プレゼント
深夜1時半ごろ。
四角錐を上に引き伸ばしたような外観のキングキャッスルの最上階に住まいを持つ高峰望は、無数の貴重品と骨董品で飾ったモダン・クラシック調の自慢のリビングでひとり、上質な皮を使った黒いソファでくつろいでいた。
照明の類は一切つけていない。しかしそれでも、室内はそれほど暗くはなかった。キングキャッスルが放つ優雅で蠱惑的なエメラルド色の光の余波もあれば、窓の向こうに広がる世界はだいぶ前から白銀色に染まっている。真夜中だが、むしろ外のほうが明るいくらいだ。
そんな情景に後頭部を向けながら、気取った富豪らしく年代ものの最高級ワインをグラスに注ぎ、それを手にとって香りや味を静かに吟味している。その表情は緩い。
正面にある膝くらいの高さをした木製のアンティーク仕上げの横長テーブルには、世間から『龍の瞳』と呼称されたバスケットボールほどもある大きさの鮮紅のルビーが、小ぶりで透明な玉座の上から異様な存在感を醸しだしていた。
「ふふっ……ふっふっふ」
ワイングラスを回しながら、高峰はわが子を見るような目つきで至高の宝石を愛でる。そして高峰は、続けざま、その右隣にあるものに視線を移した。
深い蒼色をした、円錐状の巨大なサファイヤ。それは、世間で『龍の牙』と称されている、『龍の瞳』と遜色ない程に華麗で、圧倒的な存在感を放つ、この世にふたつとない逸品である。
目を瞑り、高峰は、遠い昔に起こったある事件を回帰した。
あの日──葛城家が崩壊した、6年前のクリスマスの日のことを。
高峰望が常盤雅の父である葛城金成と知り合ったのは、大学生のときのことだった。
同じ遺伝子工学の講義を受けていたことがきっかけだった。共に最前列の席の中央付近の席を狙っていて、そのせいか隣り合うことが多く、気付けば会話をするようになっていたという、どこにでもあるようなものだ。
今でこそ世界中に普及・浸透しているが、その当時は、まだ超心理薬が誕生して間もない頃であり、人類の歴史に新たな歴史の1ページが追加されたとまで謳われたほどだった。そのように世界中が活気だっていたこともあって必然、遺伝子工学を学ぶ者は例年の数倍にまで跳ね上がっていた。
しかし、超心理をファッションとして位置づけし、興味や関心だけが先行して学問に対しての情熱を欠いている者が大半だった。
そんななか、異常とまで言えるほどに意欲的で熱心に学んでいたのが、かのふたりだった。この世代で、後の世に功績者として称えられるようになるのは、日本人では3人、世界中でもわずか17人。そして──高峰がそれに名を連ねている。
周囲との差が歴然であるほどに優秀だったふたりは、いつの間にかふたりは、まともな話ができるのはこいつくらいだな、と互いに認識し合うほどにまでなっていた。ふたりは、超心理について幾度となく議論を交わして学生時代を過ごした。
やがて、あと1年で卒業を迎えるという頃になったとき、高峰は「一緒に超心理の会社を興さないか」と葛城から誘われ、それを高峰はふたつ返事で了承した。
というのも、有能という言葉で一括りになっているふたりも、実はその性質に大きな違いがあったからだ。
端的に言うと、葛城は0から1を生み出す神童であり、高峰は1を10に飛躍・進化させる麒麟児だった。そんなふたりが手を取り合えば、それはもう鬼に金棒でしかない。高峰はそう考えた。
その予感は見事に的中し、ふたりで立ち上げた会社は、瞬く間にその分野の第一線に台頭した。やがてコネクションが増え、金が増え、地位や名誉も増え、高峰は豪勢な生活を手にし、私腹を肥やしていったのだった。
そうして順風満帆に経営が続くなかで、しかしふたりの欲望は留まることを知らなかった。いつしか、会社経営は部下に任せるようになり、ふたりはそれぞれ研究に没頭するようになった。
だが、それがいけなかったのだ。気づいたときには、すでに越えてはいけない一線を越えてしまった後だった。
ふたりがその才能をつぎ込んで開発した薬は、どれもこれも法に抵触するものばかりだった。ならば当然、市場で人の目に晒すわけにもいかない。やむを得ず、日の当らない裏稼業の者を相手に提供してみたところ、それが口火となって、その薬は瞬く間にその界隈で蔓延した。
こうしてふたりの名は、裏社会でも爆発的に浸透していったのだが、それに伴い、さらなる事業拡大という名目で、活動の拠点を国外に移すことにした。
真意としては、過剰なまでに制限や制約を明文化した日本の法律が煩わしいと判断したからである。
すなわちそれは、裏社会での躍進を決意した行動と読み取れる。
押さえつける法律がなくなったことで、ふたりの道徳心も次第に欠落していったわけだが、しかしこの辺りから、ふたりの進む道が、若干ばらつき始める。
葛城は、いかに優れた効能の薬を作れるかということに心血を注ぎだしたのに対し、高峰は、いかに需要がある薬を作れるかということに傾倒しだしたのだ。
進む方向性にわずかな差が生じてしまえば、進むほどにその差は大きくなっていく。衝突することも多くなった。ふたりの関係は徐々に険悪になっていき、ついには業務上のやりとりしか行わないほどになっていた。
そんなふうにして、ふたりで会社を設立してから十数年が経った、ある日。それは起こった。
高峰は、『超心理とは全く違う、新たな薬ができた』と葛城に呼びだされた。
この日、何の因果か、葛城の邸宅にサンタが来るという予告状が届いていた。そのため、葛城は外出を許されない立場にあるらしい。そんな事情から、普段は会社で行うような話ではあったが、この日だけは葛城の研究室で議論を行うこととなった。
たしかに、何かが盗まれるという予告をされておきながらわざわざ外出するというのも間の抜けた話だな、と他人事のように思いながら、高峰は仕方なく新薬の詳細を伺いに葛城邸に向かった。
葛城邸にはすでに警察やら報道機関の者が群れを成していたが、訪れたのが夜ではなく夕方であったことと、それに高峰自身が保持する知名度と葛城との親密な関係性から、特に制止されることもなかった。
葛城の研究所は敷地内にあるのだが、邸宅の一室というわけではない。離れの小屋のように地中に特別に用意されており、そこへ行くには邸宅内のとある本棚の裏に備わった隠し扉を通る他にない。研究に専念するためでもあり、違法な薬品を研究していることが家族や来客、しいては警察などに漏洩するのを防ぐためでもある。
もちろん高峰は、そこへと至る道なりや隠し扉の錠を解除する手段を把握している。葛城の息子と娘に見られないように注意しながら、研究室へと進んでいった。
そうして葛城と対面し、何の雑談もなく、さっそく仕事の話を始める。昔は違ったが、最近ではそれが標準化していた。
そこで葛城が新しく生み出した薬──『強化薬』の詳細を耳にして、高峰はあらためて、激しく嫉妬した。
やはりこいつは天才だ、と感じた。高峰自身も世間から天才と言われている口だが、それだけに、自分にない才能を持つ葛城に対して、脱帽ではなく嫉妬を覚えてしまう。
同時に、この薬をどのようにしてより強力なものに──まさしく『強化』しようかと、すでにあれこれと思考を回転させいる自分に、子供のように高揚してしまっている自分に気づき、どうしてか葛城に敗北感のようなものを抱いていた。
途中、葛城は「サンタのせいで警察の相手をしなければならないから」ということでひとり先に地上に戻った。独りになった高峰は、これを作成した葛城こそあっと言わせるほどの、途轍もないものに作り替えてやるという研究者としての矜持から、渡された様々な資料に何度も目を通しては想定し、そして自問自答を繰り返してはまた資料に目をやる、ということを何時間も続けていた。
そうして高峰の頭に、強化薬をさらに強化するひとつの具体的な方向性がちょうど浮かんだところに、急に部屋の扉が開いた。
一瞬肝を冷やしたが、現れたのは葛城だった。息を切らせている当たり、急いでここまで来たのだろうが、その表情が妙に険しい。
葛城は高峰の存在など忘れているかのように、強化薬の試供品として用意してあったものを手に取ると、何を言うでもなくそのまま立ち去ってしまった。この部屋に籠っていた高峰にしてみれば、その挙動のすべてに皆目見当がつかない。
それで集中力が途切れ、ふと腕時計を確認してみたら、なんとサンタが予告した時間を少し過ぎているのに気付いた。
……強化薬に対する明確な方向性の見当もついた。実物は葛城が持って行ってしまったせいでこの場にないが、必要な情報も頭に叩き込んだことだし、とりあえず復元は可能だろう。ふむ、もうこの部屋に籠っている理由もないか。
地上に向かうことにした高峰は、とりあえず資料を置いたままにして研究室を後にし、そっと隠し扉から現れ、消え去った葛城の後を追うように適当に薄暗い廊下を歩いていて──そこで、それは唐突に起こった。
通路の先にある扉のその向こうから、けたたましい銃声が何度も聞こえてきたのだ。
部屋は、葛城の亡き妻が生前に使用していたものだった。
亡くなってからだいぶ経過した今でも、その当時のままにしてあると耳にしていたが……しかし、そんな場所で何が? と不思議に思い、警戒を怠らずにゆっくりと近づいて行くと──そこでいきなり、扉の向こうから、全身が白尽くしの装いをし、先端に綿のついたニット帽とゴーグルで顔を隠した、子供のように小柄な背丈の人物が現れた。
格好からして、それは間違いなくサンタクロースだった。
しかしどう見ても子供にしか見えない体格だ。
……まさか、こいつが? こんな奴が?
これなら、私でも捕まえられそうだぞ?
高峰は思った。目の前にいるのがサンタであるという前提だが、もしもこいつを捕まえることができれば、サンタの遺伝子を調達できる。それは非常に有益なことだ。その上、もしかしたらこいつをエサにして、今までサンタが盗んできた盗品を要求することもできるのかもしれない、と。
いつからか金の亡者に成り下がった高峰は、脱兎でも捕まえるかのように、不用意にサンタに襲い掛かった。
そしてその結果、右手に重度の火傷を負うこととなった。
サンタが走り去り、高峰がひとりで激痛にのた打ち回っているところに、もうひとり、さっきのサンタと同じ白い装いだが、ニット帽やゴーグルがないことで素顔が露になっている少女が現れた。怪我でも負ったのか左肩を押さえており、所々赤味がかっている。息も絶え絶えだ。
少女は空ろな目で高峰を一瞥すると、何をすることもなく、宙に浮かんでゆっくりと去っていった。それを目だけで追う。しばらくして少女が階段に姿を消したとき、何だかわからないが追撃されずに済んでよかった、という感想だけがただ残った。
しかし、2度あることは3度あるという。もしかしたらまだ他にもサンタがいるのかもしれない。そんなふうに高峰が思案していたところに、またしても扉の向こうが騒がしくなったのに気づいた。
警戒心を維持させたまま、扉をそっと開き、隙間から覗いてみる。するとそこには、ひとりの少女が大声で泣きわめている姿があった。
……あれは葛城の愛娘じゃないか。
だが一体、何をそんなふうに泣いて──っ!
そこで高峰は気づいた。少女の下に、不気味な黒い塊があることに。もちろん、そのすべてが黒一色というわけではなかった。ただ、その形状や大きさ、そして室内に充満した異臭からして、それが誰かの死体であるとはすぐに察した。
もっとも、それが誰なのかも、近づかなくとも状況からしてすぐに理解できた。
茫然とした。ついさっきまで動いていた人間が、消し炭のようになって朽ち果てているのだから。
おそらくは、さっき目にしたあのふたりがやったのだろう。噛みつかれているように痺れる右手が、高峰にその予想を抱かせた。
それにしても、なぜ高峰は殺されたのか。『龍の牙』の奪い合いにでもなったのか。仮にそうだとしても、サンタが人殺しをするなどということは聞いたことがないが。
点在する謎に顔をしかめていると、ふと煌びやかな光が目に飛び込んできた。目を向けると、室内の奥側に、深い蒼でありながらも透明感を持った、神秘的な円錐状の宝石があった。何を隠そう、『龍の牙』である。
おかしい、と思った。何故あそこにアレがあるのか。
サンタの目的はアレのはずだ。それがどうして?
……いや、まて。これはチャンスだ。
アレをあのままあそこに放置していたら、警察やらなにやらが何かと理由を付けて回収してしまうだろう。そんなことなら、今この場で私がこれを盗んでしまえばいい。なに、問題はない。罪は全部サンタが被ってくれる。あとは葛城の娘だが……まあ、見たところ、それどころじゃないだろう。もし聞かれでもしたら、『盗まれると困るから預かっているだけだ』とでも言えばいい。
こうして金の亡者である高峰は、葛城の死体を横にしているにもかかわらず、泣きわめく少女を宥めつつも、その横で堂々と『龍の牙』を懐にしまい、隙を見て葛城の研究室に移したのだった。
案の定、警察は予告状にあったとおりにサンタが『龍の牙』を盗み出したと断定し、報道陣もそのように情報を流した。唯一その現場を見ていた葛城の娘も何も口にしない。誰もが『龍の牙』を盗んだのが高峰だとは思っていなかった。
その後。
事件が収束を迎え、葛城邸から警察が引き払ったあと、高峰はひとり、再び葛城の研究室を訪れていた。もちろん、隠し通路の存在は警察に気づかれはしなかった。なにせ、それが目的で用意した仕掛けなのだから、そうでないとむしろ困る。
研究室には、先日持ち込んだ『龍の牙』をはじめ、これまでに葛城が自分の知識を結晶化し、そして研鑽してきた研究成果がありありと残されている。その処分のために高峰は訪れていた。
邸宅の主である葛城が死に、ふたりの子供が親戚に引き取られることが決定した時点で、この建物も売り払われることが決まった。そうなってしまってはもうここに立ち寄ることもできない。中古物件として売られるのか滅失させて新たに家を建てるのかは不明だが、いずれにせよ、葛城の研究が明るみに出るのは、高峰にしてみても何かと都合が悪い。
高峰はひとつひとつ、資料を確認していった。そして、廃棄すべきものと、これから使えそうなものとに分類し、そしてそれぞれの処理を終えて、何事もなかったかのようにその場を後にしたのだった。
それからというもの、高峰は躍進を続け、昨今では超心理の歴史に名を刻むほどにまで至ったわけだが、実のところ、その功績の大部分は、故人となった葛城が残した研究内容の影響が非常に大きい。高峰はそれらをうまい具合に活用し、上位互換させただけに過ぎない。
なかでも、葛城が死ぬ数時間前にその存在を知った強化薬には、あのときに思い浮かんだ方向性の元、できうる限りの改良を加えた。そうしてできた狂化薬は高峰自身も満足がいく完成度であり、それは裏稼業の者のあいだでも目玉商品となっている。
善悪の論争はさておき、仮にこの真実を知っている者がいたとすれば、真に歴史に名を刻んだのは高峰ではなく葛城だったはずだと思うところだろう。現に、高峰自身がそう思っているくらいだ。
おそらく葛城は、高峰よりも天才だった。だが、運命の女神は葛城ではなく高峰に微笑んだ。最後に立っている者こそが勝者とはよく言ったものだが、その論法でいけば、高峰のほうが葛城よりも勝っていたことになる。葛城よりも優秀だったということに、心のなかで翻訳される。
あの日から高峰の人生は一変した。もちろん、この上なくいい方向に。
目の上のタンコブであった葛城が、遺産を残して死んでくれたおかげで、湯水の如く流れ舞い込んでくる金を躊躇することなくふんだんに使い、あらん限りの贅を尽くすことができるようになった。まさに一石二鳥だ。
それだけではない。葛城が生み出した、強力な超心理を宿したふたつの駒も手に入った。しかもそれが葛城の子供たちというのだから、いっそのこと笑えてくる。
おまけに、そのふたりが今、サンタと戦っている。それを皮切りに、数日もしないうちにサンタがこれまで世界中で盗んできた金銀財宝も手中に収まる手筈だ。
もはや笑いが止まらない。
高揚した気分の高峰は、グラスを掴んだまま立ち上がると、振り返って窓越しに外の景色を見渡した。
普段なら漆黒を基調とした見事な夜景が地平線まで広がっているが、今日は白の飛沫が際限なく飛び散っている。だが、活発な動きをすればするほど、不思議といつも以上に静寂が蔓延っていくように感じる。
年に何度もない斬新な光景を堪能しながら、ワイングラスを口元に近づけてそっと、一口分すすろうとした──そのときのことだった。
「メリー・クリスマス」
不意に背後から、声がした。
単身の高峰にはここで一緒に暮らす家族もいない。家政婦を雇ってはいるが、もう何時間も前に帰宅しているはずだ。声をかけるような人物など、いるはずがなかった。
グラスからワインが零れ落ちるほどの機敏さで反転してみると、ついさっきまで高峰が座っていたソファの前にあった横長のテーブルの上に今、両手を左右について、ふたつの至高の宝石たちと並ぶようにして腰を下ろしている人物がいた。よく見れば、床には白くて大きな包みの姿もある。
「もっとも、クリスマスは2日──あ、もう3日前かな? に終わってるんですけどね。ナハハ♪」
足先の靴から頭にかぶったニット帽までの全身を白で統一させている恰好。ゴーグルも装着しているようだが、それは今、目を覆うことはせずに額に宛がわれている。そのせいで、素顔が露になっていた。
それは、まだあどけない少女だった。そして、どこか見覚えのあるような顔だった。いずれにせよ、目の前にいるのがサンタであることは明白だった。
そう咀嚼した瞬間、手下どもと戦っていたはずのサンタが平然としてこの場にいるということの意味までを嚥下して、気付けば高峰はグラスを落としていた。乾いた破砕音が鳴る。
「き、貴様、どうしてここに」
「どうして、って……面白いことを言いますね。あなたじゃないですか。私たちを呼んだのは」
「何だと?」
「忘れたんですか? サンタが『龍の瞳』を奪うって予告状を世間に公表したのは、他でもない、あなただってことを」
「そ、それが何だと──」
そこでニット帽のサンタは「だから、」と強調し、高峰の言葉を遮る。
「私は、帳尻合わせをしに来たんですよ。あの日私が奪ったのは、あなたが用意した真っ赤な偽物でしたからね。だから、今度こそ本物を──あ。今、私も面白いこと言いませんでした? 『真っ赤な偽物』って。ね?」
ニット帽のサンタは、高峰を嘲笑しているような表情と態度をとる。
「そんなことを聞いてるんじゃない! 私が聞いているのは、どうして貴様がここにいるのかということだ!」
「どうして、って……だからさっきも言ったじゃないですか。あなたが偽の予告状を勝手に出したからでしょ?」
一向に話が噛み合わない。
高峰には、このサンタが単にとぼけているようにしか見えなかった。高峰の胸中をわかった上で、それなのに意気揚々と嘯いてみせて、まともに取り合おうとしていないようにしか映らなかった。ふざけた態度に加えて、それが、なおさら癇に障った。
右手に力がこもる。だが、こんな挑発に乗ってはいけないと自制し、その手をゆっくりと開いた。
……いずれにせよ、やはり、あの兄妹がサンタに敗北したに違いない。
このサンタに問答したところで、どうせはぐらかされるのがオチだ。
「チッ。あの役立たずどもめ」
サンタの態度と、そのサンタにあの兄妹が敗北したことによる計画の頓挫。たまらず、高峰は舌打ち交じりに独りで毒づいた。
だがその言葉に、まるで装着していた仮面を取り払ったように、ニット帽のサンタは急に表情を消して押し黙った。今までが今までなだけに、その目つきが余計に冷ややかに見える。
空調はつけているが、それとは別の気流がこの室内で発生し、それが頬を撫でている。そんな感覚に捉われながら、高峰は思考を巡らせる。
……それにしても、どうする? どうすればいい?
まさかこんなことになるとは……まさか、奴ら、狂化薬を使わなかったのか? いや、もうそんなことはいい。今はこいつを仕留める方法を考え出せ。
大丈夫、この私なら考えつくはずだ。
そもそもこいつは、本当にやつらと戦ったのか?
あの服の汚れ具合からしても、おそらくそれは間違いないだろう。ところどころに赤いシミができる。やはり、さすがにあいつらを相手に無傷では済まなかったということだろうか。
ということは、こいつはこんなふうにふざけているが、実は手負いなのかも──ん?
もしかしてこいつ……あのときの。
そこで、高峰の脳裏で眠っていた6年前の体験が、ここぞと言わんばかりに目を覚ました。一度、ゴクリと生唾を飲みこむ。そして、ニット帽のサンタに正面を向けたまま、窓沿いにそっと、部屋の角に位置する、豪奢な装飾の施された収納棚を目指し、そっと足を横にずらした。
この部屋に唯一ある武器──自動式拳銃『コルト380ガバメント』を取りだすために。
しかし、こうして正面を向け合っている手前、どうしても隠密に行動することができない。棚にたどり着く前に挙動不審を咎められて制圧されかねない。まるで綱渡りをしているような心持ちで、一歩ずつ、横にずれていく。
だが意外にも、ニット帽のサンタは、視線でそれを追うだけで、制止することはなかった。しかし高峰が3歩先まで進んだところで、「ひとつだけ」と開口した。高峰は体を震わせてからそこで立ち止まる。
「質問させてください」
「し、質問だと?」
高峰は、敢えてサンタの希望に沿うような形をとることで、自分の行動から意識を反らそうと考え、相手をすることにした。
「あなたは、あのふたりのことをどう思っているんですか」
「あのふたり?」
「あの兄妹のことですよ」
最初、高峰は意味が分からなかった。『あの兄妹』というのが具体的に誰らのことを指しているのかはもちろん推察できた。ただ、そんなことを何故サンタが聞いてくるのか、それがさっぱりわからなかった。
返答はもとより、このサンタが何を考えているのかに意識が向かい、口をつぐんでしまう。
「答えにくいなら、質問を変えましょうか。……あなたは、本当は知っていたんじゃないですか? あのふたりが、あなたの作った狂化薬を使ってしまえば、体に負荷が掛かり過ぎて、最悪、命の保障すらないってことを」
「……まるで私が、あのふたりを使い捨ての駒のように、ぞんざいに扱っている、とでも言いたげだな。仮にそうだとして、だったら何だというのだ? 貴様に何の関係がある?」
「別に。ただ、あの兄妹の父親である葛城金成は、あなたにとって大切なパートナーだった人ですよね?」
「フ……フフッ……フハハハハハッ!」
そこで高峰は立ち止まり、今まで感じていた窮屈さを無視して、狂ったように笑いだした。
「何がそんなにおかしいんです?」
「葛城が私の大切なパートナーだと? ハッ、笑わせるな。あいつは私のことをパートナーなどと思っていなかった。そしてもちろん私もな!」
「でも、あなたの数々の功績は、葛城金成と二人三脚で手に入れたようなものですよね」
「フッ。二人三脚とは笑わせる。葛城が考案したものを私が改良する。たしかに我々はそうして数々の成功を収めた。そして世界中に名を馳せた。だが、それは過去の話だ。今の私にはもう葛城など必要ない。私ひとりでも十分成功を収められるのだからな。葛城は──あいつは、いつも私を見下していた。私がいなかったらあいつの作った薬品など二流もいいとこ、ゴミ同然の代物でしかないというのに。だから私は──私も、あいつを利用していたにすぎん。自分の成功のためにな。あんな奴はパートナーでもなんでもない。お前達に殺されたときには、むしろ清々したくらいだ」
「……そうですか」
高峰は葛城を天才と認めていた。
けれどそれ以上に、自分がその天才の金魚のフンと思われるのは耐え難く、そして認め難いことだった。
激高したことで抑圧された気持ちが少しは解放されたのか、幾分軽やかな足取りで高峰は角に進んでいく。
そうして収納棚まで辿り着くと、背を向けながら(つまりはサンタに正面を向けたまま)逆手で引きだしを漁り、お目当てのものを取りだす。そして、素早くニット帽のサンタに銃口を向けた。
いくらか会話し、動き、高笑いし、そしてこうして武器を手にしたことで、高峰の金縛りにも似た緊張感は、だいぶ収まっていた。
銃口を向けながら、亀のような鈍足で、今来た道を散歩でもするようにのんびりとした足取りで辿り、先ほどまでの位置にまで戻る。
「お喋りはここまでだ。今ここで、私がお前を……始末してやる!」
ニット帽サンタは、1メートルほどしか離れていない銃口を、白けたように見ていた。
「そんなものじゃ、私は殺せませんよ」
「とぼけても無駄だ。私はたしかに見たぞ。6年前のあの日、サンタが──おそらくは当時のお前が、肩に銃弾を喰らっているのを。それにこの至近距離だ、いくらなんでも、避けることもままならんだろう。え?」
高峰の話を聞いても、ニット帽サンタは表情を含めて微動だにしない。
「狂化薬は使わないんですか。あれはあなたの自信作でしょ?」
「何を言っている。自信作だからこそ使わないのだ。アレを服用すればどうなるかなど、作ったこの私が一番理解しているからな。あのバカな兄妹じゃあるまいし、貴様なんかのために自分の余生を台無しにして……たまるかっ!」
どさくさに紛れて、高峰は何気なく、サンタが油断しているであろう瞬間に1発、その眉間を目掛けて、容赦なく発砲した。
──だが、不可視の速度で放たれた銃弾は、サンタへ到達することはなかった。
サンタのこめかみからおよそ20センチ手前で、時が止まったかのように、空中に固定されていたのだ。銃口から微かに立ち上がる煙だけが、ゆらゆら動き回っている。
それから少しして、静寂に染まった室内に、命を失った銃弾が落下した音がわずかに響いた。
何が起きた? と高峰は絶句した。
……くっ、やはり通用しないのか?
いや、まだ弾は残っている。諦めるのはまだ早い!
逡巡は一瞬だけだった。すぐさま拳銃を握りなおし、また引き金を引こうとする。
そこでサンタが、「思った通りだ」と、その双眸を高峰に向けてきた。
薄暗い室内に浮かび上がるサンタの、およそ人とは思えない禍々しい瞳をそばで見て、高峰は思わず声を漏らし、指を止めてしまう。
「やっぱりあなたはクズですね。本当に」
「っ……サ、サンタである貴様なんかに、そんなことを言われる筋合いはない。この薄汚いコソ泥めがっ!」
狼狽したのはたしかだ。それに、今この瞬間もこの瞳が恐ろしいと感じている。
ただ、だからといって、自分に向けられた罵声は容認できやしなかった。高峰はろくに照準も定めぬまま、勢いに任せて何度も引き金を引く。
コルト380ガバメントの装弾数は7発。そしてすでに1発を消耗した今、合計で6発の弾丸が発射された。
だが、弾丸はどれひとつとしてサンタに着弾しなかった。さっきと同じように、6発の弾丸が点々と、サンタの直前で宙に固まっているのだ。
衝動に駆られてすべての弾丸を使い果たしてしまった高峰は、我に返ってとにかく焦った。
新しい銃弾を補填するか? それならまたあの棚から取りださなければいけない。くそっ、何故あの場に留まらなかった? いや、それともいっそ、下に控える警備員たちを呼ぶか? そもそもあいつらは何をしていたんだ、どうしてこいつの侵入を許した? というか、こいつはどうやってここに現れたのだ?
追い詰められれば追い詰められるほど、思考が本筋から脱線していく。と、そこに突然、先ほど放ったはずの銃弾が、逆にこちらに、同時に迫ってくるのに気付いた。
まさに目と鼻の距離だ。回避する間もなく、それらが点々と、上半身に着弾した──と同時に、高峰は正面から見えない大きな板にでも押し付けられたかのように吹っ飛ばされ、全身を窓ガラスに強く叩きつけた。そしてそのまま、磔刑にあっているかのように、足を浮かばせたまま身動きが取れなくなった。
手から剥がれ落ちたコルト380ガバメントも、磁力で吸いつけられたかのように、すぐさま一緒になって窓ガラスに張り付いている。
「では──そんなコソ泥からあなたへ、プレゼントを贈りましょう。招待されたお返しにね」
そこで、今まで腰を下ろしたままのサンタが、そっと立ち上がった。同時に、サンタとの間に唯一障害物として存在していた黒のソファが、まるで王者に道を譲る平民の如く、勝手に横にずれる。おそらくは、高峰が今受けているものと同じ、不可視の壁のせいだろうか。
明け渡された道を、一歩ずつ噛みしめるようにしてサンタは高峰との距離を縮めていく。そのたびに、高峰を襲う不可視の圧力がその分だけ威力を増していく。
やがて、バリッ、という音が聞こえた。
高峰が押し当てられている窓ガラスに、ささやかだが確かに亀裂が入ったらしい。そうして一度亀裂が入ってしまうと、それが連鎖して、亀裂が蜘蛛の巣のように広がっていく。そしてついに──高峰の体躯が与える圧力が、窓ガラスの耐久力を超えた。
大小様々なガラス片が一斉になって、白い夜空に散り散りにぶちまけられる。それと同じように、高峰も空に投げ出された。
高峰が落下中に抱いた感情は、恐怖というよりも、唖然に近かった。
……ばかな。
こんなところで、私の人生は終わってしまうのか。こんな簡単に。
プレゼントというのは、つまり死のことだったのか。それならむしろ、命を奪うと言ったほうが正しいではないか。いや、そんなことはどうでもいい。そんなことは……。
この高さからの落下など、無事で済むはずがない。今まで天才だなんだと称賛されてはそれに胡坐をかいてきてわけだが、それにしては、なんと無力で矮小なことか。
情けない喚きが口から洩れる。溺れかけの幼児のように手足がバタつく。生存本能のせいか、体が勝手にもがき続ける。
だが、総じて無意味なのは当の本人が一番理解している。
そうして自室から10メートルほど落下した辺りで、高峰の右手が、不意にがっしりと掴まれた。
その感触を追って見上げれば、視線の先にはサンタがいた。例によってサンタにしかない、空に浮かぶ力を使っているらしく、空中で停滞して、右腕を伸ばして高峰を掴んでいる。哀れな子犬を見て蔑むような表情を浮かべつつも、さっきと違って、その左目から光輝な翠の波がじんわりと溢れさせながら。
しかし今、高峰にとっては、そんなことは些末なことでしかなかった。助かった。理不尽に叩きつけられた死から逃れたのだ。その事実だけがなによりも重要だった。
「たとえばですけど」
しがみ付いた生の余韻に浸っているところに、サンタは呟く。
「さっきの時点で、あなたが狂化薬を使ってさえいれば、その手でたちまち私の手を握り潰すことだってできたかもしれませんね」
「な……」
「そうは思いませんか?」
サンタは、左眼に妖艶な光を保ちながら、邪な笑みを浮かべる。
な……何を言ってるんだ、こいつは?
そんなことをしたら、落下してしまうではないか。
高峰は、サンタの言葉が狂化薬を使わないことを選んだ自分への完全なる皮肉であると理解した。
普段の高峰なら、激高していたかもしれない。しかしこの状況、吠えることなどできるはずもない。たった今立ち止まることのできた黄泉への入り口を、自ら進むわけにはいかない。見栄や矜持をかなぐり捨て、従順な子犬のように縮こまり、サンタの手にしがみつくことしかできない。
そこでサンタは空いた片方の手で、胸元から半透明の、手のひらに収まるほどの小瓶を取りだす。そのなかには何かしらの液体が入っていた。
「そして──なんとなんと、ここにその狂化薬があったりしちゃいます」
「なん……だと」
……どういうつもりだ?
まさか……まさかこいつ、この私に……。
「察しがついたようですね。さすが聡明と名高いだけのことはありますね。……さあ、早く口を開けてくださいな」
サンタは、親指だけで小瓶の蓋を外すと、あろうことか醜悪な笑みを浮かべて高峰の口元にそれを差しだしてきた。目前に迫る小瓶に、高峰は視線が釘付けになる。
『プレゼント』とはつまり、このことだったのか。
しかしこの状況で断れば、最悪、放り捨てられるかもしれない。
かといって、こんなもの、絶対に飲みたくはない。
万が一サンタの手を潰そうものなら、それこそ地面に叩きつけられてしまう。
つまりは──八方ふさがりだった。
「何を躊躇しているんです? ……仕方ないですね。自分で飲めないというのであれば、私が飲ませてあげますよ。もう、特別ですよ?」
瞬間、まるで栓をされたかのように、不思議と鼻での呼吸が困難になった。
否応なしに高峰の口が勢いよく開く。そこにサンタは、浴びせかけるように小瓶の中身をぶちまけた。高峰はせき込みながらも、空気と一緒にそれを喉に通してしまった。
「っく……ハア、ハア、……き、貴様、なんてこと」
高峰は青ざめ、涙交じりに震える。
ついに飲んでしまった。これを飲んでしまえばもう、たとえ何をせずとも、体の組織のいずれかが不調をきたすことになってしまう。
「ほら、これで私の手を握り潰せますよ。早くやってみせてください」
そう言われても、もちろん高峰にはそれができない。生殺与奪はすべて、まさしくこの手に握られている。サンタもそれがわかっていて言っているに違いない様子だ。
まさに圧倒的強者の玩具。案の定、行動に移せないでいる高峰がよほどおかしかったのか、サンタは声をあげて笑った。
自分以上の悪を目にして、高峰は、自分の中の悪が委縮していくのを感じた。こいつは狂っていると戦慄した。──そこに、
「うっそぴょーん!」
始めに顔を合わせたときのように、サンタがおどけた態度でそう言った。訳が分からず、高峰は目を点にするほかないでいる。
「すいません、今のが狂化薬っていうのも、実は真っ赤な嘘なんです」
「な、に? それじゃあ、今のは……」
「色を付けただけの、ただの水です。すごく怯えてましたけど、そんなに怖かったんですか?」
そして再び、サンタは声をあげて笑った。
ここまでくると、さすがの高峰も、屈辱感というか、怒りに近い感情が恐怖を打ち負かして表面に出てくる。そして、サンタを睨みつけた。
だが、再びそこで高峰は狼狽する。睨みつけていたのは、サンタも同じだったからだ。
「……少しはわかりましたか? あなたが生み出した薬を使った人の気持ちが」
その言葉に、高峰は息を飲んだ。
「さっきだって、あなたの部下にも狂化薬を使った人が何人かいましたが、その誰もが命がけで、全身全霊で私たちを捕まえようとしていました。自分の未来など顧みずに。それなのに──あなたは何ですか。戦場に赴くでもなく、まして今みたいに命をかけることもしなければ、そもそもそんな覚悟もない。それどころか、自分の代わりに戦った者たちを労うではなく侮辱する有様。これが醜態でなくて何だというんですか? 恥を知りなさい」
悪魔の眼を宿したサンタは、鬼の形相で声を荒げた。
それは、油断すれば食い殺されてしまうかもしれないと思わせるほどに恐ろしい目つきだった。それに周囲が同調するように、舞い散る雪の乱舞が、そこだけが吹雪のように一際荒々しくなっていた。
高峰が委縮しているところに、サンタは「ふう」と深呼吸をひとつ。
「──さてと、ここまでは私の個人的な感情による余興です。夜も遅いし、そろそろ本題に入りましょうか」
……ここまでが、余興?
これからが、本題?
「い、一体、なにをする気だ」
「さっきも言ったでしょ? あなたにプレゼントを贈る、って」
「プ、プレゼント、だと? ……まさか、結局ここから落とす気か?」
「ナハハ、そんな非道なことはしませんよ。結論から言うと、これから植物人間になってもらって、それで病院で一生を終えるって、ただそれだけです」
何が「それだけ」だ。植物人間だと? ふざけるな。
──と声を大にして言いたいところだったが、この状況下での優劣はもはやはっきりしている。高峰は極めて低姿勢で反論した。
「なぜだ? なぜ私が、そんな目に?」
「あらら。そんな目とは随分な言いようですね。あなたの狂化薬のせいで植物人間になってしまった人だって大勢いるっていうのに。知らないとは言わせませんよ」
「っ……ということはやはり、さっき私に飲ませたのは……」
「だから、アレは偽物だって言ってるじゃないですか。まったく、そんなに信用ないかな、私。とにかく安心してください。私のコレは狂化薬と違って、一切痛みもないですし、体の組織に支障をきたすこともありません。ただ、あなたという自我が壊れてなくなるだけですから」
そうして、サンタの左眼が、エメラルド色の輝きをさらに強め、辺りにまき散らし始めた。
その眼が、その輝きが、具体的に何をするのか、高峰にもよくわからない。ただ、このままだともうおしまいだ、という危機感だけは十分すぎるほどわかった。
「た、頼む、お願いだ、許してくれ。もう二度と狂化薬は作らないと誓う。もちろん、危険なものも金輪際作らない。あの『龍の瞳』や『龍の牙』だって、持っていってもらって構わない。だから、命だけは」
「そうですか? そこまで言うなら……どうしようかな」
高峰の必死の命乞いに、サンタは思案の表情を浮かべる。
「すまない、恩に着──」
「うっそぴょーん」
九死に一生を得たと思った高峰は、再びその言葉を耳にした。
ただしそれは、さっきのそれとはまるで調子が違っていた。
さきほど狂化薬と偽って赤い液体を飲ませ、それが嘘だと種明かしした後に見せたときと同じ──いや、それ以上の冷徹さや残忍さを孕んだ眼で睥睨されている。
鬼火のように妖しく、だがエメラルドのように煌びやかな左眼からの鋭利な視線が、怯え切った心に突き刺さる。
「お生憎さま、私にはあなたみたいな最低の悪人に瞑るような純潔な目なんて持ち合わせてないんですよ。見ての通り、ね」
「よ、よせ、やめてくれ! た、頼む、何か失礼があったのなら謝る、この通りだ! だから──」
高峰は捨てられる直前の子犬のように全力で尻尾を振り続ける。そんな無様な姿にサンタは、「本当、何にもわかってないんですね、あなた」と歯噛みして冷酷に呟いた。そして、
「だから、……違うでしょ、謝る相手がっ!」
まるで今まで狂化薬の被害にあった者の心情を代弁するかのように、吼えるように、一喝した。
それを耳にしたが最後、幻惑な翡翠色の光輝を両目から存分に取り込んだ高峰は、眠るように、両の瞼を閉じたのだった。




