5話 ごめんね、お兄さん
「なんなんだ、あいつは」
ロザリアを厨房へ強制的に帰すと、ルークは深いため息をついた。
ゲストにパンを買いに行かせようとする新米ウェイトレス なんて前代未聞、いや、空前絶後だろう。
「射殺できる分だけ、まだレギオンの方が御しやすそうだ」
「やめてくださいよ。あんな可愛い子をレギオンにさせてたまるもんですか」
と、梓燕はすっかりロザリアを気に入ってしまった様子。
「もしレギオンが来たら、私があの子を守ります」
その熱意にルークが辟易してしまうと
「その辺で許してやれ。男のヒステリーは様にならねえぞ」
とヴィクトルがルークをなだめる。
「別にヒステリー起こしてるわけじゃないですよ。ただ、ああいう馴れ馴れしいガキは嫌いなんです」
「えー? 私は好きですよ。実は検査漏れで徴兵されていなかった歪天使とかで、そのうち辞令で私の部下に、なんてことになれば良いのに」
「そしたら俺は異動願いを出す。ああいうガキのいない所ならどこだって良い」
どうもロザリアをめぐるルークと梓燕の態度は180度違うようだった。やれやれ、とヴィクトルはこの若い部下の温度差に苦笑をこぼす。
──パーティも進み、約半分が終わったころ。
料理の方もメインディッシュはほとんど食べられてしまったようで、ウェイターたちもデザートを出し始めた。
すると、「待ってました」とばかりに、甘いものは別腹と明言する若き乙女たちが
「総員、再突撃ー!」
という梓燕小隊長の陣頭指揮に引き連れられながら、プディングからティラミスまで、滅多に食べられない甘味を確保し始めた。ここで食わねば一生悔いが残る、とでも言わんばかりの様子だ。
「よくあそこまで食えるもんだな。俺なら明日、胸焼けを起こしそうだ」
と、ヴィクトルが遠目に眺める。
そのとき。【奴】は再びやってきた。
「ねえ、お兄さん」
後ろからまた現れたロザリアに、ルークの顔は冷や水をぶっかけられたかのように苦々しくなった。それでもロザリアは構わずにこやかに
「もしかして、もうパン買ってきちゃった?」
と、同じことをまた宣う。
「なんで買ってくることまでが確定事項になってんだよ」
「良かった。じゃ、今から買ってきて」
留まるところを知らないロザリアの無茶ぶりに、ルークはいっそ帰ってトレーニングルームに行きたくなったが、それはそれで癪な気もした。
なんと言っても、敵前逃亡は軍人の恥である。やはりここは、意地でも居座ってやろうと思いなおし、
「いい加減にしとけよ。これが終わったら、まかない飯くらい出るだろ」
「あーん。ボクは、お兄さんのためを思って言ってるんだよ?」
「意味が分からん。次、同じこと言ったら、ウェイターのチーフにおまえのことを差し出してやるからな」
だいぶ頭に来ていたルーク。
しかし、これだけ険悪な顔で睨んでやっても、ロザリアは僅かにも憶さない。
民間人にしては、すごい豪胆ぶりだ。流石は旧ジャマイカからの生存者といったところか。
「ルーク、おまえの負けだ。後で何か奢ってやれ」
民間人の女には甘いヴィクトルが、忍び笑いを浮かべながらルークの肩を叩いた。
そのとき。ステージの方からスネルマン大佐から
「各自、注目! これより、ワッハーブ准将より慰労の言葉がある!」
とアナウンスが流れた。
流石にこれには辺りも静まりかえる。梓燕もヴィクトルたちのいるテーブルに戻ってきた。
ステージの上に登ったのは、まさに「威厳に満ちた武人」という形容がよく似あう壮年の中東系男性。彼こそがワッハーブ准将である。ここにいる兵卒や下級将校にとっては、まさに雲の上の偉人だ。
よくスネルマン大佐もこんな大物にスピーチを依頼できたな、とルークは感心したが、そう言えばこの大佐と准将は昔、近しい部署にいたと聞いたことがあった気もする。
何はともあれ、滅多に話を聞ける相手ではない。きちんと拝聴しよう、とルークは思ったが
「ねえ、お兄さん」
と横槍が入る。
「今はやめろ」
何か言おうとしたロザリアを、ルークが小声で制した。
「とにかく、今だけはやめろ」
「……そっか。じゃあ、ちょっぴり不本意だけど、仕方ないね」
ロザリアはようやく諦めたような声を出した。
すぐにワッハーブ准将は、おごそかに話を始めた。
「諸君。まずは今回の勝利について、諸君らの勇猛さと尽力に感謝の念を贈りたい。知っての通り、今、戦況は我々にとって苦しい局面にあるが、人の本質は逆境でこそ現れるという。このような情勢で大勢の兵士の命を救えたということは、すなわち──」
「お兄さん」
ロザリアが准将に顔を向けながら、ルークにだけ聞こえるくらい小さな声で囁いた。
「先に謝っとくよ。ごめんね」
†
人間が最も速く行える動作の1つに【瞬き】がある。その速さは『瞬間』という言葉があるくらい速く、実際は約100ミリ秒程度だという。
そういう意味で、それは『瞬間』の出来事。この間に瞬きでもしていたら、見逃していただろう事象だった。
もっとも、脳の理解はそこまで高速ではない。それを即座に解せた者は、ASTSや歪天使も含め、誰1人いなかったに違いない。
整理して書き起こせば、まずロザリアの頭部が、まるで後頭部に蝶つがいでもついていたかのように左右へガバッと開いた。
露わになった頭部の中には、あからさまに人間の物とは異なる黒ずんだ血肉、そして黒光りする水平三連ショットガンの銃口。
向けられたその先にはワッハーブ准将。
銃声。銃声、銃声。──硝煙。
その全てが、わずか99ミリ秒の間の出来事……。
次に最も速く動けたのはヴィクトル少佐だった。
もはや鐡聖将を纏う手間すら惜しいと言わんばかりに、迷わず軍刀を抜き、一縷の躊躇もなくそれでロザリアの胴を狙う。致命傷となりやすい首ではなく、避けられにくい胴を真っ先に狙うあたりは熟練者の読みというものだ。
飛び散る漆黒の血飛沫。サヨナラしたロザリアの上半身と下半身がパーティ会場のカーペットの上を醜く転がる。
「何がラッキーガールだ、くそったれ」
吐き捨てるヴィクトル。遅れて周りがどよめき出す。
しかし、全ては後手だった。ワッハーブ准将は首筋を打ち抜かれ、何が起きたか知る暇もなく死んだ。彼もまた、胴と頭部が別々にステージへ崩れ落ちる。
ここまできてようやく、その場にいた誰もが理解した。
理解させられた。
理解せざるを得なかった。
「まさか……」
梓燕が愕然としていた。
先ほど抱きしめていたはずの少女が見せた、憎むべき醜悪な本性。
しかし彼女も歴戦の軍人。すぐに頭を切り換える。これはどう見てもレギオン、どう考えても敵襲である!
「緊急コード534だ!」
いまだ銃声の反響が収まりきらぬ内に、ルークが迅速に叫ぶ。
緊急コード534、それは絶対防衛線のはるか内側におけるレギオンの侵略行動。本来なら決して起きてはいけない、緊急事態中の緊急事態。
まんまとしてやられた。まさか、まさか、まさか、レギオンの侵攻がこのような形で行われるとは。
油断していた。この駐屯地にはレギオンコアの放つ特異な放射線を探知する【レギオンセンサー】がある。これが稼働している以上、レギオンの接近には確実に気づける。そう思っていたが故の油断だった。
──が、これは終わりではなかった。
──むしろ惨劇の始まり、悪夢の序曲、崩壊のスタートライン。
「……ホーリーコントラクト、『ロード・オブ・ザ・フライ』!」
高らかに【聖なる契り】の言葉を述べながら、ロザリアの上半身が宙へ舞い上がる。
背中にはハエを想起させる醜悪な翼。頭上には、禍々しいドス黒さを放つ、穢れに満ちきった歪天使の光輪。切り落とされた胴の断面から延びる、サソリの尾のように変形した背骨と尾骨。そしてその尾骨の先端には、忌まわしきレギオンの証、赤く禍々しい角状の突起【侵食器】。
「カモン! バタリオン!」
そう叫ぶと同時に、今度はロザリアの胸部が大きく開いた。肋骨と黒い血肉の向こうから飛び出したのは黒い霧、否、ゴルフボール程度のサイズの蠅の大隊。
悪魔の小さな手先どもが現れた途端、今更ながらにレギオンセンサーがけたたましく緊急サイレンを鳴らす。
さらには緊急コード534を受け、センサーに連動した分厚い隔離壁が駐屯地全域にて下り、人の通行を遮断する。
例えその区画の全員を犠牲にしてでも、絶対に拡散させてはならない。これは駐屯地に勤務が決まったときに誰もが教えられる、鉄と血の掟だ。
こうなっては、戦うしかない。既に火ぶたは切られているのだから。
「噛みつけ! 喰らえ! 貪れ! 捕食しろ! 食い尽くせ! 喰らうことがボクらの存在意義なのだ!」
もはや異形の怪物と化したロザリアが唱えたのは、人の心を悪魔に汚す恐るべき呪詛の一説にも似た言葉。
それを皮切りに、手下の羽虫たちは一斉に周りの兵士へ襲いかかる。パワードスーツや鐡聖将があるならまだしも、生身の体で武器もなければ、いったい何をどうしろと言うのか。
「うわあああ!」
「やめろ! やめろぉ!」
悔しいのは、このパーティへ非武装で来てしまった兵士たちだろう。彼らに今、抗うすべはない。1人、また1人と羽虫の怪物にたかられ、貪られていく。
「クソ!」
とっさにルークは部隊章を手に取った。
ASTSはいつでもどこでも鐡聖将を纏えるよう、その部隊章には召喚装置が内蔵されている。
「装光!」
と、召喚の言霊を唱えるルーク。
──しかし、ダメ。
何も起こらない。装置を見れば、見慣れない【通信エラー】の文字が……。
「……やってくれる。あん畜生、通信障害までプレゼントしてくれやがった!」
ルークの隣でヴィクトルが悪態をついた。
どんな素晴らしい装備も呼びだせないのでは意味がない。
その間にも、羽虫たちは人間たちを次々と蹂躙していく。
「ルーク! ここは私が!」
と手練れの歪天使、梓燕が前へ出る。数秒を費やして貯めこんだフルチャージの電撃を全方位へ放つ。
彼女の異能による放電は人間には無害という便利な利点がある。今のように人間とレギオンが密接しているときでも、考えなしに放てるのだ。
放電にコアを焼かれたハエたちは地へ落ちるが、肝心のロザリアは多少痛がった程度で、有効なダメージにつながっていない。全方位へ放電を分散した以上、どうしても威力が落ちるのだ。
「くっ。──ホーリーコントラクト、『ラミエル』!」
梓燕もまた聖なる契りを口にする。途端、純白の神々しい光が彼女を包む。そのベールが消えたとき、梓燕の服は野戦服から天使のような輝かしいローブ姿へと変わっていた。
ロザリアはこの強敵の現出に対し、「とりあえず」と言った具合に、既に息を引き取った兵士の遺体を伸びた背骨の先端で突き刺した。その刹那、遺体がボロボロと黒ずみながらこぼれる。
こぼれる? 否、決してそうではない! 遺体がハエへと肉体転換されている! レギオン特有の増殖行為、【侵食】だ!
「くそっ。これじゃキリがねえ」
ヴィクトルは顔をしかめながら毒づき、その目をルークと梓燕に向ける。
「ルーク、おまえは俺についてこい! あの本体を仕留める! 梓燕と他の奴は周りの羽虫を駆除しろ!」
「はい!」
すべては人類の未来のために、不退転の決意を固めたトライデント部隊。
こんな市街の中でレギオンを取り逃せば、ただちに市民は悪魔の餌と成り果てる。それは、この都市だけの問題ではない。
ここは中米と南米を結ぶコロンビア。ここが陥落すれば、南米大陸の陥落に王手がかかる。この大陸には地球連邦の首都があることを考えれば、それは絶対にあってはならないことだ。
思わぬ形で人類の命運を背負ってしまい、顔をこわばらせる兵士たち。
まさかこんなことになるとは夢にも思っていなかったため、その装備は全く潤沢ではない。特に鐡聖将がないのは致命的だった。
特殊戦機と呼ばれる上位機種であれば、いついかなるときでもパイロットのもとへ鐡聖将を具現化できるのだが、生憎彼らは特殊部隊ではないので、そんな上位機種の使い手はいない。故に、どんなに辛くても生身で戦うしかないのだ。
それを目の当たりして、ロザリアは
「ジャマイカでは、よくも仲間たちをいじめてくれたね。そんな悪い人間は、ここらが年貢の納め時だよ」
と、ずっと笑顔一辺倒だったその顔を初めて、あらゆる邪悪を残さず討ち払う憤怒の形相をもった戦狗の如く、しかめて見せる。
「君たちは絶対、喰い尽くす」
●聖なる契り
歪天使が真価を発揮するために必要な簡素な儀式。
「ホーリーコントラクト、◯◯」と言霊を唱えることで完了する。
完了後は、自身の心象を具現化した【戦装束】へと服装が変わり、身体能力と耐久力が大幅に上がる他、頭上に天使の光輪が浮かぶ。
決して趣味のコスプレではない。
○ロザリア・バタリオン
「世界の終わりを防ぐため、この世の地獄にボク参上!」
待ちに待った真打ちの登場! この物語の【レギオン側】の主人公!
明るく健気な熱血レギオンガール!
腹ペコ属性を逆手にとって、喰うわ吐くわの大暴れ!
防衛戦のはるか内側にて正体を現したこの強敵に、人類はどう立ち向かう!?