔を地獄へ送ってきた軍刀をもって、最も気心の知れた部下を守るために。
──振り下ろされる死の大鎌!
──迎え撃つ希望の軍刀!
──散る火花! ぶつかり合う、魂の咆哮!
「もう貴様らに、奪わせてやれる物は何ひとつない!」
絶望すらも押し返そうとするヴィクトルの強い言葉。
「それは……」
押されるロザリア。押される大鎌。押し、返されようとしていた絶望的未来。
だが、しかし、
「……それは人間、君たちに対するボクらのセリフだぁぁぁッ!」
──悪魔の大鎌はぶった斬った。
──軍刀ごと、未来ごと、希望ごと、そして英雄ヴィクトル・カルカーニ少佐の体躯ごと。
──無慈悲なほど迷いなく、真っ二つに。
頭頂から両断された少佐の亡骸が、左足と右足、それぞれの重心へ崩れ落ちる。
「少佐……!」
続けざまに大切な人を失ったルークの、悲痛な呼びかけが虚空へ消える。
ところが、それでも“最悪”は終わらない。
完全に不意を突く形で、ルークは背面から強い衝撃を受けた。
ちょうど、ロザリアの下半身がルークの背骨へ飛び膝蹴りを決めたところだった。
なす術もなく、無残に地へ這わされるルーク。今の一撃で神経系がやられたのか、下半身の感覚が全くない。
そして、徐々に周囲から聞こえる鼓舞の言葉や断末魔の悲鳴も枯れて来た。
それはすなわち、このホールにいる人間が粗方、喰いつくされたことを意味していた……。
※戦死
さよなら、友よ。仇はきっと討つ。