星に願いを
窓が大きく開いているせいで、カーテンが休みを挟みながら踊っている。
この6年の間でベッドやカーテンなどの設備が新調されたようだが、全体的に記憶にある通りの風景だった。そのせいか、懐古の念が不思議と湧き上がる。
ベッドの上には、人がいた。
ノックに返事も何もなかったが、たしかにそこにいた。
その人は、6年前はここに訪れる側だった。
その人と、6年前はここでわだかまりを溶かした。
そしてその人が、今はベッドの上にいる。6年前とは立場が逆になっている。
赤羽が入院していたときからそうだったが、ベッドは可動式で、上半身の部分にある程度の傾斜をつけることができる。
常盤は、おおよそ45度から60度のあいだの傾斜を保った状態となったベッドに背中を凭れかけていた。腹部から下は掛け布団に浸からせていて、上半身に羽織る衣服は赤羽と同じ病人用である。
「初めまして」
その声に、赤羽は息を飲んだ。
身が縮こまったような感覚に襲われたのは、外からの北風のせいだけではないだろう。
今まで泳がせていた目の焦点を、ゆっくりとその人に向け、注ぐ。
普段と違って、ゴムで纏められていない髪。
普段と違って、血色の悪い顔色。
普段と違って、血走った両目。全身が内出血の状態にあったということだが、その影響かもしれない。
何もかも普段と違う、けれど同じ顔をした、しかしそれでも赤羽の知らない──赤羽を知らない女性が、あの赤と青の指輪をその胸元に乗せて、そこにいた。
「……ですよね? 何か、私に用ですか」
女性は、赤羽の困惑を汲み取って、同じく困惑顔になっている。
わかっていたことではあった。わかっていたはずだった。
しかしそれでも、こうして現実を目の当たりにすると、自分の理解や認識、想定に対しての覚悟というものが、いかに生半可なもので、軽薄で、脆弱であったのかを痛感させられる。体の中心に大きな穴が穿たれたような虚無感が到来した。その穴に火種が投下されたかの如く、じわじわと全身が不快に火照っていく。
目の前にいるのに、もうどこにもいない。
目の前にいるからこそ、余計な期待をしてしまう。余分に絶望してしまう。
どんなに傍にいても永久に詰まることのない距離感が、目の前にあった。
「その恰好、あなたもここに入院しているんですよね? お体の具合はどうですか?」
……やめてくれよ。
敬語なんか、使わないでくれ。
そんなふうに、余所余所しくしないでくれ。
『体の具合』って、この体を痛めつけたのは雅、お前なんだぞ。
それすら……もう覚えていないのか。
「もしかして、あまりよろしくないんですか」
「あ、いや、その……そんなことはない……です。多分」
無意識に相手の調子に合わせてしまい、赤羽も敬語になってしまう。
「そうですか。それはよかったですね」
「……はい」
向けられたその笑顔は、日光の装飾を受けていても、酷く色褪せて映った。
「それで、ここに来た理由は?」
「え、あ、その……」
そう問われると、答えに窮する。
初めまして、と顔を合わせてすぐに言われてしまっている以上、あなたの様子を見に来ました、と打ち明けるのもそれはそれで奇妙でしかない。何故初対面の人物の様子を見にくるのか。その辺りの説明をし出したら、この場でいろいろな白状をしなければならなくなる。
さてどうしたものかと考えているところに、「そういえば」と女性のほうから割り込んできた。
「ついこのあいだ、クリスマス・イブだったみたいですね」
「ええ、まあ、そうでしたね」
「なにか、お願いごととかしましたか」
「お願い? 願いごとをする、って意味ですか? それだったらクリスマスじゃなくて七夕だと思いますけど」
「そうなんですけど、聞いたこととかありません? 実はクリスマスにだって、願いごとをすれば叶う、って」
急な話題に赤羽は戸惑った。とりあえず「はあ」と漏らしたが、それは相槌とは程遠かった。
そんな赤羽をよそに、女性は「私もしたかったなぁ、お願い」とひとり嘆息する。
「一体、どんなお願だったんです?」
「うーん、それはさすがに教えられないかなぁ」
「いかにも聞いてほしそうな口ぶりだったのに」
「だって、お願いごとは人に言うと叶わない、って言いますから」
「ああ。まあ、そんなものかもしれませんね」
気付けば、自然と苦笑いが浮かんでいた。そのことに自分自身で驚く。
おそらく記憶があれば、決してこんな展開になってはいなかっただろうに。
互いの過去を知る前までは、いつもこうして談笑していたけども。
今のこれが嬉しいことなのか悲しいことなのか、もはやわからない。
「でも……もしもあなたが私の願いごとを叶えてくれるっていうなら、特別に教えてあげてもいいですよ」
「……ん?」
「駄目ですか」
「いや、駄目ってわけじゃないんだけど……」
急に話が変な方向に進んだような気がした。なんだか誘導されているような錯覚になる。
「教えられない」と最初に拒絶されたのは、あたかもこの展開へと持ち込むためだったのだろうか。
しかしこれは、考えようによっては、まさに何かを与えるのに等しい行為、その最初の一歩にあたる。
だとすれば、断ることなどできるはずもない。
「俺にできる範囲のことだったら。見た通り、ボロボロだけどさ」
「大丈夫、体の具合とは無関係ですから。心配いりません」
「そう、なんですか? それなら、まあ……で、願いごとっていうのは、一体どんなことなんですか」
先を促すと、その人はまず、何かを確認するように左右を見回した。そして掛布団から右手を抜き出す素振りを見せた。
だが、腕自体が超重量の鋼鉄でできているかのように、その動作は驚くほど緩慢だった。しかも力がうまく制御できないかのように腕ごと震えている。それでも、まるで幼い子供が無邪気に頑張るように、一生懸命にことをなしていた。
この何気ない一瞬で、損傷の程度が話に聞いていたとおりであると嫌でもわかった。
以前を知っているだけに、その様子が痛ましく思えて仕方がない。
そうして用意した右手を使って、ぎこちないながらも「もっと近くに来てください」と手招きをする。それに従い、赤羽は車椅子ごと、できるだけ近くに詰めた。
だが、それで満足しなかったようで、ベッドの一端を見ながら「そこに座れますか」と催促される。
断る理由もなかったので、赤羽は少し痛みと戦いながらも車椅子から立ち上がり、ゆっくりと詰め寄って、指示のあったとおりの場所に腰を下ろした。そのせいで赤羽は今、右へと半身を翻す形で向き合っていた。
「……ここだけの話なんですけどね。どうやら私、『サンタ』とかっていう泥棒に、色々なものを盗まれちゃったみたいなんですよ」
その人は、赤羽の耳元で、いたずらを企てる子供のようなひそひそ声でそう言った。
……誰だよ、そんな話を吹き込んだのは。
むしろ、それを忘れさせるために記憶を抹消したんじゃないのか。これじゃあ本末転倒じゃないか。
もしも、一度記憶を失くした者に対して予めいくらかの真実を投与しておく、という手段の元であるならばなるほど、共感できなくもない。そうすれば赤羽のように、後になって真実を知って、それで絶望する可能性も低くなる──という考えなのだろうか。だが、それにしたって荒療治ではないだろうか。
体の芯に生じた一抹の不安を奥底に抱えたまま、努めて表情を変えないよう意識する。
「それは、その、大変……でしたね」
「でしょう? でもね、私が体を壊して、こうして入院している今もね、その泥棒はまだ懲りないみたいで、私から大切なものを盗もうとしているらしいんですよ」
「え? あ、そう、なんですか?」
赤羽は混乱した。
これは何の話だろうか。少なくとも赤羽は、サンタが常盤にこれ以上何かをするような話を耳にはしていない。先ほどの金鵄との会話でも一切そんな話題はでていなかったはずだ。
これも誰かが吹き込んだこととみて間違いないだろうが、だとしたら、その者の狙いは何なのだろうか。
「だから、私の代わりに、その泥棒から大切なものを守ってくれませんか」
考察に夢中になっていたが、気付けばその目は、とても真剣なものとなっていた。
「あの、答える前にひとつ、いいですか」
「どうぞ」
「何でそんな大事なことを、逢ったばかりの俺なんかに頼んだりするんですか」
「それは……だって、あなたにしか頼めないことだから」
「俺にしか、頼めないこと?」
「はい。だって──」
そこでその人は、晴れやかに破顔して、こう言った。
「私が守りたいものも、それを盗もうとしている泥棒も、どちらもあなたですから」
赤羽は、女性が何を言っているのか、まるでわからなかった。
だが、停止した思考とは裏腹に、鼓動が何故か暴れ出し始める。
「ねえ、泥棒さん。お願いだから、私から『涼くん』を奪おうとしないで」
体中が火照っていく。
色褪せていたはずの世界が、少しずつ、色を取り戻していく。
「ねえ、涼くん。お願いだから……私のことを想ってくれているなら、死のうとしたり、自分の記憶を消そうとなんかしないでよ。そんなことをされたって、私は救われない。ちっとも嬉しくなんかない。悲しいだけなんだから」
女性の赤い両目が、その表面が、潤っている。
「……どう、して」
無意識に零れた戸惑いには、色々な意味が含有されていた。
どうして、記憶を失っていないのか。
どうして、演技なんかしていたのか。
どうして、自殺を図ったり、自らの記憶を消そうとしていたことを知っているのか。
そして──記憶を失っていないのなら、どうして今、そんな態度でいられるのか。
どうして、父親の仇敵に向かって、死ねではなくその逆のことを言っているのか。それがどうしても理解できない。
そこで赤羽は、視界の奥にある収納棚の上にふたつ、それぞれ別の妙な物が置かれていることに今更ながら気が付いた。
ひとつは、あの霜月が首から提げていた、雪の結晶をかたどった金翠石のオーナメントだ。浴びた日光が中で乱反射し、七色の光沢の粒子となって飛び散っている。
そしてもうひとつ、本来ここにあるはずもないであろう『ベツレヘムの星』が、ひっそりと鎮座しているのを目にした。
それらの存在を最初は奇怪に思った。だが、それらがそろってここにある意味を──つまり、ここに誰が来訪したのかを、遅れて理解する。
その答えに行き着くと、ひとつの可能性が浮かび上がり、肝が冷えた。
……まさか、聞いていたのか。さっきの、俺と鳴海の会話を。
赤羽は金鵄によって起こされた。
見舞いに来て、それで起こされたのだと、勝手に赤羽はそう思っていた。
だが今になって冷静に考えてみると、丸2日間も寝たまま起きなかった赤羽を強引に起こすなんていうことは、横暴以外の何物でもない。それでも敢行したのには何かしらの陰謀や画策が背景にあったと考えるのが自然だ。
状況から察するに、おそらく金鵄もグルだったに違いない。
金鵄はまず、赤羽が目を覚ますより前にベツレヘムの星を作動させて通信状態にしておき、それを赤羽の目が届かない所に忍ばせ、それから何食わぬ顔で赤羽を起こしたのだろう。
つまり、あのときの会話のすべてが、『ベツレヘムの星』同士が繋いだ糸によって、この病室へと筒抜けになっていたのだ。
もちろん金鵄は、常盤が記憶を失っていないことをも知っていたに違いない。だが、それならばなぜ赤羽を騙したのか。
しかしよくよく思い返してみれば、金鵄は『常盤が記憶を失った』と明言したことは一度もなかった。赤羽が勝手にそう思い込んでいただけである。
でも、今の憶測が仮にすべて的を得ているとしても、説明がつかない部分が多々ある。どうして記憶を失っていなくて、どうして演技なんか──という最初の疑問に回帰してしまうのだ。
そんなふうに終わりのない思考が何度か循環したところで、「ねえ、泥棒さん」と声をかけられ、我に返る。
「どうです? 私の願いは、叶えられそうですか?」
「……え」
記憶を失っていないことはもはや明白なのに、それでも常盤は一向に演技を止めないでいた。もちろんふざけている様子でもない。
「そ、その前に、ひとつ……聞かせてください」
「どうぞ」
「あなたは、さっき、言ってましたよね。サンタにいろいろなものを盗まれた、って」
「ええ。そうですね」
「あなたは……あなたは、そのサンタのことが、に、憎くは、ないんですか」
言葉の末尾で、赤羽の視線が常盤から逃げ出した。
そうしたことで、言いたいことがすらすら言葉になっていく。
「サンタは、あなたのお父さんの命を奪った。そしてお母さんの形見も奪ったんです。あなたの人生は、そのサンタのせいでめちゃくちゃになったはずじゃないですか。それなのに、どうしてあなたは……そんなふうに、そのサンタを許すようなことを、平気で口にできるんですか。もしもあなたが記憶を失っていないなら、もっと怒るべきだし、もっと恨むべきだろうに。そんな簡単に……許そうとするなよ、俺のこと」
許されないのは怖いが、許されてしまうのも、それはそれで怖かった。
そして、こんなにもあっさりと許されている自分を、赤羽は許せなかった。
「たしかに、あなたの言う通り、もっと怒るべきなのかもしれません。もっと恨むべきなのかもしれません。正直に言うと、あなたをそんなふうにしてしまったあのときの私は、まさしくそんな感じだった。憎くて、悲しくて、仕方がなかった」
「……」
「でもね、気の赴くままに散々痛めつけて、それでボロボロになったあなたを見たとき、どうしてか、また涙が溢れてきたんです。溢れて、止まらなかったんです。変ですよね、そうさせたのは他でもない、自分だっていうのに。そうしているうちに、あなたは──飛び降りた。自らの手で。……そうやって、本当に死んでしまうと思った瞬間、ようやく気づいたんです。今の私には、亡くなった両親よりも、涼くんのほうがよっぽど大切だったんだ、って。たとえこの両手が、本当は赤く染まっていたんだとしても」
赤羽の右手に、常盤の震える両手が、ゆっくりと触れる。おおらかに包み込む。
「だから──だからね、泥棒さん。もしも私からたくさん奪って、それで私に対して多くの罪悪感を抱いているっていうなら、勝手にいなくなったりなんかしないでください。もう、私の幸せを奪おうとしないでください。あなたが傍にいて笑っていてくれる。それが今の私の、本当の幸せなんですから」
にこりと微笑みをこぼす常盤を見て、赤羽は、たまらず涙をこぼした。
「そういえば、自己紹介がまだでしたよね。私の名前は、葛城雅。ずっと前から、あなたを欺いてきました。あなたに酷い大ケガを負わせてしまいした。他にも、いろいろと酷いことをしました。……本当に、ごめんなさい」
常盤は、可能な限り頭を下げた。
6年前のあの日、赤羽が葛城金成を殺したことで生まれたのが、常盤雅だった。
しかしそれから6年後の今、怨嗟を胸に抱いた存在である常盤雅は、ここで息を引き取った、ということだろう。そういう意味では、赤羽はたしかに目の前の女性とは初対面ということになる。
赤羽は一度右腕で涙を拭った。それから直立し、頭を下げたままの常盤──いや、葛城雅に正対した。
「……初めまして、葛城雅さん。俺の名前は赤羽涼です。あなたと同じで、俺も、ずっと前からあなたを欺いてきました。そして、あなたのお父さんを、この手で、……殺めて、しまいました。それが原因で、他にも、散々あなたを不幸な目に遭わせてきました。本当に……本当に、ごめんなさい」
葛城雅に倣って、赤羽もできる限り頭を下げた。
ようやく言えた謝罪の言葉。その言葉尻は嗚咽交じりで、それはもう酷いものだった。
数滴の涙が布団を湿らせたところで、頭頂部に何かが触れたのを感じ取る。
それは、葛城雅の右手だった。
「もう、そんなふうに泣かないでよ」
置かれた右手が、ぎこちなさそうに、それでいて優しく、頭を撫でる。
「ほら、はやく仲直りしよう。6年前みたいに。この場所でさ」
もう我慢を続けることなどできなかった。
自分でも情けないと思えるほど、赤羽は暫くのあいだ、泣き喚めき続けた。それこそまるで、6年前の常盤雅のように。
唯一あのときと違うのは、罪を赦した側の人間も、一緒になって泣いていたことだった。
──そんなふたりだけの時間を、不謹慎にも、初めから盗み聞きしている者たちがいた。
しかし、その者たちがいる場所は病室のなかでもなければ入り口付近でもない。その病院の屋上だった。
基本的に解放されていないはずのそこで、ふたりは黙々と、未だに通信状態にある『ベツレヘムの星』でその音声を耳にしていたわけだが、ふたりが仲直りできたこの舞台を陰ながら演出したのだ、それくらいの権利があってもいいだろう。
屋上には、あの日の降雪の余韻が今もありありと残されている。解放されていない以上、除雪する者もいなければ、その理由もないからだ。そのせいでふたりの足跡だけが明確に残っている。
それとは対照的に、空には嘘のように雲ひとつない晴天が広がっていた。ふたりは冬の凍てつく外気に晒されていたが、それでいて寒そうな素振りをしてはいない。
鳩尾あたりの高さの手すり対して背中から凭れかかっていた金鵄は、「もう十分だろう」と片手に握った『ベツレヘムの星』の通信状態を切断して、懐にしまった。
「どうやら、首尾よくいったようだな」
声の先には、霜月の背中があった。クリスマスのあの日、キングキャッスルに現れたときのように、手すりの上に尻を載せて、両腕を左右に開いて手すりを掴み、空の彼方遠くを見つめている。両足を交互に軽く、バタバタと動かしていた。
霜月は「よっ」と漏らしながら、鉄棒選手さながらの軽やかな身のこなしで宙を一回転しながら背後に飛びのき、難なく両足で着地した。
「……だね。ごめんね、なーくん。私のわがままにつき合わせちゃって」
「気にするな。俺だって、あのふたりには仲直りしてほしかったしな」
「そっか」
「もっとも、お前が涼に過去を教えるなんていう想定外中の想定外が起こらなければ、事はもっと簡単に運んだはずだ。ここまで話がこじれることもなかった」
「もう、今になってそんな嫌味を言わないでよ。これでもちゃんと反省してるんだから。でもまあ、こうして仲直りできたんだし、けがの功名だったんじゃないかな、っていいように考えるのはダメ?」
「駄目だ。お前はサンタのリーダー・ニコラスなんだぞ。もっと自覚を持て」
「……はーい」
咎める金鵄に、霜月はつまらなそうに返事をした。
「なんてな」
「ん?」
「たしかにお前は情に流されて、いろいろと予定にない行動をとった。そのせいで事態は大混乱に陥った」
「……」
「だが、お前はそれを自分の力で挽回してみせただろ。6年前と違ってな。お前の言うように、丸く収まったなら、今回はもうそれで十分だろう」
霜月は、ムッと大きく頬を膨らませ、それからクスッと微笑んだ。
「もう、素直じゃないな、なーくんは。褒めるのに、なんでいちいち棘のある言葉をはさむかな」
「余計なお世話だ」
金鵄はバツが悪そうにそっぽを向く。それを見て霜月は再度微笑んだ。
「それで、あいつとは一体どんな話をしたんだ」
「ん? えっとね、……内緒」
「なんでだよ。手伝ってやっただろうが」
「さっき酷いこと言われたからね。その仕返し」
「相変わらず子供だな」
「こ、子供じゃな──ぐっ」
「ほらな。そうやってすぐ感情に流されるところなんか、子供そのものだろう」
「……ふん。意地悪ななーくんには、もう絶対に教えてあげないんだから」
霜月は機嫌の悪さを露骨に表情や態度に表して、そっぽを向く。
だがしばらくして、己だけが知る常盤とのやり取りを回顧していたら、自然と笑みが浮かんでいた。
思い返してみると、確かにロマンティックだったな、と思った。
まさか、記憶喪失のフリをするとまでは思いもしなかったが。
それにしても、やはり──自分とは違って、大切な人を失うこともなく、そして仲直りできた常盤が、ちょっぴり羨ましく、そして妬ましくもあった。
「なあ、飛鳥」
「ん、なーに?」
「こうしてうまくいったところに水を差すようで悪いが、お前はこれからどうするつもりなんだ」
「どうって?」
「あいつが返ってくるんだろう? あの野郎、もしかしたら雅の記憶だって消しかねないぞ。そういう指示がすでに下ってるかもしれないしな」
「……」
金鵄の疑問に、霜月も一気に意気消沈する。
霜月の超心理である超邪眼は、片眼につき一日に一度の、つまり一日に二度しか行使できないという制約がある。
よって、あの日の霜月は、予め超邪眼の使用対象を定めて戦いに臨んでいた。
ひとりは常盤であり、もうひとりは高峰だった。
だが、諸々の手違いが重なって、そのふたりのどちらに使うよりも先に、赤羽に対して使用してしまうことになった。
予定にない行動ゆえに霜月は、残りの一度を常盤に使用し、高峰については後日襲撃すればいい、という判断を内心で下していた。
だが常盤が狂化薬の反動で崩れ落ち、吐血しながら悶えるその哀れな姿を目前にして、ふいに霜月は柊で瑠璃とした会話を思い出し、直前でその判断を変えた。
つまり、その眼を使うことはしなかったのだ。
代替案として金鵄の電撃を用いることになり、常盤を気絶させたあと、以降の事後処理をすべて金鵄に任せて、霜月は単身で高峰の元へと向かったのである。
こうして高峰との因縁についてはひととおりの決着がついたわけだが、しかし今回の件の収集はまだ完全にはついていなかった。
損壊したニコラス学園の修復から植物人間となった高峰の身辺整理まで多岐におよぶが、なかでも一番の悩みの種が、今回の件でサンタの秘密を一握りでも知り得てしまった者(もっぱら黒服の連中だが)の処置だった。
その者たちに対して一番簡素で効果的な処置としたら、やはり記憶抹消を差し置いて他にない。とはいえ、霜月には一日に二度までという回数制限がある。効率的ではないし、仮にその間にサンタとしての別案件が入ろうものなら、進捗はどんどん遅延していくだろう。かといって、放置などできるはずもない。人の口に戸は立てられないのは古今東西不変の真理である。
それを解決するため、サンタ内では、霜月に超邪眼を使わせるのではなく、その元となった遺伝子を持つサンタ──サンタ名『ブリッツェン』の名を持つ者が、霜月に代わってその処置にあたってはどうか、という案が浮上した。
『ブリッツェン』には霜月と違って回数制限はない。何事もなければ、一日で事が終わる算段だ。
そのこと自体は別に構わない。だが、霜月と金鵄が今問題視しているのは、常盤もその対象に含まれている、ということだった。
「……させないよ。そんなこと」
霜月は、握りこぶしを作る。
「こーくんには、私が事情を説明する。そうすればわかってくれるって。きっと」
「あいつが? 本当にそう思ってるのか」
「う、うーん、そう言われると自信がないんだけど……でも、なんとかしてみせるよ。なんていったって、リーダーは私なんだから」
霜月は片手で胸を押さえながら宣言した。それを見て、金鵄が「言うようになったな」とこぼす。
「人の恋路を邪魔したくないからね。それに、────し」
「何か言ったか」
「え、あ、ううん。な、なんでもない」
霜月は「私も『おにーちゃん』からそろそろ卒業しなきゃいけないし」と小声で口にしていたのだが、独白と思っていたそれを人に聞かれ言及されたことで、たまらず紅潮しながら言葉を濁してしまう。
「そ、それよりも、いざとなったら、なーくんも手伝ってよね。こーくんとかお父さんを説得するの。あ、これリーダー命令だから。そこんところヨロシク」
「なんだそれ。……まあ、リーダー命令なら仕方ないか。乗り掛かった舟だしな」
やれやれ、とそんな台詞を吐く金鵄だが、ひねくれた言葉とは裏腹に、その顔には若干の笑みを浮かべている。
「それじゃあ、そろそろ帰ろうか。夜の準備もしないといけないし」
「それもそうだな」
霜月たちサンタには、現状、やるべきことが山積みになっている。そんななかでふたりに割り振られた任務は、先日、霜月が高峰を襲撃した際に入手した『高峰が世界各地に設けた研究所のリスト』に名を連ねる場所へと順に赴き、密かに閉鎖させていくことだった。
ふたりは、自分たちが作った雪の足跡をなぞるようにして下階に至る扉へと迫る。
「それで。次はどこだ」
「たしか、アメリカだった気がする」
「アメリカ? なんだ、あいつと入れ違いじゃないか。それこそ、あいつに任せればいいだろうに」
「でも、私たちの目的地はフロリダだし、こーくんにお願いしようにも、ラスベガスからじゃ結構距離があるでしょ。こーくんが帰ってくるのだって2日後に迫っているし、どのみち私たちが行くしかないんだって」
「俺たちが日本を離れているあいだに、あいつが雅の記憶を消さないか心配だな」
「そうだね。それじゃあ、それに間に合うように、私たちもパッパと終わらせて、大急ぎで帰ってこよう」
……さっき耳にした、あの人の願いごとを叶えるためにも……いや、あの二人の願いを叶えるためにも、私も尽力しなければいけない。
自意識にふけるあまり、霜月は機械的にドアノブをひねる。
「お前なあ。フロリダまで、どれだけ距離があると思っているんだよ」という金鵄の嘆息を最後に、扉は閉ざされ、屋上は静寂を取り戻したのだった。




